第4話 お前の望み、叶えてやろう
「どこまで続いているんだろう。この先に本当にいるのかなぁ」
ラースは洞窟の奥へと進んでいた。トウサとの別れ際に灯りを分けてもらい、彼の姿が見えなくなってから行動を起こしていた。
「あの場所で待ってればいいんだろうけど。これって、冒険だよね」
黒色の瞳が輝いていた。同じ色の髪が、期待を受けて揺れていた。
それは、どこか麻痺した感覚がもたらしていたものだった。『祭壇』の地に着いてからは、ずっとそんな気分。疲労困憊で逆に心が高揚してしまうように。諦めの境地から一転、好奇心が溢れ出して恐怖を押し流していた。
でなければ、灯りひとつで洞窟に飛び込むなどできただろうか。先の見えない通路は迷宮となっているかもしれない。魔物だっているかもしれない。武器もなく、狩りすらしたこともない。そもそもリグルヴェルダスがこの先にいることだって定かではないのだ。
もしラースがそんな不安を抱いていたとしても、結果的にそれは杞憂に終わるだろう。実際は、ラースはそれらを考えもしていなかったのだが。
「外はとっくに夜だろうなぁ。もう随分歩いたけど、ずっと一本道だし、ちょっとつまんないかも」
岩のかけらを蹴飛ばしながら、彼はさらに下っていく。
やがて通路が開けた。灯りを頭上にかざしても天井が見えない。左右の壁面も消えた。そのまま真っ直ぐ進むと背後の岩肌も光源から外れ、ラースはどこまで広がっているか判らない闇の中で、ただの光点となっていた。
「いかにも居そうな所……だよね。なんか、見られてる気もするし……」
ぶるっ、と背筋が震えた。方向感覚がなくなる。思わず足元を見て自分の存在を確認していた。
「ねえ! そこに居るの!」
身体を溶かそうと侵食してくる闇を、振り払うように叫ぶ。
「出てきてよ、リグルヴェルダス! 僕は、僕はあなたの生贄になるために来ました! ちゃんと、あなたに僕を捧げます! だから、僕の村を襲ったりしないでください!」
反応はない。僅かに残響があるだけだ。
思い込みと勢いでここまでやってきたラースだったが、今更ながら、不安になる。ここにはいないのではないか。勝手に『祭壇』を離れて、今頃指定された場所に現れているのではないか。そうなったら役目を果たせなくなって……。
戻ろう。そう思って背を向けたとき、空気が震えた。
「なに、これは……。————っっつ!」
ラースは両耳を塞いだ。共振が鼓膜を襲い、頭の中まで揺さぶられている。激しい痛みにしゃがみ込む。
びりびりと空間が引き裂かれるような衝撃は、不意に止んだ。かと思えば、再び。断続的に不規則に発生し、その間ラースは頭を抱えて身体を縮め、耐えるしかなかった。大気の振動は洞窟をも震わせ、岩壁を崩壊させ始める。それはラースの身体にも降り注いでいた。
(痛い。いやだ。いやだよ。やめて——)
意識が消えかかる。闇に呑まれそうになる。が、それを引き戻すかのように周囲が明るくなった。全てを粉々にしてしまいそうな共鳴が止み、夕暮れのようなぼんやりとした光源が洞窟内を照らしていた。
「生贄、だと」
地の底から響くような声。頭上から押しつぶしてくるような声。洞窟全てから発せられたような声が彼に圧をかける。
ラースは、ひいっ、と息を漏らした。やがて、全てが静まり返っていることに気づき、ふらふらと立ち上がる。淡い光に照らされた洞窟内を見回す。そこに声の主はいなかった。
「リグルヴェルダス……?」
「そうだ。俺がリグルヴェルダスだ」
声が応えた。唸り声が絡まったような、それでいて違和感のない言葉。姿を見せぬままではあったが、ラースは安堵した。
「よかったです。あなたに会えて。僕は——」
「生贄として来た、と言ったな。全く、愚かな。お前が、お前如きがこの俺の生贄足り得るとでも思っているのか」
身の程を知れ、とばかりに言い放つ。
「……え? まって! 僕じゃダメだって言うの? どうして! 僕はあなたの為にここまで来たんです!」
「お前は」
諭すように言葉を含み、邪龍は突き放した。
「お前は、指先についた砂糖一粒で満足できるのか?」
「で、でも……でも! お願いです。どうか僕で、僕だけで許してください。他にはいないんです。僕だけが」
虚空に向かって懇願する。ここで受け入れられなければ、村を救うことはできない。その必死な思いが足を動かし、身体を捧げるように彼は両腕を広げた。
「自ら死に向かうとは、獣以下だな。いや、俺に挑んできた奴らは皆そう、か。俺と関わることなく生き、死んでいく者だけが人としての生を全うできるというものだ。それで——」
お前は死を望むのか。
リグルヴェルダスは問う。そして続く言葉にラースは我を揺さぶられる。
「俺は、生贄など要求してはいないがな」
「…………なに? 何をいっているの? うそ、でしょ?」
「愚かなだけでなく、思考すら放棄したか」
混乱するラースに、邪龍は追い討ちをかける。
「なぜ俺がわざわざそのようなことをする必要がある? 欲する物は自らの手で容易く奪えるというのに。お前の村がどれほどのものかは知らんが、その程度で俺が満たされる事はない。仮に要求するなら、国の一つでも頂くだろう。その程度も想像できずに、考えなしにここまで来たのか?」
「違います! 僕は、村のみんなのことを思って、あなたのところへ来たんです。僕がこうするのが一番いいって考えて。それに、僕の家を魔獣に襲わせておいて、父さんや母さん、それに牧場のみんなを殺しておいて、どうしてそんなことを言うんですか!」
リグルヴェルダスの、考えなしに、という言葉がラースの感情に火をつけた。諦め、達観し、ただ村のためにという思いにすがりつていた心を否定されて、叫ぶ。
「考えても無駄、ということか」
邪龍は平然と答えた。
「俺は生贄など要求していない。それだけだ」
ラースには、龍の体躯が突然現れたように思えた。巨大な顎が眼前に迫り、冷淡な瞳で見下ろされているかのような幻影を感じた。実際には存在しないその姿に圧され、一時の昂りはあっという間に鎮火してしまった。
「ほ、本当に、あなたは何もしていないの?」
唾を飲み込み、問う。幻影は黙したまま。
——だったら。本当に生贄なんていらなのいのなら。僕は帰ることができる……? 帰っても大丈夫……?
ラースの心が回り始める。生きて帰ることができる。村のみんなも無事でいられる。失ったものは戻らない。けれど、この瞬間溢れ始めた安堵に、いくつかのよぎった彼の疑問は今いっとき影を潜めた。
「あっ、あの。ごめんなさいっ!」
幻影に対して深々と頭を下げた。
「疑ってごめんなさい。だから、僕帰ります。なんでこんなことになったのかわからないけど、とにかく村に戻ってみんなにあなたのことを話します。リグルヴェルダスは悪くなかったんだって」
「待て」
幻影は消え、現実の声が帰りかけたラースを留めた。
「お前は俺のためにここまで来たのだろう。お前の望み、叶えてやろう。望み通りお前をいただく。お前の村にも手を出さない。元々そのような意図などなかったのだしな」
ラースの足元の地面が崩れた。体が沈み込む。それを拾い上げるように地中から岩の塊が現れた。
「……っく、な、何?」
彼を一握りしたそれは、巨大な手だった。甲側の表面は鱗状の岩で覆われていた。いや、岩というよりも、より硬度のある鈍色の金属のようだった。
「放して……ください。なんでこんな……」
「命が惜しくなったか」
邪龍は僅かに力を込める。それだけでラースの身体は悲鳴をあげた。もがくことすらできなくなり、胸が圧迫され呼吸することも難しくなる。
「……そんな……、だって、あなたは……それに……」
必死に言葉を絞り出した。
「これじゃあ、あなたが……、あなたが悪者になってしまいます……。あなたは、悪く、ない……のでしょ……う……」
その言葉に、拘束が緩んだ。牢獄から解放されたわけではなかったが、彼には大きく息を吸う余裕が出来た。荒い呼吸音のみが漂う。
やがてそれが静まる頃、ラースは僅かに動く腕を曲げ、龍の掌に触れた。体温を感じない、冷たくざらざらとした鱗。手の甲側と違い、弾力とそれでいて芯の通ったような硬さがあった。
「今更な話だ。お前らの間でどう評されようと、俺には全く関係無い」
沈黙が続き、ようやく発せられた声は穏やかだった。龍の掌は、言葉に反してゆっくりと開かれる。
が、ラースがありがとう、と口にするより先に、人の半身程もある鉤爪が額へ突きつけられた。
「これはな、別件だ。俺はお前が欲しくなった」
そう話す声には圧が戻っていた。後退ることもできずに、身体を強張らせてラースは爪先を見つめていた。
「俺はもう寿命が近い。既にこの体躯を維持出来なくなっている。今はここの強力な地脈の力を得ることで、かろうじて繋ぎ止めているだけだ。だが、それも限界がある。俺の存在を支えるだけのものは早晩尽きる。分かるか? 生贄など足しにはならん。この地からも最早長くは離れられん」
「……もうすぐ、死んでしまうの……?」
「我らとて寿命はある。だが、俺はまだ死ぬわけにはいかん。成すべきことは未だ多く、借りを返さねばならぬ奴もいる。ここで朽ちるわけにはいかん」
リグルヴェルダスは突き付けた爪先を僅かに進めた。それは何の抵抗もなくラースの皮膚を破り、肉を貫く。
「ひぃっっ!」
痛みは無かった。血が出ることも無かった。ただ異物が体内に押し入る不快感に、ラースは悲鳴をあげる。
「以前から実験はしていた。愚かなお前にも理解できるように言うならば。結果の事象だけを見るならば。これは若返りの術、ということになる。だが俺の特性を使ったこの術はな、俺自身は使うことができない」
さらに爪先を深く侵入させる。骨を穿ち、それは脳にまで達した。動けば壊れてしまいそうな恐怖に、彼は震える身体を押さえ込んでいた。
「お前が来たのは幸運だった。運命と言ってもいい。この術を行使できる状況が整ったのだからな」
リグルヴェルダスは爪先から送り込む。
魔素を。
術式を。
付与し、書き換える。
無知なる者に理を。
紡ぎ、それは導き出される。
「さあ、放て! お前が、術を使うのだ!」
「何を——。やめて、くだ——」
どくん、と彼の体の内部から、精神の深淵から、波動が生まれた。
ラースの言葉は途切れた。代わりに、彼自身知るはずのない言葉が継いだ。いや、言葉ではない。人の声ですらない。幾重にも合成された音の波。うねり、歪み、時には調律された心地よい響き。それはラースの意思とは無関係に発せられていた。
その音は大気を震わせ、空間を歪め、破壊し、創造する。魔素を触媒に理を生み出す。
龍語魔法。
世の賢者は言う。通常の魔術とは違う。古代語を使用する上位魔術とも違う。龍種独特の魔術体系。詳細を解明できぬまま、それは『龍語魔法』と定義されていた。
ラースの両腕がゆっくりと上がり、聖杯を掲げる神官のごとき所作でリグルヴェルダスの指に触れる。その動きに合わせて、ラースの頭部から鉤爪が引き抜かれた。
詠唱は終わり、現象は動き始めていた。




