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第50話 あなたには役不足でしょう

「なんか、じれったいね。なかなか近づいてこないよ」


「気張りすぎるなよ、ラースくん。もしかしたら、向こうからも見えているのかもしれないんだぜ」


「そ、そっか」


 集中して闇の岬を凝視していたラースは、覗き窓から離れて一旦身を隠した。岬の先端あたりで侵入者達はとどまっていた。接近するでもなく、退くでもなく。


「ねえ、オケアス。魔物って強いの? みんな大丈夫かな?」


「そんなのいろいろだよ。奴らがどれだけ本気でここを、我々の国を狙っているか次第さ。心配なら、やっぱり教会で待機していた方がいいぜ」


「そんなこと、ないけど……。せっかく役に立てるんだから」


「けど、君は戦ったことなんかないんじゃないか? 君の素性については我が主は話さないけど、まさかその年で兵士や冒険者ってわけじゃないだろ? 戦えるようには見えないね。悪いけどさぁ」


「た、戦ったことくらいあるよ! 僕だって魔獣とか——」


 言いかけて、ラースは口を噤んだ。思い返すに、森に向かいリグルヴェルダスに会って以降、戦いと呼べるものは何度か経験していた。しかし、勝利した、と胸を張って言うことのできるものがどれほどあったか。それを思うと、ラースは強くは主張できなかった。


「魔獣ねえ。ま、いいさ。今回は狩りじゃないんだ。無事に生き残ることを第一に考えてくれよ。本当は今すぐ、君を《水門》で送り返したいんだぜ」


「わかってます。ごめんなさい。僕のこと聞いてくれてありがとうございます」


 礼を言って、ラースは再び暗闇に目を向けた。


 心焦らされる刻が続いていた。敵の姿が見えない兵士達にとっては、ラース以上に緊張を強いられる待機が続いていた。






 彼らがそうして態勢を維持している間に、砦を発つ者がいた。彼は伝令だった。早馬を駆り、街へ増援の要請に向かっていた。


 しかし、彼が街へたどり着くことはなかった。突如現れた闇の爪牙が、彼の体を馬ごと引き裂いたのだ。


「これで暫くは遊べますね」


 遥か上空。黒翼もつ男が見下ろしていた。ゆったりとした着物に身を包み、自らの凶行を丁寧な口調で語る姿は、隠居し、しがらみの無くなった貴族の様であった。


「あなたはそこで待機です。もう一度来ることはないと思いますが、念のため」


 獲物を喰らう獣に、男は語りかける。上空からの穏やかな声が届いている様には思えなかったが、獣は従う。


「次は——あれですね」


 男は砦の上空に移動し、一瞥して状況を把握した。そして、灯りのついた小さな教会に目をつける。


「では、始めましょう。——《梔子(くちなし)(はこ)》」


 それは、手のひらに乗るほどの小さな木箱だった。なんの飾り気もない、単に小物を入れるための箱にも見える。唯一特徴らしきものは、被せられた上蓋に刻まれた紋様だ。その紋様を包み込むように手を当て、男は蓋を引き揚げる。


「待て、アギラ。俺を喚べ」


 箱の中から、声が発せられた。アギラと呼ばれた男は途中で手を止め、箱を、未開封のその奥を見つめた。


「俺ならばこんな砦など、土台ごと崩してやろう」


 低く響くその声に、アギラと呼ばれた男はため息をつく。


「なぜ、そんな判りきったことをする必要があるのですか。それで得るものがあるとは思わないですね」


「砦を潰すのだろう。ならば俺が最適の筈だ」


「もちろん、そうですが。この砦では、あなたには役不足でしょう。あなたであれば——そうですね、向こうの街くらいはないと戦いにもならないのではないでしょうか」


「むぅ。それはそうだがな」


 決して世辞として言ったわけではないが、アギラの言葉に声は満足したようだった。それは黒翼の男にとっては、色目ない戦力分析に過ぎない。


「ならばどうする?」


「駒は揃っています。あなたの力には遠く及ばずとも、それを組み合わせれば容易いことです。彼らも試さねばなりませんし」


「そうか。では、見せてもらおうか」


 声が引いたことを確認し、アギラは再び木箱の蓋に手をかけた。優美な動きで指先を箱の中に入れる。そこから闇をひとつまみ、ふたつまみ。指をしならせながら取り出す。


 糸を引くようにまとわりついた闇を、アギラはその位置を指し示しながら振り払った。放たれた闇は小さな教会に向かって漂い、そこからは魔物が現れる。豚頭の人型の魔物、オークと呼ばれる低級の魔物だ。魔物は指示された通りに教会へ押し入った。


「ここは、この程度ですね」


アギラは次に、岬に待機する者達へ目を向けた。






 半身を隠しながら様子を伺っていたラースは、その変化に気がついた。


「オケアス! あいつら、逃げて行くよ」


「本当かい、ラースくん」


「うん。向こう側へ飛んでいったみたいで。もう——見えなくなったよ」


「分かった。伝えてくるからさ、もう少し見ていてくれ」


 オケアスから伝え聞いて、兵士たちは皆、大きく息をついた。ようやく緊張を解くことができ、あるものは座り込み、別のものは体を伸ばす。


「お前ら、しばらくはこのままだ。再び現れるかもしれん。オケアス様、神子様にももう少しお願いします」


 隊長はそう判断したが、結局状況は変わらなかった。ラースはその後も見張りを続けていたが、敵の姿を目にすることはなかったのだ。彼らに疲れが見え始めた頃、ようやく隊長は一部の兵士に休息を与えた。


「僕は大丈夫ですよ。ここに残りますから」


 夜半も過ぎた頃だというのに、ラースの目は冴えていた。退屈な見張りだったが、緊張と興奮が眠気を遠ざけていた。


「いえ、神子様。もう大丈夫でしょう。お休みください」


「でも。あ、いえ、僕は。僕が見張らないと」


「お気遣い感謝します。ですが、奴らが攻めてこないというのであれば、それはそれでいいでしょう。迎撃の態勢を解き、示威します。逆に岬へ篝火(かがりび)を灯し、我らが準備していることを見せつけるのです。そうすれば、今夜は攻めてこないでしょう」


「すでに街へも伝令を出しています。応援も来ますので、大丈夫ですよ」


 隊長の言葉に、別の兵士が言葉を加えた。


「そうそう。神子様が休んでもらわないと、兵士達も休めないよ」


 オケアスもラースの肩を叩いて促す。


「……わかりました。そうですよね。ごめんなさい」


 深々と頭を下げた。休めない兵士たちのことを指摘されて、ラースはようやく引き下がった。


 一部の兵士たちは宿舎へ戻っていった。また、隊長が提案した様に岬へ向かう者もいた。オケアスが見張り台に一人残り、残りの兵士が外壁で警戒態勢を続ける。


——眠れないとは思うけど。


 そう呟きながら、ラースは教会へと歩いていた。敵が再び現れるかもしれない、という心配もあった。一方で、もうこないだろうという隊長の言葉に、別の思いも浮かんでいた。


 それは、明日向かう予定の牧場のことだ。久しぶりに、そして初めての種類の羊と触れ合える。そんな楽しみが、ラースを興奮させていた。


 教会の扉を開けるまでは。


「え——なん……で——」


 ラースは言葉を失った。兵士たちの無事を祈っていたであろう司祭。怪我の治療にと待機していた司祭。遅くまで明かりを絶やさずにいたことが、仇となっていた。彼らはただ、血を流し床に伏していた。


「グフフフッ」「ギヒッ」


 すでに戦闘態勢を解いていた魔物達が、ラースを認め野太い声で笑いを漏らす。


 司祭達は回復の術を使うことができた。だが、下級とみなされる魔物と渡り合う力は持っていなかった。同じような、いや、さらに小さな敵の登場に、魔物達は余裕だった。ゆったりとした動きで剣を携え、ラースとの距離を詰める。


「お前らが、やったのかっ!」


 ラースの怒りにも、魔物達は互いに顔を見合わせて短く笑うだけだ。


「ギッ!」


 全力で。必死に。そんな斬撃ではなかった。薙ぎ払う動きの刃に対し、ラースは一歩引いただけで躱し、空振った腕を抑える。


「うああああああ〜〜〜っっ!!」


 踏み込み、掴んだ腕を引き寄せ、分厚い肉を纏った魔物の腹に拳を打ち込む。下がった豚面にさらにもう一撃。


「グゲッ……!?」


 太い首でも吸収できない衝撃を受け、魔物は意識を飛ばされて膝から崩れ落ちる。


「なんで! こんなあぁっ!!」


 自分の体重の倍以上はありそうな体を、ラースは無造作に投げつけた。もう一方の魔物はそれを受け止めきれずに吹き飛ばされ、折り重なって床に転がった。


 落ちた魔物の剣を拾い、ラースは駆ける。


「あああっっっ!!」


「ヒギィッ!」


 悲鳴を上げ、尻餅をつきながら、魔物は辛うじてラースの剣を受け止めた。受け止め、そのまま押し切られる。魔物の剣が痺れた手から滑り落ちた。


 怒りに囚われながらも、ラースはどこか冷静だった。それは、単純に相手の弱さからくるものだ。動きも、力も、森で初めて倒した魔獣、スタンプボアの子供の方がまだ上に感じていた。


「……そうだね。ちゃんとトドメ刺さないと」


 一転怯え、逃走を図ろうとする魔物に対し、自らに言い聞かせるように、かつて言われた教えを呟く。


 気絶した仲間を押し除けて、その魔物が駆け出すよりも早く、ラースの剣が疾った。血を吸った刃を、動かぬもう一方に埋める。


 肉を貫き、床に刺さった剣をラースはゆっくりと手放した。自身は怪我も疲労もなかった。けれども、墓標のように立つ剣を前に、わずかの間ぼんやりと立ち尽くしてしまっていた。そして不意に思い出したかのように、倒れた二人の司祭へ駆け寄る。


「大丈夫ですかっ! すぐに僕が——」


 傍らに膝をつき、覗き込み、ラースは息を呑む。体が小刻みに震えた。今程の戦いなんかよりもずっと恐ろしかった。わななく唇を懸命に動かして、癒しの祈りを紡ぐ。


「《恵みの水》! お願い! 治って!」


 司祭の傷がゆっくりと癒えてゆく。だが、それは完全ではない。繰り返しラースは祈りを口にしていた。その度に水球が生まれ、司祭の体に、癒しの力を秘めたそれを染み渡らせていった。


 もう一人の倒れた司祭にも同じように治癒を施し、全ての傷が塞がるのを確認すると、ラースは膝をついたままうなだれた。傷が癒えてなお、動かぬ二人の胸に手を当て、理解する。


「……くそっ……なんで……」


 倒した魔物に目を向け、ラースはゆっくりと立ち上がった。


「みんなに、知らせないと……」


 急に体がひどく重く感じた。それが怒りのせいなのか悲しみのせいなのか、彼にはわからない。だが、深く考える余裕はなかった。


 思考がまとまらず、頭の中で渦巻く。ただ、魔物の出現を伝えることだけを意識して、ラースは剣を取り、警戒を続ける兵士たちのもとへ走った。

【次回予告】

癒しの力でラースは兵士たちをサポートする。

しかし、徐々に彼らは追い詰められてゆく


次回、「これで完了ですが?」

よろしくお願いします。

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