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第52話 お願いだから、応えて!

 兵士たちは入り口にバリケードを築き守りを固めていた。直ぐに鎧の魔物がやってくる。そう考えてのことだった。今となっては、自分たちだけでは敵を倒せないだろう。隊長はそう感じていた。オケアスが復帰すれば。あるいは街からの援軍が来れば。それまで耐えることを隊長は選択した。


「……奴ら、来ませんね」


「油断するな。先のように何があるかも分からんぞ」


「魔物を、呼ぶ奴が……オケアスが、言ってた。空、の上、いるって」


 椅子に座らされたラースがそう告げた。二階への避難を勧められたが、彼は強く拒否して兵士たちの側にいることを主張した。


「オケアス様が……。ならば、まだ魔物が現れるということか」


「隊長……、我々は一体どうすればいいのですか」

「これ以上の魔物なんて——」

「俺たちこのままここで……隊長!」

「嫌だ、俺はまだ、死にたくはない!」

「俺もだ!」「隊長!」「隊長!」


 兵士たちは口々に不安を表した。彼らは近接での戦闘経験が不足していた。これまでは、先日の大規模な戦闘ですら、ほとんどが弩による迎撃戦だった。外壁を越えてくる魔物は稀だ。その相手をした兵士たちは、多くがひどく負傷し今は街で療養なのだ。


 この国の者は皆《恵みの水》の術を使うことができる。しかし、それは信仰の証にすぎない。戦場において、効果的な治癒の術として機能させることのできる者ばかりではない。


「皆さん、僕が、守りますから」


 机を支えに、懸命にラースは立ち上がった。依然、力が入らない。しかし、こんな時こそ神子として。いや、役割などなんでもいい。役に立ちたい。その想いが彼を動かす。


「僕が……ううん。龍の神様が、守ってくれます。だから、頑張りましょう」


「皆、神子様の言う通りだ。今しばらく耐えるよう。我々はこの砦を任されているのだ」


 二人の言葉に、兵士たちは口を(つぐ)んだ。彼らの注目の中、ラースは深呼吸をし、湖の神殿でそうしたように、整った所作で歩み出た。


「僕は、ここの司祭たちを助けることができなかったんです。だから、せめてここにいる皆は守りたいのです。どうか、お願いします」


 頭を下げ、それからラースは《慈雨》を施した。それは本来の、心を落ち着かせる効果をもたらし、兵士達の動揺を鎮める。


 同時に、その術はラースの力を一層奪っていた。


 祈りによる治癒という奇跡。術には代償がある。日に数回の祈りであれば問題はない。事実、ウラノス王国民は日々の祈りを捧げている。それ以外にも、折に触れ感謝の言葉とともに祈りを捧げているのだ。そこに弊害は生じていない。


 ラースに祈りの術を教えた司祭長ディアナステアも、そういった話を伝えていなかった。神子とは象徴だ。戦場に立つなど思いもしないことだった。ましてや《恵みの水》を《慈雨》を、これほど連続で使用するなど想定していないのだ。


「わかりました、神子様。我ら必ず砦を、貴方をお守りします」

「みんな! やるぞ!」

「おおっ!」


「ありがとうございます」


 ゆっくりと、ふらつかないように気を遣ってラースは下がる。


 そのさなかだった。ラースが兵士に背を向け、ようやく椅子までたどり着いた時。


 なんの前触れもなかった。鎧の魔物が現れたときのような前兆はなかった。


 教会内に、黒馬が現れた。


「——え?」「なに!?」「ひいっ!」


兵士達が構えるよりも早く、黒馬が動く。後脚を蹴り上げ、それはラースの体を軽々と吹き飛ばす。


「がっ……」


 意識では反応できても、体がついてこなかった。壁を破壊するほどに打ちつけられ、床に転がる。背を蹄の形に陥没せしめる威力に、ラースの口から血がこぼれ床を染めた。


「神子様っ!!」

「うおおおおおっっっ!」


 遅れて兵士達が一斉に黒馬へ向かった。見下ろす巨体と分厚く張り詰めた胸板。それらが美しく躍動し、


 ブオオオオーーーーッ!


 重く響く嘶きと共に、黒馬は炎を吐いた。居並ぶ兵士達に避ける余裕はなかった。彼らは床を転げ回り、自らを包む炎を消そうと、もがく。


 自らを治癒しながら、ラースは目にする。再び浴びせられた炎を。太く、引き締まった首を振り、黒馬が立て続けに炎を撒き散らす様を。


「《慈……雨》! 」


 床に伏したまま、ラースは叫ぶ。癒しをもたらす水滴が、治癒と共に兵士達の炎を弱める。その効果を見て、彼は繰り返す。何度も。何度も。


 ラースは、起き上がる兵士の姿を見た。自らに駆け寄る者の姿も。剣を振りかざす者の姿も。炎も。黒馬の姿はなかった。


 痛みもなかった。なのに立ち上がれなかった。音もなかった。熱も感じなかった。眠りに落ちるように、感覚が失われていた。


 それは、《震脚》の王を倒したときのリグと同じ状態。魔術を使うわけではないラースには知り得るはずのない、未知の状態に陥っていた。


「だめだ! もう——。皆、外へ出るんだ!」

「しかし隊長! 外には魔物が!」

「馬鹿野郎! 焼け死にたいのかっ」


 その声はすでにラースには届いていない。届いたとしても動けないことに変わりはない。


 彼は兵士に背負われた。肩越しに見た教会の部屋が赤く霞んでいた。


 裏手から外に運ばれ、そこでもラースの瞳は炎を写す。


(……燃えてる。砦が……)


 現実味のない光景だった。


(僕が、守らなきゃ……)


 そう思うのが、精一杯だった。


(どうやって……炎を……)


 心を、意識を。必死に働かせ続けた。そうしなければ、闇に引きずり込まれてしまうのではないか。そう感じて。


 彼の周囲では、戦いが再開していた。鎧の魔物が、甲虫が、黒馬が、兵士達を襲っていた。ラースを背負う兵士だけが、距離をとって脅威から彼を守り続ける。


 それでも、甲虫の群れまでは避けきれなかった。兵士の防衛は小さな甲虫まで防げるものではない。その角の先端が幾度もラースを傷つけていた。


 そして遂に。外壁での加減された速度ではない、魔虫本来の威力が、ラースを背負う兵士を打ち倒す。投げ出されたラースは動くこともままならず、仰向けに体を横たえたまま、攻撃に晒される。


 霞んだ瞳は上空にぼんやりと人影を写す。ラースはこのとき初めて、オケアスの言う敵の姿を捉えた。


(炎を、消さなきゃ……。でも、もう僕には——ねえ、カロス……)


 ラースはカロスの名を思い浮かべた。それは、天上の神にすがる信徒の姿。そのようでいて、実際は異なるものだった。


 ラースの脳裏に存在していたのは、傷ついた彼を迎えにきたときの龍の姿だった。彼の家に初めて訪れたときの龍の姿だった。いずれも龍は豪雨を纏い。


『……め、だ……ロス……』


 彼は懸命に言葉を紡いだ。もう、そこしか動かせなかった。使える力を全て集めて、ラースは絞り出す。


『雨……だよ、カロス! お願いだから、応えて! 僕を……『施術』を全部あげるからっ! 炎を消す雨を! お願いだよ、カロスケイロスーーーーっ!!』


 叫びが、咆吼が天に響いた。


 瞬間、戦闘が中断された。大気を震わす龍の叫びが魔物の、人の動きを止める。ほんの短かな間だけ。両陣営が思い出したように動き始めたときには——


 水を象徴する神龍の涙が、ラースの頬を濡らしていた。

51・52話は元々一つの話でしたが

長すぎたため分割しました。

そのため、今回は少し短めになっています。

次回で砦の戦いは終わりとなります。


【次回予告】

ラースの言葉が救いをもたらす。

しかし、それが更なる敵を呼び寄せる。


次回、「これは術などではない」

よろしくお願いします。

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