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第44話 教えてよ!

 そっと草叢から拾い上げたそれは、小さな手の中でエメラルドグリーンの輝きを見せていた。つるりとした表面に反射する陽光が幼い顔を照らす。美術品として流用されることもある、蘭鶏と呼ばれる希少種の卵だ。


「見て見て、ラース。こんなに立派になったんだよっ」


 ようやく傷の癒えた顔を綻ばせて、彼女は手の中のものを見せびらかせた。


「本当だ。すごいね。ルージュがちゃんとお世話したからだね」


 久しぶりに会ったときにはみすぼらしい姿だった蘭鶏ケイが、数日のうちに見違えていたことを、ラースは思い出す。一般的に乏しいと思われている鶏の表情だが、今のケイのそれは、彼にはひどく誇らしげに見えたのだった。


「うん! 私、得意なの。こういうの好きだし。もう食べられるかなぁ」


「そうだね。セイヤさんが良ければね」


「じゃあ、見せてくるねっ」


 そう言って彼女は、小走りにこの牧場の主の元へ向かって行った。


 ラース達がこの牧場に身を寄せてから二週間余りが過ぎていた。彼らはセイヤとサーラの好意で家に招かれ、療養と手伝いをしていた。


 飛竜たちの出現に、魔獣の襲撃の再来と怯えていた村人達も、ラースに対してそれまで以上に好意的になっていた。先んじてルージュが彼らに何を話していたのか、彼は知らされていない。ただ、飛竜たちが去ってしまうと、村の皆がすぐに彼を気遣い、(ねぎら)った。最終的にはサーラの申し出を受けて、ラース達はこの牧場に来ることにしたのだった。


 羊たちはすぐにラースに慣れていった。元々、時折はこの牧場にも顔を出し、『施術』を行っていたのだ。辺境のこの村に獣医が来ることなど滅多になかったため、具合が悪い時にはラースが呼ばれるのが常。少しでも『施術』で快方の手助けができればと思い、彼も快く応じていたのだ。


 それを覚えているかは不明だが、ラースのもたらす恩恵が心地よいものだとすぐに理解し、羊たちは彼を受け入れていた。


 体力の回復に伴い、少しずつ長い時間を、ラースは羊たちの『施術』に費やす。この日も夕方まで、彼は厩舎を整え、放牧地を巡り、『施術』を続けていた。


『おい、ラース、見てくれ! 始めるぞ』


 夕暮れ時に、リグがそう声をかけてきた。ラースにはリグが気まぐれに牧場の仕事を手伝っているように思えていた。それでいい、と彼は納得している。リグにまで手伝ってもらう必要はない。姿を見かけないことも多かったが、おそらくはいつかの夜のように、術の訓練をしているのだろうとラースは考えていた。


『なに? もうそろそろ彼らを帰さないと』


『それだ。それ、オレがやるぞ』


『やる、って。できるの? 前はダメだったじゃない。あんまり無理に追い詰めるのは良くないんだよ』


『まかせろ!』


 自信満々、龍は言い切る。広い牧草地に散らばった羊たちを寝床に帰す『羊追い』。それは本来、訓練された牧羊犬の仕事だ。この牧場にも白黒模様のベテラン犬がいる。


 心配するラースをよそに、リグは浅く息を吸って、長く吠えた。不思議に遠くまで響く、甲高い笛の音のような音。


 無理、だよね。動かぬ羊たちを見てラースはそうこぼした。


 だが、反応したのは羊たちではなかった。遠方から駆けつけた牧羊犬だ。リグの発する音に従い、いつものように羊たちをまとめあげ、滞りなく小屋へと導いていった。


『……え? えっ!?』


『完了だぞ』


 得意顔のリグの元へ、牧羊犬がすり寄る。リグの前で腰を落とし、姿勢を維持する牧羊犬に、リグは(ねぎら)うように手を添える。


『え〜と。それでいいの、リグ?』


『オレが直接やる必要ないしな。指示だけすれば充分だ。優秀ならな』


『リグがいいなら、いいけどね』


 少々呆れながらも、ラースは同じようにリグを撫でてあげた。






 息子が使っていたという部屋を提供され、夜にはそのベッドの上で、ラースはいつものように『施術』を行っていた。


 ベットにうつ伏せにさせ、仰向けにさせ、隅々まで触れていくこの行為。それは受けるリグだけでなく、ラースにも癒しを与えていた。こうして『施術』をすること自体が、ラースの喜びであり安寧であり、癒しとなっているのだ。


 だがこの日。


『今日はここまでだよ』


 ずっと短い時間で、彼は切り上げた。


『ん……ぁ……。あ……? どうした?』


 違和感にリグは体を起こす。見上げるラースの表情は翳り、いつものような充実した顔ではなかった。


『どうした、ラース。まだ、痛むのか?』


『ううん。もう痛くはないよ。だけど……』


 彼は左手を見つめていた。冒険者によって傷つけられ、飛竜によって治療された左腕。最初は痛みが残り、まともに『施術』ができなかった。それも徐々に治まり、今は牧場の仕事でも問題はなくなっている。


『リグ、わかっているでしょ。こっちの手、なんかおかしいんだ。まるで毛布越しに触っているみたいで、よくわからないんだ。そのうち良くなるかな、って思っていたんだけど。全然……』


『ラース、オレは大丈夫だぞ。また明日で』


『ねえ、リグ。治るかな……。イッシュだっら、治せるかなぁ……』


 森の癒し手のことが思い浮かんだ。致命傷だと言われた傷をも癒したイッシュであれば、どんな状態でも治せる。ラースはそんなふうに思っていた。


『アイツか。アイツの癒しは凄いけどな。けど、もうあそこにはいないし、どこにいるかもわからないぞ』


『そう、だよね。僕、もっと森にいた方が良かったかな。森にいて、ウォルフェウさんと訓練して強くなって——。そしたら、こんなことにはならなかったかな』


『オマエは早く村に帰りたかったんだろ』


『そうなんだけど……』


 リグの言う通りだと、彼にはわかっていた。その時の思いは、村に帰ることを優先していた。今更そう思ったところでどうしようもない、とラースはシーツをギュッと握る。


『それに、オレはあの狼たちのことは許してないぞ。アイツらがオマエに何をしたか、オマエは忘れたのか』


『それは……、僕たちが悪いことをしたから。森をあんなふうに壊しちゃったから。ウォルフェウさんたちが怒るのも仕方ないことで——』


『オマエの命を奪うほどのことか! オマエはあのとき、本当に死ぬところだったんだぞ!』


『でも……でも、僕はリグにも仲良くなってもらいたい、って思っているんだよ。もしまた会うことがあったら』


『奴らと? 奴らがオマエに従うならいいがな。オレはっ! オレは、オマエをアイツらと会わせたくないんだっ!』


 その言葉にラースの体が震えた。沸騰するような熱が、急に血のように全身を駆け巡る。ラースは感情に任せて叫んでいた。


『じゃあ! じゃあリグが教えてよっ! 僕は、もっと強くなりたいんだ! ウォルフェウさんがダメなら、リグが教えてよっ!!』 


 驚きに目を見開くリグを、ラースは荒く息を吐きながら睨みつけていた。


「ラース!? どうしたの。ねえ、リグが何かしたの?」


 突然の怒声に、休んでいたルージュが近づいてきた。龍の言葉による叫びは、彼女には獣の咆哮のようにしか聞こえていない。


「ごめんね、ルージュ」


 そう呟く彼の瞳は揺らぎ、潤んでいた。


「僕は……僕はダメなんだ。森から帰ってきて、ちょっとは強くなったと思っていたのに。ルージュをあんな目に合わせた奴らに何もできなくて。結局またリグに助けられて。ルドラにも助けられて。僕が弱いから、ルージュに何もできなくって。助けられてばかりで……。そんなの、もう嫌なんだよっ」


「いいの。私は大丈夫よ」


 首を振って彼女はラースの腕にそっと触れる。激しい息遣いが彼女の髪を揺らした。


「私、ラースにいっぱいもらっているもん。あったかいものをたくさん。私の方がラースにいっぱいお返ししなきゃいけないの。だから、気にしないで」


「違うよ。返さなきゃいけないのは僕の方で! だって僕はルージュに——」


 はっと、ラースは口を(つぐ)んだ。その先を言ってしまえば、今の全てが崩れ落ちてしまいそうに思えて、続けることはできなかった。


「私、ラースに助けられているから。だからラースに無理してほしくないの。怖い奴らだって、今はいいじゃない。リグに任せたって全然。いいと思うの。ねぇ」


『ラース。オレはオマエが弱いから助けているんじゃないぞ。助けたいから助けているんだ。たとえオマエがオレよりも強くて、助けが必要なくても。それでもオレはオマエと一緒に戦うぞ』


 二人の真っ直ぐな瞳が、突き刺さる。瞬間、彼は顔を歪めて拒絶した。しかし、真摯な言葉は、ゆっくりとラースの心を落ち着けていく。


「ごめん……」


 ラースは小さな声で謝った。抱きつくルージュをそのままに、同じようにリグの体をそばに寄せる。


「僕、怖くなったんだ。ずっと考えないようにしていたんだけど、やっぱり、牧場をもう一度やることなんてできないってわかっていて。だから、ここに住まわせてもらって、昔と同じように働いて。それでいいかなって思ったんだ。でも、『施術』が上手くできなくなって。前みたいにはみんなの役に立てなくなって——。すごく、不安になったんだ」


 告白を聞いた二人には思ってもいない内容だった。不安を隠しているようなそぶりは、ラースからは見られなかったのだ。懸命に羊たちの世話をしている彼の姿からは、喜びしか感じ取れていなかった。


「心配しないで、ラース。私も怖かったんだよ。森の中で初めてラースに会ったときは。でもね、一緒にいるようになったら、そんな怖さはなくなったの。一緒にいるだけで、怖くなんかないんだよ」


 体を密着させたまま彼女は囁き、俯くラースを見つめて笑顔をつくる。


「私、なんでもするよ。手伝うよ。ラースのしたいこと。だから、安心して」


『オマエはどうしたいんだ、ラース。オレはオマエの為にやれることは何だってできるぞ』


「——ありがとう」


 何度も息を吐き、言葉をため。ようやく出たのは感謝の言葉だった。一言だけ口にすると、再び彼は沈黙し、考え込む。


「……でも、わからないんだ。今は、どうしたいのかも良くわからなくって」


「いいよ。いつでもいいから、言ってほしいの」


「うん。ありがとう、ルージュ。リグ。もう、大丈夫だよ」


 そう話す声はいまだ暗く沈んでいる。ラースはベッドから降りて、扉へと歩き出した。


「どこ行くの? 私も一緒に行くよ」


「ううん。ちょっと家に戻るだけだから。待ってて」


 ルージュを振り切り、制止するサーラに謝って、ラースは逃げるように雨天の闇夜に飛び出した。






(本当に、何がしたいんだろう、僕は)


 まるで、両親を、牧場を失った直後のような気分だった。ルージュや、リグ。気にかけてくれる人たちがいる。それなのに。陰鬱な闇に飲み込まれ、こんなにも抜け出せなくなるとは、彼は思いもしなかった。


 それほどに『施術』が上手くできないことが、彼には辛かったのだ。それは長い牧場での時間が育んだものであったから。彼は奥底で、過去が遮断されたように感じていた。それが彼を、育った家へと向かわせる。


「待ってよ、ラース!」


 灯りが近づいてくる。傘を持ったルージュが、水を跳ね上げながら駆けていた。


「おいていかないで! ねえ、行かないで!」


「……ルージュ、何を言っているの? 僕は家に行くだけだよ。すぐ戻るから」


「うそ! だって、ラース、なにか、どっか行っちゃいそうで!」


「そんなことないよ。サーラおばさんのところで待ってて」


「やだ! 嫌なの! 私——っ!?」


 激しく首を振って、彼女はラースの腕を掴んだ。不安に揺れる彼女の視線がラースを捉え、そして、驚きとともに逸らされる。


 ラースも彼女の変化に気がついた。ルージュの視線が自分の背後に向けられたことに。そこに気配を感じ、振り返り——。


『どこに行っていたのっ! こんなに待たされたのにっ!』


 それよりも早く、悲鳴のような怒声が降ってきた。


 ルージュの持つ灯りに淡く照らされた、輝く小さな龍が背後に迫っていた。ラース達が森から戻ってきた頃に家にやってきた龍、カロスケイロスだった。


『やっと来ることができたのよ! 何で家にいないのよっ!』


『あ、あなたは。そっか、来たんだね』


「なに、ラース?」


 漂う不思議な生き物に、よりはっきりと光を当てて、ルージュはまじまじとその美しい肢体を見つめた。雨粒を反射し、宝石のように纏わせながら、そこに存在するだけで龍は闇を照らしている。


「ああ、ルージュは会っていなかったよね。前にうちに来たんだよ。『施術』をしてあげたんだ」


『そう、それよ! お前の『施術』。また来るって言ったはずよ!』


『うん。忘れてなんかいないよ。でも……ごめんね。僕、もうできないんだ』


 暗く沈んだ声で謝罪して、彼は丁寧に頭を下げた。濡れた地面を見続けながら、呟くように言葉を発していた。


『練習もしたんだ。きっと今度は上手くできるって思ったんだ。だけど、今はもうできなくって。ごめんなさい』


『し、謝罪なんていらない。何故! 何があったの!』


 苛立ちに龍は声を張り上げる。尻尾の先をラースの顎に当てがい、無理やりに顔を上げさせた。だが、彼の表情を見て、それは動揺に変わる。


『お前——』


 雨粒とは違うものが、彼を頬を伝っていた。言葉を失った龍の体にラースは掌をそっと添える。


『怪我、しちゃって……。それは治ったんだけど、それ以来、上手くできなくなって……。きっと、あなたを満足させられないと思うんだ——』


『怪我! だって!? 誰だ、お前を傷つけた奴は! お前は! お前のこの手はっ! 何物にも替え難い宝玉なのだぞっ!!』


 小さな手が、ラースの指を握った。熱っぽく叫んで、カロスケイロスは体をくねらせ、伸ばしたラースの腕に絡みつく。


『お前は自分の価値を分かっていない。お前のことを、私がどれだけ想っていたかを。お前から、その技を奪った者がいるというなら、其奴らはあらゆる罰を持って私が滅してくれよう』


『い、いや、それは。もう、いいんです』


 冒険者たちのことを思い出し、ラースは首を振る。


『だが、怪我、か。ならば心配するな。どのようなものであれ、私が癒そう。それで問題ないだろう?』


『……え? え、で、できるの!?』


『容易いことだ。私を誰だと思っている? 我が国で神龍と祀られる龍、カロスケイロスだぞ』


『……かみ……、さ、ま……?』


 一転、静かに伝わるその声には、聞くものを平伏させる重みが込められていた。遥か遠くまで、すべてを満たす水面のような瞳に、ラースは包みこまれるように感じる。彼の不安が溶かされ、洗い流され、消えてゆく。代わりに在るのは、清浄な水。


 ありがとうございます。


 そんな単純な言葉も口に出せなかった。装飾品のように腕に巻き付いたままの龍に、ラースはただ頬を寄せる。


『では行くか。我が神殿で治癒を施そう。そしてそのまま——』


 龍の表情が緩んだ。迅る気持ちが抑えられない。舌がラースの頬を這った。


『あ、待って、カロ————神様! みんなにちゃんと話さないと』


『まだ焦らす気か、お前は。……まあいいわ。それと、私のことをそんなふうに呼ぶな。私の名はカロスケイロス。カロスと呼べばいいぞ、ラースよ』

今話より第8章開始となりました。


【次回予告】

神龍カロスケイロスの神殿で、ラースは癒される。

その後は、もちろん『施術』の時間。

より深く、強烈に、龍は溺れる。


次回、「酷い有様ですなあ」

よろしくお願いします。

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