第63話【昔話】稽古をつけてやってください
龍同士の戦いは災厄である。
竜種でありながら文献の中で『龍』と記される存在は、この世界における生命体の頂点だ。大地を砕き山脈を崩壊させ島を沈める彼らにとって、街や城などは地表に張り付いた落ち葉にすぎない。
幸いなことに、彼らの個体数は少ない。そして彼らは概して高等な知性を持つ。ゆえに龍同士の本気の戦いが起こることはまず無い。彼らは知っているからだ。自分たちの争いの帰結を。
しかし今、この地には五頭の龍が存在していた。たった今、荒野と化した平原の上空で彼らは対峙していた。巨大な一頭と、固まって身を守る小柄な三頭。そして彼らから離れて見守る最後の一頭だ。
『な、なんなんだよアイツはっ!』
闇の防壁の背後で黒龍が恨みを吐いた。
『だ、だ、だ、大丈夫だ! 十分防げているぞ!』
彼らの眼前の黒い障壁は、迫りくる攻撃を受け止め、彼らを守っていた。しかし、隕石のように降り注ぐ巨岩は、天空に展開された魔法陣より絶え間なく生成されている。闇の障壁の外部では、弾かれた巨岩が剣となって大地を割り、揺るがしていた。
『だけどっ! このままじゃあ——ぐ、ぎゃぁっ!!』
足下からだった。いつの間にか、大地にも陣が展開されていた。それが、一旦は堕ちた岩を再度攻撃に向かわせていた。
『分層……連陣!?』
『くそっ! 【吸源破魔】!』
闇の球体が、黒龍たちを包んだ。天地からの岩石の槍が、球体の表層で砕けることなく吸い込まれていく。
『ど、どうする、兄貴? なんとか反撃しないと!』
『そんな余裕は——』
『なんで、こんな。父上っ!』
遠くで見守る彼らの父へ、闇の中からすがるような視線を向ける。
龍同士の戦いは災厄である。それが本気のものであれば。彼らの実力が拮抗したものであれば。
リグルヴェルダスは失望していた。相手が遥かに格下であることなどわかりきっていたことだ。それでも、現実は想定のはるか下だった。もう少し術を強化すればあの障壁も破壊できる。単純な事実に、彼もまた見守る一頭へ視線を送った。
皆の期待を感じて、黒龍たちの父は笑いながら片手を挙げた。指先を息子たちに向け、そこから高高度に位置取るリグルヴェルダスへと、その指を薙ぐ。
仕方ない。落胆しながらリグルヴェルダスは術を解く。それを見て、黒龍もまた防壁を解いた。
『お、終わった……?』
『馬鹿野郎、やるぞっ! ——【纏衣無明】! 【暗転空羅】!』
安堵の吐息をかき消して、防壁を張っていた黒龍の長兄が新たな術を展開した。
その術は闇を生み出した。二頭の黒龍それぞれを中心に。黒き鱗にさらなる闇を纏わせ、それが彼らの身体を強化した。
その術は闇を生み出した。リグルヴェルダスを中心に。それは単に視界を奪うものではなかった。暗視すら通さず、光届かぬ深海の如く揺蕩い、対象の動きを五感を鈍らせる空間だった。
『行け! ギジェル! グリオラ!』
号令に二頭が動いた。
オオオオオオオオオーーーーッ!!
闇に向けてブレスを放つ。同時に、足下からもう一頭が迫る。
長兄の術に囚え、前方からのブレスに気を向けさせ、隙の生じた死角から、この爪で切り裂く——。そう考え下方から接近した黒龍は、リグルヴェルダスを包む闇の中で固まっていた。
兄の術が彼女に影響したわけではない。彼女には耐性があった。しかし、悪寒が全身を駆け巡り、鉤爪に力を込めたまま、彼女は表情をひきつらせる。
喉元に、巨人の槍のごとき尾の先端が突きつけられていた。
『どうした? なぜ来ない?』
目を向けることなくリグルヴェルダスは喉を鳴らす。彼に向けて放たれたはずのブレスは、意思を持つかのように彼を避ける。
『どう……し、て……』
その先端に帯びる熱を感じながら、黒龍は言葉を絞り出した。
『たとえ刺し貫かれながらでも来なくば、俺に届かんぞ』
『そ、んなの……。こんな、ただの、く——」
言い切るよりも早く、尾が彼女の横面を打ち据えた。素早く反転し、リグルヴェルダスは衝撃に揺れる頭部を握りしめる。爪先を食い込ませ、骨が軋むほどに力を込める。
『ならば、堕ちろ』
リグルヴェルダスは羽ばたき、大地へと向かった。空中を引きずるように黒龍を掴んだまま。そして着地する寸前、勢いを乗せて黒龍の頭部を大陸へ叩きつけた。
『ガ————』
悲鳴は平原の砕ける音にかき消された。黒龍の頭部を中心に、蜘蛛の巣状に地割れが走る。震源地は陥没し、龍の体を飲み込んだ。
『お前は、来ないのか』
半ば埋もれ痙攣する黒龍に一瞥もくれずに、空を見上げた。その時にはすでにリグルヴェルダスを覆う闇は、彼の体に吸収され消失していた。
『ギジェルっ!』
『ぐ……、なぜ、俺のブレス——』
『お前は本当に龍か? ただブレスを吐くだけの獣か?』
『な、なんだとっ! 俺を獣だとっ!』
『獣なら獣らしく。愚直に襲え。でなければ、俺から行くぞ』
唸りを発しながら、リグルヴェルダスは飛び立つ。ほとんど羽ばたくことのない高速での飛行を可能にするのは、魔力場への干渉故だ。それを展じれば。
グガァァァーーーーーーーーッ!!
再び放たれた黒龍渾身のブレス、その進路を逸らすことも可能だった。歪曲された空間に沿って、街すら焼き尽くす力は進むのみだ。
『見えたか? 見えぬなら、その眼は必要あるまい』
『なん——、ぐああっ!』
リグルヴェルダスの鉤爪が、黒龍の瞼を切り裂く。
『ぐ、ぐ、ぐそおぉっ!』
血を伝わせながら黒龍は牙を剥いた。巨石を土塊のように砕く顎門を限界まで開き、リグルヴェルダスの首元を狙う。
『やはり見えていない、か。だが、それでいい。獣のレベルではな』
その攻撃を受けながら、平然と言い放つ。彼を守る障壁がそれ以上の侵入を許さなかった。そして、黒龍の意識がそこだけに向けられるなか、無防備な腹部に術を叩き込む。
『がぎゅっ』
黒龍は堕ちた。土に埋もれ気を失った姉の側へと。
『残るはお前だ』
威圧するリグルヴェルダスの言葉に、黒龍の長兄は反射的に術を唱えた。術は黒色の球体を生み出し、彼の眼前でリグルヴェルダスの視線を遮る。
『吸収と分解。僅かながらの重力操作、か』
『お、お前の術なんて、この【吸源破魔】で全て——』
『そう思うか? そんな粗雑な闇の力で。お前に見せてやろう』
リグルヴェルダスは顎門を緩く開いた。黒龍は障壁越しにそれを見る。ブレスの源泉たる焔が現れ、炎の舌が触手を広げていく様を。漏れ出た火炎が龍の頭部の数倍にも膨れ上がり、その熱波が陽炎を生じさせる様を。
「アレを、防ぐ……?」
闇をかき消す太陽の出現。周囲の熱にあてられながらも、黒龍は血の凍る思いを抱く。
だが、次の変化に黒龍は我が目を疑った。炎は収束していった。燃え尽きた篝火のように。時を巻き戻したかのように。それは龍の口元へと縮小してゆく。
彼には理解できなかった。
それは縮小ではなく凝縮。膨大な熱量を維持したままその体積を極限まで減じた結果。撒き散らされていた熱は極小の領域に閉じ込められ、領域の広がりに反比例して暴れ回る。
知識としては知られたものだ。黒龍とて当然に知っている。術の収束による強化について。しかしそれは、ひと抱えほどの火球を掌大に。掌大のものを指先ほどに。その程度だ。これ程の体積を、細胞レベルにまで抑えこむことなど、別次元の技術だった。
黒龍はついに炎を視認することができなくなった。次の瞬間、彼は首元に熱を感じる。
『……? う……? があああっ!?』
掠めた、のか。当たった、のか。それすらわからなかった。闇の障壁が破壊されたわけでもなかった。ただ、すり抜けた。のちに彼が思い返しても、そうとしか結論できなかった。
咄嗟に傷口を抑えた掌までもが、熱に黒色の鱗を溶かされた。爆音が背後で轟き、彼は激痛の中振り返る。
大地が裂けていた。はるか地平まで。当て木を使用したかのような、乱れなき直線で。次いで裂け目に向かって崩落が始まっていた。
『自身の術を信じたか。下手に躱さなかったのは正解だ』
『あ……あ、ああ……』
黒龍は無意味な障壁を解いた。ゆっくりと降下し、気を失った弟妹のもとに寄り添う。もう、見上げることはできなかった。
『我が師よ、感謝します。息子たちに稽古をつけていただいて』
『貴様の進捗の確認ついでだ』
彼の元へ参じた黒龍たちの父親に、リグルヴェルダスの口調は冷たい。
『酷いものだな。貴様はコイツらに何を教えている? それとも放任か? 弱き者のみを相手するのであればそれでもいいが』
『い、いや、それは……。我が子ゆえ……』
人であれば、額の汗を拭いながら、といった風体で父は答えた。足元には未だに目を覚さぬ二頭が体を横たえ、怯え切った一頭がうずくまっていた。
『ま、俺にはどうでもいい。俺も強さを求めているわけではないしな』
『いやいや、我が師よ。あなたは十分に強く——』
『強さは結果だ。それを目指したわけではない。貴様の息子どもも、何も標がないのであれば獣として生きればいい。それだけだ』
『そんなことを言わないでください。ここにいる間だけでも是非に。我が息子たちに稽古をつけてやってください』
父親は頭を地につけた。その言葉に長兄が身を震わせていることに気づかぬまま。そしてリグルヴェルダスが鷹揚に頷くのを見て、黒龍の子は絶望に目を見開いた。
ーーーーーーーーーー
おまけ
ーーーーーーーーーー
『甘い、と言いたいのでしょう? ですが我が師よ。師とて自らの子を目にすれば。同じ気持ちに——あ、いえ。師の御子息たちは——』
『俺にそのようなものはいないな』
『な、なんと!? 師は未だ伴侶に?』
このときのリグルヴェルダスはすでに数千の時を過ごしている。それを知っている黒龍は、彼の言葉が信じられなかった。
『し、しかし。師ほどの存在、相手を望むものは多いでしょう? かの『聖母龍』であろうと『混沌姫』であろうと。拒むものなどありましょうか。願わくば、我が娘にもその血をいただきたいくらいです』
『子、か……。それを試すのもいい、か?』
『是非! 望みのままに! 師にはその力があります!』
『そうか』
曖昧にリグルヴェルダスは呟いた。その横顔に黒龍は少しだけ優越感を覚えて、若き頃のように心躍らせた。
次回は62話の続きからになります。
【次回予告】
武闘会に出場したラース。
戦いの最中、彼はその武具を手にした。
それはラースを不思議な気分に捉える。
次回、「条件を満たした」
よろしくお願いします。




