第19話 キミの体に興味があるんだけどな
久しぶりの柔らかなベッドの中で、ラースは微睡んでいた。
そこへ圧迫感が襲ってきた。深い眠りについていたときは感じなかった息苦しさが、覚醒と共に徐々にラースを締め付け始める。一緒に眠りについたルージュのことを思い、ラースは鷹揚に手を動かす。彼女が抱きついてきているのかなぁ、などと思いながら。
しかし、伝わってきたのは、日光のような温かな感触と、懐かしさを感じさせる柔らかな毛の手触りだ。それはどこか牧場の羊たちを思い起こさせる。彼らに施してきたように、ラースは半ば眠りながらに手を動かしていた。
「ん、なに? 起きた?」
自らの胸の上で、囁きが聞こえた。
「え……、あ、あれ……イッシュ!? どうして?」
ラースは、まるで森に迷い込んだように錯覚した。自らに跨る小さな兎の幻想的な姿が、未だに夢の中にいるように感じさせたのだ。
「治療中、だったんだけどね。いつから起きてたのかな? 随分と慣れた手つきだったけど?」
「あ、いや、あの。夢を見ていて。牧場の子たちを世話してて……」
嘘ではない。が、慌てた釈明は不信感を与えそうに思えて、失礼にも小さな兎の体を撫で回していたことに彼は恥じた。
「ま、いいけど。いい感じ? だったし。随分長く眠っていたから、少し心配していたんだよ」
イシュカはベットを飛び降り、移動棚の上の水差しと杯を手に取る。短い指で器用に水を注ぐと、半身を起こしたラースに差し出した。
「僕、そんなに?」
「うん。あのあとすぐに寝てたよ。そのまま夕食も食べずに。で、今はもうお昼」
「リグとルージュはどうしているんですか?」
喉は乾いていたが、空腹感はなかった。ラースは一気に水を飲み干して、自ら追加の水を注いだ。
「二人とも温泉に行ってる。そのうち戻ってくるよ。それより、体はどう? どこかに痛みが残ってない?」
「はい。大丈夫です。すごいですよね。傷も残っていないなんて。ありがとうございます」
「本当に?」
無邪気に微笑むラースに、イシュカは訝る。再びベットにぴょんと飛び乗って、ひくつく鼻先をラースの顔に突きつけた。
「僕は、キミの体に興味があるんだけどな、ラース」
「え?」
飲みかけた杯を不安定なベットの上に置いて、ラースは身を乗り出してくるイシュカに対して体を引いた。言葉の意味がよくわからなかった。
「キミってさ、ほんとに人間? ヴァンパイアとか、そういうアンデットだったりしない? そういう血が混じっていたりとか?」
「な、なんでそんな? そんなわけ——」
「ウォルフェウたちにやられたキミを初めて見たとき、はっきり言って手遅れだと思った。血も相当失われていたし。特に、喉の傷は致命傷だった。アリストレア様の手前、手は尽くすつもりでいたけど、回復が間に合うなんて思わなかったよ」
言われてラースは思い出す。意識を失う直前の迫る狼の爪と牙に、身震いした。
「キミの体に触れてみて驚いた。体の中もボロボロだった。けどね。うまく言えないけど。キミの体は耐えていたんだよ。キミの中の何かが、氾濫した川の水を押しとどめる強大な堰のように抵抗して。だから、間に合った」
まるで自分の術のおかげではない、といったふうに。それがイシュカの言葉にわずかな不満を紛れ込ませていた。イシュカはさらにラースに迫って、柔らかな毛先を感じられるほどに接近していた。
「それって、あなたが凄かったからなんじゃあないですか? 僕はなにも」
「わからないの? 前にもなかった? 大怪我したりとか、大きな病にかかってさ、それでも助かったとか」
心当たりなどラースには一つしかなかった。けれども、言葉に出せなかった。
答えのないラースの顔を軽く押して、イシュカは離れる。
「これは、ボクの癒し手としての誇りに関わることなんだけどな」
「ええと、あなたが僕を助けてくれた、ってことには違いないですよ。あなたがいなかったら、あのままだったら、僕は助からなかったんでしょう。あなたは僕の恩人です」
イシュカは納得できないように息をついて、傍らの杯を手にとった。
「ボクは壊れた杯を治しただけさ。その中に水を満たすところまではね」
小さな両手で杯を包んで、イシュカは残っていた水を飲み干す。
「キミはまだ回復していないよ。ついて来て。キミをちゃんと回復させてあげる」
治療をするからとイシュカに言われて、ルージュは仕方なく温泉へ来ていた。仕方なく、ではあったが、いざ温泉に浸かると昨日のことが鮮明に思い出されていた。
「ラースが、キスしてくれた……」
うっとりと頬に手を当てる。温泉の熱と甘美な思い出が、表情を蕩けさせる。あのとき咄嗟に離れてしまったことが勿体無く思えた。今まで何度もラースの唇を奪っていたが、そんなものとは比べ物にならない。ほんの短い間にラースからもたらされた感情と暖かさは、ルージュの体を駆け巡り、この温泉さえも冷水に感じさせるほどだった。ルージュの心を支配していた。
「これがママの言っていたことなのね。好きになって、好きになって。それで私のことを好きにさせるの。って。本当に、すごい——」
ちゃぽん、と頭まで水中に潜る。ルージュは強く思った。もっと、もっと。好きになってもらいたい。もっと、もっと好きでいたい。そのために、もっと、もっとラースの役に立ちたい。ラースの望むことをやってあげるんだ——。
そんな決意のルージュから少し離れた所で、自発的にここへ来ていたリグが唸っていた。ああ、とか、うぅ、とか。断続的に温かな吐息と共に声が漏れでている。
水面にはリグの頭だけがのぞいていた。垂直に天を仰いで、喉の辺りよりも上の部分だけを大気に晒していた。
水深はリグの体高よりは深く、普通に立っていては沈んでしまう。そこでリグが考えたのは、尻尾の先端を水底に突き立てて固定し、最小限だけを残して湯の中に留まる体勢だった。水中で翼を広げ、時々仰ぐように湯を対流させ、余すことなく熱を堪能する。昨日の水面に浮かぶ姿勢を垂直にしたようなものだった。
その状態にいたく満足したのか、リグはもう長いことその姿のままでいた。
「気に入っていただけて、何よりです。リグ様」
アリストレアが温泉の外に控えていた。遅れて現れた彼女は、そんな気の抜けたリグの姿を飽きることなく見続けている。
「あぁ、いいぞ……。ここは……。魔素も、濃い……。いいところだ……」
寝言のように目を閉じたまま、呟く。
「よろしければ、いつまでもここに居ていただいて構いませんよ。いえ、むしろ。ねえ、リグ様」
満足げにリグを見つめながらアリストレアは身をのりだした。
「ここに住みませんか? この森を貴方の拠り所としてくださいませ」
「……ん〜〜、それも、いい……かも、な……」
「そうですよ。そうしましょう」
ぽん、と小さく手を叩くと、彼女は我が意得たり、と立ち上がる。
「リグ? ここに残るの?」
二人のやりとりが聞こえたルージュは、首を傾げ、不思議そうにリグに近づいていった。
「ほんとに? だったら、ここでお別れ? 私たちとも?」
「ん……あぁっ!?」
激しく水を跳ね飛ばし、慌てた様子でリグが体を捻った。私たち、というのはつまり。
「あら、あなた方も一緒でいいのですよ。リグ様さえよろしければ」
「でも、ラースは家に帰ろうとしているのよ。私はもちろんラースと一緒に行くけど」
それまでの安穏とした気分が吹き飛んだ。リグは大きく目を見開いて二人の女性を交互に見る。そして、湯の中で尻尾を抱えて固まってしまった。
【次回予告】
癒しを施す洞窟で、ラースとイシュカは守護者達と鉢合わせする。
守護者の告げた事実にラースは激しく動揺する。
しかし、イシュカは彼以上に感情を露わにし——
次回、「仕方ないだろ!」
よろしくお願いします。




