第40話 助けられないんだよ
「ああ、牧場ってあれか」
「違うよ! あっちはお隣! 僕の家はこっちだよっ!」
大声でラースは指摘した。声が風にかき消される。慣れる余裕もないくらいの速さで飛んできていた。いくらラースが速く駆けようとも、翼ある者には敵わない。ルドラが乗せてくれてよかった。必死にしがみつきながらも、ラースはそう思っていた。
(あれが牧場だって?)
近づきつつある集落を目にして、ルドラは違和感を覚える。隣に比べて閑散とした空き地。そこにある建物は崩壊しており、生き物の存在を感じられなかった。
ただ、彼は気がついた。牧草に埋まるように倒れている少女の姿に。
「ラース、あれは?」
「なに! なんのこと!?」
飛竜の視力が先に見つけた。しかし、すぐに距離は縮まる。ラースの胸で不快な鼓動が、彼を責めるように強まった。
「嘘……なんでっ!」
ルドラが降下を始める。着地よりも先に、ラースは飛び降りていた。転がるように駆け寄って、小さな体を抱き上げる。
「ルージュっ! しっかりしてっ! どうして!」
一昼夜放置された体は冷えきっていた。力を失った時のリグのように。魔獣に襲われた羊たちのように。思わず目を背けたくなる顔中の痣と血痕。首に残る傷跡は、彼から見ても何をされたか明白だった。
「なんで! なんでこんなっ! ねえ、ルージュ、起きてよ!」
「ラース……、彼女が……?」
恐る恐るルドラが声をかけた。仰ぎ見るラースの瞳は涙に濡れていた。
「ねえ! どうしよう! 僕、どうしたら!」
回答など与えられるはずがなかった。首を引いて視線を逸らすルドラに、ラースは見限るように、猛然とルージュに視線を戻す。涙が、彼女の血痕と混ざり合う。
「……そ、そうだ。これで——」
ラースは彼女の唇へ、自らのものを重ねた。暖かな、弾力ある果実のようだったな唇。それが今は、冷たく、乾燥し、鉄の味がした。
(お願い。目を覚まして。僕の力を全部あげるから。あの時みたいに——)
かつて大人のルージュに襲われたときのことを思い。温泉の中で美しさに見惚れながら唇を奪われたときのことを思い。そっと抱きしめて、ラースは反応を待った。
とても長い時間に思えた。微かな呼吸を感じることはできていた。それだけが彼の希望だった。
ふっ、という呼吸の揺らぎをラースは感じとる。わずかな動きが唇から唇へと伝わる。
(ルージュ——)
「……らぁ……す……」
少しだけ頭を動かし、ずらした口元から呟きが漏れた。
「ルージュ……?」
「あり……が、と……。すこし……よく……」
うっすらと目を開き、懸命に笑顔を造ろうとして、少女はただ涙を流す。
「よかった。ごめん。ごめんねルージュ。僕がちゃんと帰ってきていたら」
再び唇を重ねた。もっと、もっとたくさん。そんな彼の想いを汲んで、母乳をねだる赤子のように、彼女は少しずつ吸収していた。ラースの身体中の力が彼女に流れ込む。
「もう、へいき、よ……。ごめんね、ラース。私……あいつらに……」
弱々しい声に、とても言葉通りには受け取れず、ラースは首を振った。
「休もう。とにかく、ゆっくり休もう。僕、薬屋さんのところに行って——」
「そうね。早くそうしてあげなさい」
ラースの言葉を遮り、女性の声がすぐそばで聞こえた。
いつからそこにいたのか。淡い金髪の女性が二人を見下ろしていた。逆に、近くにいたはずのルドラは遠くに離れていた。
「あ……、ああ……」
怯えるルージュの様子に、即座にラースは判断した。この女性がルージュを傷つけたのだと。
「誰! お前がルージュにこんなひどいことをしたの!」
「違うわ」
しかし女性はあっさりと否定する。
「じゃ、じゃあなんなの! 誰なの、お前は!」
「私? 私の名はシャラフィ。一応、今は冒険者やってるわ。その子に手を出したのはヤンの奴よ。私は見てただけ。ねえ、そんなことよりも」
彼女の言葉に、ラースは頭に血が上った。そんなこと、と事もなげに言われ。再び気を失い、ぐったりとしたルージュの体をそっと寝かせて、彼は猛然と立ち上がる。
「何を言っているんだよっ。見てただけ? ヤンって前にきた奴じゃないか! お前も仲間なんだろ!」
「馬鹿を言わないでもらえるかしら。あんなのと一緒にされては。汚らわしいわ」
唾棄すべき存在とでも言うように、怒声に怯む事なく、彼女は再び否定した。
「あなた、子供のドラゴンを連れているんですって? ここにはいないようだけど、会わせてもらえないかしら。ああ、あっちの情けない飛竜はどうでもいいから」
「リグは関係ないだろっ。ルージュにこんな事をした奴がまだいるなら。僕が!」
「ああ、リグ、というのね。あの龍にあやかったわけね。いいじゃない、さっさと連れてきなさい」
ラースの言葉を無視して、彼女は要求を続ける。
「それができないなら、彼女を連れて消えた方がいいわ。私はあなたにも飛竜にも興味ないけれど、彼らはそうではないでしょうから」
言葉の終わりに合わせたかのように、ラースの家の扉が開いた。中からは冒険者たちが姿を現す。同時に、何かの塊がルドラに向かって飛んだ。それは飛竜の目前で破裂し、頭部を煙で包み込む。
「な、なに? ルドラっ!?」
「ああ、手遅れね」
煙はすぐに晴れた。それを受けたルドラの見た目に変わりはない。
ルドラが吠えた——ように見えた。が、その轟きはラースには聞こえなかった。困惑しながらもルドラは翼を広げる。地面を蹴り上空へと逃げようとしていた。
それは叶わなかった。彼の両脚は地面に埋れていた。沈み込んだのではない。地面の方が隆起し、触手のように彼の両脚を拘束していたのだ。それがシャラフィの詠唱によってもたらされたものだとは、ルドラには気づけない。
より激しく、ルドラは皮翼を打ち鳴らした。それでも、もがく両脚は大地から離脱できない。
「ルドラっ!」
叫ぶラースの目前で、痩身の冒険者の手から鋼線が疾った。意思持つ者のように自在にうねり、飛竜の翼を、その巨体を縛る。鋼線の末端を特殊な形状の杭に接続すると、大柄な男がそれを大地に踏みしめた。
再びルドラが吠えた。大きく顎を広げ、牙を剥き出し。それでも音は漏れない。最初の煙霧が彼の喉の機能を奪い、竜種のブレスを封じている。それを知るのは冒険者たちのみだった。
冒険者たちは周到だった。薬効ある煙でブレスを封じ。鋼線を操って蜘蛛の糸のように体を拘束し。魔術による土の操作で動きを止め。追加の術でさらに土を操り、ルドラの長い首を、尻尾を大地に縫いとめていた。
「仕上げだ、ロウベルト」
その合図に一人の冒険者が応じた。ルドラは長剣を手に迫る冒険者を、怯えながら見ることしかできなくなっていた。
(やめろっ!)
声にならない叫びをあげた。地に伏し土に拘束された彼は、その首を断頭台に晒しているも同然だった。振り下ろされる刃に、ルドラは目を瞑った。
ぎっ。
耳障りな金属音が響いた。訪れなかった痛みに、恐る恐るルドラは瞼を開く。そこには小さな背中。
(ラース!?)
刃の下に潜り込むように腰を落として、ラースがそれを受け止めていた。手にしていたのは小さなナイフ。森へ行くときに持っていった、武器とも呼べないような、道具としてのナイフだ。
「なんだ、お前は? そんなモノでこの剣を受け止めるなんて、やるじゃ、ねえか、よっ!」
「なんでこんなことをっ!」
向かい合う刃同士の震える摩擦音が鳴る。のしかかるような長剣の圧力を、ラースは少しずつ押し返す。膝を伸ばし立ち上がってもなお、冒険者の上背はラースを上回っていた。
ゆっくりと力を抜き、押されるにまかせて冒険者は剣を引いた。一歩二歩後退し、剣を下ろしてラースに不遜な笑みを向ける。
「なんで? 肩ならしさ。本番前のな。お前はこの村の者だろう? 俺たちは依頼を受けてここまで来たんだぜ。邪龍リグルヴェルダスを倒すためにな。弟が言っていなかったか?」
そう返す男は、冒険者としては若い部類だった。年はラースよりやや上。少年の域をようやく脱したといった辺りだ。戦いとは縁遠い者が見れば、まだ駆け出しの冒険者と思えたかもしれない。
しかし、その自信に満ちた双眸は。隙を見せない立ち姿は。駆け出しどころか、並の戦士のものではなかった。
軽質ながらも堅固な鎧は宝飾され、それは単なる装飾品ではない魔力を帯びていた。纏うマントは耐熱耐魔の一品物。手甲により隠されてはいるが、その下には身体強化の効果を及ばす各種の指輪がはめられていた。
これらを手に入れることができるだけの成功を収めている証だ。
『竜殺し』
そう呼ばれるに至った冒険者、ロウベルト・ネザーとラースは対峙していた。
「肩ならし……? そんなことでルドラを!」
「ああ、それだけではなかったな」
ロウベルトは伏せるルドラに目を向け、足元に唾を吐いた。
「俺はな、竜共が嫌いなんだよ。奴らを狩るうちに『竜殺し』なんて渾名もついた。まあ、それはどうでもいいんだがよ。聞いているぜ、お前は魔獣使いなんだってな。俺の前に飛竜を連れてきたのは不運だったな」
握る剣を軽く振る。
長剣は異質な形状だった。その刃には鋸のように無数の鋭い歯が刻まれていた。刀身の腹側にも、触れたものを削ぎ落とす刃があった。それは一枚の金属を打ち鍛えたというよりも、無数の刃を剣の形に組み上げたようだった。ゆえに、その鞘も一目で分かる特殊な性質を有していた。
ロウベルトはゆっくりと再び正眼に構え、
「諦めな。邪魔するなら、怪我では済まなくなるぞ」
ラースの返答を待つ事もなく、踏み込む。円弧に刃を振り、薙いだ。
「うあっ!」
胴を狙った剣を、ラースはナイフで受ける。続く連撃も。
(——速い! 強い! 彼らよりもずっと)
ラースは森の狼達を思い出していた。訓練と称して襲いかかってきた三頭の狼たち。その爪を躱すことはできていた。しかしロウベルトの剣速はそれを上回る。生身と剣先では比較にならないが、襲われる方にとってその違いは問題ではない。迫る刃の軌跡に、ナイフを合わせるので精一杯だった。
「……やるな、あいつ。ロウベルトさんの攻撃を」
「ああ、見かけによらないな。ヤンとは出来が違うじゃねえか」
響く金属音のなかで、見守るガロンとインデルが驚愕の声を漏らす。健闘している、といった程度のものではあったが。それは、ロウベルトがまだ余裕を持っていると知っていたからだ。
それでもその息もつかせぬ剣筋は、比較されたヤンにとっては追えるものではなかった。貶められた彼は、信じられない光景にただ歯を食いしばる。
「いいぞ、お前。もったいねえ。引きな」
「いやだっ! お前こそ!」
経験したことのない速さと重さに、受ける手に衝撃が残る。それでも、なんとかその攻撃を受けることはできていた。いや、ラースには受け続けることしかできなかった。
「仕方ねえな」
ロウベルトは高く剣を振り上げ、打ち下ろす。初撃と同じように。
同時に。
「——『鱗砕崩牙』!」
その長剣の魔力を解き放った。
受け止めたラースは、長剣の啼く音を聞く。最初に受けためたときとは異なる、耳障りな高周波の音が響く。ナイフ越しに、振動が持ち手を痺れさせる。
びぎっ。
竜の鱗を切り裂く力が、ナイフを氷のように砕いた。刀身は勢いのままラースの体に達し、破壊する。
(————え……あ、あ……)
肩口に埋もれた刃を。溢れ出る血流を。意思とは無関係に垂れ下がる左腕を。瞳だけを僅かに動かして、彼は写す。幻を見ているかのように眺めながら、ラースはどこか遠くから響く声を聞いた。
『誰かを助けたいならさ、自分が傷つかない範囲で助けるべきだよ』
それは、森で会った癒し手イシュカの言葉だった。洞窟を進む、小さな兎の背中が彼の脳裏に浮かんでいた。
「なん……で……」
(ラース! ラースっ!! ラースっっ!!!)
飛散する血がルドラを染め、恐慌状態に陥ったように彼は暴れた。ラースが膝をつくと、柄だけになったナイフは主の血の中に沈む。
「ああ、だから言っただろ」
見下ろすロウベルトは剣を振って、血を払った。これでも彼は加減していた。対竜種のための剣。その力を使ったのだ。加減しなければ人の体など楽に両断していたはずだった。
「別にお前に恨みは——ああ、いや。ヤンのことがあったな。まあいい。どきな。後で死なない程度に治癒してやるよ」
俯くラースの体を押し除けて、未だ動けないルドラの前へ立つ。
そのつもりだった。
ラースの体は譲らなかった。訝るロウベルトはラースの呟きを聞く。
「……違う、よ、イッシュ……。ぼく、は……」
「ああ?」
覗きこむロウベルトの前で、ラースは自由になる右の拳を握った。震えるほどに力を込め、顔を上げ、叫ぶ。
「僕は、強くないから……、弱いんだから……、傷つくくらい頑張らないと! 助けられないんだよっ!!」
叫びに体を乗せて、ラースは勢いのまま拳を突き出した。わずかに気を緩めていたロウベルトは、それでも空気を切り裂く攻撃を紙一重で避ける。そのまま腕を取り、握り締める。
「すげえな、まだやる気かよ」
「ルドラを、助けるんだっ!」
心底感心しながらも、ラースの腕を捻じ上げ、転がした。傷口を踏み、すりつぶすように足を捻る。
「無理だな、お前には」
「い、ぐぅっ……。無理、なんかじゃ……」
ロウベルトの足首を掴み、傷口から離した。それでも左上半身は燃えるような熱と痛みに包まれ、左腕は動かせなかった。掴んだ手を離さないまま、ラースは体を捩る。
「あああああああっっっ!」
痛みを誤魔化す叫びと共に、ロウベルトの体を引き倒す。その隙に立ち上がり、右腕一本で彼の体を振って地面に叩きつけた。
「ぐっ、は……っ!」
振り上げ、叩きつける。握り潰すほどに足首を強く締め上げて、振り回す。子供の魔獣を倒した時のように。猪ほどの重さはない。その負荷は速度に振られ、ロウベルトに屋上から落下したかのような衝撃を与えていた。
音を立てて彼の剣が落ちる。受け身のために、頭部を守るために、放さざるをえなかった。
「ロウベルトさんっ!」
ガロンが剣を携えて駆け寄る姿を見て、ラースは威嚇するように吠えた。吠えて、体ごと回転して、その勢いを以ってロウベルトを放り投げる。
魔獣を潰死させるほどの威力を受けながらも、ロウベルトは空中で体勢を整え、辛うじて足から着地した。それでもバランスを崩し、両手をつく。
「あ、兄貴っ!」
「ロウベルトさん! 治癒を!」
ヤンと神官アルトが駆け寄った。その間にラースは落ちた剣を拾って、ルドラの首を拘束する土の塊を切った。
「心配しないで。僕が助けるからね」
流れる血をそのままに微笑むラースの目を、ルドラはまともに見ることができなかった。
情けなくて。惨めで。眩しくて——
【次回予告】
飛竜ルドラは思い返す。自省する。
傷つきながらも自らを守るラースを目にして。
——決意する。
次回、「俺が」
よろしくお願いします。




