第48話 安心できる場所
「ラースなら大丈夫さ。ちゃんと待っていてやりなよ」
神龍カロスケイロスに連れられてラースが行ってしまった夜。彼を送り出したものの表情を曇らせているルージュに、サーラはそう声をかけていた。背中を押して座らせ、冷え切った体を温めるお茶を差し出す。
「離れ離れになるのは辛いだろうけど、ちゃんと治るのなら、ラースには絶対に必要なことなんだよ」
「サーラおばさん……、でも、ラース、ほんとにどっかいっちゃいそうだったの」
「大丈夫だよ、ルージュちゃん。彼の『施術』。あれがちゃんとできるようになれば、戻ってくるに決まっている。君を置いてどこかになんて、彼がするはずないよ」
向かい合って話すサーラの隣に、夫のセイヤが腰を下ろしながら言葉をかけた。手元のカップから立ち上る湯気の揺らめきが、彼の表情をより柔和なものに見せていた。
「ほんとに? ほんとに戻ってくる? ラースは私を捨てたりしない?」
「当たり前さね。ラースがそんなことするもんかい」
大袈裟に、少し怒ったようにも見える表情でサーラは腕組みした。それから大きくため息をついて切り出す。
「ルージュちゃんは、聞いているかい? ラースは自分のことを何か話していたかい?」
「ラースのこと、って……。ラースのおうちが魔獣に襲われたって言ってた。みんな死んじゃって、それで森にきた、って」
「それだけ? 彼自身のことは——、聞いていないんだね、その顔は。それなら教えておいてあげるよ。ラースは、さ」
「サーラ! そんなことは我々が話すことじゃあない。話していないのなら、彼は知られたくないと思っているはずだ!」
「けどね。皆知っていることだろ。それにルージュちゃんだって、この先ラースと一緒に暮らすんだ。知っておかないとね」
珍しく声を荒らげる夫にも、サーラは引かない。隠し事などすべきではない。それが彼女の考え。そしてルージュの思いも同じだった。
「サーラさん、なに? 聞かせて。ラースがどうしたの?」
「ルージュちゃん……。ああ、そうだね。なにも変わらない、とは思うよ」
セイヤは首をふった。妻に目を向け、仕方ない、と促す。
「ラースの『施術』ってやつ。すごいだろ? なんであんなことができると思う、ルージュちゃん。羊やら牧羊犬、鶏まで。皆彼の手に癒されるんだ。医者でもないのに具合を診て、看病だってできるんだよ」
その言葉に、ひっそりとリグは耳をそば立てる。無関心を装いながらも、一言も逃すものかと意識を向ける。
「ラース、頑張ったって言ってた。だから」
「そうさ。ラースは頑張ってた。両親に認められようとして、必死だったのさ。きっとそれはね、ラースがその両親の本当の子供じゃあなかったからだろうね」
「本当の、って? え、だって?」
不安な表情のまま、ルージュは夫妻を促した。
「彼は捨て子だったんだ。もちろん村の誰かがそうしたわけじゃない。こんな小さな村だからね。そんな奴がいればすぐにわかるよ」
「不思議な話さね。旅人か何かが現れて、彼を捨てていった、っていうのもねぇ。こんな村にわざわざ誰かが来るなんて、さ」
「結局、それはわからないままだけれど。牧場に捨てられていた彼を、あの夫婦は育てたんだよ」
夫妻は代わるがわるにラースの過去に触れる。十数年ほど前の話だったが、その時の村の騒ぎを彼らは鮮明に覚えていた。
「悪い人ではなかったんだよ、ルージュちゃん。村で育てよう、という話になったときに、率先して彼を受け入れたんだから。ただ、牧場のことに関しては厳しすぎる人だった。幼いラースはいつも暗い表情で牧場に出ていたよ」
「そうだったねぇ。でも、年が過ぎるごとに少しずつラースは元気になっていってね。きっと必死で働いて、世話をして、そうやって『施術』を覚えていったんだろうねぇ。だから私にはわかるのさ。最近のラースの顔はね、幼い頃のようで、見ちゃあいられなかったよ」
「そう……なの……、私、全然……」
二人の話を静かに聞いていたルージュは、悔恨の涙を零す。震える彼女の肩にサーラは両手を乗せて顔を近づけた。
「気にすることはないさ。ルージュちゃんだって、酷い怪我をしていたんだ。それに、悪いけどね。ラースとの付き合いは私の方が長いから。ま、今後はわからないけどねぇ」
そうだろ、と促すようにサーラは破顔した。
「ねえ聞いて、リグ。ラースのことなんだけどね」
ベッドで身体を丸めて休んでいたリグに、ルージュはそう言って声をかけた。目を瞑り顔を埋めていたリグは、そのままの姿勢で尻尾の先だけをわずかに動かす。
「手伝ってほしいの。私、やろうと思ってることがあるの。ラースのために」
「……アイツの為?」
顔を合わせることもなく、呟く。そんな態度を気にすることもなく、ルージュはリグの隣に移動してベッドの縁に座った。
「リグは、ラースのことわかってる? ラースはね、どうしたいのかわからないって言ってたけど。私には分かるの」
「……」
「ラースはね、安心したいんだよ。ひとりぼっちになって、寂しいの。リグはドラゴンだし、強いから。わからないかもしれないけど。みんな独りは寂しくて、辛いんだよ」
森の中で目を覚ました時のことを思い出しながら、彼女は足を揺らす。
「私、ラースとずっと一緒にいたいの。ラースも家族って言ってくれた。すっごく嬉しかった。でもね。それだけじゃ足りないの」
「……」
「私、ラースの安心できる場所をつくりたいの。ここはね、セイヤさんもサーラさんも優しいし、いいところだけど。ラースの場所じゃないと思うの」
「アイツの場所、か」
ようやくリグは頭をもたげて、ルージュに目を向ける。
「オマエに何ができる?」
「だから、手伝って欲しいの。ラースが元気になって戻ってきたときに安心できるように。元の家でも、村のどこかでも、あの森だっていいわ。ラースが望むなら、ここみたいに羊とかもたくさん集めて。つくるの。ラースのための場所を!」
幼い彼女にとって、具体性のない、大それた目標。それがリグの感想だった。けれども彼女は、憂いなくやれると思っていた。リグを相手にしたそれは、明るい表情ながらも決意を込めた宣言だった。
「で? どうする気だ?」
「えっとね。すぐじゃないんだけど——」
ラースが行ってしまい、ルージュとリグがそんな会話を交わして、数日が過ぎた夕暮れの頃だった。セイヤの家に訪れる者があった。一人は村長。そして彼が連れてきたもう一人の男は。
「私はパルドゥルー家が長子、スクリトだ。父の事は知っているだろう?」
自らの半分にも満たない年齢の青年に対し、神妙な面持ちで夫妻は頷いた。パルドゥルー家の当主といえばクルシュナ卿。この村を含む周辺の村や街を治める領主だ。その長子である彼は、いずれ爵位を継承する立場にある人物ということになる。
「ここにいると聞いた。ラースという名の少年を連れてきてもらおうか」
「ラースくん、ですか? 彼は今はここには居りません、スクリト様。彼は治療に——」
「連れてこい、と言ったのだが?」
苛立ちを隠すことなく、彼は遮った。
「セイヤ、スクリト様はラースに訊ねたいことがあると、わざわざお見えになられたのだ。悪いのだが、すぐに呼んできてもらえないだろうか」
「村長。ですから、彼は怪我をしていまして。遠くに治療に行ってしまったのです」
「村から出たのか、奴は?」
「ええ、どこへ行ったかは聞いていません。いつ治療が終わり、戻ってくることができるかもわからないのです。わざわざお越しいただいて申し訳ありませんが、スクリト様」
立ち上がってセイヤは丁寧に頭を下げた。逆にスクリトは浅く腰掛けて、背をもたれかけさせ、大仰に片手で顔を覆ってみせた。
「……はぁ。どうしたものか。父は今、嘆いているのだ。厄介事に巻き込まれてな。やっと糸口が見えたというのに。こんなことになり、困惑している」
彼は隣に座る村長に目配せした。促され、村長が代わりに説明を始める。
「セイヤ、サーヤ、聞いて欲しい。領主様とスクリト様は、私達の村のために冒険者を雇ってくれたのだよ。だが、ラースが無事戻ってきただろう。邪龍に襲われる心配も、もうなくなった。しかしそれで冒険者達のことは無駄になってしまった」
「いいことじゃないか。ねえ、あんた。何が問題なんだい、村長?」
「その冒険者達は、ラースから言われたそうだ。邪龍はもういないことを。それで彼らは領主様を脅したそうだ。虚偽の依頼だ、と。それと詳しく知りたければラースに聞けと言って帰って行ったそうだ。それでスクリト様をここへお連れすることになったのだ」
「何だい、それは」
即座にサーラが反応する。
「仕方ないじゃないのさ。いなくなったものは。それにその冒険者ってラースやルージュちゃんを襲った奴らだろ。そんなロクでもない奴らの言うことなんて聞くことないさね」
「それについては同意だな。冒険者など粗野な奴らばかりだ。根無しの分際で我がパルドゥルー家を脅迫するなど許せんことだ」
姿勢を正して、彼は指先で机を繰り返し叩く。
「しかし奴らは王都一のクラン『太陽の頂』のメンバーだ。冒険者ギルドにも大きな影響力を持っている。辺境に領地をもつ我らにとって、ギルドとの関係が壊れるのは、本意ではない。だからこそ、そのラースとか言う少年から直接話を訊くつもりだったのだが」
言葉を区切って、何とかしろ、と言わんばかりにその場の三人に順に視線を送った。
「ちょっといいでしょうか、村長。ラースが戻ってきたことは領主様には話をしたのですよね?」
「も、もちろんだ。しかし行き違いになってしまい。それに——」
セイヤの問いに村長の口調は乱れた。嘘ではない。ラースが戻り事態の解決を知ってから、彼は手紙を託していた。それをどう受け取ったかまでは彼の知るところではなかった。続く言葉を口にすることに村長は躊躇う。
「それに、領主様はラースの話を、その、疑っていて」
「ラースが嘘をついているってことかい、村長? それはいくら領主様でも」
身を乗り出してサーラが迫った。
「嘘ではないと言い切れないだろう? ラースという奴は生贄として森に入ったと聞いている。だが、本当に行ったのか? 邪龍がいなかったなど、どうしてわかる? ましてや、証明できるというのだ?」
「なんてことを言うのさ!」
思わず叫んでいた。机を叩き、弁えることなくサーラは憤りをぶつけていた。
「ラースはね、この村のために犠牲になろうとしてくれたんだ! それを、そんな疑うようなことできるもんかい!」
「途中で逃げ帰ったのかもな。誰も見ていないのだろう。そういった可能性もある、と言う話だ」
「だから、そんなこと——」
きぃ、と音を立てて扉が開いた。軋む音と小走りの足音が、サーラの叫びを遮った。
一転静まり返った大人達の横を通り過ぎて、スクリトの横に立ったのはルージュだった。その瞳はすでに涙を湛えていた。彼の腕にそっと触れ、自身の手を滑らせるようにして、彼の掌を包む。
「ラースは嘘言わないよ、領主さま。ウソつきじゃないの。やさしいの」
「……お前は?」
僅かに動揺して、スクリトは彼女を見下ろす。
「私、ルージュ。ラースに森で会ったの。助けられたの。だから、ラースのこと悪く言わないで」
瞳を逸らさずに、訴えた。瞬きに合わせて涙がこぼれ、頬を濡らす。微かに両手を震わせ、想いを浸透させるように力を込める。
その姿は、言葉は、スクリトの心を掴む。鼻腔をくすぐる甘い香りに、彼はめまいに似た揺らぎを覚えた。
「お願い、領主さま。ラースはいないの。私だって会いたい。会いたいの」
「わ、私は、まだ領主では」
動揺が、見当違いの言葉を口にさせた。握られていない方の手を、彼女の手に重ねた。意識していない、自然な動きだった。
彼女はその手を握り返す。両手をそれぞれ柔らかく包み、それを自らの濡れた頬に導いてゆく。
「私も、あいつらにケガさせられて。やっと治ったの。ねえ、領主さま。悪いのは、あの冒険者なんだよ」
「奴らが、お前に、手を……出したと言うのか?」
「ラースにも。みんな見ているよ。村のみんなが見ているの。ラースは、ラースはね……、あんな、ひどい、ケガを——」
ルージュは喉をつまらせた。じっとスクリトから目を逸らさずに。これ以上口にすると嗚咽を漏らしてしまいそうな。そう彼に思わせるように、肩を震わせた。
「わ、わかった。わかったよ」
慌てて彼はその先を制す。領主の長子の口調は穏やかなものに変わっていた。柔らかな頬を、小さな頭を撫でる。村長達に目をやると、皆無言で頷いた。
「ありがと、領主さま」
「あ、ああ」
そっと袖を引き、促した。椅子に腰掛けたままスクリトが上半身を傾けると、ルージュは背伸びしてその頬へ唇を寄せた。
そうしてようやく、ルージュは笑顔を見せて、片目を瞑る。その姿を、幼い子供に向けるものとは違った熱を以て、スクリトは見つめていた。一連のルージュの仕草に惹き込まれていた。
「よろしくね」
ルージュがそう声をかけるまで、思考が停止していた。見知らぬ場所で目覚めたかのように頭を振って、村長達を姿を認め、彼の思考は動き始める。
「スクリト様、彼女の言葉は間違いありません。皆見ています」
「そうか……。冒険者達は、我が領民に手を出した、ということだな。ならば、話は変わってくるな……」
頷きながら、彼はルージュの肩に手を回した。彼女は今も、付き従うかのようにスクリトの隣に立っている。
「まあ、あとはラースという少年に——、あ、いや、一応、な。直接話が聞ければ」
言いかけて、ルージュの視線を感じ、彼は慌てて濁した。
「しかし、先程お話ししたように、彼はいつ戻ってくるかはわからないのです」
「あ、ああ、そうだな。私はしばらく村長の家に滞在する。その間に戻って来れば良しとしよう。知らせてもらおうか」
提案にセイヤは頷いた。スクリトの態度が軟化したことに胸を撫で下ろす。
「ねえ、私も一緒に行っていい?」
「え? ルージュちゃん?」
「もうちょっとお話ししたいの。ラースのこととか、領主様のこととか。ね、いいでしょ」
「私は構わんが? どのみち時間はあるしな。おいで、ルージュちゃん」
「うんっ!」
立ち上がったスクリトの腕にきゅっと自らの腕を絡ませた。まるでラースを相手にしているかのように彼女は振舞う。
セイヤもサーラも、そんな彼女に対して不安は拭えなかった。しかし、最終的には村長に任せた。
それから数日、彼女は戻ってこなかった。
これにて第8章完結です。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
次章は緩くないですね。
【次回予告】(次章予告)
神子として訪問した砦で、ラースは戦いに巻き込まれる。
癒しの力を使い、彼は立ち向かう。
しかし、敵はあまりに巨大で——
一方、大森林では侵入者が猛威を振るい、リグに襲い掛かる。
次回、「運がいいね」
よろしくお願いします。




