第58話 受け取ってくださいっ!
待機していた飛竜たちのもとへラースが戻ってきたのは、セイヤの牧場の羊や鶏たちと会ってからのことだった。久しぶりの牧場での触れ合いを堪能し、彼らの体調を確認し、幾らかの『施術』を行った。蘭鶏ケイも、今回のラースの不在には、もう自分を見失っていなかった。
一方で。
『お、お、あああああ〜〜〜っ!』
あまりの歓喜に、リグの想いは最初、言葉にならなかった。降り立った飛竜の背にその姿を認めると、温泉から光弾の如く飛び出してラースにしがみついていた。
『く、くるるるっ。くるるるっ』
首を擦り付け、龍は求愛の如く喉を鳴らす。
『戻ったよ、リグ』
ルージュとは別種の熱を帯びた体を抱きとめて、ラースは一方で背中を、もう一方では首筋を撫であげる。
『お、オレ、待ったぞ。待ったんだぞっ!』
『うん。ごめんね。僕、もう大丈夫だから。カロスにちゃんと治してもらったからね』
『そうか! 治ったんだな!』
はしゃぐ子供のような高い音をかき鳴らして、リグはその長い首と尻尾を、ぐいぐいと押しつける。
『うん! 治ったよ!』
ラースも答えるように首をすり寄せる。嬉しさに声を張った。
『治ったんだな!』
小さな両手でギュッとシャツを掴み、包み込むように翼を開く。
『うん!』
『治ったんだなっ!』
『……うん?』
こんな態度を見たことがあるような。そんな疑問が浮かんだが、それはすぐに解決した。
リグを抱えたまま、ラースはその場に座り込んだ。小さな体をそっと離して、膝の上にのせる。
『じゃあ、確かめてみて』
その言葉に、リグは力を抜く。警戒など微塵もない。事が始まる前から、歓喜に包まれていた。
温泉にいた飛竜たちが、そしてラースとルージュにとっては初見の、金龍の兄弟たちが見守る中での、久しぶりの『施術』だった。
彼らにとっては初めて目にする光景。それは信じ難い姿だった。
温泉を堪能している時よりも至福の表情を浮かべ、その身を委ねているリグが、飛竜たちには、強大な力を持つ龍とは別種の存在に思えた。
特に金龍たちにとっては。畏怖の対象となっていたリグが、これほど無防備に身体を晒し求めている様が、現実とは思えなかった。事前にラースの存在を聞かされていたとは言え。
だが、彼らは次第に一様な思いを抱く。
『何だあいつ。あんな人間にだらしねぇ』
そんな兄の悪態は、
『でも、リグさん、すごく気持ちよさそうだよ』
弟の言葉に同意せざるをえなくなる。そして。
我々も。俺も。僕も。大小の差こそあれ、思わされていた。
『ねえ、リグ。これもカロスから教わったんだよ。——《恵みの水》』
『ん〜、何を——んきゅっ!!?』
ラースの左手から力が漏れ出た。正確にはその薬指の付け根、指輪をはめているように見える紋様からだ。
癒しと心の平穏をもたらす祈りの言葉。それは今はわずかな効果しか顕さなかった。しかしそれで十分だった。
祈りによる術が発露するのは、カロスケイロスの住むウラノス王国に限定されていた。そこがカロスケイロスの創り上げたシステムの範囲なのだ。
しかし、王国を去るラースに対して、抜け道を提供していた。それがこの【水龍紋】だ。蔦のように絡まる龍の紋様は、王国へ蓄積された祈りの力をラースと繋げる。その通路は狭く、王国内での《恵みの水》の効果には到底及ばないもの。それでも無いよりは、とカロスケイロスがラースに施したのだった。
『な、ん……? はいって——、ぉお、ぅ……んんっ』
『どう?』
見下ろすラースの笑顔が、リグには写し身のように思えた。心地良い。それは間違いないのだが、それとは別の感覚が入り込んでくるような、今の彼には理解できないものがあった。
『ラース……、オマエ……』
『うん? わかった?』
手を止めて、力の抜けたリグの体を抱えあげた。仕上げとばかりに、タオルで拭き取るように優しく全身をその手でなぞる。
『施術』を終えてリグから意識を逸らすと、ラースはいつの間にかドラゴンたちが迫っていることに気づく。
『えっと。あなたたちも、やる?』
かつての牧場でのように、答えを聞くまでもない問いを、ラースは笑顔で発した。
『ところでリグ。このドラゴンたちは?』
『ん〜〜〜。敵』
幸せな気分に浸りながら、リグは軽く喉を鳴らす。
『ちょ、リグさん!? 俺達はもうあんたの邪魔しようなんて!』
『そうだよ。僕たちリグさんの、仲間だよね? ね?』
『だったか?』
『も、もちろんだよ。ここはリグさんの縄張りでしょ。僕ら住まわせてもらっているんだから』
『そうだとも。だから、敵なんて言わないでくれよぉ』
焦り、慌てながら、兄弟は顔を近づける。飛竜たちと遜色のない大きな体で、のしかかるように迫る。
『オレの、じゃないけどな』
『あ、わかっているさ。こいつの——』
『リグさんと、ラースさんのだよね。ね。』
『……リグ。何したの? 飛竜たちのときみたいに?』
『オマエのためだぞ』
得意げな表情に、ラースはため息しか出なかった。
「ねえ、ラース。すごく綺麗だよね。金貨みたい」
「そうだね。初めてみるよ。ルージュは?」
頭を振って彼女は否定した。危険がないとわかってルージュは金龍の足に手を伸ばす。打ち鍛えられた金属のように硬く、滑らかな手触り。それ自体が本物の金のように思えた。
その様子を見て、ラースも金龍の鱗に触れる。
『ほんと、綺麗だよ。それに悪いとこなんてなさそう』
『お、おい……』
困惑する兄に構わず、ラースは少しだけ力を込めてみた。上手くできるかな。とその固さに戸惑いながら。
『おい、オマエ。オマエの鱗、ラースに渡せ』
『は!? え? えぇ? 何で俺がこんな——、えぇっ!?』
突然の要求に目を見開きながら、金龍はリグを恐る恐る見下ろす。
『欲しいだろ、ラース。綺麗だもんな』
『え、いや、綺麗だとは思うけど。そんな——』
『だよなっ。ほら、剥げよ。早く』
『ちょ、リグさん!? 待って!』
戸惑う金龍に、続けて浴びせた楽しげな言葉が、彼を絶句させる。
『ああ、ラース。コイツの牙も綺麗じゃないか?』
『〜〜〜っ!!』
咄嗟に金龍は口元を押さえ、生えかけの牙を隠す。遠目からでも分かるくらいに震えていた。太い尻尾がのたうち、土を左右にかき分ける。
『わ、分かったよ。鱗の一枚くらい』
慌てて金龍は腕の鱗の小さな一枚をつまみ上げて、剥ぎ取った。ラースの掌に隠れるくらいのそれを手渡しながら、それでいいだろ、と悲しげに呟く。
『……ごめんね。でも、本当に綺麗だよ。こんなにキラキラしてて』
ラースはつまんだ金色の鱗を、光に当てたり透かしたりしながら感心していた。ルージュと一緒にひとしきり愛でてから、宝石でも扱うように両手に包む。
『ありがとう。大事にするからね。——あ、そういえば。あなたの名前教えてくれないかな』
『フェルサスだ』『僕はファウスス』
『僕はラース。よろしくね。フェルサス。ファウスス』
リグの強要したことではあったが、それは思わぬ影響を飛竜達に与えていた。ラースが金龍の鱗を扱う様を見て、飛竜達の中に使命感が疾ったのだ。
『あ、あの。ラース様』
『うん? どうしたの?』
『あの、我々の——。我々の鱗も受け取ってくださいっ!』
ラースの返答を聞くまでもなく、飛竜達は牙を使って器用に自らの鱗を剥いでいた。それを順番にラースの掌の上に積み上げていく。あっという間に彼の両の掌には、素材としても貴重な飛竜の鱗が山となっていた。おそらくは、一頭が一枚ではないだろう量だ。
『え? えっ?』
『我らの鱗は、そいつらのように輝いてはいませんが、どうか受け取ってください。我らの忠誠の証です』
『え、いや。受け取るけど……。いいの?』
『是非!』
戸惑いながらも笑顔を造って、ラースは両手いっぱいの鱗を受け入れた。
ラースにしがみつきながら、リグは冷めた目で飛竜達の行為を見ていた。しかし、次第にラースが自然な喜びの表情を見せるようになって、自らの体に爪を立てていた。
『リグはダメだからね!』
すんでのところで、ラースが制止をかける。
『ラース、けど、オレ』
『大丈夫だよ。だってリグはいつも一緒にいられるでしょ』
穏やかなその言葉に、ようやくリグは満足し納得した。
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おまけ
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ラースは嬉々としながらも、ほんの少しだけ後悔していた。
「やっぱり、大きいなぁ……力は伝わっているよね?」
集まるドラゴンたちに『施術』を進めながら、ラースは難儀していたのだ。
「カロスみたいに小さくなることができたらいいんだけど」
『す、すまない、ラース様。我々はそのような……』
『光栄です、ラース様。リグ様と同じものを与えられるなど』
『あ——ああっ!? これ……く、くるるぅ……は……ぁ……』
『大丈夫。僕、頑張るからね。すぐに『掴む』から』
『施術』はラースにとっての人生の軌跡。魔獣たちの特性のように、彼の特性といえるようなものだ。だから彼は妥協しない。
たとえ、嫉妬の視線を受けようとも。
【次回予告】
飛竜に連れられて王都へと向かったラース達。
門兵に咎められたラース達を救ったのは
公爵夫人とその娘だった。
次回、「この子が欲しいの」
よろしくお願いします。




