第55話 ここはオレのモノにする
『に、兄ちゃん、ひどいよ』
『悪いな。けど、今はあの餓鬼だ。あいつは殺す。死なない程度に噛み砕いて、治ったらまた噛み砕いて、俺のこの牙が再生するまで繰り返して。最後に喰らってやるっ!』
よろめく弟をそのままに、兄は歩を進めた。
『リグ様っ!!』
『うるせえっ! てめえらも、まとめてくらいやがれっ!』
金龍は両手をついて獣の姿勢をとった。全身の金鱗を震わせ、再び彼の『とっておき』を放つ。音速の衝撃波が飛竜と、倒れたリグを襲い——
『——————ッッ!?』
襲うはずだった。しかし、無言の叫びを放ったのは、金龍のほう。
自身の技の効果で体が揺らぐ。四足の体勢でなければ倒れていただろう衝撃。
『な、なん、だ? これは!?』
「——【霧幻鏡】。自分の技ハ喰らッタこと無ェカ?」
『誰だ! なんだよ、どうなってんだよっ!』
視界が白い。いつの間にか、自身が濃霧に包まれていることに気づく。
『兄ちゃん、外!』
『ガアアアーーーーッッッ!』
そのブレスも、霧を越えることはなかった。それどころか霧に乱反射し、またも彼自身を傷つける。
「ッタク、煩ェ奴だナ。ゆっクり寝テいらレねェジャねえカ」
辿々しい人語で毒づいたのは、白銀の狼。
「やっぱりさ、こういうのが来ちゃうんだよね」
ため息と共に現れたのは、褐色の直立した兎。
『な、なんだよ、お前たちはっ。兄ちゃんに何をしたんだよっ』
「何言っテるか、分かラねェナ。マァいい。俺ハ、ライ。この森の守護者ダ。お前ラみてえに、この森ヲ傷つけル奴ヲ排除すルのが役目なンだよ」
「お、お、オマエはっ!」
怒りの声は、ライの背後から響いた。倒壊した木片を押し除けてリグが姿を見せる。体を震わせて土埃を落とすその動きからは、ダメージはうかがえない。
「オオ、りぐジャねェか。……何ダ、コイツにやラレたのかヨ」
「馬鹿か? 邪魔だ。何でオマエが出てくるんだ」
「騒がしすぎテな。てカ、やラレたんじゃなけレバよ、何怒ってんダ、オ前?」
馬鹿にしたようにライは鼻を鳴らした。そこには、かつて圧倒された相手への気後れは微塵も見られない。
「オレは! オマエらを許した訳じゃない!」
「あァ、ソのことカ。お前に許さレナくてもナ。とっく二らーすとハ和解していルんだぜ。なんせらーすハ守護者見習い。オレらの部下だかラナ」
「ああっ!?」
「そ、そうだ。そうだよ、ラースだよ!」
我慢しきれずに、小さな兎がリグに駆け寄ってきた。
「ねえ、リグ。リグがいるってことはさ、ラースも来ているんだよね? ね? どこにいるの?」
「ラースはいないぞ。イッシュ、だったかオマエ」
「オイオイ、りぐッ!」
何かを感じ、ライが口を挟む。
「え、そうなの? ホントに? そっかぁ……」
「アイツは、お前には感謝しているぞ。オレも——」
『オオオオオオオオオーーーーーーーーッッッ!! てめえら、黙れぇぇぇっっ!』
白霧の奥で、金龍が叫んだ。かつてリグがそうしたように、霧を振り切る為に飛び上がる。
『畜生、何なんだよてめえら。俺の邪魔しやがって。餓鬼のくせに、飛竜のくせに。狼? 兎だと!? 何でこんな奴らが』
上空から見下ろしながら、金龍は悪態をついた。
「何ダ、逃げんのかヨ。なラ、森かラ出て行くンだな!」
『おわぁっ!』
背後からの声に、怯えた叫びが漏れた。背中に白銀の狼が乗っていた。《霧化》によって宙を漂い、そこで実体化したことに彼はまるで気付いていなかったのだ。
『は、離れろ、離れろよっ』
体をよじって振り落とそうとするも、《霧化》によってライは常に金龍の背後をとる。捉えどころのない相手。まるで霊体を相手にしてるような不気味さに、金龍は怖れを抱きはじめていた。
地上でリグが何をしているかなど、最早意識になかった。
「本当に大丈夫なの、リグ? 治癒いる? ボク、前よりも凄いよ。ラースにも早く見てもらいたいなぁ」
「そうだな」
上空の金龍から目を逸らさずに、短く答えた。
リグは自らの尻尾を大地に刺した。そのまま唸りによる詠唱を始める。
龍語魔法における魔素は触媒にすぎない。だがこの術、ラースから最初に教えられたこの術は、触媒たる魔素を多量に必要とする。リグルヴェルダス本来の術は、抗うこと叶わぬまま魔素を奪われる。供物のように。
ゆえにリグは、いくつかの似て非なる術を模索していた。使用しやすいよう改質した。その一つが、ラースの家に戻ってきたときに冒険者に対して使用した簡易版だ。
今、発動しつつあるのは、ラースの、いや、リグルヴェルダスのオリジナル。魔素充つる森から必要分を吸収しつつ触媒とする。
リグの目前に、歪みが生じた。空間の悲鳴を、術者だけが拾う。
詠唱の終わり、発動を司る咆声が雷雷と響く。
生み出されたのは、かつて《震脚》の王の群れを殲滅せしめた力。
いち早く、飛竜たちが地上に避難した。場の変容を察知し、《霧化》を解いてまでライは着地を急いだ。
上空に向かって放たれた力は、大気の激流。災害級の暴風だ。その源は気圧ではなく、空間そのものの断裂。暴風だけであれば耐えられる者もいよう。しかしそれは逃れようのないの刃を纏っていた。
『なっ、ひ、ひいっ!』
顔を引きつらせながら、金龍はもがく。暴風は犠牲者を引き寄せる。強靭なドラゴンの翼を以ってしても抗い難いほどに。
『い、ひいっ、いやだっ、助け——』
風が龍を捕らえる。
『ひ、ぎゃああああああーーーーっ!』
『兄ちゃん! 兄ちゃんっ!!』
弟が、半ば引き摺り込まれた兄の体を掴んだ。必死になることなどなかった兄弟が、龍の本来の力を振り絞る。兄の大半を犠牲に、二頭の力は辛うじて風の牢獄からの脱出を果たした。しかし。
龍は地に墜ちた。兄弟共に。
『にい……ちゃん』
『ひ、あ……ひ、ぃ……』
兄の体は無残にも切り刻まれていた。リグの爪も寄せ付けなかった硬質の鱗は、その内部の肉と共に紙のように裂かれ、翼も、脚も、尾も半ば失われていた。強靭な生命力を誇るドラゴンでなければ、すでに絶命していただろう傷だ。
これ程の傷を与えながらも、リグの生んだ暴風はなおも存在し続ける。樹々を大きく軋ませながら、彼方へ向けて侵攻していた。上空に向けて放たれていなければ、新たな『森の覚醒』が、『解放の路』が、確実に刻まれたことだろう。
そして、その場にいた者たちは、認識を固める。先の破壊がリグのもたらしたものなのだということを。
『酷いよ……何で、こんなこと……』
弟には兄ほどの深刻な外傷はなかった。ただ、未成熟な精神は限界を迎えていた。
『なぜオレを襲った?』
二人の元に現れたリグが、冷淡に詰問する。
『俺……は……、がふっ……こんな……』
『何で、ここまで、お前は、するんだよぅ……』
『オマエらは、ここを縄張りにするんだろ。オレは決めたんだ。ここはオレのモノにすると。この森はオレとラースの居場所にすると。だからオマエらは敵だ』
喘ぐ兄の頭部を容赦なく踏みつけ、リグは宣言した。
『そんな……じゃあ、もう、いいから。縄張りなんて、いいから……。助けてよ……』
伏せる兄に頭を寄せ、リグの足元に首を垂れて弟は懇願する。
「ねえ、約束するならさ。助けてあげられるけど?」
長い耳を揺らしながら提案したのは、森の癒し手イシュカだった。
「助ける? コイツらはオレの獲物だぞ。それにオマエらの敵でもあるだろ」
「そうダな。好き勝手暴レやがってヨ。こんナ奴らに癒しの力、使う気カよ、イシュカ」
「んー、ちょっとだけ、キミと同じかな、ライ。それとさ、リグ。一度は許すんだよ。ラースだったら許すと思うなぁ」
反論する二人を抑えて、どう? と兎は龍を覗き込む。
「た、助けてくれるの? 兄ちゃん、助かるの?」
「約束、してくれたらね」
「する! 何でもするよ! どうすればいい?」
「単純なことだよ。森を傷つけないことさ。この森はさ、とっても大切な場所なんだ。今までずいぶん暴れたみたいだけど。その分はボクが癒やすからさ」
「分かった! 傷つけない! だから兄ちゃんを助けて!」
涙を流しながら、金龍は何度も頷く。イシュカには、その気持ちに偽りがないように思えた。すぐに兄の体に小さな手を添える。
「コイツ、守ルかァ? 信じらレルのかよ」
「うん。それにさ。リグがいるし。あ、リグ。そろそろそこ離れてね」
兄の頭部に乗ったままのリグをやんわり払って、イシュカは治癒を始めた。ライ同様、効力の増した癒しの力、精霊の力を使って、瀕死のドラゴンを完治せしめた。
『ああ、そうだな』
傷癒え、感涙に咽ぶ兄弟に向かってリグは呟く。恐怖と憧憬の混じった二組の瞳がリグを見つめ返し、揃って頭を地につける。
そんな二頭に、つまらなそうにリグは言葉を継いだ。
『オマエら、運が良かったな』
ここまでお読み頂きありがとうございます。
これにて第9章完結です。
ここで一つの大きな区切りとなります。
次章は繋ぎのような話が続くので
章題がふさわしいものなのか、少し怪しいです。
【次回予告】
砦から帰還したラースは、
神龍カロスケイロスによって癒される。
村に戻りたいと訴えるラースに対し、
龍は思いもよらない事実を告げる。
次回、「消えたのだろう?」
よろしくお願いします。




