表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/96

第17話 我慢できないよ

『おっ、おおおっっ!』


 珍しく興奮した声を上げると、リグは体を回転させながら飛び込んだ。激しい水音を立てて潜水し、たっぷりとその熱を堪能してから、あああ、と声を漏らしながら浮上する。


「本当にあったかいんだ」

「ほんと、気持ちいいね」


 泉の水を(すく)いながら二人は顔を見合わせた。


「ここは、もう随分と山中へと分け入っているからさ」


 答えたのは大きな兎だ。直立した兎人という外見だったイシュカは、兎そのものの姿、それも彼らを乗せることができるほどの大きな兎へと姿を変えていた。元よりそのつもりだったが、結局ラース達を歩かせることはなく、背に乗せてここまでやって来ていたのだった。


「この温泉は昔、ある方が湯治のために住居とともに造ったものです。つい先日までは熱も失われていたのですが」


「元々、この辺りは精霊の力も強い場所だからね。ボク達の拠点にしているのさ。だからゆっくり浸かってなよ」


 再び小さな兎人の姿に戻って、イシュカは近くに建てられた小屋へと歩いていった。その後ろにアリストレアが続く。


「ここは安全ですから。どうぞ体を休めていてください。私たちは準備をしていますので」


 二人の姿が小屋の中に消えるのを見送ってから、ラースはゆっくりと体を沈めた。熱めの湯が最初だけ体を硬らせ、すぐに柔らかく解していく。熱は身体中にじんわりと浸透して、直接代謝のためのエネルギーとなっていった。気持ちもまた緩み、目を瞑って温浴に身を委ねていると、すぐに眠ってしまいそうになる。


「ねえねえ、すごいね! 気持ちいいね、ラース!」


 隣に飛び込んだルージュは対照的に活発になっていた。ぱしゃぱしゃと湯を跳ね散らかし頭から被る。濡れて張り付く桃色の髪の中で、人には無い双角が目立っていた。


「見て! ほら、リグが! おもしろいよっ!」


「え。なに……うわぁ!?」


 促されて近寄ったラースは、思わず目を疑ってしまった。リグは水面に浮かんで温泉を堪能していたのだが、その姿は、まるで緊張感のかけらも見えなかった。


 腹這いに浮かび、長い尻尾と首を緩く伸ばし。閉じられた口元から舌を垂らして湯に浸し。大きな翼までも広げて。できる限り湯面との接触を増やそうとした結果の姿は。まるで湖面に揺蕩(たゆた)う十字型の落ち葉の様だった。


「なにそれ〜。だらしないの」


 あははと笑いながら、ルージュはリグの体にお湯を被せた。それでも目を瞑ったままのリグは、ただ暖かさに身を委ねていた。


 こんなリグの姿を見るのは、最初に会った時以来だ。思い出しながらラースは温まった手でリグの背中を撫でる。あの時は眠るリグに、何気なく自分の『施術』を行った。初めての体験だったとリグは言っていた。

 それがきっかけだったのだろう、とラースは思う。実際、なぜ最初の時にリグが一緒に来てくれたのかは聞いてもいないし、わからないままだった。


「仕方ないよ。リグはすごく頑張ってくれたんだから」


 硬い鱗の下で、温まった体が弛緩している。それを掌で感じながら、首筋や尻尾を撫でていく。穏やかな息遣いに、喉を鳴らす軽い音が混じる。


「私も頑張ったんだよ。ラースに貰った鞭でね。あの狼を追っ払ったんだ! そしたらリグも目を覚ましたの!」


 自らの功績を誇り、興奮しながらラースに迫る。


「そうだったね。ルージュも僕を助けてくれたんだよね。ありがとう、ルージュ」


 小さな頭を引き寄せて、ふっくらした頬にラースは短く唇を添えた。


「……え!? やっ、ぃやあっ!?」


「えっ?」


 その反応はラースにとって意外だった。ルージュが喜びそうなことだと自然に出た行為だったのだが。ルージュは慌てて距離をとって、背を向けてしまった。


「あ、ご、ごめんね。嫌だったよね」


 水面が小さく波立っていた。彼を拒絶しているかのようにルージュを中心に波紋が広がってゆく。それでも近づこうとするラースの目の前で、不意にルージュが立ち上がった。

 温泉の中で中腰になっていたラースを潤んだ瞳で見下ろす。


「……もう、だめ……」


 その姿にほんの少し、ラースには大人の時の彼女が思い出された。次の瞬間にはルージュは押し倒すかの様に首元に飛びついていた。ラースはそのままバランスを崩して、水中へと沈む。咄嗟に(つぐ)んだ口に、ルージュの唇が重ねられる。


 水の中で目を開いたラースは、わずかな間、見とれていた。桃色の髪が溶け合う様に広がり、水面からの光を受けて輝いていた。同じ色の頬を一層上気させて、しがみつくルージュと至近で視線が合う。何かを訴えかける瞳が、ラースを捕えて離さない。


 もっと、ちょうだい。


 そんな心の声がラースの脳裏をよぎった。かつて味わった甘美な記憶が蘇った。ルージュもまたリグルヴェルダスの術を受けている。その奪われた記憶はラースの中に消えている。リグルヴェルダスの記憶に比べればほんのひとかけらに過ぎないものだ。思い出すことも叶わない。

 だから、これは、彼自身の記憶。


 もっと、このままで。


 ラースは、そう思えた。けれども。


「ぷはっ!!」


 ルージュを抱えたまま、ラースは水面へと頭を出した。そっと顔を遠ざける。


「る、ルージュ!?」


 小さな口からは荒い息が漏れ続けている。決して苦しさからだけではない熱い吐息は、少しずつ、時間をかけて落ち着きを取り戻した。


「あんなこと、されたら、私……。ラース……私、我慢できないよぉ……」


 嬉しさと、後悔とが入り混じって、ルージュは顔を背けた。

 水中で握りしめられた小さな手をとって、燻る熱を冷ますように、ラースはその体を引きあげた。

前話から次話までで一つの話になります。

短いので、朝一投稿です。


【次回予告】

お風呂の後は食事。

その席で管理者は語る。

次回、「激しいのが好きなの」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ