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第31話 練習しておきなさい

 彼女は落胆していた。求めるものは見つからなかった。それは彼女が望んで、望んで、望んでやまなかったものであるのに。


 会えなかったのだ。


 諦め、帰った彼女は、再びその痕跡を感知する。

 彼女が知るものとはわずかに異なるかもしれない。場所も違う。規模も違う。

 しかし、藁をも掴む思いで、彼女はそれに縋った。






 夜中。


 ベッドを抜け出して、リグはひとり宙空にその身を浮かべていた。闇夜という静寂の深海で、尻尾を抱えて思索する。思索して、試作して、実戦する。


 森からこの村へ来るまでの間。いや、アリストレアの小屋にいる間。いや、実のところ、遥か昔からではあったのだが。ラースの術によって倒れてしまって以降は、毎夜それをテーマとして続けていた。当面は、ラースの術について。しかし、それがなかったとしてもリグは続けていただろう。


 もっと知りたい。


 そんな単純な思い。一途な渇望。それは幾年の時を経て、邪龍と畏れられ、生命尽きようとしていたその時まで。一貫とした彼の行動原理だった。


 ラースに話したように、リグは術の調整を行っていた。気の遠くなるような音の構成パターンを変え、虚空に術を放つ。不発もある。予期せぬ変化もある。無駄ではない。全ては記憶と経験として蓄積するのだから。


 だが、繰り返す術の発動は、その日、リグが思いもしなかった存在を喚んだ。遠方から迫るその存在にすぐに気がついて、リグは闇を凝視した。






「……ん……、さむ……」


 わずかな空気の動きと重々しい雨音が、ラースの意識を叩く。眠りについてからどれくらい経ったか。隣にはルージュの熱を感じながら、一方で、はだけていた毛布がひんやりとした空気を伝える。


「リグ? いないの?」


 そっと身体を起こし、見回した。慣れてはいないが、相変わらず闇は彼の障害になっていない。ベッドを降り家中を歩いても見つけることはできずに、ラースは外へ出た。とはいえこの雨だ。軒下に立ったまま暗雲に覆われた闇を探る。


『あ、ラース〜〜〜っ!』


 しばらくして、雨音をかき分けてリグの声が届いた。分厚い雲の中から小さな体が現れる。


『リグ! どうしたの。こんな雨の中で。風邪ひいちゃうよ』


『ん、大丈夫。それよりラース。オマエに会わせたい奴がいるんだ』


 雨に打たれながら、リグは上機嫌に言って振り返った。


『————え?』


 リグに続いて現れた存在を目にして、ラースは自然と後ずさった。背中を壁に押し付け、全身を震わせた。ただそれは、単純な恐怖とは少し違っていた。


『お前がラースか。リグから話は聞いた。素晴らしい技を持っているそうだな』


『え、いや……。なに? リグ? なんで……?』


 混乱したまま、ラースはその存在から目が離せなかった。


 ドラゴンの顔だった。ラースの家を一噛みに出来そうな巨大な頭部が、雨雲を突き破って覗き込んでいた。頭部だけでこの大きさでは、雲の向こうの全身はどれ程か想像もつかない。その響きだけで人を圧殺出来そうな声を繊細にコントロールして、ラースに語りかけていた。


『カロスケイロス、っていうんだって。な、ラース。オマエのあの『施術』をやってあげてくれ。オマエの話をしてたら、受けてみたいって言うから』


 目を輝かせてリグはせがむ。


『いい、けど……。でも、ちょっと。うん。大きすぎるんじゃないかな。せめてリグくらいなら……』


『——そうか』


 短い、しかし濃密な詠唱を以て、龍はその姿を変じた。巨大な頭部は縮み、それに伴って全身が露わになる。ラースの要求通り、その体積はリグと同程度まで減じていた。


『これでどう? だが、言っておくが』


 小さくなった顎を開くと、そこからは刃と化した高圧の水流が放たれる。巨大な剣を突き立てたかのように、ラースの足元の地面を鋭く深く穿った。


『この姿になっても、私の力は些かも変わらん』


『ラースはなにもしないぞ』


 過分な威嚇に息を呑むラースに対して、リグは不機嫌そうに反論する。


『ん、すまない。一応、な』


 眠るルージュを起こさないように、ラースは両親が使っていた寝室へカロスケイロスを案内した。灯りをつけてベッドに腰を下ろす。


『綺麗だね』


 光の下で改めて見るその龍の姿に、ラースの口からは素直な感想が漏れ出ていた。暗視ができるといっても、そこで見えるものは色彩感が乏しい。こうして明るい場所で見るとそれがよく分かる。


 細かく、艶やかな鱗が反射するのは、透き通った湖面の青。しかしそれは炎の揺らめきによって彩りを変える。角度によって虹のように無数の色を宿し、見る者を魅了すべく輝く。身体をくねらせて、泳ぐように漂うせいでその変化はいつまでも続いていた。


『当然だ。早くやってみせろ』


 促されて、ラースは考え込んでしまった。カロスケイロスは目の前に浮かんでいる。リグはラースの隣で期待を瞳に宿して、順番待ちをしている。


 両者の姿は随分と違っていた。特にその体つきは。ドラゴンのことを「蜥蜴のよう」と形容することがあるが、カロスケイロスには当てはまらない。頭部から尻尾の先まで、徐々に太さを減じながら細長く続く姿は、蛇のそれに似ていた。蛇の胴体に小さな手足をつけた。そう評するのが正確だ。


 もちろん頭部はリグと同様に、凶悪な牙を有するドラゴンのものだ。加えてこの龍は長い二本の髭と、豊かな鬣を有していた。鬣は頭部から尻尾の先端までの背中側を覆う。動きに合わせて靡く様が、一層美しさを際立たせていた。


『どうした? 早く』


 催促にわずかに苛立ちが混じる。意を決してラースは手を伸ばした。今まで接してきた者たちとは明らかに異なる形質に戸惑いながら。


 指先にしっとりとした鱗の感触が伝わった。雨に打たれた、というだけではない。瑞々しい果実のように、強く押せば果汁が滲み出すような、それでいて強い硬度を感じさせるような。それまでラースが経験したことのない感覚だった。


——どこまでが首なんだろう。


 そんなことを考えながら、彼は手を這わせていた。


『おい。何をしている? お前の技とは、こうして触れるだけか? それならば——』


『待って!』


 ラースには自信があった。皆に気持ちよくなってもらいたいと、役に立ちたいと思ううちに身につけた手技だ。それを失望されるわけにはいかなかった。


『こ、ここから、です!』


 アイスブルーの瞳に陰りが見え、ラースは意地になる。絶対満足してもらう、と。


 ふぅ、と一息。目を瞑る。


 どこがどう、とかもういいや。自分の感覚を信じる。彼はそう決心すると、今まで以上に指先に、掌に伝わる感覚に集中した。相手の身体のことを想って。ずっとそうやってきた筈だ。だから、出来る。


『————ふぅぅっ!?』


 次に大きく息を吐いたのは、龍の方だった。構わずラースは続ける。


『ふくぅぅっ! ……っんはぁっ!』

『……ぉ、おま……ぁあぅぅ』

『や……ぁっ。やめ——っ!!!』


 身体をくねらせながら、龍は出したこともないような声を上げていた。


『大丈夫だよ。僕の手に乗って』


『施術』の間、カロスケイロスは宙に浮かんでいた。


 けど、それじゃあ駄目だ。全部委ねてもらわないと。そう思い、ラースは手の動きを一旦止めて、龍の腹部へと添える。


『ね』


 目を開けて、ラースは龍を笑顔で見下ろす。潤んだ瞳が彼を見返す。戸惑いの短い時間を経て、ラースは腕に重みを感じた。


『おま…おま、え……、いったい……』


『ありがとう。じゃあ続けるね』


 空色の鬣を撫でながら、再開を宣言した。短い悲鳴が聞こえたような気がしたが、ラースはもう気に留めなかった。






『今日は特別だよ、リグ。こんな夜中にさ』


『あ……あぁ……。おぅ……』


 カロスケイロスが眠ってしまったので、そのままリグへの『施術』が始まっていた。当の龍といえば、完全に脱力してラースの肩口に身体を預けていた。それはさながら、肩にかけた一本のロープだ。


『いっつもこんなことしていたの? それもこんな雨の中で。体によくないよ』


『だい……じょぶだ……オレは……』


『ドラゴンのことは分からないけどさ。ちゃんと寝ないと、成長しないんだよ』


『————っ! いぁ、けど!』


 珍しくラースの腕を押し除けて、リグは頭をもたげた。その声に反応して、ラースの肩でモゾモゾと動きがあった。


『ぅ……ん、あ……、あっ!』


 カロスケイロスは覚醒の声をあげた。ラースの首元から背中側に垂れ下がっていた頭を起こして、慌てて周囲を見回し警戒する。


『ごめんね。起こしちゃった?』


 そこには安心感を呼び起こすような笑顔しかない。けれどもカロスケイロスは、びくり、と身体を震わせて身を引く。


——私が。この私が。この人間と首を交わした!?


 知らず知らずのうちに親愛を示し、その身を委ねていた。その事実に、理解のできない恐怖を感じる。あり得ないことではあるが、操られたのではないか。そんな危惧さえ覚えた。


『お、お前は、私に何を……?』


『すごいだろ。言った通りだろ。ラースは』


 答えたのはリグだった。自らの功績のように誇る。


『こんな、こんな————ことを、お前は……』


『でも、ごめんね』


 残念そうに、ラースは龍に向き直った。


『やっぱり僕、あまり上手くいかなくって。あなたみたいなドラゴンは初めてだったから。もうちょっと慣れたら、もっと上手くできると思うんだけど』


『うま……っ、あれ、で……っ!?』


 冗談じゃない。カロスケイロスは身震いした。あれで、上手くいかなかったと? あんな、蕩けるような気持ちよさで? 蕩けて、水と同化してしまうような無上の嬉びを与える技で?


 いや。


 ゴクリ、と唾を飲む。この上があるというのか? 今でさえ気を失うほどの快楽に溺れてしまったというのに?


 もし、これ以上のものを受けてしまったら————


 飛び跳ねるように尾でラースの身体を打ち、カロスケイロスはラースから離れた。体に力が入らない。空中でよろめく。


『お、おいラースっ!』


『うん?』


 小さな指先をラースに向けて、


『ま、まあまあ、よ。確かに、もしかしたら、良いものかもしれない。だから……だから、また来るわっ。それまでに、ちゃんと練習しておきなさいっ!』


 怒ったように言い放った。乱暴に扉を尻尾で打ち払って、カロスケイロスは出て行ってしまった。


『え、あの……? やっぱり、僕……』


『大丈夫だぞ、ラース』


 呆気にとられていたラースの前に、リグは改めて身体を投げ出す。尻尾を振る。


 残された二人は、しばらく『施術』を続けていた。そうしながらラースはカロスケイロスの最後の言葉を反芻していた。


『ねえ、リグ。お願いがあるんだけど』


『……なんだ?』


『蛇を、捕まえられないかな』

【次回予告】

ラースの気がかり。

それは過去を繋ぐもの。


次回、「しっとしてるの?」

よろしくお願いします。

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