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第15話 新たな王

 白い水蒸気がリグの視界を遮っていた。その向こうに同じ色をした狼たちの姿が影となって映し出されていた。


『逃すか』


 ウォルフェウを一瞥すると、リグは白壁へと飛び込む。それを越えたところに倒すべき相手がいる。


 いるはずだった。


 姿が見えなかった。いや、それ以前に、この壁を抜けることができなかった。薄膜に思えた霧だったが、リグが頭を突っ込んだその先には、同じような白い景色が広がっているだけ。狼たちも存在していなかった。


 今や、リグは霧の只中に浮かんでいた。振り返るとぼんやりとウォルフェウの姿が見えた。龍の眼を持ってしても見通せない、どこまで広がっているかわからない濃霧。その先で揺らめく輪郭が崩れていった。


「貴様はすでに逃げられぬ。この霧の中で確実に仕留めよう」


 その声を最後に、ウォルフェウの姿は完全に霧に同化していた。


 姿があったはずの位置へリグは攻撃を仕掛ける。全てを焼き払うべく深く息を吸い——違和感に襲われる。


「それは止めた方がいい。この地上で溺れたくないのならな」


 異物を吸い込む感覚。たかが霧。ではなかった。極微量の水分だったが、それは体内奥深くに侵入し、確実に呼吸を、炎の吐息を阻害していた。

 リグは驚きながらもすぐに対処する。自らの熱を集め、異物を蒸発、吸収する。障害にはならなかったが、普段通りに炎の息吹を使用することは難しいように思えた。


 何処かから、喉を詰まらせ咳き込む音が聞こえた。そちらには目もくれずにリグは羽ばたく。まずはこの霧を抜ける。その判断がリグを上空へ向かわせた。昇るにつれ、すぐに霧は希薄になる。


 もう少し。そう感じたリグの眼前で、霧が凝縮した。先にリグに襲いかかった配下のものとは違う、淀みなく滑らかな魔素の流れ。霧は獣の前脚の姿をとり、リグを打ち据える。羽虫を追い払うように龍を叩き落とした。


『ぐっ……』


 翼を打ち、体勢を整え、かろうじて地面へと強打されることは免れた。が、霧の中、地表まで戻された。憎しげに両足の鉤爪で土を抉る。その背後で、再び霧が凝縮した。リグが反応するより早く、爪撃が背中を裂く。硬い鱗を傷つけるに十分な威力で。


 その攻撃はリグの死角から襲いかかる。頭上や背後、地面に伏しているはずの腹部からも。深追いはしない。一撃加え、間を置いて次の一撃を、という具合に。

 森の守護者に焦る必要はなかった。この霧に囚われている限り、リグはウォルフェウの体内にいるも同然なのだから。


 ウォルフェウは慎重だった。長引くほどに自らが有利になる。徐々に傷を負わせればいい。時間が経てば呼吸もままならなくなるだろう。

 それに、彼にはわずかな怖れもあったのだ。長く接触されたら、また魔素を奪われるかもしれない。それらの判断が、この(なぶ)るような攻撃に表れていた。


 目論見通り、リグは徐々に消耗していた。もとより彼の中の魔素は、ウォルフェウから吸収したものだけだ。万全には程遠い。それでもリグは動き続けていた。攻撃を避けることは叶わずとも、新たな傷は徐々に浅くなっていた。


 その理由をウォルフェウは勘違いしてた。攻撃を読まれ始めているのではないか。ちらつく不安。しかしいずれは消耗が上回る。そう思っていた。


 完全に攻撃を回避されるまでは。


「貴様、何を……」


 ウォルフェウは気づくことができなかった。リグが自らの少ない魔素を絞り出すように放出していることを。

 目で追うことすら間に合わないのであれば。体外に伸展させた魔素を感覚器官として、変化を捉える。配下の狼を制した時よりも広範囲に。それはいち早く魔素の流れを感じ、攻撃を察知する。


『わかったぞ……オマエの術』


 攻撃の合間にリグは飛び上がった。大小多数の傷跡から血を滴らせながら。再び上空を目指し霧の中を飛翔する。


「無駄だ。これが避けられるかっ!」


 リグの眼前にウォルフェウが姿を現した。前脚だけではなく、半身ほどを実体としてリグを迎え撃つ。分かりきった攻撃に、リグは避けなかった。代わりに小さく顎を動かす。


 炎のブレス————


 無理矢理にでも放つのだろう。ウォルフェウは即座に判断し、リグとの間に霧の壁を生成した。これで防げることは先に証明済だ。しかし壁は次の瞬間に文字通り霧散した。


 くらり、と眩暈に似た感覚に、白霧の狼は襲われた。そのわずかな間に、リグはウォルフェウの眼前をすり抜け、遂に霧の結界を突破していた。


 リグはすぐに身を翻した。逃げるためではない。攻撃のためにここまで来たのだ。眼下には広大な森が広がっている。その一部を霧が覆い尽くしていた。彼は思い切り大気を吸い込んだ。


 狼の半身は《霧化》により完全な霧と化した。実体化していては飛んでいるリグを追うことはできない。だが《霧化》すれば再び霧の中へ捕えることはできる。


 るうぅぅぅーーーー、ガアアァァァァーーーーーーーーッッ!!!


 咆哮が轟いた。それまでの鬱憤を晴らすような轟音。リグが放ったのは威嚇でも焔息でもない。空間に干渉し、魔力場を変質させ、魔素を操る龍語による波動。それが霧を、ウォルフェウを構成する魔素に直接衝撃を与えた。


「な……ん————ぐぅぅぅっっっ!!」


 全身を、内部から焼かれるような痛みが襲う。細胞一つ一つが食い荒らされていくような未知の恐怖に染められ、霧は地上へと降下してゆく。

 ここでの《霧化》はリグにとって予想通り、むしろ好都合だった。攻撃を避けるために魔素を展開したとき、同時に探っていた。この《霧化》の性質を。


「随分危険な術なんだな。あんなに剥き出しにして、結合を弱めるなんて」


「貴様、どうやって……」


 地上でウォルフェウは完全に巨狼の姿に戻っていた。外傷はなくとも、見下ろすリグには、狼の魔素の乱れにダメージの深さを()ることができた。


 今や立場は入れ替わっていた。リグとて自らの魔素を再び限界まで消費し、飛ぶことすら精一杯だったが。ウォルフェウという存在が受けた傷はそれを上回っていた。それでも彼の守護者としての誇りは引くことを許さなかった。


「オマエは許さない。俺のラースを傷つけたオマエは」


 冷厳な眼光が相手を刺す。怒気を孕んだ静かな口調が、先の咆哮のように精神を揺さぶる。


「侮るなよ、小僧。《霧化》が使えなくとも、貴様如き」


 極わずか。瞳の奥に畏怖を隠して、唸る。


「だが……なぜだ。なぜここまで抗う。貴様も、貴様を庇った奴らも」


 先にふと浮かんだ疑問が口をついて現れた。それに対してリグは当然のように答えを浴びせた。


「ラースは凄い奴だ。オレの知らないことを教えてくれる。オレに良くしてくれる。それにアイツの力は……。だから、ラースはオレの大事な——」


「ラースだって、リグのこと大切に思ってるよ!」


 二人の脇から、可愛らしい声が争いに割って入った。


「もちろん、私だって。ラースの大切なひとは、私も大切だもん!」


「お、お前……」


 その姿にウォルフェウは驚きを隠せなかった。近づくルージュにではない。その手を引いて共に歩む女性に、だ。


 すらりとした長身の女性だった。白い薄衣をふんわりと(まと)い、無地の細い帯で留めた腰回りだけが体型を表していた。それ以外に装飾品のない質素な装い。それだけに、腰まで達するエメラルドグリーンの長髪と、同色の瞳の色が際立つ。ともすれば(はかな)げで、ウォルフェウの霧のように、森林の中へ溶け込んでしまいそうな印象を見るものに与えていた。


「アリス……来たのか」


「ええ。当然、見過ごせないわ。あなたの行いは」


 アリス、と呼ばれた女性はリグの足元に立ち、胸に片手を当てて恭しく頭を下げた。鮮やかな緑が、肩口から流れる。


「どうか怒りをお鎮めください。新たな王、リグ様。」


「……なっ、王だと、アリス!?」


「なんだ、オマエは」


 争っていた二人は共に肯定的な反応を見せなかった。共に互いから意識を逸らさぬまま女性を凝視した。


「私はアリストレア。この森の管理者です。貴方の伴の者は癒しましょう。もちろん貴方も。すでに、あのように」


 頭を下げたまま、片手で指し示す。倒れるラースを。その側に森の癒し手がいた。


「ですから、どうか平静に——」

『「ラースっ!』」


 それを見るや否や、ルージュは手を離して駆け出していた。リグもまた、水鳥が湖面に着水するようにラースの元へ降り立った。


 癒し手と呼ばれる者が、仰向けにされたラースの傍らに屈み込んでいた。毛皮に覆われた小さな手から光を放ち、それが全身に降り注いでいた。


 小柄な癒し手は人ではなかった。立ち上がれはその目線はルージュとさほど変わらないだろう。しかしその頭上には褐色の兎の耳が立ち上がっていた。そして同じ色の柔らかな獣毛が全身を包んでいた。


「傷は治した、けどね」


 覗き込むリグに、黒曜石のような丸い大きな瞳が(またた)いた。自信と不安が入り混じっていた。


「深いよ、彼。とっても深い。吸い込まれそう」


 その言葉の意味はリグにはわからなかった。もとより彼は癒しの術は持たない。リグにわかるのは魔素の状態だけだ。


 癒し手の治療は続いている。そのさ中でリグはラースの胸に手を当てる。


——やはり、そうなんだな。


 ラースの魔素に触れながら、リグは思う。ラースの持つ魔素は自分のものに似ている。波長が合う、と言った方が正確か。これならば容易に同調できる。自らの残された魔素と同期させ、彼は自らに施すようにラースの中へ適切に廻らせる。


『————リグ?』


 ぴくっ、と小さく体が震えた。それがラースの目覚めだった。


『リグ……よかった。元気になったんだね……』


 身体を横たえたまま、ラースは弱々しく笑みを見せる。


『ああ。オマエのおかげだぞ。オマエと、ルー……、こいつのおかげだ』


 泣き笑いのルージュが首元に抱きついた。そのまま胸に頭をつけて泣きじゃくった。リグもまたラースの頬へ頭をすり寄せる。そんな二人を、ラースは傷の癒えた両腕で包み込む。


「ごめんね、ルージュ。ありがとう。リグも、いっぱい怪我して」


『オレは平気だぞ。こんなの、すぐに治る』


 ぐいぐいと。甘えるように頭を押し付ける龍の姿は、むせび泣く少女と何ら変わりないように見えた。


「ちょっと。まだ、回復終わってないんだけど? ……ま、いいけどさ」






 兎の癒し手が匙を投げている間に、森の管理者アリストレアはウォルフェウを(たしな)めていた。


「なぜこのようなことを。貴方の意気はわかりますが、これは貴方の信に(もと)るのではないですか?」


「儂の役目は排除することだ。今回の相手は、それが最優先だった。だが……」


 ふう、と大きく息をついた。自戒を込めて続ける。


「心乱れた。少し、思うところあってな。儂も精進しなくては」


「それなら、今は引きなさい。あの子の意識が逸れている間に。それで貴方も治癒を受けておくといいわ」


 手を伸ばして、アリストレアは鼻先に触れた。これ程消耗した彼を見るのはいつ以来だったか。傷ついた戦士に、心地よい香りを送る。ウォルフェウは頭を振って、不要とばかりにそれを邪険に払った。


「アリス。儂が負けると思うたか。あのまま続けていたら」


「いいえ。でも、貴方がこれ以上傷つくのは忍びないわ。それにあまり消耗しては」


 もう一度ウォルフェウの口元へと手を添えた。今度は両手で、しっかりと。そして声を落とす。


「他の者たちが見ていました。他の王たちの幾人かは。ですから」


「ん、おお、それだ。其方、奴を新たな王と言ったな。まことに認めるのか」


「ええ。半端な強さなら貴方に任せていたわ。でも、貴方も分かったでしょう」


 アリストレアな両手を押し下げた。逆らうことなく巨狼は頭を下げ、至近距離で二人は目を合わせる。


「それとも、嫌?」


 小首を傾げて、おねだりする少女のように上目遣いになる。そのわざとらしい行為に、狼は荒い鼻息を持って応えた。強すぎず、最低限の力で彼女を引き離す。


「アリス、其方が決めたのであれば、是非もない」


 背を向けると、そのままウォルフェウは森の中へ消えていった。

ここまでお読み頂きありがとうございます。

これにて第2章完結になります。

それでは第3章の予告を


【次回予告】

森の管理者と癒し手に助けられたラース達は、管理者の下に身をよせる。

さらなる回復の為、ラースは癒し手イシュカに導かれ洞窟へ向かうが、そこには彼らと戦ったばかりの守護者達がいて——

・後半は森の管理者、守護者、癒し手達の話になります

・温泉回? あります

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