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第3話 ちょっとだけ、嫌になったんです

ここから本編になります

 伝説とよばれる邪龍がいる。名をリグルヴェルダス。


 その存在は数千の時を生き、幾万の命を奪い、大陸を覆う災害をもたらすものだった。永き刻の中で数多の国々を滅ぼし、挑み来る歴代の勇者を、騎士達を屠ってきた。


 災厄の記された文献は、集積すれば大国の王城をも埋め尽くす程に溢れただろう。しかし現存する資料は散逸している。国家というものは、邪龍に比べればずっと寿命が短い。戦乱のなかで貴重な資料は消失してしまうのだ。それでも、記録された内容はどれもが誇張なき暴虐だった。


 殺伐とした世界から隔たれた平和な家庭の中でも、その名は幼子を言い聞かせる恐怖の呪文である。曰く、悪いことをすると喰べに来るぞ、と。


 より直接的に、その存在を神と称える地方もあった。その龍は、冒険者達によって討伐されるようなドラゴンとは一線を画す、絶対的な力の象徴だったのだ。


 ただし、文献や口伝を丹念に辿れば、いくつかの事実に突き当たる。そのうちの一つが、近年の活動の低下だ。






 ここ、クルシュナ山脈とその麓の大森林はリグルヴェルダスの縄張りだった。知性ある魔物と呼ばれる存在、魔力を強く宿す獣である魔獣たちは皆、かのドラゴンの配下であると言われている。その為、格好の未開の地であるにもかかわらず、冒険者たちの探索対象にはなっていない。


 国との間に盟約がある、という噂話もある。単に、藪蛇を突かないというだけの話かもしれないが。一攫千金を狙う無謀な冒険者とはいえ、近年この地を拠点にする者はいなかった。

 無論、そんなことには無頓着な輩もいないわけではなかった。






 トウサ・アンバーソルは冒険者ではない。この森で狩猟や薬草採集を生業とする狩人だ。冒険者には役割としてそう呼ばれる者もいるが、ギルドにて認定を受けていない以上、トウサが冒険者でないことに間違いはない。

 そして今は、狩人としてでもなく案内役として大森林の奥地へと分け入っていた。


「そろそろ『祭壇』に着くよ。本当に行くのかい、ラース?」


 (かたわ)らを歩む少年に声をかける。


「大丈夫です、トウサさん。ありがとうございます」


 森に入ってから何度も交わされた言葉だ。

 終着地が近づいた今でも、トウサを見上げる少年の瞳に迷いはなかった。幼さを残す顔立ち。武器など手にしたこともない細身で小柄な身体。村で生活をしている時と変わらない軽装。全てがこの危険な地にそぐわないというのに。


「僕、トウサさんがいなかったら、ここまで来ることもできませんでした。『祭壇』にすら行けなかったら、僕の役目も果たせなくて。そしたら……」


「役目なんて言うもんじゃないよ。君がしなくてはいけないことではないのだからね。それとも、まさか村の誰かに無理矢理決められたのか?」


 穏やかな口調に不快感が混じる。歩みを止めて、彼は自分の胸ほどの高さの顔を覗きこむ。瞳の決意は揺らいでいない。けれども、これまでの道中とは違って、口元をぐっと引き奥歯を噛み締めて拳を握る様は、今にも決壊しそうな何かを押しとどめているようにしか見えなかった。


「なぁ、ラース。引き返そう。村に戻って他の方法を考えよう。村のみんなにも俺から話すから」


「だめ……。だめ、だよ。僕は、自分で、決めたんだから……。『僕が生贄になります』って」






 リグルヴェルダスが生贄を要求している。

 トウサが最初にそれを聞いたのは、ラースが彼を訪ねてきた時だった。自分を『祭壇』と呼ばれる指定場所まで連れて行ってほしい、と。

 森の外縁に住むトウサはラースたち村の者と関わることは少なかった。生贄についての話も、それゆえ知らなかった。ただ、過去にもそういったことがあったとは聞いている。相手は伝説のドラゴンだ。避けられない災害だ。そう思ってその時は案内を引き受けた。


 森を進むにつれて、後悔が押し寄せていた。ラースの決意を聞くたびに彼は立ち止まった。


「だからって、誰も止めなかったなんて。そう言わされたんじゃあないのか」


「そんなことありません! みんな止めてくれました! ただ。ただ、ちょっと……」


 ラースははじめて視線をそらして、言い(よど)む。


「ちょっとだけ。ちょっとだけ、嫌になったんです。どうでもいいやって。うちの牧場が魔獣の群れに襲われったって話、しましたよね? そのときに父さんも母さんも死んじゃって。牧場のみんなもほとんどやられちゃって。もう、どうしたらいいか分からなくなって……。そんなときに村から生贄をだせっていう話を聞いたんです。それで、それもいいかなって思って……」


「ラース、それは」


 遮ったものの二の句が継げなかった。魔獣の話もラースの牧場の話も、彼自身の口からトウサは聞いていた。森から一番近いラースの家が襲われたのだと。

 近いとはいえ、森の外縁からは大人の足でも半日近くはかかる。そんなところまで魔獣が現れることなどなかった。だがこの時は狂騒状態になったような魔獣の群れが牧場に押し寄せ、放牧されていた多くの羊たちや小屋の鶏がやられた。それを守ろうとしたラースの両親も。

 自分がいれば少しは守れたかもしれない。トウサはそう思うものの、今となっては。


「僕ね」


 沈黙ののち、ラースが再び口を開く。


「トウサさんみたいに強くないし、村にいても何の役にも立たないし。できるのは動物たちの世話くらいで。ちっちゃい頃からずっと、牧場のみんなが元気でいられるようにって、頑張ってきたんだ。でも、こんなふうになって……。だからね。これが僕の役目なんです。僕が生贄になって村のみんなが助かるなら、それでいいんです」


「そんなこと言わないでくれ。誰かが犠牲にならなくたって。きっと助けを呼んでいるはずだよ。街のギルドに頼めば、強い冒険者たちだって来てくれる」


 かの邪龍、リグルヴェルダスを倒せる者がいるとは思ってもいないが、トウサはそう答えるしかなかった。


「それに、君がなにもできないなんてことはないよ。自分でも言ったじゃないか、牧場で頑張っていたって。村には他の牧場だってあるんだ。そこでやり直したっていいじゃないか」


 その言葉には反応せず、ラースはトウサの腕をとった。


「行きましょう。あと少しなんでしょう。早く着かないと。あまり待たせたら悪いから」


 トウサは頭を振って、ただ歩き始めた。時折山刀で下草を狩りながら。無言で。やがて二人は、樹々の開けた『祭壇』と呼ばれる場所へ辿り着いた。






『祭壇』という言葉から、神殿や社のようなものをラースは想像していた。実際には方形に切り出された石壇があるだけだ。

 かつては確かにそういったものが存在していたのだろう。今は石壇の他には半ば草に覆われた瓦礫。蔦の這う崩れた柱。村の家数軒分のこの空間は廃墟だ。ラースもトウサもこの建造物の現役時代を知らなかった。


「ここに、リグルヴェルダスが住んでいるの?」


 廃墟の奥には巨大な洞窟の入口があった。洞窟というよりは、岩山の裂け目のようだ。山肌をケーキのように切り裂いたその空間は、大人七、八人分くらいの高さがある。僅かに下り勾配になっている為、陽の傾いた今ではかなり奥の方まで地面が照らされていた。


「そう聞いているけどね。見たことはないなぁ。俺だってここまで来たのは数えるくらいだよ。けど、爺さんが俺くらいの頃は、何度も冒険者達を案内していたらしい。いつからかはそれも無くなったみたいだけどね」


「みんな、やられてしまったってこと?」


「まあ、そうだろうね」


「ですよね」


 ラースはどこか他人事のような軽い口調だった。いつこの洞窟の奥から巨大なドラゴンが現れて、彼を(さら)っていってしまうかもしれないというのに。

 トウサの不安をよそに、ラースは廃墟を歩きまわっている。辛うじて残った建物の基礎へ跳び乗ったり、瓦礫を拾っては石柱に向かって投げつけてみたり。ここへ到着する直前の悲壮感はどこへやら。落ちていた木の枝で草を薙ぎ、空を打ち。冒険者の真似事をして遊んでいた。


「ここだけは綺麗なんだね」


 ラースは祭壇を覗き込みながら呟いた。ちょうど人ひとり横たわることが出来るほどの上面は、土埃でよごれているもののひび割れなどなく、平滑に仕上げられたままの状態を保っている。側面にしても、絡まった蔦と角ある獣の紋様が彫り込まれ、それらに劣化はみられなかった。


「ねぇ、トウサさん」


 祭壇に手を置いたまま彼は振り返った。落日の逆光に表情が隠れる。離れた場所で見守っていたトウサには、はっきりとは見えなかったが、


「もう、大丈夫ですから。帰って村のみんなに伝えてください。僕は役目を果たした、って。ちゃんとリグルヴェルダスに会って、村を救ったんだって」


 決意を述べるラースが、無理矢理微笑んでいるように思えた。

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