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第24話 大切なひと

 広間の大気は、この空間に居る皆を取り込んで揺れ動いていた。それは揺り籠のような平穏をもたらすものではなく、風に揺れる湖面の小舟のようで、不快な酔いをもたらすものだった。


 ウォルフェウはイシュカの視線を断ち切るように、配下である息子たちの前に割って入った。


「落ち着けイシュカ。息子たちの非礼は儂が詫びよう。すぐに其れを収めるんだ」


「非礼だって!? キミたちは分かっていないんだ! ボクや、ラースのことを。だから、あんな言い方をするんだ!」


 続けて紡がれた詠唱が、空間に(よど)みを生んだ。それは、イシュカがこの地に満ちている、と言った精霊の力だ。ラースはもちろん、ウォルフェウたちにも精霊の姿そのものを見ることはできない。ただ、気味の悪い羽虫が自身を取り囲み、今にも取り憑かんとしているようなおぞましい不快さを感じるのみだ。


「ねえ、思い出した? ボクも思い出したよ。思い出したくもなかったけどさ」


 赤く染まった瞳が、ウォルフェウの背後に隠れる狼たちに向けられた。


「思い出しただと? ではイシュカ。あの誓いも思い出したのか?」


「忘れるわけないだろ! あれは……あれは!」


 イシュカは声を張り上げる。


——もう、こんな力は使わない。


 そう姉の前で誓った。それだけは思い出すまでもなかった。そして百年以上。ずっと守り続けてきた。いや、守る必要などなかった。そんな想いに迫られることなどなかったのだから。ゆえにイシュカはわからなかった。止まれなかった。


「親父、こいツハ……」

「やめろイシュカ! それ以上続けるならば、儂は、儂の息子たちを守るために、お前を倒すしかないぞ」


 倒す、と躊躇(ちゅうちょ)なく言い放つウォルフェウに、イシュカは小さな拳を握りしめた。歯を食いしばり、何かを堪えるように肩を震わせ、決意を固めて口を開く。


「駄目だよ、イッシュ!」


 小さな体をラースが抑えた。彼にはなぜイシュカが豹変してしまったのかわからなかった。ただ、その怒りの中に、少なくとも自分が関わっていることは感じていた。幾分かは自分の為に怒ってくれているようで、哀しんでくれているような気がしたのだ。


 だから、緊迫した状況の中で、嘔吐してしまいそうな不快感の中で、ラースは飛び出して、膝をついて、イシュカの体を包み込んでいた。


「落ち着いて! ねえ、僕のことなら大丈夫だからね」


「キミは……キミは平気なの! 死んじゃうところだったんだよ! それだけじゃない。何もわからなくて、そのせいで、大切な人も助けられなくって……。それなのに、あんな言い方されて!」


 イシュカは小さな手でラースを押しやる。彼に矛先を向ける。


「それは……」


「だろ! 仕方ないんだ! なのに、あいつらはそんな気持ちなんかわからないんだ! だからボクは許せないんだっ!」


 兎の口からは再び詠唱が漏れ出る。それがこの不快な空間を生み出している。そのことくらいはラースにも理解できた。


「ねえ、聞いて、イッシュ。確かに僕は弱くって、何も知らなくって、僕じゃあリグを助けることはできなかったけど。でもね。あなたが助けてくれたから、僕もリグもこうして生きていられるんだよ。だから僕は何を言われたって平気だよ」


「ボクは! ボクは違うんだ! キミのことは、ただアリストレア様の言う通りにしただけなんだ!」


「それでも。嬉しいよ。僕にとってリグはね、恩人なんだ。絶対に、命に代えても助けたかったんだ。でも、僕の力じゃあどうしようもなかったんだから」


「だから! ボクはもう、あいつらを——」


 その言葉を塞ぐように、ラースは顔を近づけた。ゆっくりと両手で兎の顔に触れ、逆立つ褐色を、そっと整える。


「やめてよっ! ボクは、キミのことなんか知らないっ!」


 一瞬、(ほう)けたようにイシュカは動きを止めた。ラースの手を跳ね除けて、ふらつきながら後退する。


「僕は、ね。魔晶石のこととか知らなかった。もし知っていたら、リグを助けることもできたかもしれないよ。それは間違いないんだ。でもね」


 ラースは追わなかった。否定しながらも、イシュカが視線を逸さなかったから。


「ううん。だからね、これからは。僕は強くなりたいし、いろんなこともわかるようになりたい。リグやルージュを、みんなを守れるように。そう思うことができるのも、あなたのおかげなんだよ。あなたが僕を癒してくれたおかげで、きっとそうなれると思うんだ」


 それは、生きる道を与えられた者の言葉だった。かつてイシュカが姉から与えられた時にした決意に似ていて、それがイシュカの心を揺り動かす。


——ちゃんと精霊術を使えるようになるから! もう、変な力は使わないで、これからは姉さんと同じように治癒できるようになるから!


——ボクはまだ……姉さんのようにはできないけど……。絶対に……ちゃんと精霊の力を使えるようになるから……。


 過去の自分が重なる。必死な姿が、想いが混ざり合う。ラースを見つめたまま、イシュカはいつの間にか涙を湧水のように溢れさせていた。


「ボク……。ボクがキミを……」


 場の不快感が消えていった。


 長い時間をかけて、イシュカは精霊術を使えるようになった。癒しの術を使えるようになった。そうしてアリストレアを、守護者たちを、傷ついた森を癒してきた。皆、感謝の言葉をくれた。活力を取り戻す樹々を眺めるのは気分が良かった。


 それでも、今。


 イシュカは初めて癒しの術を使えたのだと思えた。ラースの言葉を受け止めて、イシュカは知る。姉がしてきたように、誰かに癒しを施すことができたのだと。


「そうだよイッシュ。だから僕は大丈夫。あなたも僕の恩人で、大切なひとだよ」


 真っ直ぐな笑顔で迎えるラースに、今度は自ら近づいて行って、イシュカはその懐に顔を埋めた。


「キミも……ボクの……大切なひと……だ……」


 ほとんど聞き取れないほどの呟きを漏らし、イシュカは幼子のように号泣した。






 足を組んで座るラースの体は、ほのかな光を帯びていた。平穏を取り戻した広間の中央で、ようやくイシュカによる治癒が始まっていた。


「ねえ、イッシュ。これって」


「気持ちいい? ボクも気持ちいいよ、ラース」


 イシュカの術は地脈の力とラースの体の間に経路を創っていた。その路を通り、力が注がれていた。


「それはキミを癒す精霊の力だよ。キミが満たされたら、その光も消えるよ」


「いや、それもそうなんですけど」


 頬を撫でる毛皮がくすぐったい。ラースを背にして膝の上に座るイシュカを、彼は困惑しながら見下ろす。イシュカはラースの手を取って自らのお腹に導き、半ば強制するように触れさせていた。もちろん、ラースの方もその求めに応じていたのではあるが。


 もしかしたら、これは治癒に必要なこと、とも思ったのだが。うっとりと口元を緩ませる姿を見ると、ラースにはとても肯定できなかった。


「すまなかったな」


 頭上からそっとウォルフェウが声をかけた。見守るように彼は近くで体を休めていた。息子たちは、最初にラースたちがここへ足を踏み入れた時のように壁面へ離れていた。


「息子たちが迷惑をかけた。それにイシュカのことも」


「いえ、大丈夫です。悔しいけど、言われた通りなんです。それに、イッシュもなんだか落ち着いてくれて、よかったです」


「イシュカのことは……。いや、儂が口にすることではないな」


「……でもね、ラース」


 膝の上でくるりと向き直り、ついでにラースの手を頭の上の持っていった。その手が動かされるとイシュカは満足して言葉を続ける。


「アリストレア様に話しただろ。キミが倒したって言う魔獣。あれだってすごいことなんだよ。子供とはいえ、人ひとり吹き飛ばすくらいの力はあるし」


「そうなの……?」


 夜の洞穴でのことが思い出された。それほどの力は感じなかったと彼は記憶している。


「だよ。あいつら子供でも《震脚》使うしね。見たところキミは武器も持っていないみたいだし。すごいこと、だよぅ……」


 ラースの撫でる手に身を委ねながら、語尾が緩んだ。両耳をぺたんと倒して、目を細める。


「だが、(おご)るなよ」


 ラースの目の前に霧が雲を形造っていた。その上には石ころのような魔晶石。ライたちによって奪われた彼のものだ。


「ウォルフェウ、さん? ありがとうございます」


(くさ)す訳ではないがな。所詮幼獣。スタンプボアの成獣ともなれば、図体だけは儂よりも大きくなるぞ。かつての冒険者共は、奴ら一頭を狩るために十数人で取り囲んでいたものだ。もしお前がより強くなりたいなら——」


「どしてそういうこというのかなぁキミは。今はさあ、ラースを癒しているんだよぅ」


 気怠(けだる)そうにイシュカが遮る。対してウォルフェウは呆れ顔だ。


「癒されているのはお前の方に見えるがな」


「いいだろ……」


 どちらの意味か判り難い呟きが漏れた。今やラースは頭を撫でているだけでなく、赤子を寝かしつけるように、ぽんぽんと柔らかく背中を叩いている。そのリズムがイシュカを眠りに誘っていた。


「あなたなら、倒せますよね?」


「無論だ。もっとも、倒す理由などないがな。我らの相手は森を害する者だ。単に力のある者を排除する訳ではない」


「倒してくれていればよかったのにな……」


 ラースは思わず口にし、慌てて否定した。


「ご、ごめんなさい。あいつらは村にやって来て、僕の家を襲った奴らで、だから」


「おかしな話だ。奴らが森を出てわざわざ人を襲うなど、聞いたことはないな」


「そう……なんですか? だったら何で……?」


「それはわからぬな。だが、奴らが仇など、お前には過ぎた相手だったな」


 同情するようなウォルフェウの口調だった。力及ばずリグに助けられた時の悔しさが蘇る。本当は自分の力で倒したかった。それは今でも変わらぬ彼の思い。


「でも、やれると思った————途中までは、うまくいっているって思っていたんです。あいつらの、《震脚》って言うんですか? 地面を揺らす術だって跳んで避けることができたし、あいつらの牙だって折ってやって——」


「おい待て」


 熱を帯びるラースを巨狼は短く制した。彼のすぐ近くに鼻先が迫っていた。


「お前は奴らと戦ったのか? 牙を折っただと? 冒険者の剣でも難儀する牙を、お前が? どうやったというのだ?」


「どう、って。こう握って……」


 しばらくぶりにイシュカの体から手を離して、ラースはその時の動きを再現した。強引に振り払うだけの動作に、ウォルフェウはただ目を見開いて唸る。


「今更虚勢を張るような奴ではないが……。信じられんな」


「あ、いや……多分。あの辺りに落ちていると思いますけど。それに、それでも結局はもう一頭に邪魔されて。本当はそいつの方をやっつけたかったんです」


 ラースは目を逸らした。穏やかな息遣いとなったイシュカに視線を落とす。


「そいつは父さんたちを殺した奴で。忘れもしない、額に大きな傷痕のある奴で。でも僕じゃあ倒せなくって……」


「額の傷痕……? そいつは、もしや。《震脚》の王、か? であれば。悪いがお前では足元にも及ばんな」


「うん……。そいつにはボロボロにやられました……。何度も何度も踏みつけられて。リグがやっつけてくれなかったら、僕は、きっと」


「あぁ!?」

「イイ加減にしろヨ、貴様」


 再び、ウォルフェウはラースの言葉を制していた。そしてもう一頭。壁際で耳をそば立てていたヒョウが迫ってきていた。


「貴様ごとキが《震脚》の王と戦っタだと!?」

「踏みつけられた、だと!? なぜ無事でいられるのだ貴様は!」


 突然の叱責めいた言葉を浴びせられ、ラースは見下ろす二頭の狼を順に見交わす。


「いや……だから。ボロボロにやられて……」


「呆けているのか貴様は! そんな程度で済むはずがあるか。数百年の大樹をも揺るがす、王の《震脚》だぞ。生きていることすらありえん」


 ラースは思い出す。確かに、死んでいたかもしれない程の衝撃だった。それでもウォルフェウが言う程の威力だっただろうか。実際、今こうして生きているのだから。これ以上どう言っていいかわからずに、ラースは沈黙してしまった。


「親父、やハりこいつの妄言など聞くことはナいゼ」


 侮蔑の眼差しを向けて、ヒョウは離れていった。それには応えずに、ウォルフェウは思いに耽っていた。一息吐いて出てきた言葉は、抑制されたものだった。


「儂と会った時、すでに傷を負っていたな。あれが《震脚》の王から受けた傷だと?」


「そうです。王、とかは知らなかったですけど」


「ふむ。それでは今はどうだ? 体の具合は?」


 未だにラースの体は治癒の光に包まれていた。傷自体はすでに治っている。それ以上のものを施されているのであるが、ラースは詳細を知らない。


「大丈夫……だと思います。でも、これはいつまで続くんですか?」


 腕の中で動かなくなったイシュカと、光る自らの体を見て、ラースは答えた。


「よし、ならば」


 臣下に命じる王のように、ウォルフェウは断れぬ重さを持った言葉を投下した。


「今ここで、儂らと立ち会え」

【次回予告】

守護者筆頭ウォルフェウの指示により、ラースは訓練と称した模擬戦を狼たちと行う。

その中でラースは自らの力を意識し始める。

そして狼は墜ちかける。

*兎は陥落済み


次回、「僕の望みは」

よろしくお願いします。

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