第49話 運がいいね
彼らは故郷の住処を追われていた。何が悪かったのかは理解していない。けれども逃げるしかなかった。あてもなく彷徨い、大陸を横断し、たどり着いた。
「兄ちゃん、ここ、すごいねっ。こんな場所があったなんてさ」
広大な森林を眼下に、興奮した声が漏れた。
「ああ、凄い魔素を感じる。それに、誰もいないみたいだぜ」
誰も、とは同族は誰も、という意味だった。それ以外の存在など、彼らは気にかける必要がないのだ。
「本当だ。それに向こうに街もあるし。後で遊ぼうよ!」
「ああ、落ち着いたらな」
「僕たちやっぱり運がいいね。追い出された時はどうなるかと思ったけど。ちゃんと素晴らしい場所が用意されていたんだね」
「だから心配するなって言っただろ。さ、行こうぜ。今日からここは俺たち兄弟の縄張りだ!」
「うんっ!」
意気揚々と、若い二頭のドラゴンが、その金色の体をクルシュナ大森林に降臨させた。
彼らは知る由もなかった。魔獣にとってこれほどの好条件の土地が、なぜ空白地帯となっているのかを。その間隙を突くことができた、という点では彼らは間違いなく幸運だったのだろう。
しかし。その後に彼らが直面する事態は。
幸運だと判断できるのは、いつのことだろうか。
目の前の光景は、ほんの数刻前に部屋から覗いていたものと同じだった。説明通りであれば当然のことではあるが。
窓の外にあるのは弩の据付けられた砦の外壁。カロスケイロスの司令室で見たものだ。そこには見張りの兵の姿もある。
「本当にあっという間なんだね。本当に一ヶ月もかかる場所なの?」
時間をかけず遠方に移動する術を、一般的には《転移》という。その有益さから、存在は広く認知されてはいるが、自在に使うことのできる者は世界にも数えるほどしかいないという高位の術だ。
ラースが通ってきたのは、その《転移》の術式を施したものだった。《水門》と彼らが呼ぶこの装置は、カロスケイロスの側近の者だけが知る機密だ。国の主要な箇所へと赴くことができるように、カロスケイロスとデバコスによって創られていた。
「便利だろ、ラースくん。けど、秘密だよ」
彼に続いて、青年が姿を現した。足元の魔法陣には術式を補助する特異な水がうっすらと張ってあり、それが《水門》と呼ばれる由縁となっていた。
「えっと。……誰、ですか?」
「何言っているんだい、ラースくん。……って、冗談だよ。俺、オケアスだよ」
「オケアス!? え、その姿——」
「ああ、人前に出る時は、この姿なんだ。そのほうが、受けがいいからね」
ふっ、と笑うその姿は、甲殻を纏った少年のものではなく、司祭が着ていたものと同じ法衣を纏う青年の姿だった。ほとんど閉じているような瞼と柔和な笑みを浮かべる口元は、それまでの彼とは違って、落ち着いた印象を与えていた。
「へぇ〜、そんなことができるんだね。あ、もしかしてカロスも?」
「いや、我が主はこんなことはしないよ。そもそも人前に顕現することなど滅多にないしねぇ。必要ないのさ」
「そっか。そうだよね」
普段は神殿の建つ湖の底に眠っているという神龍は、国の全てを把握しているという。司令室からの光景は、デバコス達眷属のためのものなのだ。
「じゃ、行こっか、神子様。この下の神殿と兵士の詰所に行けば十分だろ」
オケアスに紹介され、湖の神殿で披露したように、ラースは《恵みの水》による癒しの術を砦の者達に施していた。
砦には三十名ほどの兵士と二名の司祭が駐在している。敵対する隣国との国境の守りとしては決して多くはないが、有事の際には背後の街からの増援がくることで賄っていた。
「ほら、見えるだろう。海峡の先にあるのが魔族達が治める国だよ」
外壁の見張り塔に立って、オケアスは南を指差した。
「思ったより近いんだ。街もぼんやりと見えるね」
「海峡があるからね。橋を渡すほどには狭くないし。ここを超えてくることができるのは翼ある者たちだけだよ」
海峡を隔てた岬は、互いに切り立った崖になっていた。垂直の岩肌を苦にしない魔物であれば話は別だが、船で渡ったとしても上陸はできない地形だった。
「それって、飛竜とかが襲ってくるってこと?」
「いろいろだね。だからこその長距離用の武器さ」
外壁に沿って設置された弩や投擲用の武器に、ラースは視線を送った。同時に、契りを交わした飛竜ルドラの姿がよぎる。それをきっかけに、他の多くの飛竜達の姿が。自宅が。リグやルージュの姿が次々と思い浮ぶ。
「神子様。潮風が堪えるでしょう。そろそろ戻りましょう」
付き添っていた兵士が声をかけた。わずかに表情を曇らせたラースを慮って。
「ありがとうございます。皆も大変だと思いますが、頑張ってください。我々の神龍様はいつも見守っています」
小さく祈りの言葉を紡いで、ラースは兵士の体に触れた。掌から生み出された少量の《恵みの水》が彼の心に浸透してゆく。見張りに立っていた彼は、この時初めて神子と呼ばれる者の、ラースの術を目にして心震わせた。
その夜は、ささやかな歓迎の宴が催されていた。最前線である砦での務めは緊張を強いられるもので、兵士たちにとっても良い息抜きであった。それ以上に、ラースが一人ひとりに施した癒しの術は、兵士たちに安寧をもたらし、任務への決意を新たにさせていた。そして彼らは、自らの神に対する信を深めることになる。
それはラースが、神子としての役割を果たしているということだった。彼は満足していた。自分が役立っていることに。そうさせてくれたカロスケイロスに、彼もまた深く感謝していた。
「ま、これで十分だろ。明日はどうする? もう一つの方へ行くかい?」
「うん。牧場——、奉仕場っていうんだっけ。そこへ行ってみたいな。そこにもすぐに行けるの?」
「ああ。《水門》を使えばね。けど、明日だよ、ラースくん。今日はここで」
すぐにでも飛び出しそうなラースを諫めて、オケアスは用意されたベッドに腰を下ろした。
宴が終わり、二人は用意された寝室にいた。そこは教会の二階。このさらに上階には《水門》のある塔の小部屋がある。そこへ立ち入ることが許されているのは、カロスケイロスの眷属達だけだ。
「わかってるよ。明日の朝、またみんなとお祈りをして。それから行くんだ」
笑顔で頷いて、彼は窓の外を覗く。どこにあるかはわからないが、遠くの牧場に想いを馳せ、期待に胸を膨らませていた。
「楽しみだなぁ。明日はこの国の羊たちに会えるんだね」
「……キミさあ。そっちの方に興味があるの? 奉仕場には信徒たちがいるんだぜ。ちゃんと彼らを気にかけてくれよ」
「え、うん。大丈夫だよ。うん、もちろん——、え?」
神子としての役目を忘れて半ば上の空で答え、ラースは言葉を切った。継いで驚きと疑問の声が漏れる。
ラースは勢いよく窓から身をのり出した。遠くに蠢くものが見える。闇の中の影は、暗視の可能な彼には、灰色の物体として映る。
「オケアスっ! あれ見てっ!」
「いや、見てと言っても。何が見えるんだ?」
「何か、飛んで来てる! 敵じゃないの!?」
緊迫した声に促されるものの、オケアスには見ることができなかった。外壁には篝火が灯されているが、その明かりの範囲には何も見えなかった。
ラースが捉えていたのは遥か先。岬の先端近くに飛来しつつある集団だった。その詳細までは彼はわからない。ただ何らかの存在が近づいていることに間違いはなかった。
「分かった。皆に知らせよう。キミはここで待ってな」
「僕も行くよ! 近づいて来たら、もっとよく見えるから!」
「何言ってんだ、ラースくん。キミは神子なんだぞ。危険な場所へ行かせらるわけないだろ。ここにいて、もし戦闘になったら、すぐに《水門》で避難するんだ!」
「駄目だよ! 僕はみんなを治癒できるんだから。みんなを助けなきゃ!」
部屋を飛び出したオケアスを追って、ラースは走った。
「来るなって! 万一キミに何かあったら、我が主が何と思うか、分からないのかよ!」
「でも! 僕は役に立てるんだから! 神子なんでしょ。だったらみんなを!」
「気持ちは嬉しいけどさぁ」
階段を駆け下りた所でオケアスは立ち止まった。そのまま走り抜けようとするラースを捕まえて、その両肩を押さえつける。
「心配するなよ。ここの皆は、もうキミのことを神子だと思っているよ。彼らだってキミを危ない目に合わせたくないと思っているはずさ。彼らの意を汲んで——」
「そんなんじゃないんだ! 僕は、やらないといけないんだ!」
ラースの叫びに、オケアスは表情を崩さずに訝った。神子としての立場からの言動だと思っていた。しかし、それ以上の意思がある。その源泉は分からなかった。ただ、彼が引く気がないことだけは思い知らされた。
「……本当に危なくなったら逃げろよ」
「うん!」
見間違いかもしれないしな。そう気休めに呟いて、オケアスは再び走り出した。
彼らの言葉に、兵士たちは迅速に対応していた。慌しくも静かに。それは砦の隊長の指示だった。
「ギリギリまで引きつけろ。奴らに、我らが気がついていることを悟らせるな」
「はっ」
兵士たちが配置につく。一基につき数人が必要な程の弩。それらの準備が済み、彼らは指揮者たる隊長の、次の指示を緊張しながら待つ。
ラースとオケアスは見張り塔へ入った。凝視するその先には、確かに国境への侵入者の姿がある。人と変わらぬ輪郭。それを支える翼のはためきがラースには見てとれた。
「どうですか、神子様」
「うん、いるよ。五、十、十五……、二十くらい、かな。でも」
人影は動きを止めていた。岬の先端、ちょうど海峡を渡り切ったあたりだ。横一列の陣形で、翼だけを動かして空中に止まっていた。
「あの岬まで届くの?」
「ええ。ただ、見えないことには。威嚇にしかなりません。そこでとどまっているのは、奴らもこちらの射程を知っているからです。念のため警戒しているのかもしれませんね」
「そっか。あいつらの方はどうなんだろ。武器とか持ってなさそうだけど」
「奴らは、魔術を使います。それでも、より近くからしか攻撃は届かないはずです」
「それでは、このまま誘い込むということか」
オケアスが造った口調で確認した。彼も敵の姿は見えていない。攻撃のタイミングはラース頼みだった。
「はい、オケアス様。神子様、よろしくお願いします」
兵士は頭を下げ、兵器の並ぶ外壁へ降りていった。外壁から一段高く位置するこの見張り塔の部屋には、ラースとオケアスだけが残された。
「頼むよ、ラースくん。俺も元の姿ならもっと感度が良くなるんだけどさ」
二人きりになってから、オケアスはその額に親指ほどの小さな触覚を生やした。それを細かく震わせながら、岬の方角へ向ける。
「見せるわけにはいかないからね」
「そうなんですか? でも、大丈夫です。僕がちゃんと見てますから。奴らが動いたら教えます」
闇に目を凝らし、彼は集中していた。役に立てることが嬉しかった。
「やっつけよう! あいつらを!」
戦いを目前にしても、ラースに恐れはなかった。
お読み頂き、ありがとうございます。
第9章始まりました。
【次回予告】
少しずつ、侵攻は始まる。
ラースは独り、戦う
次回、「あなたには役不足でしょう」
よろしくお願いします。




