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第27話 休みませんか

 すでに夕方になっていた。


 イシュカと狼たちに『施術』を施したのち、結局訓練は再開されたのだ。


 それまでのバンダナの奪い合い、というものの続きもあったが、ラースは迷いを吹っ切るように、より激しい訓練を望んだ。それは、ウォルフェウの操る人型の霧との模擬戦にまで発展していた。


 ラースは心地良い汗をかいていた。霧の攻撃はダメージを受けるものではなかったため、ただ疲労だけが彼の体を襲っていた。それも最後にはイシュカによって癒されたのだが。


「じゃあさ、みんなで温泉に寄って行こうよ」


 ラースが皆を誘い洞窟を出てみれば、すでに陽は暮れかけていたのだった。






「ラース、遅いよぉっ!」


 温泉と小屋は隣り合っている。気配を察したのか、彼らが近くまで帰ってきたときには、勢いよく扉が開かれ、小さな体が飛び出してきた。


「私、心配したんだか……ら……?」

『ラース!?』


 遅れて出てきたリグと共に二人は固まってしまう。その理由はそれぞれ別のところにあった。


 ラースの左腕には、しっかりとイシュカがしがみついていた。背後にはウォルフェウとその息子達が付き従っていた。


「すご……い……。ほんとにラースなの……」


 ルージュは歓喜に体を震わせていた。イシュカによって多くの活力をその身に宿したラースからは、それ以前でさえ魅力的だった力が、さらに溢れ出しているように感じた。洞窟いっぱいの財宝を目にしたように。屋敷の広間を埋め尽くす、ご馳走を目にしたように。

 駆け寄りたい衝動に囚われながらも、あまりに充満した力に目が眩んで、彼女の歩みはゆっくりとしたものにしかならなかった。


——ほしい。いっぱい。わたしのなかに。


 瞳を潤ませながらやっとのことでそこまで辿りつき、稀少な書物を扱うように、そっと右腕を包む。


「ごめんね。夢中になっちゃって」


 頭上からの声にただ頭を振って、彼女は蕩けた表情で頬擦りを繰り返す。


「なぜオマエが……っ!」


 ラースの背後を睨みつけながら、リグは低音を響かせる。ラースが戻ってきたら相談してみよう。このときまで、リグはそう迷っていたのだが、そんな思いは吹き飛んでしまった。


「コイツはな、儂の部下になった。部下と共に在ることに不思議はなかろう?」


 (はばか)ることなくウォルフェウはそっと巨体を寄せた。暖かな銀毛がラースの頭からうなじを、背中をくすぐる。


「ふざけるなっ!! ラースから離れろっ! ラース、こっちに来るんだ!」


「その必要はないな。なあ、ラース。お前は儂といなければならないだろう? こいつの為にも」


 語る口調は穏やかで、配下への言葉というよりも、保護者のような響きをリグは感じる。それが余計にリグの心を乱す。


「オレの為? 何言ってるオマエはっ!」


「ああ、それはな。貴様が弱いからだ。弱くて、情けなくて。それゆえラースは」


「ちょっと、ウォルフェウさん! 僕はそんなこと言ってないです!」


 困惑に言葉を失うリグに向かって、慌ててラースは否定した。


「同じことだろう」


『ラース……本当なのか……? オレの……せいで……。オレが……弱い、から……?』


 声を震わせて見下ろすリグの表情は、怒りとも哀しみともつかず。いままでラースが見たこともないような戸惑いを見せていた。


『ち、違うからね。リグは弱くなんかないよ。でも、あのときみたいに具合悪くなちゃったら。そのときには僕が助けなきゃ、って。その為に、僕は強くならなきゃって思っただけなんだよ』


『それで、ソイツの部下に……』


『それは……。ウォルフェウさんが、訓練してくれるからって。部下、だなんて僕は』


 同意したつもりはなかった。ただ、彼は明確に断ることもできなかった。途中から、楽しさの中でそのことを追いやってしまっていた。


 先と変わって、リグの瞳には明らかな色が浮かんでいた。およそ龍という種が他者に見せることのないような感情。沈黙ののちに発した声に力はない。


『ラースは、ソイツと行くのか……? オレとは……ダメなのか……』


『リグ、こっちに来て』


 否定したというのに今のリグは、見た目通りの、小さく弱々しい生き物に見えた。自然とラースは、仔羊にでも話かけるように呼びかけていた。


 ウォルフェウよりも高く飛んで威嚇していたリグは、戸惑いながらもラースの所まで降りてきた。叱責される為に呼ばれた者のように。


『もっと』


『もっとだよ』


 追加の要求に、目の前まで近づいていたリグは、ついには鼻先が触れるほどまで接近して、不安に揺れる瞳でラースと視線を合わせた。言葉を待った。


 両腕を封じられていたから、ラースはただ頭を傾けた。頬をリグの横面に添わせた。さらに深く頭を垂れて、首筋でもリグの硬い鱗を受け止める。

 そのままリグの長い首筋を自らの首でなぞった。互いの体温が感じられて、魔素を同調させた時のような一体感が二人を繋げる。


 それで十分だった。互いの首を交わすのは、龍種における最上の親愛の証。ラースは知らなかったことだが、リグは満たされた。首を交わしたまま、小さな手でしっかりとラースの体にしがみついた。






「あら。両手に花、どころではないみたいですね」


 アリストレアが見たラースは。左右の腕にイシュカとルージュがしがみつき、背中にはウォルフェウが身を寄せ、正面からリグが抱きついていた。


「随分と打ち解けたみたいでよかったです。ウォルフェウ、あなたまで」


「ラースはね、ボクの大切なひとになったんだよ。ずっと、やっと見つかったんだ」


 とび跳ねるようにステップを踏んで、イシュカは全身で喜びを表現していた。


「そのようですね、イシュカ。今のあなたはとても充実して見えます。私と初めて会った時以来、一番ですよ」


「だよ! うん。だよっ!」


「アリス。伝えておくことがある」


 子供のようにはしゃぐイシュカを遮って、彼はアリストレアの前に歩み出た。落ち着かない様子で、背後に息子達が従う。


「私からも話があります。でも、あなたからどうぞ、ウォルフェウ」


「ああ、ならば。コイツ、ラースのことだがな。儂はラースを守護者にするつもりだ。無論、最初は見習いだ。儂が育てよう。この少年には十分にその素養がある」


「そうダ! ……です。コイツは少しハやるぜ!」

「不足はないと思います。それどころか、我々に有益な術を持っています」

「あ……アレは、ああ、そう、だナ……」


 守護者筆頭の言葉とその配下の賛同に、管理者は否定も驚きもしなかった。ただ口元にほっそりとした指を当てて、首を傾ける。


 元々、管理者と守護者という立場に上下関係はない。遥か昔から自然発生的に現れた緩い集団だ。山脈と大森林を擁すこの地の力を大切に思い、管理する者。その力を簒奪(さんだつ)する者からこの地を守る者。そこには役割の違いがあるだけだ。


 かつての守護者筆頭は管理者を敬愛・崇拝していたが、それは個人的な関係の中の話だ。だから、本来はどちらかが強権的に命じることもなく、従う義務もない。それが、この森を守るという目的に反していないのであれば。


 しかし利害集団は往々にして、その手段で対立する。そんなことはこれまでもあったし、ウォルフェウも十分理解していた。それでもこの後にアリストレアからそんな提案がなされるとは想像もしなかった。


「……あら……それは……。でも、それなら……もしかして……いやでも……」


 (ささや)くように呟いていたアリストレアは、ラースに向かって疑問をぶつけた。


「あなたは、ここに残るのですか? ウォルフェウの下で共に。リグ様とも一緒に?」


「え、いや、それは……」


「リグはねぇ、ここに居たいんだって。だから、かなぁ」


 ずっとその腕にしがみついていたルージュが口を挟む。私はどっちでもいいの、と体をすり寄せる。


「そうなの、リグ? リグが気に入ったのなら、寂しいけど——」


「オレは! 違うぞ! オレは!」


 ラースという熱に心を浸していたリグは鋭く反応した。先の迷いなど迷いではない。のちに自らそう気づかされる、悲鳴のような叫びだった。


 その様子にアリストレアは諦めのため息をつく。


「ラースは一旦森を離れる。その後の話だな」


「そうですか、残念です。あなたがいればリグ様も、と思ったのですが。いえ、でも。ねえ、ウォルフェウ。聞いて。私、考えたのですけれど」


 気を取り直し、アリストレアはウォルフェウの体に触れた。甘く、特定の虫を引きつける花のように、彼女の仕草はウォルフェウを惹きつける。それが厄介な問題を引きおこすことをウォルフェウは、イシュカも、知っていた。


「守護者——休みませんか? しばらくの間は活動をやめて、潜み、力を蓄えましょう」


「あぁ!?」

「ちょ、ちょっと、アリストレア様!?」


 イシュカまでもが彼女のもとへ駆け寄った。ライ達は困惑に互いを見交わし、守護者筆頭は威嚇するように胸を張る。


「何を言い出すかと思えば、馬鹿げた事を。お前はこの森のことを——」


「皆も知っての通り」


 臆することもなく、彼女は語り始める。全てを抱くように両手を広げ、周囲の森全てを視界に収めるように歩きながら。


「森は日々、力を取り戻しています。これもリグルヴェルダスが去った為でしょう。これから先も森は急速にこの地の力を抱き繁えるでしょう。それはここに生きる精霊・魔獣・魔物と呼ばれる者達も同様です。彼らは普通の動物達よりもずっと魔素に影響を受けますから。ですが」


 ちらりとウォルフェウへ視線を送って、それから彼女は守護者と正対した。


「貴方はそれを良しとしないのでしょう。守護者の存在は必要です。けれど。この回復の過程では、弱ったものが成長する過程では、少し大きすぎる障害になるのです」


「それが、森に仇なす者の成長であってもか、アリス? 正気で言っているのか、お前はっ!」

「アリストレア様、いくらなんでも、それはまずいですよ」


 怒りを露わに吠える。隣でイシュカが同調する。長い耳を不安げに揺らしながら。やはり、おかしなことになってしまったと頭を抱える。


「私にはわかるのです。この森の精霊として生み出された私には、この森が何を欲しているかを。ねえ、イシュカ。貴方の姉が私に力をくれたように」


「そ、それは……。でも……」


「それにね。根源的には、この地の樹々はそれほど脆い存在ではないのですよ。森も山々も、この地の力が及ぶ限りでは、そう簡単に衰退するものではありません」


「だが、『王』達もまた力を増すぞ。リグルヴェルダスのような存在が現れんとも限らん。手遅れになる前に、悪しき芽は摘まねばならん。それが守護者の努めのはずだ」


「手遅れにはならないでしょう。貴方がいれば。そのときには貴方にお願いするわ。それと、リグルヴェルダス。あれは流石に仕方ないですからね。あの存在をどうにかできるものなど、この世界にいるでしょうか」


 ウォルフェウの鼻筋に手を置いて、諌めるように、心を落ち着かせるようにそっと撫であげる。


「守護者達には、未来の森を守ってもらいたいのです。今ではなく。そのための提案なのですよ」


「だが、アリス。それは」


「貴方の、使命に対する真摯な想いと、優しさには感謝しています。でもね」


 例の、少女のような仕草で、アリストレアは守護者筆頭に上目遣いで寄り添った。


「ちょっと過保護だと思うの。守ってばかりでは芯の強い者にはならないわ。ときには負荷をかけることも必要よ。貴方だって配下の者をそうやって鍛えるでしょう?」


「お……同じに語るな。コイツらと森全体では……」


「同じですよ。同じ命あるもの。だから、ね。その時まで見守ってほしいの」


その言葉に、守護者筆頭は尻尾をうなだれた。






 そしてラース達は帰路に着く。提案通り守護者を、森の癒し手を伴って。






 彼は大きな力の接近を感じた。こんな場所だ。これまでも魔獣がうろつくことなどいくらでもあった。しかしそれは、たまたま接近してきたというだけだ。興味を抱いて近づく者もいたが、望みのものが得られないと分かると、すぐに離れていった。


 この感じは後者のものだ。明確にこの場所を目指して近づいてきている。かといって敵意といったものは感じられない。それを見分けられるくらいの経験を、彼は有していた。


 用心は怠らない。この時から野生の獣のように気配を殺し、剣を手に取る。窓をわずかに開いて、目視する。


 彼の瞳は大きく開かれた。同時に小屋の扉を開けて飛び出し、トウサ・アンバーソルは叫ぶ。


「ラース!!」


「トウサさん! 僕、帰ってきたよっ!!」


 駆け寄るラースの姿は見違えていて、立ち尽くすトウサはそれ以上の言葉を出せなかった。


 彼が送った弱々しい少年はそこにはない。見た目こそ変わりはないが、その内から発せられる力を、トウサは感じ取っていた。それ以上に、彼が従えていた者達の存在は、幻でも見せられているのではないかと思われるほどに、非現実的だった。


 霧幻狼。この森に住む狼型の魔獣だ。トウサと変わらぬ体高を持つ立派な成獣と、その子供と思われる三頭。遅れて、短い足でとび跳ねながら近づく二足歩行の兎。ラースに手を引かれた有角の少女。そしてラースの肩に鎮座する、小さくも強大な力を宿す生物。


 敵意を感じなくとも、トウサは剣を放すことができなかった。


「僕ね、リグルヴェルダスに会ったんだ! 話したんだ! でもリグルヴェルダスはね——って、あれ、トウサさん?」


「あ……いや……。ラース……これは一体?」


「あ、そうだ。いろんなことがあったんだ。本当に色々あって。それにみんなも紹介しないとね」


 笑顔でそう話すラースには、希望が満ち溢れていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

トウサの小屋までの道中が第1話の場面です。


ここで物語は一旦、大きな区切りとなります。

ですが、もう1話、昔話を追加して第4章完結とします。


【次回予告】

廃墟となった王都で思索する邪龍リグルヴェルダス。

そこへ、王都奪還を目指した騎士団と魔術師団が襲いかかる。

相手にもならない小者達。役に立たない存在は消すのみ——。

しかしリグルヴェルダスは知らない。彼が何を遺したのかを。


次回、「リグルヴェルダス様」

よろしくお願いします。

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