第59話 この子が欲しいの
旅立ちは、その翌日となった。二頭の飛竜が、その光栄な任務を授かっている。一頭が先導し、もう一頭が背にラース、リグ、ルージュを乗せて、二頭は街道を標として王都へ向かっていた。
皆が、金龍の兄弟までもが共に行くことを主張していた。しかし、遠慮がちにラースは断った。彼らに過分に頼ることは、気が進まなかったのだ。
「すごいねっ。広くって、ずっと遠くまで見えるし。とっても気持ちいい」
平原のその先まで続く街道が、地平に消えていた。風にさざめく草が波のように揺れ、時折通り過ぎる街や村が、大海に点在する島のように見えている。
「そうだね。やっぱり飛ぶのっていいよね。リグはいつもこんな気分なの?」
「別に普通だぞ。それに、オレもいずれは……」
それが普通。そうだよね。
納得しながら、ラースは目を閉じる。カロスケイロスに連れられた時にも感じた、自分が
ドラゴンにでもなったような感覚。流れ去る風がそれを再び呼び覚ます。
そう在りたい。強くて、自由で、何でもできて。そんな無欠の存在。そうであったはずだ——
曖昧な知識と、おぼろげな記憶が、意識の際を超えてくることはなかった。彼の方から、望んで掴めるものではないのだ。
「でも、僕は。みんなと一緒にいることができたら、それで——」
呟きは風に流れた。ぎゅっと手を握られる感覚に、ラースは目を開く。二つの小さな手から熱が伝わっていた。
「見て見て、ラース! 見えてきたよっ!」
はしゃぐ声と、見守る視線が、ラースを現実に引き戻した。
徐々に広く、立派になっていく街道のその先に、王都は姿を見せる。外壁に囲まれたその全体は広大で、ラースの村、それも放牧地まで合わせたものと比べても、数倍はあるだろう。そこに暮らす者の数に至っては、ラースには想像すらできなかった。
近くにつれ、行き交う人々の姿が目に映る。彼の家よりも幅広い往来には人が溢れていた。街道の終着点、街へ入る門の前には旅人が、あるいは商人が、冒険者が列をなす。そんな混雑とした門は街の三方に存在していた。
「ねえ、あそこに行こう! あの広場なら降りられそうじゃない?」
小さな泉が中央に配された広場がラースの目に止まった。飛竜たちでも不自由しないほどの開けた空間がそこにはあった。
「え? ラース、あそこに降りるの?」
「広いし、中心みたいだし。ちょうどいいんじゃないかなぁ」
『ら、ラース様。それは』
彼らを乗せていた飛竜が、慌てて振り返る。すでに彼らは王都の至近の空を旋回していたのだが。
『ラース様、それはさすがに彼らに攻撃されます。申し訳ないですが、街の外へ降りますので』
『え、でも、村に来たときは』
「あんなところに降りたら危ないよ。私のいた街なら大丈夫だけど、ここだったらきっと騒ぎになっちゃうよ」
やんわりと、ルージュも彼を止めた。すでに眼下でざわめきが起こっていることに彼女は気づいていた。
「別に、あなた達が襲うってわけじゃないのにね。でも、分かったよ。外に降りよう」
「そうよ、ラース。せっかく領主さまから許可証ももらっているんだから」
ほっと息をついて、二頭の飛竜たちは街道から離れたところにラースたちを下ろした。
『二人ともありがとう。こんなに早く来ることができるなんて思わなかったよ。やっぱり飛竜って凄い。羨ましいな』
首を撫であげる手に、飛竜たちは『施術』の心地よさを思い出して、無意識のうちに喉を鳴らしていた。
『では、我々はこれで。時間を潰していますので』
『またお呼びください。そして願わくば。次の機会が、すぐにでもやってくることを願っております』
『うん。ありがとうね〜〜〜っ!』
「また乗せてね〜〜〜っ!」
飛び去る飛竜たちに両手を振って、見送った。
「え、なんで? どうして入れてくれないんですか?」
飛竜の羽音と入れ替えに、重々しい足音が接近してきて、ラース達を阻んでいた。往来を監視する門兵たちだ。
「すんなり通せるわけないだろう。お前らのような怪しい奴らを」
「飛竜なぞを連れて、王都を脅かしただろうが」
「その上、魔獣まで連れて街に入るつもりなのか? 一体どこから来たんだ、この常識知らずどもは」
「え、そんな、僕たちただ街に入りたいだけなんです。飛竜たちだって、僕たちを乗せてきてくれただけなんですよ。もう帰ってもらったし」
「はっ。飛竜を操るっていうのか、お前は? そうやって街中にも呼び寄せることができるというのか?」
「お前も、そっちの女と同じ魔族か? ただの子供ではあるまい」
「このまま通すわけにはいかん。相応の調べが必要だ」
「不服であれば、このまま帰ることだ。帰らぬというのなら——」
門兵の一人が剣の柄に手をかける。無論、やや過分なだけの脅しのつもりだった。それを見て、ラースは体を引く。いや、正確には、肩の上からの緊張を感じて、だ。
その刃が姿を現したら、確実に襲いかかる。彼の意思にかかわらず。あるいは先手を打って。それがラースにはわかっていた。
「待って! 私たち、領主さまから許可証を持っているの。これ、見てください」
小さなリュックの中から、ルージュは一枚の書状を取り出して手渡した。そのリュックは旅立ちの時、必要だろうとサーラにもらったものだ。
相対する兵士は、奪い取るようにそれを取り上げ、目を通す。肩越しに他の門兵たちも覗き込む。
「クルシュナ卿? とその家紋……?」
「の、ようですが……?」
「?」
手にした書状をルージュに返し、門兵はため息をつく。
「これが正規のものだと? お前らのような者が紹介を受けるわけがあるか。ますます怪しいな」
「これ、ちゃんと領主さまにもらったのよ。ホントなの」
「知らぬなら言っておくが。貴族を騙る者は重罪だぞ。今なら見逃してやる。——いや。良からぬことを考えているようだ。おい、皆こいつらを——」
「だめぇっ!」
ラースが大声で門兵を制した。あまりの声に、門兵らは思わず動きを止めてしまう。元々注目を浴びていたラース達だったが、門から離れていた所でのやりとりは、入都を待つ者たちからさらに耳目を集めることになる。
しかし、そうでもしないと暴発する。ラースの叫びは咄嗟にそう思ってのことだった。
その言葉が、かろうじてリグを制止させていた。すぐに門兵たちも理解した。低く唸る龍を前に、自分たちが何を相手にしようとしているかを。
『リグも、だめだからね。ちゃんと話したらわかってくれるから』
肩の上のリグを胸元に抱き抱え、押し付けるようにその頭を撫でる。警戒がラースの柔らかな手に崩されてゆく。
「あの、リグは大丈夫ですから。危なくなんかないんです。僕たち、ここに用事があって。冒険者ギルドってとこに行かなきゃ行けないです。だから、お願いします」
ラースは丁寧に頭を下げた。彼の隣でルージュもまた腰を折る。
「ふん、まあいい。ならば、その魔獣は置いていけ」
「え?」
門兵の言葉に、彼の腕の中で動きが生じた。抱えているはずであるのに、漏れ出るかのような力の拡散。龍の両手が、服を強く握る。
ラースは慌てて門兵から距離をとった。
「ん、どうした? 諦めて帰るか?」
「そうだな。そんな魔獣を連れて、街になど——」
「あら、魔獣はダメだったかしら」
緊張漂う空間に、涼やかな声が分け入ってきた。
「魔獣使いの冒険者だっているでしょうに」
「ねえ、かあさま。私、早くお家に帰りたいのですけれど」
続く親子の会話に、ラースたちは声のする街道の方に目を向ける。
四頭立ての立派な馬車が、彼らのすぐそばに止まった。開かれた窓から会話の主の姿が覗く。白く、透き通るような肌と淡い金髪。整った顔立ちが気品を感じさせる妙齢の女性だ。革張りの椅子には、毛足の長い絨毯のような布が敷かれ、そこにほっそりとした体を沈み込ませていた。
窓越しからでははっきりとは見えなかったが、その向かいにも腰掛ける小さな姿があった。それがかあさま、と発した子供なのだとラースは思った。
「か、カルトゥール公爵家——」
「公爵夫人、でありますか」
「あら、わが家の紋章はわかるのね。それでも辺境のパルドゥルーの家紋まではご存知ではないかしら」
夫人の視線は、ルージュの手にする書状にある。皮肉を込めた、というよりは無知を残念に思っているような口調だ。
「こ、これは公爵夫人。どうぞお通りください」
一転畏って、門兵たちは一斉に姿勢を正す。
「そうですか。では、失礼します。ああ、あなたたちもご一緒に」
夫人は軽く頭を下げて、ラースたちに目配せした。その言葉に御者が反応し手綱を揺らす。
「待て! あ、いえ。お前たちのことだ!」
「卿の許可証があるのでしょう。拒む理由がありましょうか」
「い、いや、しかし。その者たちは明らかに——」
「書状が偽りの物だというのですか? 真偽もわからないあなたがそれを言うのですか?」
平静な声での公爵夫人の指摘に、門兵は黙るしかなかった。不勉強だといえばそれまでだ。貴族の紋章全てを判別することは決して容易いことではなかったが、それができなければならない立場であることは事実なのだから。
「まあ、あなたの思いも理解できます。疑わしき者を未然に防ぐのは重要なことですよ。その意識は正しいです、門兵グルド。ただこのような場合は。確認が必要でしたね」
「は、はいっ! ありがとうございますっ!」
直立で彼は声を張っていた。感動していた。かの公爵夫人が、自分のような一兵卒の名を知り、口にしてくれたことに。
夫人を乗せた馬車とともにラースたちが門を潜る様を、門兵たちは敬礼を持って見送っていた。
「では、このあたりで」
馬車とともに大通りをしばらく歩いたところで、公爵夫人は声をかけた。
再び窓を開け、顔を見せた夫人に対して、ルージュが頭を下げる。片膝を地面近くまで下ろし、腰を曲げ、片腕を胸に当てて。
「ありがとうございます。お心遣い感謝します」
「あら、それはご丁寧に。けれど、この場では相応しくないようですよ」
ルージュの、形式に沿った礼に答えながら、夫人はラースに視線を向ける。
「あ、あのっ。ありがとうございますっ。無事に街に入ることができましたっ!」
先の門兵のように緊張しながら、ラースもまた慌てて頭を下げた。見様見真似でルージュと同じ姿勢をとる。
「ふふっ。まあいいでしょう。楽にして結構です」
許しを得て、ルージュが姿勢を直す。ぎこちなくラースがそれに続いた。
「え……と、公爵夫人……さま。僕、なにかお礼ができたらって」
「そういったものは不要ですわ。ああしたのは、あなたたちがちょっと気になっただけのことですから」
「そうなんですか」
「ダメですわ、かあさま。ちゃんと頂きましょう」
はっきりとした意志を感じさせる声とともに、後部の扉が開かれ、馬車から少女が飛び降りてくる。夫人と同じ金髪がふわりと浮き上がり、足首まで達するスカートが勢いになびく。一目で親子とわかる顔立ちだ。その品のある顔立ちからは想像できないような快活さを表しながら、腕を伸ばしてラースに指先を突きつけた。
「私、この子が欲しいの!」
その勢いに押されるように体をそらし、ラースは指先を追った。それは自分にではなく。
「えっ、リグ!?」
「そう、リグっていうのね。あの龍の幼名と同じね。あなた、いいじゃない」
「——馬鹿か、オマエ」
「まあっ! ちゃんと話せるのねっ。ますますいいわ」
酷い言葉を投げつけられたことよりも、嬉しさが勝って少女は手を伸ばす。その手が体に触れる前に、リグは軽く叩き落とした。
「ご、ごめんなさい。でも、それはできないです。リグは僕の家族なんです」
「あらそう? じゃあこれからは、私の家族になって」
諦めずに少女は再び手を伸ばす。より素早く。リグは軽く羽ばたいてラースの肩から離れ、その手を逃れた。
「黙れ。土臭い手で触るな」
「えっ?」
「ちょっと、リグ! ……ごめんなさい、でも、できません。それは、そんなのは……」
「そう——」
少女が目を細める。その先には、リグではなく、田舎の少年。上流として生を受けたものが持つ抗い難い空気を受け、ラースは息を飲んだ。
「あの、僕なにか他の……。あ! そうだ! 僕、じゃあ、お祈りします! これ、すごいものなんです!」
「なによそれ。そんなの」
不審の目を向ける少女に心乱されながら、ラースは慌てて祈りの言葉を紡ぎ始める。
蒼い、水の龍を想いながら。その存在を思い浮かべると、すぐにラースは平静になれた。少女の不平も気にならなくなる。
——《恵みの水》
左手に施された【水龍紋】から伝わる力を感じながら、ラースは結びの言葉を口にする。本来ならば癒しの水球を生じさせるその祈りは、今は彼の掌を薄く湿らせる程度にしか発露しない。
彼はその手を少女の頭に当てた。かつてに比べればわずかな効果のその水は、それでも少女に浸透し、心に染み渡る。
「……え、なに、これ——」
少女は呆然としていた。思うに任せた言動の多い少女は、それを諫める声に常に辟易していた。しかし、この祈りは、彼女を不快にすることなくその行動をとがめる。気持ちを穏やかにさせられる。
心が洗われる、とは正にこのことだろう。彼女がそう思えたのは、この後馬車に再び揺られた時であったが。
「これはね、龍の神様の力なんだよ。みんなを癒してくれる龍なんだ。今の僕じゃああんまり伝えられないけど」
「龍、の……?」
「そうだよ。一緒にお祈りしてくれると嬉しいな」
「あ、ふあ……ぁ」
吐息が漏れた。表情が緩んでいた。ラースが手を離してもなお、ぼんやりと佇んでいた少女は、母の呼びかけにようやく目を覚ます。
「もう、行きましょう。十分よ」
「あ、はい、かあさま」
不思議なものを見るようにラースを振り返って、少女は馬車へ戻った。
「あなたたち、そういえば名前を聞いていませんでしたね」
その問いにラースが二人を紹介すると、夫人は頷きながら笑みを返す。
「そうですか、ラース。興味深い術を見せていただいてありがとうございます。せっかくこの王都に来たのですから、どうぞ楽しんてくださいね。今はちょうど建国際の最中。クルシュナの領では見ることのできないものもたくさんありますよ」
そう言って自らの屋敷へと向かっていった。
次回で第10章完結となります。
【次回予告】
王都は建国祭の最中。
ラース達は冒険者ギルドに向かうため
聞き込みをしていた。
そんな中、ふと見かけた祭りの屋台で
ラースは一つの小さな決意を固める。
次回、「自分で勝ち取ってこそ」
よろしくお願いします。




