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第12話 これは確認だが

 リグは静かに目を瞑った。怒気を払うように長く息を吐く。再び口を開いたとき、鋭い牙の間からは音が漏れていた。


 それは、短く、抑揚の小さな節の繰り返し。やや高く、単調で平穏な響き。音に意味はなかったが、それは子守唄にも似ていた。魔獣の与えた衝撃が荒天に逆巻く波だとすれば、これは凪の合間の微風に揺れる入江の海面。その波調が渦巻くラースの感情を調(ととの)えていった。


『ラース、教えてくれ』


 唄の調子そのままに、穏やかに語りかける。


『オレにやらせてくれ。さっきの術で、オレがアイツらを。いいだろ』


『さっき、の……?』


 ようやくラースは顔をあげた。大きく見えていたリグの姿は、しかし今は違う。


 その背後に魔獣の姿が見えた。古傷を持った仇の魔獣。そして同種の魔獣たちが集結していた。


 古傷の魔獣はラースたちをただ眺めていたわけではなかった。仲間たちを待っていた。リグが片牙の魔獣を炎に包んだ時から。

 この相手は、ここで倒さなければならない。そう感じていた。それは、この一帯を統べる者としての危機感。責務だった。


『あいつ、ら……』


「だめだよ、ラース。リグに任せようよ。ね」


「ありがとう。でも、僕は……僕にできることを、やるんだ」


 制止しようとするルージュにそっと触れて、ゆっくりと立ち上がった。気持ちは落ち着いたが、身体が回復したわけではない。痛みで意識が飛びそうになる。


「ごめんね、ルージュ。ちょっとだけ支えてて」


「うん……。うん! 私、放さないから!」


 上ずった声で、ギュッとラースの腰に腕を回す。流れ落ちる血が二人を繋いだ。


 術は覚えていた。深層から浮き上がった記憶は表層で再び溶解し、ラースの中で定着していた。今にも一斉に襲いかかってきそうな魔獣の群れを視界に収め、喉を震わせる。


(そうだ。最初の音、『初哮』は——)


 リグはラースの肩にそっと降りた。魔術の詠唱とは違う、龍語と呼ばれるものの、唸りによる詠唱。それが生み出す波動を、リグは一片たりとも漏らさずに捉え、時の流れから隔絶されたような集中力で解析し、導き出す。


 まるで輪唱だった。ラースの声にやや遅れてリグの詠唱が続く。そのわずかな時間差で、逐次修正を施し、正確な術を紡いでゆく。


 ラースの目の前の場が変質を始めた。続いてリグの前でも。二つは似て非なるもの。リグの目の前の領域は、より小さく、高密度に歪曲している。そこへ自らの魔素を干渉させる。


 魔素はあくまで触媒だ。魔素そのものを変換する通常の魔術とは異なる。その処方をリグは詠唱と現象から瞬時に導き出し、実践する。本来であれば師事し、訓練によって獲得する類のものだ。あるいは幾重もの試行錯誤によって最適解を見つけ出すもの。


 それらを経ることなく、幼きリグルヴェルダスはやってのける。


 ラースの詠唱が終わり、術が不発に終わる。一方でリグの術は臨界に達していた。歪曲した空間の織物は(つい)に破断し、極小の領域で空隙を生み出す。


 最初に流れ込んだのは魔素。空隙に向かって魔力場が極大の変化を表し、魔素の奔流が始まった。次いで光が吸い込まれるように尾を引いた。そして大気が。術の発動によって大気の流れは竜巻と呼ぶほどに成長し、魔獣の群れへと向かっていった。


 ラースとルージュは、暴風の刃による破壊を目にしていた。横倒しになったような竜巻が樹々をなぎ倒し、大地を削り、魔獣たちを飲み込んでいった。断末魔の叫びも暴風による轟音にかき消され、届くことはなかった。


 二人が驚愕に息を止めていた間に、魔獣たちは肉の一欠片も獣毛一本たりとも遺すことなく、完全に消滅していた。


 魔獣の群れを消滅させてなお、現象は収束しなかった。破断した空間は電撃痕のように伸び、それに付き従う暴風が、周囲を巻き込みながら森の奥深くまで侵食を続ける。視界の遥か彼方、どこまで続くか分からない荒廃した路が形造られていた。


「……すご……い……」


 破壊の渦が見えなくなったのち、あまりの威力に呻き声が漏れた。破壊の余波のような温風が二人の髪をなびかせる。しがみつくルージュの震えがラースに伝わっていた。


『やった……ぞ、ラース……』


 リグの頭がラースの頬に触れた。ひんやりとした感触に、はっと息をつく。


 そうだ。あいつらを倒したんだ、仇を討ったんだ——


 ラースは思い出したように呟く。あまりにも呆気なく消え去った、仇である魔獣の群れを見て、彼には現実感が伴わなかった。拍子抜けするほどだった。


『リグ、ありがとう。僕——』


『……うまく、いっ……』


 リグの長い首が折れ曲がった。萎れる一輪挿しの花のように。そのまま身動きすることなく、リグはラースの肩から滑り落ちる。


『……え……? リグ? リグっっ!』


 地面に伏したまま身動きひとつしないリグに、慌てて手を這わせた。冷たい。体温を感じない。呼吸に浅く膨らむ胸に、僅かに彼は安堵する。


「なんで! どうして急に、こんな!」


「お、落ち着いて、ラース。大丈夫。多分、大丈夫よ。だって、あんなにすごい魔術を使ったんだもの。疲れただけなの」


「疲れ……って、本当に!?」


「ママに、聞いたことあるの。魔術いっぱい使うと、疲れちゃうんだって。ひどいと気を失ったりするんだって。でも休めば治るから。きっとリグもそうなっちゃっただけなのよ」


「でも、でも、こんなに冷たくなって。これじゃあまるで……」


 看取った羊たちの感触の残滓が(にじ)み出す。ゆっくりと熱を失い。動くこともなくなり。掌の感じる生命は土色に変わって。それは二度と戻らない。


 悪寒に全身が震えた。確かめるようにリグに触れて驚くルージュが、不安でラースを見上げる。


「ねえ、休もう。ラースだってひどい怪我なのよ。リグと一緒に。ね」


「僕はいいんだ。リグに何かしてあげないと……」


 自らの熱を移すように、冷たくなったリグの体に手を這わせる。長い首に、とりわけ敏感な喉元に。無意識に反応するはずの、反射すら起こらない。


「……手、うまく動かない……感じない……僕が、リグのこと一番分かるのに……」


 分からない、とうわ言のように繰り返す。繰り返しながら手を止めることはない。

 その上に、小さな両手が重ねられた。


「私も、一緒にやるね」


 その口調は、幼い弟に語りかけるよう。彼女は懸命に造った笑顔を向けた。


 それからは無言で、二人は膝をついたままリグの世話を続けた。しかし、徐々にその手の動きは少なくなり、いつしかラースの意識は落ちていた。






 ほんの一瞬のことだとラースは思っていた。ルージュの声に気づき、リグの体に手を置いたまま顔をあげる。


 周囲の様子が変わっていた。


 白い霧が、うっすらと辺りを包んでいた。


「何かいるみたい……」


「うん……。あ、ご、ごめん。僕、寝ていた? リグは?」


「まだ、だけど。大丈夫よ。ラースも休んでていいからね」


 血の気の引いた顔を見て、彼女は涙が溢れそうになる。声が震える。実際ラースの動きは長い間、止まっていたのだ。


「大丈夫。何が来たって、私がこれで追い払うからね」


 立ち上がって、彼女は鞭の柄を握りしめる。ラースから手渡された特別なもの。痛まない程度に服の上から腰に巻きつけていたそれを、彼女は解き放った。


 立ち込めた霧の奥で影が揺らめいた。散漫となっていたラースの意識が、ルージュに遅れてその気配を捉える。


「誰! 誰かそこにいるの!」


 叫ぶラースに、低い忍び笑いが答える。


「ククッ、誰を追い払うっテ?」

「本当にこの餓鬼共かァ? 死にかけじゃねえカ」

「無駄話は不要よ!」

「ああ、悪りィ。我慢できなくってナ」


「何よ! 出てきなさいよ!」


 周囲からの嘲笑(ちょうしょう)に、ルージュは精一杯、声を張り上げた。ぐるりと白膜に頭を巡らす。ラースもまた目で追った。


「まァ、警戒する必要もなかったナ」


 霧の中、頭上から三つの影が飛び出した。音もなく地面に降り立ち、ラース達を囲む。


 それは狼だった。霧に紛れるような白銀の毛並みを持つ三頭の狼達が、それぞれを視線に捉えていた。


「そうだな。姿を見せぬ、というのも失礼な話だ」


 もう一つの声とともに霧が晴れていった。一点に向かって流れ、渦巻き。凝縮した霧が産んだかのように、そこには別の狼が(たたず)み、その場の者全てを見下ろしていた。


 それほどに巨大だった。先の魔獣ほどではないが、その頭は立ち上がったラースの目線よりも高く。その顎は頭を一噛みで砕けそうな程に大きく。その尾はルージュを隠してしまえる程に豊かで。絹のように輝く獣毛を(なび)かせ(たたず)む姿は威風堂々。知性を感じさせる白銀の瞳でラース達を射抜く。


「儂の名はウォルフェウ。この森の守護者、その筆頭だ」


「あ……、ぼ、僕はラース。その子が……」


「お前らの名などいいンだよ」


 ラースの背後の狼が荒く遮った。彼らを囲む狼たちの姿は一般的な狼と変わらない。しかし人語を操るこの魔獣の圧は、仇の魔獣たちにも劣らない。座したままのラースの首元に、触れんばかりに鼻先を近づけた。


「止せ、ライ。まだだ」


 リーダーの言葉に狼はただ鼻を鳴らし、そのままの距離で動きを止めた。


「さて、これは確認だが。貴様らがこの破壊の元凶だな?」

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