第34話 契りを結びたく
太陽が隠れ、暖かな日差しが遮られた。土埃巻き上げる風と、めきめきと音を立てて砕ける枝の悲鳴が追加された。
緑の壁を突き破って、ラース達の前に巨体が姿を現わす。それは強靭な皮翼の羽ばたきと共に、自重を感じさせずに着地した。鉤爪を持つ両脚と重厚な尻尾が大地を捉える。身体に比して小さめの頭部が持ち上げられ、居並ぶ牙を見せつけながら、現れた飛竜は人の言葉を紡いだ。
「お前が、リグ兄貴のいう人間————ぅひぃっ!」
「う、うわあっ!?」
びくっ!
その場の三者が一様に驚きの声をあげて身を引いた。しばし沈黙し、互いを見合わせ——最初に言葉を発したのは飛竜だった。
「お、お前が、リグ兄貴のいう人間か? ラース、という奴、か?」
繰り返しの言葉と半開きの皮翼に、ラースは緊張を見て取った。ラースに話しかけながらも、飛竜の視線の先は彼ではない。
「僕が、ラースだけど……。あなたは? リグの知り合いなの?」
「俺は。い、いや、その前に。ソイツは……お前が使役しているのか? 襲ってこないだろうな?」
起き上がったラースの隣で、少年の頭上よりも高く、大蛇が身体を立ち上げていた。瞳孔を絞りしゅうしゅうと細く息を漏らす。防衛のための威嚇だった。
ラースは出し入れしている舌を抑えるように鼻先に手をかざして、大蛇のお気に入りの部分を包んだ。そうして穏やかな口調で囁く。
「大丈夫だよ。何となくだけど。うん。大丈夫」
大蛇は瞳だけを動かして、心配そうにラースを覗った。それから、ゆっくりと地に伏せて反転する。波打つ鱗の模様が過ぎ去ってゆく。一度だけ振り返って、大蛇は森の中へ姿を消してしまった。
「それで、ええと?」
「そ、そうだな……。ああ、あ、俺は」
言い淀んで飛竜は、深呼吸し、翼を落ち着かせた。威厳を取り戻すように咳払い一つ。
「俺の名はルドラ。リグの兄貴に言われてお前のところに来た」
「リグに? っていうかリグの知り合いなの? あ、でも、兄貴って?」
「ああ、知り合いだとも。兄貴には助けてもらった。だから俺は、兄貴と呼ばせてもらっている。お前の方こそ兄貴の何なのだ? 兄貴がお前のような人間の子供を気にかけるなんて、お、おかしな話だ」
自分に対して物怖じしないラースに、飛竜ルドラは不気味さを感じていた。地面を掴む脚指に力が入る。一握りに潰せるだろう。そんな意図はないのだが、飛竜の本能は彼を獲物と認識し、その差異が奇妙な感覚を彼に与えていた。
「リグは……家族だよ。家族なんだ。大切な」
「家族……? ……そうか!! ああ、お前は! リグ兄貴と一家の契りを結んだというわけか! そうか! そういうことなんだな! それならっ!」
勢いよく捲し立てて、飛竜はラースに覆いかぶさるように顔を近づけた。
「俺も! 俺もその一家に入れてくれっ! そうしたら、リグの兄貴とも一緒にいられるじゃないかっ!」
興奮した鼻息が、ラースの髪を靡かせた。唾液が飛んできそうな至近距離で、ぎょろりと目を寄せてラースに迫る。
「いや、まってよ。ちょっと、よくわからないんだけど」
「何が分からない! 俺は、リグの兄貴と一緒にいたいんだよ。兄貴は凄いんだ。あんな小さな体で、アイツらをあっという間にやっつけて。その瞬間に、俺は思ったんだ。兄貴について行きたいって。兄貴のようになりたいって」
「それは分かるけど。リグに助けられたんだよね。……あれ、でも。それっていつのこと?」
「さっきだ! ついさっき兄貴に助けられて。けど兄貴は急いでいるからって。お前のところで待てって言って、何処かへ行ってしまったんだよ!」
「あ〜〜」
間延びした声をラースは漏らした。飛竜が興奮するほど、逆に冷静に考えることができた。
「楽しみにしていたからね。じゃあ、ここで待つ? 夕方くらいまでには戻ってくると思うよ」
「おう!」
ぶんぶんと、飛竜は頭を振る。翼が風を巻き起こす。その仕草は、ラースには、ただただ大きな子供がはしゃいでいるように映った。
「でもね、ええと、ルドラ? リグが来たら気をつけたほうがいいよ」
「んん? 何がだ?」
「リグはね、自分が小さいこと、少し気にしているみたいだから。小さいのに、とか言ったら機嫌悪くなるよ。多分」
「そ、そうか。分かった。兄貴の機嫌を損ねて、一家に入れてもらえなかったら嫌だからな。けど、俺は、馬鹿になんかしていないんだぞ。本当に、兄貴のことは凄いと思っているんだからなっ」
それは分かるよ、とラースは飛竜の首を撫でた。褐色の鱗は岩肌のようだった。感触だけならリグのものと似ている。瑞々しさを湛えたカロスケイロスのものとは違い、寒風吹き荒ぶ高山の環境に耐えうる、硬度ある鱗だった。
——いろいろ違うんだなぁ。でも。
最近の経験が、ラースの『施術』の幅を広げていた。牧場では一生出会うことのなかっただろうドラゴンの鱗。狼の魔獣、兎の霊獣の毛皮。蛇の鱗まで。見た目と感触は様々でも、その奥深くにあるものは皆同じだ。それを理解し、ラースはより多くの生き物を、より深く楽しませることができる、と思えるようになっていた。
「それと、ルドラ。入れてもらうとか言ってるけど。そういうものじゃないと思うよ。家族って、みんながそう思えば、それでいいんじゃないかな」
「そう……なのか? ここの一家は誰でもいいのか? だがやっぱり。兄貴には認めてもらわないとな」
「ん、だから、別にリグが決めるわけじゃあないよ」
大蛇よりも太い首に腕を回して、ラースは力を込める。力を込めて、抜く。飛竜が抵抗しないと見るや、自然と『施術』の動きをしていた。
「……ふ、くぅ……。それ、わ、ぁ……。兄貴、がここの……長……は?」
ラースはすぐに動きを止めた。会話にならない、と判断して。
「……まさ、か? おまえ……?」
「長、とか、ないからね」
そう言ってはみたが、ラースにはリグの言葉がよぎっていた。自分への行為が思い出されていた。それらは彼を子供扱い、どころか赤ん坊に対するように接したもので、少しだけ、ラースは反発した。
「でも一応、僕が長、になるのかな」
あの家だって僕の家だし。言い訳のようにそう思って、ラースは付け加える。
それを聞くとルドラは、ぶるっと全身を震わせた。後方に軽く跳躍してラースとの距離をとり、翼を広げ、そのまま大地を覆うように皮膜を地につける。首を真っ直ぐに伸ばして、同様に頭を地に伏せる。視線も直下の地面に向け、その姿勢のまま声を張り上げた。
『南峰の飛竜が一族、ルドラ。御方と一家の契りを結びたく馳せ参じた次第。御方の家の為にこの身を捧げる所存なれば。是非にこの契り、御承認頂きたく御願い申し上げ奉ります』
突然の龍の言葉での口上は、彼ら飛竜の作法だった。ラースが理解できる、できない、など考慮する必要はない。それは彼らの中での決意、誓いであったから。
じっと地に伏し、誓いを体に留める。それが浸透すれば、この儀式めいた行為は終了する。
ルドラはラースが理解できるなど思ってもいなかった。ゆえに、自分が頭を上げる以前に、そこに手を置かれたことに驚く。続く言葉に身震いする。
『そんなに難しく考えなくていいよ。一緒にいれば、ううん、お互いがそう思えば、それで家族なんだからね』
自分よりも遥かに小さな存在を、上目遣いに映す。その笑顔を。その掌を。ルドラは忘れられなくなっていた。
「ほ、本当か!? あれは兄貴がやった事なのか!?」
「そうだよ。あれだって、僕の為に魔獣を倒してくれた時のものなんだよ」
仇の魔獣、《震脚》の王を倒した時のことだ。大森林を切り裂く破壊をもたらしたリグの術は、ルドラたち飛竜の一族も観測していた。半島の南端の山岳地帯に居を構える飛竜たちは、その現象を認めると、発生地点へ偵察を出していたのだ。
しかし、上空からははっきりとしたことは判らなかった。偵察の者が付近へ到着した頃には、周囲は霧に包まれていたためだ。報告を受けた飛竜の一部は、それがかの守護者の影響下にあることだと推測した。
「——だから俺たちは、あれを『森の覚醒』って呼んでいた。あの頃から森の力が増していたからな。けど、それに兄貴が関わっていたなんて! あんな凄い力を持っているなんて、やっぱり俺の兄貴は素晴らしいな! な!」
「あ、あ〜。森のことも関係ある、かなぁ」
リグルヴェルダスの影響がなくなった、という意味では。そう思っての呟きに、ルドラの興奮は鎮まらない。
「俺の時だって、兄貴は俺たち飛竜よりも疾く駆けて。あんな小さいのに、アイツらに何もさせずに圧倒していたんだぜ! ああ、俺も早くあんなふうになりたい! 兄貴といれば、俺だって! そうだろ親父!」
「いや、何。親父って? 僕のことはラース、でいいからね。それと。また「小さい」って言ってるよ。少し落ち着いたら?」
「ああ、ああ。嬉しくてな。はははっ。やっと俺にも力が湧いてくるようなんだ」
笑いながら翼を振るう。一般的なドラゴンと違って、飛竜には前脚に相当する腕はない。それは大きな翼と一体化している。構造的には蝙蝠の翼に似ていて、頂部には鉤爪が生えていた。そのためか、翼の動きが忙しない。落ち着きがない、とも言える。もっともそれは、ルドラ個人の性格に依るものだったのだが。
「ああ、早く。帰ってこないかなぁ、リグの兄貴」
「そうだね。そろそろ戻ってきてくれないと」
夕暮れは近づいていた。家ではルージュが待っている。きっと今日も料理を作ってくれていて、笑顔で迎えてくれるはずだ。それがラースにはたまらなく嬉しい。
——あれ、でも? 一緒に帰るってこと? 牧場に?
ラースはルドラを見上げた。その姿を想像して、ため息が漏れる。
「……まあ、いっか。ねえ、ルドラ。リグは温泉に行ったんだけど。温泉の場所って分かる?」
「温泉? 知ってるが。山の方にはあちこちあるぞ。兄貴のお気に入りはどこなんだ? 俺も行ってくるぞ」
「それがわからなくって。一回行っただけだから。リグは覚えているみたいなんだけどね」
「そうなのか。なら、待つしかないかぁ」
遥か山脈の方を見上げて、ルドラは残念そうに翼を下ろした。
それからしばらく経ってもリグは戻らず。ラースの脳裏に、温泉に浸って夢見心地のリグの姿が浮かんだ頃、近くの茂みが騒ついた。
『リグ!?』
「あ、兄貴!」
思わず叫んだ。がそんな訳はない、とすぐにラースは判った。その通り、姿を現したのはドラゴンではなく、大蛇だった。
「大蛇さん? 戻ってきたの?」
「な、お、オマエか……」
しかし大蛇は近づかずに、じっとラースを見つめると、去っていく時のように反転して、現れた方向へ向き直った。後方のラースにちらりと視線を送り、また前を向く。
「……もしかして、ついて来てってこと?」
その言葉に、大蛇の尻尾が茂みから飛び出してきた。先端をラースの腕にそっと添えた。
「お、おい。行くのかよ?」
尻尾を掴むラースを見て、ルドラが動揺する。
「兄貴が戻ってくるんだろ? そんな奴放っておけよ……」
「うん、でも。ちょっとだけ」
ラースが歩み寄ると、大蛇は勢いよく尻尾を振った。ラースの体に巻きつけ、その体を持ち上げる。それは初めて遭遇した時とは違っていて、壊れやすい綿毛を運ぶような繊細さを有していた。
たとえ全力でも、彼を害することなどできないと知ってはいても。大蛇なりの気遣いだった。
【次回予告】
幸せだった日々。満ち足りた日常。
それは彼が諦めてしまった思い出。
それを取り戻せるのなら、彼は全てを捧げる。
次回、「また一緒に」
よろしくお願いします。




