第41話 俺が
牧場に到着するその前まで、ルドラは気分が良かった。
飛ぶ、という彼にとっては当たり前のことをしただけで、喜ばれ、賞賛された。それはとても気持ちの良いことだった。
その前は。
ラースから、兄貴と慕うリグの話を聞き。その強大な力を知り。まるで自分の功績のように思えた。誇らしかった。
その前は。
リグに助けられ。憧れ。このドラゴンと一緒にいることさえできれば。強くなれるはず。そう単純に期待した。
その前は——
転機はリグの術による大破壊。のちに飛竜たちが「森の覚醒」と呼んだその時からだった。
クルシュナ半島を南北に縦断している山脈。その南部のあたりを飛竜たちは住処としていた。山脈は基本的に豊かな樹々に覆われ、大森林と切れ目なく緑が続いている。しかし、彼らの活動するあたりは地面が露出した岩山となっていた。
急角度の斜面も多く、標高も高い。彼らのように翼ある者以外は容易に近づけない、最奥の秘境だった。そんな場所であるから、彼らは安心して居を構えることができ、狩りの時だけ森へ向かえばよかった。
『おい、聞いたか。長の報告を』
『ああ、もちろん。何だかワクワクするな』
『これからは、風向きが変わるぞ。俺たちも備えないとな』
若い飛竜たちは集まって、空中で興奮気味に会話を交わしていた。先の報告、そして森が変わり始めているという実感。それらが血気盛んな若竜たちを高揚させていた。
『戦いだ! 俺たちがこの地を制するんだ!』
『そうだ! 長たちの言う通り、俺たちが先んじる』
『だな! この力、早く発揮したいぜ!』
勇ましい言葉が口をついて出てくる。地脈の力が強い、山脈という地を押さえている彼らは、その恩恵を先んじて受けていた。飛竜の長老たちは先駆の利を逃さずに、制圧を行うことを考えていた。
若い彼らはかつての森を知らない。本来の森の姿が急速に回復されていくこの過程において、湧き上がる力に酔いしれていた。今はまだわずかだ。しかし、年長者の言葉を聞くに、まだ先が存在する。その期待に心躍らせていた。
『お前もそうだよなぁ、ルドラ』
一頭が彼に言葉を向けた。ひとり離れて冷めたように喧騒を聞いていた彼は、突然の声にびくりと体を震わせた。
『お、俺は、別に。今まで通りで、いいだろ……』
『はぁ? 何言ってんの。お前は感じていないのか、この力を? 長たちの言葉に奮い立たないのかよ?』
『俺たちの力を、試したいだろ? 森の奴らに、さ』
ルドラは黙った。その考えには賛同できなかった。確かに、今までにない力を彼も感じている。調子もいい。だが。
『ああ、そうか。お前、未だにできてないからなぁ』
『戦いなんて、怖くてできないってか』
『我らの特性も使えないお前じゃあな』
彼らの声には嘲笑が混じっていた。特性、という言葉にルドラは気が滅入った。否定できなかった。使えない、というのは本当のことだ。正確には、使ったことがない、という状態だったが。
『必要ない、だろ。そんなの……』
『今まではな』
『別にお前がいつまでもガキのままでも構わないがよ。戦えない奴は邪魔なんだよ。なあ』
『そうだ、そうだ』
『——ルドラ』
彼らの中で、押し黙っていた最も年長の一頭が口を開いた。そこには年下の者たちのような、一種ふざけたような調子はない。真剣な、重い口調だった。
『強き者は戦いに赴く。力及ばない者はそれに応じた役割が与えられる。だがな。意思なき者には。その居場所はないぞ』
ルドラは顔を背けた。言われなくてもわかっていることだった。ただ単純に恐ろしくて、誰もが通る道を踏み出せないでいた。
彼は背を向けた。ゆっくりと、極力静かに翼を動かす。その場にとどまることが辛かった。
『待てよ』
影が彼を覆い隠す。頭上を取られていた。恐る恐る仰ぎ見る彼を、鞭のような尻尾が襲う。
背中を強く打たれ、ルドラは空中でバランスを崩した。懸命に体勢を立て直し、そのまま本格的な逃走へと移行する。
『待て! 待ちやがれっ!』
『追え! 逃すなよっ!』
他の飛竜たちが続いた。力を持て余していた若竜たちにとっては、格好の獲物だった。山腹から森林の上空へと。追跡は続けられた。
『くそっ、なんでだよ』
大森林を眼下に、ルドラは逃げ続けていた。追いすがる同胞たちが迫っていた。高高度からの鉤爪の襲撃を、身を翻して避ける。
『はっ、飛翔だけはそれなりだなっ!』
囃し立てる追跡者を無視して逃げ続ける。応戦など選択肢になかった。諦めるまで逃げ続ければ。そう思って、北方へ向けて翼を動かし続けていた。
背後の気配が変化した。一瞬だけ振り返って確かめ、ルドラは恐怖を覚える。
『ウソだろ。まさかそこまで』
同胞たちは顎を開いていた。それを食らっては怪我では済まない。本気なのかはわからない。ただ、普段のルドラに対する態度を鑑みれば、楽観できる状況ではなかった。
高度を下げて、懸命にルドラは駆けた。切り裂く大気を、これまでにないくらいに熱く感じながら、生命の危機を実感していた。
そんな彼が、遠くに小さな姿を認めた。方角は一致していなかったが、高速で飛行する両者は急速に近づいていた。ルドラは吸い寄せられるように進路を変えて、すがるように叫んでいた。
『待って! 助けて! お願いだよ!』
自分の頭部ほどの小さな存在に、ルドラは懇願した。
『オレ、急いでいるんだけど』
小さな存在は止まった。不審な眼差しと、無関心な口調で答える。
『——おい、なんだそいつは』
言葉を交わしただけ。そのわずかな時間で飛竜たちは追いついていた。ルドラの体に隠れるような小さな龍の姿に、彼らは脅威を感じない。
ドラゴン、と一括りにされることが多いが、元来、飛竜と竜では生物としての成り立ちが違う。もちろん両者ともに様々な種が、個体がいるわけではあるが。一般的には飛竜にとって竜は遥か上の存在だった。ましてや『龍』と別記される存在とは。
ただ、追跡者の若い飛竜たちにとっては、仮に興奮に冷静さを欠いていたとしても、警戒するに足る存在と判断できなかった。
『おい、チビ。どこから紛れ込んできた? ここは我らの空だ』
『迷子ならよ。引き返しな』
『しかし、情けねぇな、ルドラ。竜とはいえ、こんなガキに助けてもらおうなんてな』
『うぅ……、やめろ……』
怯えるルドラの影で、龍の意思が変化した。
直後に起こったことに、ルドラは心奪われる。驚きはすぐに憧れに変わる。同胞を圧倒し追い払う龍の姿を、その時はただ眺めていることしかできなかった。
同じく山脈を拠点とする勢力。『北限の悪魔』と呼ばれる集団。他者を操るという特性について、ルドラは知っていた。だから、近づけなかった。ラースがその力に囚われそうになっても、ただ声をかけるだけ。ラースを連れて逃げることもできたはずなのに、自分だけで避難してしまった。
ラースが『北限の悪魔』たちを手懐けてしまったことが、彼には信じられなかった。そうやって安全だと分かってから戻ってきた。焚き火の前で『施術』を行うラースに、声をかけることもできずに距離をおいてしまった。その後に駆け出したラースを、援護することもできなかった。
ルドラは、全てが終わってから合流しただけ——
(何が「誓い」だ! 何が「この身を捧ぐ」だよっ!)
土の拘束を逃れても、ルドラは地に伏したままだった。悔しさにギリギリと歯噛みした。目を向ければ、戦うラースの姿が見える。ルドラを拘束する鋼線を断つために剣を振り、妨害する冒険者たちと戦う姿が。
ルドラの心には、ラースの叫びが刺さっていた。
『傷つくくらい頑張らないと、助けられないんだ』
その言葉通り。血を失いながら、彼よりもずっと小さな体で、片腕で懸命に剣を振る彼の姿は、全て彼にとっては——
(俺は、何もしていない。何もできていない)
(殺されそうになっても、頼るだけで)
(傷つくことを恐れて。特性だって使わずに——)
ルドラは固く目を瞑った。全身に魔素を巡らせる。喉を震わせる。食いしばる牙の隙間から、淡黄色の液体が漏れた。
『……ぅ……ぐぅ……ぅ……』
鳴らないはずの音が低く響いた。ゆっくりと口を開くと、ごぼり、と液体が溢れる。それは顎を伝い地面を濡らし、周囲と反応して煙を立ち上らせる。
『……れ……ろ……、ぁ……す……』
頭をもたげたルドラの影がラースを覆った。途切れ途切れのルドラの言葉は、冒険者たちには単なる唸り声にしか聞こえない。
「おい、インディ!」
「効果が切れたか!?」
ラースを攻め立てながら二人が気づく。
彼らの役割はルドラを抑えることだった。皆で竜の動きを封じ、ロウベルトがその剣でトドメを刺す。それが臨時のパーティである彼らの戦術だった。
それゆえ、ラースに対してはそれまでの間抑えておけばいい。無力化してしまえばいい。そういう認識だった。倒すべき相手ではないのだ。
加減をしながらルドラから遠ざける。そのつもりで攻めていた。しかしラースは引かない。新たな傷が増えているというのに。まるで痛みを感じていないかのように動き続けている。それが冒険者たちを戸惑わせていた。
『は……な、れろ! ラース!』
『ルドラ……? でも……』
懸命に言葉を絞り出して、再びルドラが吠えた。
『俺が……やるんだっ! 巻き込んじまう! 離れてくれっ! 彼女も!』
ルドラは液体を撒き散らしていた。それはラースたちの近くにまで飛び散って、気化し腐臭を漂わせる。
「毒? いや酸かっ?」
「インディ、鋼線が!」
「ちぃっ!」
ラースよりも先にインデルが距離をとり、ガロンが続いた。ルドラを拘束していたインデルの鋼線は侵され、溶解し始めていた。ルドラの口から溢れる有毒の強酸は、今や彼の全身から滲み出ていた。汗のように分泌し、鋼線を、土を溶かし始めていた。
『わ、かった、よ……』
力なく同意して、ラースはゆっくりとルージュの元へ向かう。ロウベルトの剣を引きずり歩く足取りは重く、目にしたルドラの胸が痛んだ。
「待ちな。俺の剣を返してもらおうか」
治癒を受けていたロウベルトが、彼の前に立ちはだかった。
「いや、だ。お前は、また、ルドラを」
「そりゃあそうさ。目の前に竜がいるんだ。見逃す手はねえだろ。お前も、そろそろ限界じゃねえのか。大人しく渡しな。いい加減イラつくぜ、お前」
ロウベルトが圧をかけた。無理矢理奪うこともできた。しかし彼は、相手を屈服させたいと思い始めていた。身の程を思い知らせてやる、と。
ラースは強く柄を握りしめた。脅しに怯むことなどなかった。並の冒険者であれば震え上がるような視線を受けても、逆に、踏み出す。
「おいっ!」
その声が、ラースの動きを抑えた。目を向けたその先には、ヤンがいた。横たわるルージュの側に立ち、その手に剣を持ち、いやらしく顔を歪める。
それ以上の言葉は不要だった。ラースの手から剣が滑り落ちる。ロウベルトはため息をついて自らの業物を拾い、意識のそれたラースを、その柄で殴りつけた。
『ラースっっ!!』
ルドラが吠声をあげた。それが、二つの合図になった。
【次回予告】
自らの『特性』を使い冒険者と戦うルドラ。
一方でラースは限界を迎えていた。
ルドラは彼らを連れて離脱を試みる。
そして、戦いは突如幕を下ろす。
次回、「もう、いないんだ」
よろしくお願いします。




