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第51話 これで完了ですが?

 外壁へ向かって走るラースの視界の上方から、降下してくるものがあった。闇の雲が夕暮れの虫柱のように漂い、地表まで到達する。その不定形の塊は凝縮し、ひとつの姿を成しつつあった。


「みんな〜っ! 後ろっ! 気をつけてっ!!」


 走りながらラースが叫ぶ。


「な、なんだこいつは! いつの間に!?」


 隊長が目にしたのは、自らの倍近くはある鎧の兵士だった。篝火(かがりび)に全身を銀色に輝かせた巨兵は、闇を見通すことのできない者にとっては、突然現れてようにしか思えない。手にした大槌が、手近な隊長に向けて振り下ろされる。


「ぐ、がぁっ!」

「隊長っ!」


 辛うじて剣で受け止めた隊長は、しかしその質量に抗することができずに吹き飛ばされていた。銀の巨兵は大槌を振り回し、兵士を、固定された弩を襲う。


 兵士達には、正面からその暴力を受け止める力はなかった。大槌を(かわ)すことはできる。しかし、代わりに砦の守りの要である(いしゆみ)を破壊に晒すこととなる。


「皆、囲め! 外壁から遠ざけろ!」


 隊長の指示に態勢を整え、背後に回った兵士が剣を打ち下ろした。無防備な背中を捉えるも、剣撃を受けた銀の巨兵は揺らぐことすらなかった。大槌を振り回しながら向き直り、背後の兵士を襲う。


 唸りを上げながら目前を通過する大槌を、兵士は辛うじて(かわ)した。冷や汗が頰を伝う。まともに受けては、一撃で潰される。風圧だけでそれを実感させられていた。


「隊長さん! 大丈夫ですかっ!」

「神子様? 危険です。下がってください!」


 ようやく到着したラースは、隊長の言葉を無視して癒しの祈りを彼に捧げる。


「教会にも魔物が現れて! 僕が行った時にはもう司祭達が!」

「教会にも!? なぜ、どこから現れたと言うのだ、こいつらは!」

「わからないよっ。でも、なんとかやっつけないと!」


 神子としての振る舞いも忘れて、ラースは叫んでいた。龍の刺繍の施された専用の法衣は血に染まり汚れていた。


「神子様、それは……。大丈夫なのですか!」

「僕は大丈夫。教会の奴は僕が倒したよ。だからあとはこいつをやるんだ!」

「倒した……? いや。そうです、神子様。我々がこいつを倒してみせます」


「ぐあぁっ!」


 二人の会話のさなか、兵士の一人が肩を押さえてうずくまる。大槌の攻撃をまともに剣で受け止めようとしてしまった結果だった。


「僕が!」


 すかさずラースが駆け寄り、《恵みの水》による治癒を施す。教会での司祭の時と同じように、繰り返しの祈りによる術の発動で、ラースは術の効力を高める。それが今の彼にできる精一杯の癒しの力だった。


「ありがとうございます、神子様」


「囲いを解いて! そいつから離れるんだ!」


 兵士が戦線に復帰しようとすると、見張り塔からオケアスの声が飛んだ。塔内の明かりがオケアスの手にした武器、術により精製された槍を照らしていた。


「皆、退がれ!」


 隊長の追令が兵士を動かす。それを見届け、オケアスは槍を放った。


 槍は鎧の巨兵の頭部に命中し、その銀の兜を吹き飛ばす。ガラガラと音を立てて転がる兜と、大槌を構えたままの巨兵を目にし。その大槌が振り上げられるのを視線で追い。兵士たちは歓声を飲み込む。


「頭が……!?」

「そんなっ。こいつは、不死身なのか!?」


 転がる自らの頭部を無視して、巨兵は兵士たちに襲いかかる。


「……そうかい。なら——」


 再び生み出した槍を、オケアスは鎧の足に向けて放つ。槍は片足を貫き、頭部と同じように胴体から分離せしめた。


「おおっ!!」


 片足を失いバランスを崩す巨兵に、今度は素直な感嘆の声が漏れた。彼らが幾度そこに打ち込んでも揺らぐことのなかった巨兵が、重い音を立てて転がる。両腕を使って起き上がろうとするところに、三本目の槍が貫いた。


「そいつは鎧の魔物だ! 鎧自体が魔物なん——」


「オケアス、上っ!!」


 オケアスの説明を遮って、ラースが叫んだ。見張り塔の向こう側に、彼は輝く物を見た。もう一体の鎧の魔物。跳躍し、巨体を宙に舞わせ。振り上げた大槌は、月のようだった。


 反射的にオケアスは頭上に目を向けた。見えるはずもない。月が落下し、見張り塔を屋根から叩き潰す。


「うああああっ! オケアスっ!」

「オケアス様ぁ!」


 煉瓦造りの見張り塔は、完全に瓦解していた。崩れ、舞う破片が近くの篝火(かがりび)を巻き込み、闇が一段と砦を侵食する。瓦礫の山を踏み締めて、新たな鎧の魔物は兵士たちへ向かう。


「オケアスっ。ねえっ、オケアスっ。 返事してよっ!」


 ラースは鎧の魔物を無視し、崩れた塔へ駆け寄った。山のように積み上がった破片を放り崩しながら呼びかけ続ける。


「オケアスっ! やだよ、こんなのっ。オケアスっ!」


「——全然、無事だからさ」


 そんな声が聞こえた。ラースは頭の中に響いてくるような言葉に手が止まる。その眼前に、瓦礫の隙間を縫って細長い触角が現れた。


「オケアス……の?」


「元の姿に戻ったからね。ちょっと甲殻にひびが入った程度だよ」


 声、と言うよりも音だ。それは触角を震わせて発せられていた。


「本当に!? 大丈夫なの! よかった、よかったよ!」


「まぁね」


「待ってて。すぐにこいつをどけるから」


「ラースくん、そのまま聞くんだ。元の姿に戻ったおかげでわかったよ」


「え、なにが?」


 触角の周りの瓦礫をどけながら、ラースは次の言葉を待つ。


「上空に敵がいる。おそらくそいつは召喚術師だ。そいつが砦内に魔物を喚んだんだ」


「魔物を、呼ぶって……?」


「言葉通りさ。ともかくそいつを倒さない限り、さっきの鎧の奴を倒してもまた別の魔物を喚ばれかねない」


「そんなっ。どうすればいいの? オケアスならさっきの術で倒せるの?」


「多分ね。召喚術師自体は大して強くないことが多い。ただ、俺は飛べないからさ。確実に当てるにはなんとか距離を縮めないと。いや——待て!」


 突如、伝わる音が鋭さを増した。ラースは緊張を感じ取り、体を硬らせる。


「砦の外だ。近づいてくるぞ。そこから見えるかい、ラースくん?」


「ちょっと待ってて!」


 半ば崩れた近くの外壁に飛び乗って、ラースはその先に目を凝らした。外壁から岬までは一定の間隔で明かりが灯されている。隊長が指示したように、兵士の誰かがそうしたのだろう。そのため、より鮮明にラースはその姿を認めることができた。


 翼はためかせた魔物。先に見張っていた時に捉えていた魔物の姿だ。最初、ラースはそれが同じ奴だと思った。しかし、明かりに照らされて飛来したのは——


「みんな! 逃げてっ!」


 オケアスにではなく、兵士達に向かってラースは叫んでいた。


 加速しながら急接近し、外壁を越え、黒い甲虫が降り注いだ。味方であるはずの鎧の魔物をも巻き込んで、その頭部に存在する鋭利な角で、勢いのまま対象を刺し貫く。


 致命となるような深手ではなかった。大半は鎧で防げる程度だ。兵士たちの悲鳴と、弾き返す魔物の鎧の金属音が響く。新たな襲撃者に気を取られた兵士に、鎧の魔物が狙いをつけた。


 その甲虫たちは、実際は見張りの時に見ていたものと同一の存在だ。ラースには気付くことができなかった。甲虫たちは群体を成し、擬態し、命令を待っていたことに。


「《慈雨》!」


 広範囲に癒しをもたらす祈りをラースは発した。包み込むように発生した水滴が、傷ついた兵士たちを癒す。繰り返される龍神への祝詞が、士気を高める。


「ラースくん、まだ来るぞ! 避難した方がいい!」


「でも、オケアスは!」


 癒しの祈りの合間に、外壁の上からラースは叫んだ。


「俺はこのままでいい。狙われないしな。機を見て抜け出すさ」


「本当に? 大丈夫なの?」


「俺を舐めてるのかい。君よりずっと丈夫だ。それより、早く! 皆が呼んでいるぞ」


 オケアスの言葉通り、隊長の退却の令が聞こえた。兵士の一人が彼を迎えにきていた。ラースは外壁から飛び降り、その際に足を取られて転んでしまった。


「神子様!? 大丈夫ですか!」


「うん。ちょっと待って」


 瓦礫の山を這い上がって、ラースはそこに生えた触角に手を当てた。その下の体に届くようにと癒しの祈りを施す。


「行くよ。でも、どこへ——」


 立ち上がろうとして、膝が折れた。再びラースは転んでしまった。慎重に体を起こそうとするも、力が入らない。支える腕が、恐怖を感じているわけでもないのに震える。


「神子様……?」

「だ、だいじょうぶ、だけど、なにか変で」

「私にお掴まりください」


 兵士はラースを背負って立ち上がった。松明を手に、先行する隊長たちを追って駆ける。


 鎧の魔物が追ってきていた。だがその歩みは遅く、大股な歩幅ながらも兵士たちに水を開けられていた。追い立てていたのは黒い甲虫たちの方だ。突撃は三度目を迎えていた。灯りの十分でない状況で、兵士たちは被弾しつつも屋内を目指して走り続ける。


「駄目です! 向こうは扉が破られている!」

「くそっ。こいつら既に」


 休息させた兵士たちが、いつまで経っても現れなかった。そして破壊された扉。状況は明白だった。後から現れた鎧の魔物は、兵舎を襲ったのちに見張り塔を破壊に来たのだった。


「教会へ行くぞ!」


 進路を変え、兵士達はラース達と合流して教会へと避難した。直前まで突撃を繰り返していた甲虫たちも、教会の壁を貫くことはできない。何度か試みたのちに諦め、群体となって教会の周囲に待機した。






「いよいよ大詰めですね」


 ラース達が教会に入るのを上空から見届けると、黒翼の魔族アギラは小箱の紋章に手をかざす。


 鎧の魔物も甲虫も、彼が手にした《梔子(くちなし)(はこ)》より喚んだ者だ。ラース達が避難を完了する前に、いずれもが彼らを捉えることは可能だった。しかしアギラはそうしなかった。ただラース達を追い込むことだけにとどめた。


「あなたで最後です」


「なんだ、黒炎馬か。ようやく片付ける気になったか」


 口を差し挟まれ、アギラの手が止まる。わずかに不快感を滲ませて答える。


「ええ、これで完了ですが? やはりあなたの出番は不要でしたね」


「まあ、構わん。首尾よく済ませたのならな。俺は次を待とう」


「それならば、朝には。夜が明ける頃には街からも見えるでしょう。ここの煙が。そうなれば増援が来る筈です。その時こそ、あなたの力を使わせていただきます」


「ふん。この後に及んでそんな分断が必要か? この砦で無駄な手間をかけておいて」


 馬鹿にしたような声に、アギラは首を横に振った。


「無駄ではありませんよ。こちらが削られたのは鎧魔と、おそらくはオーク二体。倒したのはいずれも神官と思われます。やはりこの国の要は神官達のようです。ですから今後は——」


「どこからやろうが変わらん。俺なら纏めて沈めてくれよう」


「それこそ無駄になりかねません。これは実戦と呼べない程度ですので、このような手段を試したのです。本番ではより精密に、慎重に願います」


 その言葉へ声は反論しかけた。しかし、それ以上は取り合わずにアギラは指先を動かす。そして、教会の外へ最後の駒を喚んだ。

【次回予告】

追い詰められ、力を使い続けるラース。

限界を迎え、彼が祈るのは——


次回、「お願いだから、応えて!」

よろしくお願いします。

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