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第57話 大好きだよ

 重い雨を生む雲を隔てて、蒼天の中に龍はとどまっていた。青空に溶け込むような体をくねらせ、たおやかな花を扱うようにその手に少年を包みながら。


『ありがとう、カロス。あなたのおかげで僕、元気になれたよ。『施術』も前みたいに、ううん、もっと上手くできるようになった気がするんだ。だからね、また呼んで』


『ラース。私は、もう——。このまま、この手を閉じてしまいたい。そしてそのまま』


『カロス』


 ラースは笑顔で手招きした。今の龍は本来の巨大な姿。戸惑いを浮かべたその顔を触れんばかりに彼に寄せる。


 その先端には短い、といってもラースの身長ほどもある感覚器官が何本も備わっていた。そこへ彼は手を添える。慈しみを込めて頬をすり寄せる。


『……んっ。らぁ、す……だめ。こんな、ところで……』


 ふるふると髭がわなないた。それらが少年の手に包まれる。頬に触れる。しばしの別れの前、上ずった声で否定しながらも、感じ取ってしまったものが『施術』の心地よさと相まって、カロスケイロスの心は捉われていた。


『ねえ、貴方は…… 、なぜ……? ——ああ……っ!』


『大好きだよ、カロス。ありがとう』


『〜〜〜〜〜〜〜〜っ!』


 感極まったカロスケイロスは全身を震わせて、浸った。力が抜けていった。そのまま地上まで墜落しそうなほどに。それを堪えたのは、ひとえに手の中の存在のおかげであった。


 ラースが安全に地上に下されるまでには、心落ち着ける時間が必要だった。カロスの術によって雨を弾きながら、ラースは手を振る。長大な龍身のその末端が厚い雲に消えるまで、その手を精一杯大きく振り続けた。


 水を司る神龍に付き従うように雨雲もまた去ってゆく。一転した青空の下で、ラースは自宅のそばに立っていた。


 そんな彼を二頭の飛竜が見つめていた。恐れ慄きながらも飛竜は待ち人を出迎える。


『ら、ラース様……。今のは、一体……?』

『な、何なのだ、今の巨大なドラゴンは!?』


『あ。あなたたち、こんなところでどうしたの? 森に帰ったんじゃあなかったっけ?』


『いや、我々は。ここでラース様の帰りを待つようにと、リグ様に命じられて』

『お帰りなさいませ、ラース様』


 遅ればせながら飛竜が頭を下げる。


『リグが? え、ずっとここにいたの?』


『いえ、交代ですから』

『それで、ラース様が戻ったら、お連れしろと。我々は幸運です』


『そうだったんだね。リグが。ごめんね、大変だったでしょ』


 その名を口にすると、ラースの中で急に暖かなものが膨れ上がった。離れていたのはひと月にも満たない間だったが、懐かしさが込み上げてくる。そして、もう一人の大切な家族の姿も。


『とんでもない。苦痛などありません。それに』

『そう。この村の人間も、我ら飛竜に対し色々と世話を焼いてくれていたので』

『ルージュ嬢の口添えのおかげですよ』


『ルージュが!? そっか。ルージュ……、早く牧場に行かなきゃ』


『待ってください、ラース様。貴方をリグ様の所へ』


『あ、うん。でも、ごめんね。もう少し待ってて』


 飛竜が頷くや否や、ラースは駆け出していた。






 セイヤの家にはルージュがいて、ラースにとっては初対面である領主の長子、スクリトもまた滞在していた。


「おかえり、ラースっ!!」


 姿を見るなり飛びついてきた小さな体を、ラースは強く抱きしめた。高い熱を帯びた弾力のある体は、甘ったるいような香りをラースに届ける。桃色の髪を片手で撫で下ろして、こぼれそうな頬と潤んだ瞳を見つめた。


「ただいま。心配させちゃってごめんね。僕、もう大丈夫だから」


「うん! うんっ! ラース、すごいよっ。またすごくなったみたいなの。すごい、いい感じなのっ」


「ん、カロスのおかげかなぁ。ルージュは? 元気にしてた?」


「うんっ!」


 はちきれんばかりの笑顔と歓声で、彼女はラースに顔を寄せて、その唇を重ねた。


「んっ!?」


 面食らったものの、ラースはすぐに受け入れる。これまで何度も彼女と唇を重ねたが、それは通常の意味以上のものを持っていて、それが彼女の源であることを、ラースはすでに理解していた。


「あら、まあまあまあ。積極的ねぇ。やっぱり早くしないとね」


 そんな二人を微笑ましく見守りながら、サーラはうんうんと頷いていた。


「……やっぱり、ラース、すごいよぉ」


「うん、ありがとう、ルージュ。大変だったよね。牧場も、飛竜のことも。なんだかお世話してくれたって彼ら喜んでいたよ」


「飛竜のことはね。彼らがラースのこと大切に思っていたから。そうしなきゃって。村の人たちにも手伝ってもらったの」


「そっか。すごいよ、ルージュ。みんな飛竜のこと怖がっていたのに」


「ラースがすごいからだよぅ」


 緩みきった頬を紅色に染めて、彼女は口元を綻ばせた。


「あの、そろそろ紹介してくれないかい、ルージュちゃん」


 遠慮がちに口を挟んだのは領主たるクルシュナ卿の長子、スクリトだった。初めてこの家を訪れた時の態度は、すっかり形を潜めていた。ルージュを見守る彼は、年の離れた末妹を相手にしているような、柔和な表情になっている。それでいて、淑女を立てるように、一歩引いた振る舞いをみせる。


「ん。そうね。ねえ、領主様。このひとが私の一番大切な人、ラースよ」


「え、り、領主様!? 僕、ラースといいます。初めまして」


 一転緊張気味に、ラースは頭を下げた。


「ああ、よろしく、ラース。私はスクリト。この村の領主——ではないな。領主は父のクルシュナ卿だ」


「え〜、でも、もうすぐ領主になるんでしょ」


「月が変わったらだよ、ルージュちゃん。それまでは父が領主だよ」


 不満げに頬を膨らますルージュの頭にそっと手を置いて、彼は訂正した。


「そうなんですね。よろしくお願いします、スクリト様。それで、あの、どうしてこの村に来ているんですか? 何かあったんですか?」


「元々は君に話を聞きに来たのだが。まあ、今はそれはいい。何というか、そう、この村が気に入ってな」


「そうでしたか! ありがとうございます」


(気に入ったのは、別のことだけどねぇ)


 喜ぶラースの耳元で、スクリトに聞こえぬようサーラはそっと囁く。笑みをたたえたままラースに座るよう促した。


「あ、そうだ。セイヤさん。僕、すぐに皆に伝えなきゃいけないことがあって。スクリト様も聞いて欲しいんです」


 そう前置きしてラースが語ったことは、一部はスクリトが確認したかったこととはいえ、彼らには到底信じがたい内容だった。


 リグルヴェルダスがいなくなったこと。それゆえに国が狙われていること。それを聞かされた相手が、隣国ウラノス王国の司祭であったこと。しかしスクリトにとってその話は、少年が紡ぐには荒唐無稽すぎると思えた。それゆえに彼は信憑性を感じた。


 ラースは嘘言わないよ。


 そう訴えた時と同じ瞳をルージュに向けられ、それが追証となった。


「で、どうするというのだ? 村を守れと? それは当然のことだが、それだけで済む話ではないだろう?」


「あの、スクリト様には、教えてもらいたいんです。村に来た冒険者たちのこと。あいつら有名な冒険者だって言ってた。だから、あいつらに会ってこのことを伝えれば。どこにいるかとか、わかればいいんです。元々領主様の所へ聞きに行こうかなって思っていたんです」


「『太陽の頂』の奴らか。依頼したのは父だが、私も知っているぞ。奴らの拠点は王都だ。今回来たのは『竜殺し』の渾名を持つロウベルト・ネザーという奴がリーダーだったな」


「王都、ですか。ありがとうございます。じゃあ、僕、そこに行かなきゃ」


「ちょっと、ラース」


 はやるラースの肩に大きな手を置いて諫めたのは、サーラだった。


「落ち着きなよ。王都に行くって、本気かい? そんなのは村長にでも頼めばいいんじゃないか」


「僕が行かないといけないんです。あいつらには、僕が言わないと」


「それにしたってさあ。ねえアンタ」

「そうだよ、ラースくん。せっかく帰ってきたんだ。少しゆっくりしていったらどうだい」


「でも、早く伝えないと! ……あ、ご、ごめんなさい。うん、あの。だけど……」


 もどかしかった。ラースは自分の責任だと強く感じていたのだ。砦での戦いを思い出すと今でも身震いする。あんなことが、この村で、国で起こったら。それを防ぐことができるのであれば、やらない選択肢などなかった。


「ラースくん、行くなとは言わないよ。ただ、体は休めないと。それに彼、リグとも会っていないじゃないか。最近は森から戻ってこないんだ。一緒に行くんだろう?」


「あ。そ、そうです。リグのところにも行かなきゃ」


「一旦落ち着きなよ、ラース。一日くらいいいだろ。久しぶりなんだ。今夜はご馳走にするからさ。ルージュちゃんと一緒に食べておくれよ」


「そうよ、一緒にご飯食べよ、ラース」


 夫婦の言葉に、波打っていた心が少しずつ穏やかになってゆく。焦りは消えないものの、感謝の想いが強まる。彼は胸に手を当てて大きく息をついた。それとともに、本来の自分を取り戻す。


 すぐにその姿が思い浮かんだ。会いたかった。そして、確かめたかった。


「……分かりました。じゃあ、じゃあ僕っ。皆のところに行ってくるねっ」

【次回予告】

待ち焦がれていた再会と『施術』

それはドラゴンたちに広まってゆく


次回、「受け取ってくださいっ!」

よろしくお願いします。

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