第32話 しっとしてるの?
「すごいね、ラース! あんなにいっぱいいるんだね〜」
外柵に沿って歩きながら、ルージュは歓声をあげた。遠くで、放牧された羊たちがのんびりと草を喰んでいる姿が見える。
巨大な龍、カロスケイロスが訪れてきた翌日のことだった。たっぷりと昼近くまで睡眠をとった後、ラースたちは隣の牧場に向かっていた。
「ルージュは牧場って見たことなかったの?」
「うん。街中じゃあ見かけないし。たまに市場にいた羊は見たことあるわ。でもこんなにいっぱいは初めて」
「そっか。ルージュは街に住んでいたんだね」
「おっきい街よ。いろんな人がいっぱいいて。とっても賑やかなの。毎日お祭りみたいでね。お屋敷から出て、よく遊びに行ったの」
楽しそうに話すルージュに、ラースは少しだけ胸が痛んだ。いつかはちゃんと話さないと。そう思いはするが、どう切り出していいか分からずに彼は逃げていた。
「……そのうち、行ってみたいね」
呟くような小声だったが、彼女は聞き漏らさなかった。ぎゅっとラースの手を握って、嬉びいっぱいに頬を染める。
「行こう! 絶対行こうね。ママに紹介したいの。ね!」
「そうだね。落ち着いたらね」
それがいいのかもしれない。とりあえずは。そう思って、彼女の頭を撫でる。
『リグは?』
『牧場? 遠くから見たことはあるけどな。オレは人間の村とか行かないし。それに、飼うよりも獲った方が楽だぞ』
その言葉にラースは振り返ってリグの頭を掴んだ。いつもと違う勢いにリグは身を引きながら瞬きする。
『言っておくけど! ここの羊たちはミルクを採るための子たちだからね。食用とか、毛刈用とかじゃないから! 分かるよね!』
『お……おう……』
掌の間で小さな頭が頷くと、ラースは表情を緩めて、お詫びとばかりに優しく撫であげる。
「怒られたんだぁ。変なこと言ったんでしょぉ」
言葉はわからずとも、だ。ルージュはいたずらっぽく笑う。リグはただ尻尾で小突いて応えた。
「おや、まあ、まあ。ラースじゃないの!?」
彼らの会話に気づいたのか。大袈裟とも思える大声とともに、ここの牧場の主が姿を現した。
中年の女性だった。頭にタオルを巻き、腕まくりをした女性が彼らの方に歩いてきた。手にした鋤も剥き出しの腕も、どちらも年季を感じさせるもの。それらはこの牧場を維持してきた逞しさを醸し出していた。
「サーラおばさん! 僕、帰ってきたんだ」
「まあ、まあ。まあまあまあ」
バンバンと笑顔でラースの肩を叩いて、彼女は矢継ぎ早に言葉を吐く。
「よかった。本当によかったよ。元気そうで。あんたが森に行くなんて言って。みんなとっても心配したんだよ。それなのにあんたってば馬鹿なんだから。魔獣はあれから来なくなったけど、あんたのことを思うとね。でもね、よかったよ」
リグもルージュも押し除けて、柵越しにラースの身体を抱き寄せた。恰幅の良い体でラースを包み込み、それから大きなお腹をより膨らませた。
「お〜〜〜い! あんた〜〜〜っ! ラースが帰ってきたよ〜〜〜っ!」
敷地内全てに響き渡る大声で、叫んだ。
「……それでね。さっき村長さんのところにも行ってきたんだけど。もう大丈夫だって話してきたんだ。それに、嫌なことばかりじゃなかったんだよ」
家に招き入れられたラース達は、机を囲んでいた。その上にはたっぷりの羊乳と、急遽作られた焼き菓子が用意されていた。
「それって、この子たちのことかい? そうかいそうかい。不思議な縁もあるもんだねえ」
まるで孫でも見るように、サーラは目を細めた。
「私たち、家族になったの! ラースはね、とってもすごいんだよ!」
「うん、うん。そうだねぇ。少し早いけど。どうせ必要なんだからさ。あんたが無事に戻ったことと合わせて、村でお祝いするかい?」
「お祝い!? うん! する。する。ね、ラース!」
「……えっと。なんのこと?」
ラースには女性二人の勢いと展開についていけず、首を傾げる。
「そりゃあ結婚式さ」
サーラの声は喜びに満ちていた。思いもしない返答に言葉を失って、ラースはリグとセイヤおじさん——サーラの夫に視線を送った。
「この村にはさ、もう若い子なんていないだろ。だから結婚式なんて何年も催していないし。まして主役はラースなんだ。とびっきり盛大にやらないとね」
「ほんと! 嬉しい! みんなでお祝いしてくれるのね!」
「そうよ、ルージュちゃん。綺麗な服も仕立てて、沢山飾り付けもしてね。教会で誓いをして、馬車でお披露目して。それからご馳走も山盛り用意してね」
サーラは立ち上がると、その逞しい腕でルージュを抱えあげた。
「ほんと、いつ以来かねぇ。楽しみだよ。村長さんには話したのかい?」
「あ、いや……」
「ねえ、いつやるの? 私、楽しみ。ありがとうサーラさん!」
「そうねぇ。早い方がいいよねぇ。準備は必要だけど」
「じゃあ、私も手伝うね! ラースのために何かしたいの!」
「ダメよ、ルージュちゃん。あなたも主役の一人なんだから。みんなに任せて、あんたはラースとのんびりしていればいいの」
「ん〜、そっかぁ。分かった!」
ようやくルージュは床に下ろされた。サーラは、忙しくなるね、と自分に言い聞かせる。
ラースにはまるで別世界の出来事のように聞こえていた。彼の年齢での婚姻など珍しいことではなかったが。ルージュがそういうふうにラースを見ていることも、彼には分かっていたが。それでも、いきなりな話に思考が追いつかなかった。
いや。そもそも、そんな話のためにここへ来たのではなかった。
「浮かれすぎじゃないか、サーラ」
落ち着いた声が、場を収めた。夫のセイヤだ。
「あら、これを浮かれずにどうしようっていうのさ。それとも、あんたは嬉しくないのかい?」
「あ、あのっ! サーラおばさん。僕はね——」
セイヤのおかげで、ラースはなんとか言葉をだせた。しかしそれもまた、サーラの大きな声に遮られてしまう。
「あら? どうしたんだい、ラース? 乗り気じゃないのかい? せっかく」
「そうじゃなくって。あ、いや。じゃなくって。僕は。僕がここに来たのは。ちょっと会いたくって」
「ああ。うん。そうね。大丈夫、心配いらないよ。ウチの牧場を手伝ってくれれば。どうせウチの馬鹿息子は戻ってこないしね。ゆくゆくは、ラースがここを継いでくれればいいんだよ。いいだろ、あんた」
「少し落ち着きなさい、サーラ」
同意を求める妻の言葉に、夫は静かに嗜めた。穏やかなその口調に秘められた感情を、彼女は長年の機微で汲み取る。
「ラース君が困っているのが分からないのか。急ぎすぎだ。なあラース君」
「あ、はい。あの、すごく嬉しいですけど。まだそういうのは……」
「ダメなの? ……ううん。待つ。私、待つからね」
見上げるルージュの視線が苦しい。ごめんね、とラースは彼女の背に腕を回す。過去を抜きにしても、ルージュのことを嫌いなわけがなかった。けれどその好意は恋愛というものとは違っていた。
「けどさ、ラース。今まで辛い思いをしてきたんだ。できるときに、幸せを掴んでおかないとね。言いたかないけど、あんたは——」
「サーラっ!」
「……はぁ、分かったよ。浮かれちまった。悪かったよラース」
明らかに肩を落として、彼女は腰を下ろす。けれどもその瞳からは、諦めないぞ、という強い意思を放っていた。
「いえ、それでね。僕、ケイに会いたくて。ちょっとだけでも会わせてもらってもいいですか」
「ああ、あの子か。もちろん、構わないよ」
肯定しながらも、セイヤの声は暗い。
ケイ、とはラースの牧場の数少ない生き残りの鶏だ。ラースが森へ発つ時に、ここへ譲ったのだった。
今も鶏舎の奥にいる。そう言われてラースたちはその鶏のところへ向かっていた。
サーラの家に来る間もラースは気にしていた。他の鶏たちは鶏舎を出て、日光の下で伸び伸びと歩き回り、草を啄んでいた。しかし、目で追ってみても、その中に目当ての姿は見つけられなかったのだ。
「ケイ?」
鶏舎の奥で、ラースは声をかける。
その鶏は蘭鶏と呼ばれる、この辺りでは見かけない貴重な種類だった。彼の父親が何処かから連れてきたのだ。体つきは立派で、リグの胴部分よりも二回りは大きい。特徴的なのはその尾羽だ。お尻の先でつんと立ち上がり、そこから枝垂れ柳のように長く垂れ下がっている。
胸くらいの高さの止まり木の上で、鶏はゆっくりと声に反応した。
「ケイ、どうしたの? 怪我は治ったって聞いたよ」
ほんの十数日。鶏にとって長い空白の時間を経て、記憶が呼び起こされる。まだら模様の翼に触れる感触が、記憶を鮮明にする。
「ねえ、ケイ? 元気出して。僕、言ったよね」
言葉が、身体を動かす力になる。
ケェェェェェェーーーーッッ!!
ついに、鬨の声を上げた。鋭い叫びが小屋に響きわたった。
「うん、そう。よかった」
ラースは歓声を上げる喉を覆った。掻くように指先で顔をなぞった。抱き抱えて大きな羽根をさする。
「こんなボサボサで。ダメだよ。僕がいなくてもちゃんとできないと」
ク、ク、クェ、ァァ……
「分かったよ。ごめんね」
ク、ゥゥ……
「——言葉がわかるのか?」
不思議そうに呟き、リグが訊ねる。
「馬鹿ね、リグ。分かるに決まってるじゃない。ラースだもん」
邪魔をしないように、二人は下がってその様子を見ていた。薄暗い鶏舎の中、大きな鶏と戯れるラースの姿は、生き生きと輝いて見えた。
そしてリグは理解した。これが本当の『施術』なのだと。理解はしたのだが、彼の尻尾は床を叩いていた。
「なあに、リグ。しっとしてるの? 鶏に?」
ラースの様子から目を放さないまま、楽しそうにルージュが笑う。リグはただ、尻尾を横に薙いだ。
その夜、リグはいつも以上に求めた。
ーーーーーーーーーー
おまけ
ーーーーーーーーーー
『なに、リグ。やってみたいの?』
牧羊犬が羊を追い、まとめあげ、誘導する様にリグは興味を示していた。
そしてチャレンジするのだが、上手くいかない。羊は動かない。
原因はラースには明白だった。リグの、ドラゴンの存在は羊にとって怖ろしすぎるのだ。怖ろしすぎて、逃げることさえもできずに恐怖に固まってしまうのだ。
『仕方ないよ。これは牧羊犬の仕事だし』
そう言われても、リグは納得しなかった。傍で控える牧羊犬にも侮られているように感じていた。
『もうやめよう。リグがこんなことしなくてもいいんだよ』
そう慰められても、もどかしさは募るばかり。
——必ず、だ。
そう決心した。小さいことかもしれない。しかし、それが彼というものだから。
次回で第5章完結となります。
【次回予告】
先日出会った龍、カロスケイロス。
その『施術』の練習のために、ラースは再び森へ来ていた。
そこで彼は一匹の大蛇と出会う。
次回、「気に入ってくれたんだね」
よろしくお願いします。




