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第38話 ●●するんだよ

 バルバトスは草原にひとり、立っていた。ぐるり、見回しても、すべての方向に草の海が広がり、地平と繋がってるだけだ。


「うむ、これが。こいつの意識か」


 やっと捉えた。屈辱的な目にあった。溺れてしまった。それでもようやく。彼は満足していた。そして何処へともなく歩き始める。


 揺らめきが発生し、ぼんやりと、やがて鮮明な姿を形造った。ラースの姿だった。その周りには多くの羊たち。彼らを取り囲む木柵。現れた牧場のただ中で、バルバトスは彼らを眺めていた。


 ラース達が彼に気づいた様子はない。それは当然だった。この光景はラースの意識に残るものを映しているにすぎない。現在起こっているものではないのだ。


 幸せそうに世話をする姿。その笑顔に、優しい声に惹かれるように、バルバトスはすぐそばまで近づいていく。


 伸ばした手を、木の杖がはたき落とした。


「引き込まれるな、息子よ」


「父上! 父上も来たのですね」


「せっかく引き戻してやったのだ。再び呑まれるな」


 父親アルが並び立った。アル=バルバトス一世。彼こそが守護者達から《惑導》の王と評された本人だ。他人を操る、とりわけ植物にまで通じるその力に脅威を感じ、守護者たちはそう呼んだのだった。それを権威として継承したのが、現バルバトスである、バル=バルバトス二世だ。


「わ、分かっているのだ。ありがとうございます」


「良い。それよりも、こいつを完全に支配してみせろ」


「もちろんである。我輩を、あんな目に——」


 意識を改変する。今度はその意思を持って、バルバトスは腕を伸ばす。当然、意識の中のラースが反応することはない。そこにある、かつての幸せだった頃の幻想へ向かって、《惑導》の王の力は侵食を開始する。


「今度こそ、我輩のものになってもらうぞ、ラースくん」


 バルバトスがその特性を解き放った。すぐに、この世界が歪む。ラースの意識の世界。それが支配とともに崩壊を始めた。ノイズの混じった映像のように、風景が乱れる。引き波の様相を表し、足元の草原が消えてゆく。ラース自身の姿も、羊たちの姿も淡くなり。


 ぴきっ。


 世界に亀裂が走った。


「——んえ?」


 バルバトスの気の抜けた声が漏れた。その変化は彼の想定とは違っていたのだ。支配する、とは相手の世界を塗り替えること。このように、破壊するものではないはずだった。


「ち、父上!?」


「精神が崩壊したか?」


 そういった事もありえると父は知っている。しかし、これは違う。


 驚く二人の足元で、草原が、地面が崩れた。景色が完全に砕けた。ラース達の姿も消え、二人は無意識とも呼べる闇の中に放り出された。


 すぐに次の変化が現れた。闇の中に次々と映像が浮かび上がる。


「なん、だ……これは……」


 大規模な破壊だった。凄惨な虐殺だった。見たこともない、術の乱舞だった。城を焼き尽くし、山脈を削り、大地の形を変える力。

 華美な宝飾もあった。膨大な書物もあった。理解できない術式も、街を飲み込む魔法陣もあった。それらが闇の深奥から泡の様に湧き上がって、空間を埋めていった。世界の全てが、この場に現れたように思えた。


「ひぃっ! ち、ちち、うえ……」


 バルバトス二世が震える指先を向ける。


 闇のさらに奥。特異点に輝くものがあった。輝きはその中心に、より空虚な、開闢を想起させる針様の闇を抱いていた。それがバルバトス達の精神に根源的な恐怖を与える。


「あ、あ、あ……。あれ、は……」


 輝きが増し、バルバトス一世がその存在を思い出した時。深奥から彼らに向かって、目に見えぬ何かが放たれた。それは一瞬で彼らの全身を貫く。


 いや、実際には、そんな現象は起こってはいない。彼らがそう感じただけだった。しかしこの世界では同じことだった。


 力を受けた二人は、体が、意識が、粉々に砕かれたように感じていた。原型をとどめながらも、その構成物質を砂粒よりも遥かに微細に分化され。風吹けば崩れ去るほどにその結合を弱められ。そして、その一構成物質ごとに手に取られ、観察されているような感覚。自らの全てを、その根元まで把握された感覚だ。


「あれは……、あれは、私が唯一人————」


「や、あ、あ、あ、あ、あああああ————」


 そんな筈はない。そう否定できる程度の存在ではなかった。


 それでもここは自分たちの世界だ。その思いが、かろうじて幻想を振り切る。バルバトス一世は息子の腕を掴んだ。


「出るぞ! これ以上は!」


 バルバトスたちの意識は撤退していった。






 それは、ラースにとってはほんの一呼吸するくらいの時間だった。バルバトスたちが彼の意識に侵入したことなど認識していない。一瞬目の前が暗くなった。そんな程度だった。


 いやらしい笑みは、見間違いだったのか。彼にはそう思えた。腕の中の子山羊は、変わらず怯えた表情を見せていたのだから。


「今、何か……?」


 からん、と木製の杖が落ちる音に、ラースは顔をあげた。


「お、お前は……なぜ、あの御方の……? なんなのだお前は!?」


「ち、父上! 父上、助けて! コイツ操れないっ」


 もがきながらバルバトスは助けを求めた。思わず口にしてしまっていた。抱かれていた腕に力が込められるのを感じる。


「やっぱり、また何かしたんだね。あなたが? それとも」


 父親を睨み付ける。理解できぬ現象に身を引きながら、アルは杖を拾い直した。整合性を求めて思索するも、すぐに答えは出ない。彼が無言の間、焚き火の爆ぜる音だけが場を揺らしていた。


「息子を、返してもらおうか」


「勝手だね。さっきはあんなこと言っていたのに」


「矯正、というやつだ。未熟な息子を正してやらないとな。さあ、放せ。すでに息子はお前のものではないぞ」


 アルは杖の先で地面を打った。それが合図となり、部下達は少しずつ体を起こす。よろめきながらも立ち上がり、分離していたそれぞれは、一つへと戻っていった。戻らないのはバルバトスだけ。彼の大蛇と蝙蝠は、成り行きを伺うように離れてラース達を見つめていた。


 それは、父親の、バルバトス一世の意に背くことだった。その座を譲ったとはいえ、部下達への影響力は強い。背信が何をもたらすか、彼らは理解してはいた。が、動けなかった。


 号令は、場に緊張をもたらしていた。最も彼らから離れていた飛竜ルドラもそれを感じ、瞬時に飛び立てるように翼に、全身に血を巡らせながら、『北限の悪魔』の一団とラースの対峙をただ見届けていた。


「お前のことは、じっくりと聞かせてもらおう。息子と共に、な」


 バルバトス一世が命令を下した。部下達がのそのそと迫る。ラースはそれを見、ぎり、と奥歯を鳴らして踵を返した。


「父上っ!? ちちうえぇ〜〜〜っ!」


 バルバトスの叫びが遠ざかってゆく。闇中の森を駆け出したラースが、立ち止まることはなかった。蹄の音が、羽ばたきがあっという間に小さくなる。怒りと混乱のまま、喧騒が完全に消え失せるまで彼は走り続けた。


 そしてようやく。大樹を背に滑らせて、ラースは腰を下ろす。


 疲労は、心の方に重くのしかかっていた。バルバトスもその父親の行為についても、ラースにはわけがわからなかった。わからないまま、とにかく、怒りに任せてあの場を離れたくなったのだ。


「少し、落ち着いたら?」


 半ば自分に言い聞かせるように息を吐き、バルバトスのお腹に手を当てる。座るラースの腕の中で、山羊はいまだにもがいていた。


「やめるのだ! もう、我輩に触るなっ」


「いやだよ」


 怒りをぶつけたくて、でも哀れで、ラースの口調は穏やかものになっていた。


 意識を、人の心を操るバルバトスも、ラースの心が読めずに混乱していた。ただバルバトス自身の感情は、ほとんど恐怖に染められていた。再びその手に溺れることに。意識の中で見た得体の知れないものに。

 ゆえにバルバトスは抵抗を続ける。それでもラースの腕から逃れることは叶わない。


「ねえ、バルバトス。知ってる? 草原にはね、馬に乗って競争する大会があるんだよ」


 ため息をついて、ラースは覗き込むように顔を近づけた。突然の話題の転換を聞いているのかどうか。腕の中でもがくバルバトスに構わず、ラースは続ける。


「たくさんの馬が一斉にゴールを目指すんだ。それでね、とっても強い、速い馬がいてね。でも凄く荒くれで。凄く速いんだけど、暴れたりするから、乗ってる人を振り落としちゃうんだ。もったいないよね。せっかく速いのに、人が落ちちゃうと失格になるから。そういう馬をね、どうすると思う?」


 白い毛を、その下の柔らかな皮膚を弄りながら。彼は囁いた。


「——●●するんだよ」


 ぶわっ、と獣毛が波打った。その言葉にバルバトスはピタリと動きを止める。さらには体を硬直させ、


「……ぅえ?」


 激しく瞬きをして、血の気の引いた顔でラースを見上げる。お腹に触れていた彼の手が、安らぎをもたらすはずの彼の指が、凶刃もつ裁断機に思えた。


「あ……あ……、あ……ぁ」


「そうすると大人しくなるんだって」


 ただ呻き声を漏らし、バルバトスはラースの手の行方に全意識を集中させていた。


 まさか。やめろ。そんなことを。ほんきで。

 いやだ。おねがい。やめて。だめ——


 ラースの手が離れた。腕が解かれた。硬直したままのバルバトスは、転がりながら地面に落ちる。落ちてなお、その体は固まったまま。自由を取り戻すまでには時間が必要だった。


 荒く息を吐いて、ちらりとラースを伺う。闇の中、その表情ははっきりとは分からなかったが、そんなことはどうでもよかった。すぐにバルバトスは地面に跪いて、額を擦り付ける。


「ゆるして。ごめんなさい。ラースくん。わがはい、もう、なにもしない。だから、ゆるして。やめて。わがはいは」


 心砕けた。溺れた、のではなく。完全に折られたのだ。恐怖を植え付けられて、バルバトスはラースに屈服した。


「……でも。さっきもそうやって謝ったよね。それなのに」


「ごめんなさい。ごめんなさい。こんどはほんとうです。ゆるして。そうだ、わがはい。ちかう。ちかうから」


 頭を垂れたまま這って、ラースのつま先にくちづけを施す。


「わがはい、らーすくんに、もうなにもしない。らーすくんにしたがいます。ちかいます。ちかいます。ちかいます。ゆるして。おねがい」


 変貌に驚きながらも、ラースはバルバトスの頭に手を置いた。それは洗礼を施す神官のように見えたかもしれない。しかしラースにとっては。


 従順になった山羊が一匹増えただけのことだった。






 いち早くバルバトスに辿り着いたのは、彼の一部である大蛇と蝙蝠だった。


「どうするの? 帰るの? あの父親のところに」


「我輩、帰りますのだ。ラースくんのことは父上にもちゃんと話すのだ」


「そっか。仲良くできたらいいね」


「我輩、頑張るから。だから……、ラースくん。また会ったら、その、我輩に、あの」


「いいよ。いい子にしてたらね」


 森に来ることはあまりないけど。その言葉は含んだ。そもそもの目的は果たした。森は不用意に来るような場所ではない。そう思って、ラースはバルバトスを頭を撫でる。


「結局、帰れなかったなぁ」


 バルバトス達が帰っていった後。巨木の幹に寄りかかってラースは目を閉じた。眠い。疲れた。もう夜半だ。今から戻っても。そんな思いを巡らせながら、彼は眠りに落ちていった。


「……ごめんね、ルージュ……」






ーーーーーーーーーー

おまけ

ーーーーーーーーーー


「ばる、戻ロウ」


「あ、あ、そうであるな。帰ろう。それで父上に——」


 バルバトスは勘違いしていた。戻ろう、とは本来の姿に戻ろう、という意味から発した言葉だったのだ。


 大蛇が、蝙蝠が、山羊の体に飛び込む。飛び込んで混ざり合い。


「んえ? ひ、ひぎゅっ!?」


 苦痛などでは相殺しきれない快楽が。二重に。叩き込まれ。


「ふひにゃっ、ひにゃああああああぁぁぁ〜〜〜〜〜〜っっ!!」


 その絶叫は、ルドラがラースを探り当てる目処くらいには役に立った。

ここまでお読み頂きありがとうございます。

これにて第6章完結となります。


【次回予告】(次章予告)

飛竜と共に森から戻ったラース。

そこで彼は冒険者達と対峙する。

傷つきながら戦うラースの姿は、未熟な飛竜の心を変える。


次回、「最低な奴」

よろしくお願いします。

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