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第22話【昔話】もっとずっと一緒にいたくて

その7


 パールは疲弊していた。精神的にも、肉体的にも。浄化の術は多くの精霊の力を使う。それが重い負荷をかけていた。

 先の場所の浄化を終えた後も、パールは動き続けていた。周囲を見回り、小さな『濁り』を見かけては浄化を行う。昼夜を問わず森を歩き、歪みを正す。終わりの見えない作業だった。


 それらの『濁り』の原因は分かっていた。イシュカだ。イシュカは今もこっそり術を使っている。その証拠が、点在するこれらの『濁り』だ。

 幾度も注意した。イシュカは頷いた。けれども、事態は改善しない。


 術を使える嬉しさは理解できる。少しくらいなら、自分が浄化すればいい。アリストレア様への役目が終わるまでの、あと少しの間だ。それを終えたら、ゆっくりと向き合えばいい。

 そんな想いが理解されていないことなど、パールは考えもしなかった。イシュカにも。守護者たちにも。


「おお、パールか。ご苦労だな」


 アリストレアの元へ向かう道すがら、彼女は白銀の狼たちに会った。人の背丈より大きな狼は、パール程の小さな仔狼を連れていた。仔狼たちはパールに気づくと興奮して尻尾を振る。


「こんにちは、ウォルフェウ。その子たちは?」


「ああ、息子たちだ。そろそろ見回りくらい、と思ってな。まだ言葉も話せない奴らだが、まず必要なのは強さだからな」


「そうね、いい子たちみたい。あなたに似て綺麗な毛並みで、元気そうで」


 三頭の仔狼たちを順に撫でる。力強い、充実した力が伝わって、それが少しだけパールの心のもやもやを晴らした。あと少し、私も頑張らないと。そう思わせられた。まずは、アリストレア様のために、と決意を新たにする。


「お前たち、あいつは違うぞ」


 パールと別れてから、ウォルフェウは息子たちを(たしな)めた。それを聞いて息子たちは緊張し、統制を取り戻す。その様子に満足し、ウォルフェウは行軍を再開する。


「お前たちの初陣には丁度良い。さあ、行くぞ。兎狩りだ——」






その8


 新たな『宿り木』を前にすると、パールは疲労も、心配も追い払って集中することができた。術の行使中は邪魔するものはいない。その日も、パールは夕暮れまで『宿り木』に精霊の力を満たす作業を続けていた。


 遠くの喧騒に気がついたのは、日が暮れてからのことだった。彼女を呼ぶ声がゆっくりと近づいてくる。


「パール! 貴様!」


 ウォルフェウの怒声が轟いた。白銀の毛皮を血に染めた狼と、足元に伏す仔狼たちの姿を見て、パールは瞬時に全てを悟る。


「ち……治癒を……」


 彼女の震えは止まらなかった。一瞬で駆け巡った不安と後悔。崩れるように座り込み、仔狼たちに手を添える。


 ウォルフェウが守ったのだろう。仔狼たちに大きな傷はなかった。しかし先のイシュカのように『濁り』に侵されていた。それは彼女にだけ判る決定的な証拠だった。その『濁り』の性質は、近日パールが浄化してきたものと同じであったから。つまりは、イシュカのもたらしたものであったから。


 一片の否定もできなかった。深く、荒い呼気が漏れた。視界が涙で歪んだ。浄化に、治癒に専念するしかなかった。仔狼たちを浄化し、ウォルフェウの眼光に晒されながらその傷を治療する。


 全てを終えたパールは、両手をついて無言で涙を流していた。


「そんな暇はないんじゃね〜の。なぁ、パールちゃん?」


「マーヤ……、あなた……」


「アリストレア様には言ってないぜ。俺は。で? お前は? やるべきことをちゃんと。や、れ、た、の、かぁ?」


 頭上から、逆さになるほどに頭を下げてパールを覗き込んだ。それから体全体を翻してマーヤはパールと正対した。


「俺だって嫌なんだぜ。こんなことは。パールちゃんのこと好きだしな。でもよぉ。パールちゃん、抑えられないだろ。アイツも聞かないだろ。なら、守護者としては、仕方ないよなぁ」


 ぬるり、と瞬膜が(またた)いた。口調は軽薄でも、言っていることは間違っていない。それがわかるがゆえに、パールは胸が締めつけられる。


「私……、私、行かないと……」


「おい、パール。お前の今の役目、分かっているな」


 ゆっくりと立ち上がり、森の奥へ向かおうとする彼女に、ウォルフェウが念を押す。


「朝までには……戻ります……」


 ぎこちなく振り返り、俯いたまま長い耳を垂らし、消え入りそうな声で呟いた。重りを繋がれたような足取りで、パールは闇の中に消えていった。


 間をおいて、鴉が同じ方角へ飛び立った。






その9


『濁り』の雲に抱かれるように、傷ついたイシュカは体を丸めて眠っていた。当然だ。守護者と戦ったのだ。無事であるはずがない。


 その多くの傷跡を認めるとパールは涙をこぼした。いや、その瞳はずっと濡れ続けていた。イシュカを起こさぬようにそっとその場を離れ、周囲の浄化を始める。邪精に満ちた『濁り』の中ではパールの精霊術は使えない。まずはその場を浄化し、精霊の力を正してからでなければ癒しは行えない。


 パールは朝から術を行使し続けていた。宿り木の為に。負傷した守護者の為に。それ以前にもイシュカの為に。精神が擦り切れそうだった。歩くことすら辛い作業だった。泥沼を進んでいるかのように大気の粘りを感じていた。広範囲の浄化は遅々として捗らず、全てを終えた頃にはとっくに夜半を過ぎていた。


「……もう少し……。あと、少しだけ……」


 倒れ込むように大樹へ体を預けて、パールは座り込む。このまま疲労に身を委ねてしまえばどんなに楽だろう。けれど、成すべきことはまだまだ。なんとか再び立ち上がろうと大樹の幹にすがる。


 そんな彼女のそばで、何かが地面に落ちる音を拾った。足元に転がったそれを手に取る。


「果実……? どうして……」


 見上げるが、そこには暗い枝葉が茂るだけ。結実するような木ではない。


 彼女の掌の中で、ぐにゃりと果実が歪んだ。かと思うとどろり、と溶け始め。腐臭を放ちながら汚汁が彼女の毛皮を濡らす。


「ひぃっ!」


 短く悲鳴を上げて、腕を振るった。果実は軽い音を立てて地面を転がった。それは腐敗も溶解もしていない。彼女が拾った時と変わらぬ姿だった。

 まるで、『濁り』の中でイシュカと会ったときに見た邪精。彼女にそれを思い起こさせた。


「落ち着いて……。イシュカを、治癒しないと……」


 震えながら自分に言い聞かせ、癒しを行う。


 パールは迷っていた。イシュカを守る方法。守護者たちに、彼を襲わせない方法。イシュカが、この異質な精霊の力を使わなければいい。使えないことを、守護者たちに分かってもらえばいい。


 そのための手段をパールは持っていた。イシュカの内の、イシュカの身体を司る精霊の働きを封じてしまえばいいのだ。精霊の力を認識できない者に精霊術は使えない。

 けれどもそれは、イシュカの将来を奪うこと。今後、精霊を見ることも感じることもできなくなるということ。そして体内の精霊の働きを制限するということは、その命をも制限することだった。


 邪精とはいえ、初めて精霊術を使ったときの笑顔が思い出された。自分を手伝いたいと話した言葉が思い出された。あの嬉びを奪うなどパールには決断できなかった。


 明け方までパールはぼんやりと(たたず)んでいた。それでも約束どおり、陽光差すまでには彼女は宿り木の元へと帰り着いていた。






その10


「ようやくこの時が来ましたね、パール」


「アリストレア様……」


 声をかけるアリストレアの姿は希薄で、まるで蜃気楼のように朧げだった。


「よく頑張ってくれました。こんなに身を削ってくれたのですね」


 アリストレアがパールの頭を撫でる。パールの美しい綿毛のような毛並みは乱れ、絡まり、土埃に汚れていた。


「ごめんなさい。私、こんなにみっともなくって。せっかくのアリストレア様の継承の儀なのに」


「そんなことないよ」


 背中に当てられた手の感触に、どきり、と背を伸ばしてパールは振り返る。そこにはあどけない少女の姿があり、暖かさに満ちた笑顔でパールを見ていた。


「あなたが私に力をくれたのね。ありがとう。よろしくね。私は——」


「アリストレア、よ。あなたは今から」


 先代となったアリストレアが、そう告げた。


「お〜。やったな。パールちゃん」

「どうやらやり遂げたようだな」


 周囲には守護者たちが集まっていた。マーヤやウォルフェウたち。他にもこの辺りでは見かけない守護者たちの姿があった。皆、新たな管理者の誕生に祝福の言を寄せ、パールにもまたねぎらいの言葉をかけた。


「私、役目を果たせたのね。よかった。本当によかったわ」


「ですが、少しは寂しいのですよ、私も」


 祝福の輪から少し外れて、慶びを噛み締めていたパールに先代が声をかけた。


「あ……。アリストレア様、私……」


「いいのです。前にも言ったように、代替わりは必要ですから」


「私も、寂しいです。アリストレア様は私にたくさん良くしてくれました。森のことも、精霊術のことも、たくさん教えてくれました。分かっていますけど、本当は、もう少し……。ううん、もっとずっと一緒にいたくて」


「嬉しいわ。でも私の時代は終わり。これからは貴方や、彼女の時代ですよ。大丈夫、貴方も立派になりました。ただ、少しだけ寂しいのはね」


 パールの体に触れようとして、それは叶わなかった。触れるほどの存在を維持できなくなっていた。


「貴方が立派になりすぎてね。もう私を頼ってくれないことよ。最後に、もうちょっとだけ、私を頼って欲しかったと思っているのです」


 白兎の瞳から一気に涙が溢れた。アリストレアの言葉はパールの心を優しく揺らして、その中の(おり)を涙に変えて押し流した。歪む視界の中で、アリストレアの姿は一層希薄になった。


「ごめんなさい! 私、私……!」


「私の方こそ申し訳ないことをしました。ねえ、パール。最後は笑顔でお別れしましょう。私も貴方もこの森の一部。いずれまた会えるのですから」


 涙を拭いもせず、パールはゆっくりと別れの笑顔を浮かべた。






その11


 わずかな暖かさを感じて、パールは目を覚ました。気怠くて、頭の中は霞掛かっているようにぼんやりとしていた。それでも、数回瞬きすると、自身を覗き込んでいる少女の姿に気がつく。


「アリス……トレア……様……」


「それ、私のこと? ねぇ、貴方が私に力をくれたのね。私の中のものと同じ力を貴方から感じるもの」


「え……?」


 重い体が、反射的に動いた。体を起こして少女を見ると、傍らの『宿り木』との間に精霊の力の繋がりを感じることができた。間違いなかった。誕生したのだ。


「え、でも? さっきのは……!?」


——夢。だったの? でも……いつから? どこからなの?


 パールは混乱していた。一体どこからが夢で、何が現実なのか。わからなくなっていた。


「ねえ、アリストレア様、ですよね。みんなは? マーヤやウォルフェウは? アリストレア様は?」


「……ごめんなさい。貴方の言っていること、よく分からないの。私は気がついたらここにいて、貴方の他には誰も見ていないわ」


「そんな……。それじゃあ、あれが、最後……」


 現実かも分からない笑顔が思い出され、彼女は探る。すでに先代の気配は感じない。それどころか、側で控えているはずの守護者たちの気配も。何も。


「本当に誰もいないの? ねえ! 誰にも会わなかったの!?」


 小さなアリストレアは首を横に振って、


「貴方、辛そうよ。まだ少し休んでいたら? 私、なんだか貴方を助けられるみたいよ」


 パールへと手を差し伸べた。そこには精霊の力が宿っていた。自分に似た力を感じて、パールは彼女を新たな森の管理者と認めた。


「もう、大丈夫です。少し、待っていてください」


 パールは風の力を(まと)って、宙を駆けた。

次回でこの昔話は完結になります。


【次回予告】

癒し手と守護者と管理者の物語。


守護者と戦うイシュカ。

役目を果たしたパールは、それを守護者に伝える。

しかし、戦いは止まらない。

パールにできることは。そしてイシュカの決意は。


次回、「楽しみに待っています」

よろしくお願いします。

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