第20話 仕方ないだろ!
【次回予告】
癒し手と守護者と管理者の物語。
イシュカは精霊術が使いたかった。
次回、「少しの間でいいから」
よろしくお願いします。
その洞窟は、リグルヴェルダスに会いに行く時のことをラースに思い起こさせた。山中に口を開いた岩肌の下り路。あの時に比べれば随分と狭い。彼が立って歩くと天井との間にはあまり余裕はなかった。岩肌はぼんやりと発光し、まるでリグの体のようであった。おかげで、暗視の力を持たない者であっても、不自由ないほどの通路となっていた。
「ボクの癒しはね、森の力を借りているんだ。樹々に宿る精霊の力。地中深くから湧き上がる地脈の力。ここはそんな力の強い場所だよ」
イシュカは嬉々として説明する。ぴょんぴょんと跳ねるように体を揺らしながら先導していた。
「よくわからないけど、凄そうですね。暖かくて、何か元気が出てきそうです」
「だよ。まあ、ここも先日までは弱っていたんだけどね。本当はもっと凄いんだ。癒しの術がなくても、ここにいるだけで傷も早く治っていたんだ。リグルヴェルダスが現れる前の話だけどね」
「リグルヴェルダスのせい、なんですか?」
「そうさ。迷惑な話だよ」
「迷惑、ですか……。でも、リグルヴェルダスはもう寿命が近いから、って言ってたから、きっと——」
ぴたり、とイシュカは動きを止めた。勢いよく振り返って不審そうにラースを見上げる。
「なんかさ、擁護しているように聞こえるんだけど」
「え?」
「キミさ。あいつに会ってるの? なんで無事なの? もしかして、キミってあいつの眷属? 今まで気にしていなかったけど、そもそもキミたちっておかしいよね? リグはともかく、こんな奥地に人間と魔族の子がいるなんてさ」
「ちょっ、ちょっと待ってください」
矢継ぎ早の詰問に、ラースは後退りした。迷惑、と言ったイシュカに思わず言葉を漏らしていた。リグルヴェルダスは確かにこの地の力を奪っている、と言っていた。しかしそれは生きるためで。恐ろしい邪龍とはいえ、非難されるのは違っている、とラースは思ってしまっていた。
「別に、怒っているわけじゃあないよ。キミが何者だろうと。さっきも言ったけど、ボクが気になっているのはキミの体のこと。それに関係があるならともかくね」
「僕は、リグルヴェルダスに会うためにこの森へ来たんです。リグルヴェルダスは僕の村に生贄を要求したんです。それで僕が」
「アイツ、そんな事をしていたんだ」
鼻先に皺を寄せる。落ち着かないかのように小さく足を踏み鳴らす様子は、ラースにはやはり怒っているようにしか見えなかった。
「でも、違ったんです。リグルヴェルダスはそんなことをしていないって。それどころか、僕なんか生贄にもならない、って言われてさ。それで僕は帰って来ることができたんです」
困ったように笑みを浮かべて彼は自嘲した。それを聞くとイシュカは背を向けて、再び洞窟の奥へと歩き始めた。前を見たまま不満を漏らす。
「まあ、いいや。それより。生贄って言ったよね。キミは生贄に志願したの? そういえば、あのウォルフェウたちにも立ち向かったんだよね。リグを助けるために。そういうの、やめたほうがいいよ」
「どういうことですか? 僕は、リグも村のみんなも——」
「他人を助けるのはいいことだけどさ。そんなのは自分を犠牲にしてまですることじゃあないよ。誰かを助けたいならさ、自分が傷つかない範囲で助けるべきだよ」
足取りが重くなっていた。イシュカからは最初に先導していたときのような軽快さは影を潜めていた。ラースはそのことに気がつき、言いたいことはあったが、それ以上言葉を返さなかった。
ゆっくりとした歩みになってしまったが、程なく二人は目的地に着いた。そこはリグルヴェルダスがいたような広い空間。温かさと、目に見えない活力に満ちていた。
中央には台座のように岩が盛り上がり、その上には赤黒い宝石のような玉が置かれていた。それはよく見ると球形ではなく、表面を無数にカットされたような多面体だ。
ひと目ではわからないが、岩の台座に接している部分は平らではない。岩の上に鎮座しているのではない。その鉱物は岩の台座を貫いていた。すなわち地中深くから、霜柱のように隆起した先端が、岩に乗っているように見えているのだった。
「着いたよ。ここでキミの治癒を続けるよ——って、ラース?」
その口調は最初の頃のように朗らかなものに戻っていた。この地の力が、癒し手のモヤモヤとした思いを晴らしたかのようだった。しかし振り返ったイシュカは、ラースが足を止めてわずかに体を震わせていることに気がつき、頭を傾ける。
「え……だって、あの……」
ラースの視線の先、広間の奥に体を横たえている者たちがいた。
「ああ。そっか。あのガキたち、来てたんだ」
「ガキ、とハ、随分ナ言い方ダナ」
「イシュカか。相変わラず、美味そうナ身体じゃねえカ」
非難と、軽口と。のそり、と体を起こすと、二頭の狼は一跳びでイシュカの前に立った。狼たちとイシュカの頭の位置はさほど変わらない。であるのに、わざわざ上下に頭を動かして、舐めつけるようにイシュカの体を捉える。
側から見れば狼と兎。捕食者としての動きを目にして、ラースは震える足で前へ出た。しかしイシュカはまるで相手にしていないようだった。
「邪魔なんだけど。これから治癒をするんだからさ。それと、さっきみたいに隅っこで寝ててよ。ラースが怖がるだろ」
小さな手で鼻先を掴んで、押しのけた。抗議の声を上げる狼たちを無視して、ラースの手をとる。
「さ、来て。大丈夫。コイツらはもうキミに手を出せないからさ。そうだよね、ウォルフェウ」
イシュカは天井を見上げた。そこには霧が漂っていた。霧はイシュカの声に応じて降下し、白銀の巨狼の姿をとる。水を弾き飛ばすときのように全身を震わせて、ウォルフェウはふぅ、と息をついた。
「アリスが認めた以上はな。手を出すなよ、ライ、ヒョウ。……だが、次はないぞ。再び森に仇なす時には容赦しない。それが儂の役目だからな」
「役目……」
ラースは、自分を傷つけた相手の言葉を小さく繰り返す。
「そういうわけだから。邪魔しないでね。ラースはほら、そこの輝石の側に座って」
「おィ、そいつヲ癒すノかヨ」
父でもある頭目に言われては、手を出すわけにはいかない。しかし納得はしていなかった。
ライ、ヒョウ、そしてひとり壁面で伏せるシグレは、三人掛りでリグに返り討ちにあった。しかし、ラースに対しては圧倒していたのだ。役目は確かにある。だからといって無力な相手の為に譲るようなことは許容し難かった。嘲の一つもぶつけたくなっていた。
「そんナ弱っちい奴を癒シテ何になル! 森に出れバ、すグに魔獣に殺られルだけダゾ!」
「おィ、イシュカ! ここの力を無駄に使うなヨ!」
「この宝石はね、遙か地下深くまで繋がっているんだ。そこには大きな力が巡っていてね。それを今からキミに注いであげる」
ラースはイシュカに指示されたとおり腰を下ろして目を瞑った。確かに、側にいるだけでその宝石からは何がしかの暖かな力を感じることができた。ラースは知らないことだが、それは地脈の力であり、それを源とした精霊の力だ。
そうして準備を整え、治療が始まろうとしていた。しかし、それを待たずにラースは立ち上がる。我慢ができなかった。今も燻るように不平を口にする狼たちが。イシュカは一切を無視していたが、彼にそれは無理だったのだ。
怯える心を抑えつけて、彼は狼たちへ近づく。
「……あ〜あ。やっぱり、アリストレア様のいう通りなのかなぁ」
対象が行ってしまい、イシュカは振り向きもせずにため息をついた。その足元では、たん、たん、と小さな音が響いている。
「オ、なんダ。言いたいこトあれば言ってミナ」
やっと乗ってきた、とばかりにライが舌舐めずりする。威嚇するような眼光に、ラースは唾を飲み込んでから口を開いた。
「い、イッシュに悪いじゃないか。せっかく、僕を、治療してくれるっていうのに。そんな言い方——」
「ならバ、お前が出ていけバいいだろウ。襲わずとも、お前を保護すル義理などなイ」
「ソウダ。甘えルなヨ」
「それに僕は……、僕はあなたたちにみたいに強くはないけど。だけど僕だって! あの魔獣くらい倒せるんだからっ!」
勢いで言い切って、ポケットに手を突っ込む。存在を忘れていた魔晶石を掌に乗せて、狼たちの鼻先に突き出した。
ライとヒョウはそれをまじまじと見つめ、匂いを確かめ。そして笑い声を上げる。
「クハハッ! これガ? これガ魔晶石なのカ? こンな石ころガ?」
「全くダ。ククッ。これガそうなラ。余程、ククッ、弱っちょろいネズミなのか? お前ガ倒したのハ?」
「イヤ、コイツが、ネズミなど捕まえられルカ? こンなトロそうな奴ガ?」
「違いないナ」
「違うよっ! 僕は、ちゃんと! あの猪の魔獣を倒したんだ!」
掌の上で、くすんだ魔晶石が揺れた。確かに、ラースがアリストレアの小屋で見た魔晶石は、その名の通り宝石のように透き通り、美しく、手にしただけで何か妖しさを感じさせるものだった。それに比べれば見劣りするもの。彼にも分かっている。
(けれども、これだって、大切な——)
純度の低いその魔晶石を、ライは前脚で弾いた。足元に転がってきたそれを、ヒョウが踏みつける。
「何するんだっ! 返してよ! それは、リグから貰った大切なものなんだからっ!」
「ナンダ、もウ尻尾を出したカ。あのドラゴンだロ。コイツの持ち主ヲ倒したのハ」
「え、ち、違う。確かに、最後は。リグだけど……。でも、本当に、僕が!」
しどろもどろになりながら、それでもラースは否定した。自分の初めての獲物だ。記念だ、と言ってリグは渡してくれた。そんな大切なものを、理不尽に奪われるわけにはいかなかった。
「親父殿ハ、お前のことヲ少しダけ良く思ってイたみたいダガ。情けなイ奴ダ」
膝をついて手を伸ばしてきたラースが触れようとする前に、ヒョウもまた足下の魔晶石を強く払った。それは再び転がって、いつの間にか近づいてきていたもう一頭の狼、シグレの前脚に当たって止まる。
「これも一応魔晶石よ。少ないけれど魔素は含んでいる」
爪先で転がしながら、シグレは魔素を感じていた。リグによって最も深い傷を受けていた彼女だが、その腹部にはすでに傷痕すら見当たらなかった。
「ならば、答えなさい。なぜこれを使わなかった? 微量とはいえ、この魔素であの幼龍は目を覚ますことくらいはできていたはず」
「使う……って。そんなの……」
ラースは絶句していた。思いもよらなかった。今であれば、アリストレアから魔晶石を貰って喜ぶリグを思い出し、理解もできる。しかし、あの時には、分かるはずもなかった。
知っていたら、せめて話すくらいに回復できていたら、リグが望むことをしてあげられたかもしれない。そうしたら、少なくともウォルフェウたちに襲われることもなかったかもしれない——
そう後悔に青ざめ、よろめくように立ち上がるラースを見て、シグレは理解した。
「無知は罪ね。結局、お前は何の役にも立たなかったということ」
ぴくり、と長い耳が反応した。シグレの指摘はラースを打ちのめしていた。しかし、ラースよりもずっと重くその言葉を受け取ったのは、背を向けていたイシュカだ。だん、と地面を蹴って叫んでいた。
「仕方ないだろ! 知らなかったんだ! 知らなかったんだよっ!!!」
その勢いは、衝撃を受けていたラースにそれ以上の驚きを与え、体を引かせた。今までラースが聞いたことのないイシュカの怒声だった。それを継いだ言葉は、感情とは対照的に抑揚のないものとなっていた。
「大丈夫だよ、ラース。キミは知らなかったんだろ。仕方ないよ」
ラースの足を掴む手には力が込められていた。震え、俯いていた。見下ろすラースからは、その表情の変化はわからない。
「知らない中で、キミはさ。精一杯、頑張ったんだろ。アイツらにも立ち向かってさ。だったらさ。それを他人にどう言われようが、関係ないから」
声にも震えが混じる。無力感に襲われていたラースは、自分よりも強い感情に囚われていたイシュカに異変を感じる。
「イッシュ……? どうしたの?」
「それよりさ。キミたちこそ、知らないの? ボクのこと忘れたの? それとも、幼すぎて覚えていないの? だったら——」
足元に視線を落としたまま、イシュカは淡々と吐き出す。見つめるラースはイシュカの周囲が、姿が突如歪んでしまったかのような錯覚に襲われた。洞窟内の大気が急に重みを含んだように感じて、息を飲む。
「——思い出させて、あげるよ」
顔をあげたイシュカを見て、ラースは身震いした。敵意を向けられたライたちも同様だった。それはつい先日、味わわされたものと同じ類の恐怖。
加えて、自分の体が液体にでもなったかのような、強烈な不安定感。この空間の全てが変形し、彼らの体を巻き込んで混ざり合い、一つになって、そのまま存在ごと希釈されてしまう————そう思わせるような異質な感覚に、彼らは襲われていた。
上も下もわからないような浮遊感に、眩暈と吐き気を催しながら、ラースはウォルフェウの絞り出すような呟きを聞いた。
————《邪精》イシュカブラウ。




