第六話 彼が初めて語るのは、赤い怪物
試合が一通り終わって休憩時間となり、城内にあった食堂の端の席に、二人は向かい合って腰掛けた。
「騎士就任。おめでとう、ミハエル。これで彼女にようやく一歩近づいたの」
「ありがとう」
虎丸に祝福され、ミハエルは素直に礼を言う。
「そなたもな、虎丸。騎士就任、おめでとう」
「うむ!」
騎士に選ばれたのは、虎丸もだった。
「よかった、よかった。これで二人揃って、晴れて黄昏の騎士だと名乗れるの」
「まったく、お前は、本当は武士だというのに……」
虎丸が共にいてくれるのは、ミハエルにとってやはり頼もしい。
二人が談笑していると、何と彼女がやって来た。
「まあ、こちらにいらしたのですね」
「ひ、姫様!?」
紅姫こと、メラニー姫だ。
突然の来訪に、ミハエルは慌てて、虎丸は笑いながら臣下の礼を取る。
王女は、お伴一人連れていなかった。
「そう固くならないで。あなたたちと少しお話したいと思って来たの」
彼女は親しげに話しかけると、近くから椅子を持ってきて、二人の間に座った。
「は、は、は、はなしとは?」
王女がせっかく来てくれたというのに、ミハエルは大いに戸惑ってしまう。
「あなたの燃えるような赤い髪、ご友人の黒髪と美しい刀剣。あなたたち、異国から参られたのでしょ。なぜこの王国に?」
「わ、吾輩は、真の騎士を目指して……この王国に流れ着きました」
「拙者は、この友の助太刀に」
「そうなの。何でもいいわ。あなたたちについて何かお話をしてくださらない?」
「そ、それは……」
自分に興味津々の王女を前にして、彼は、ものすごくドキドキした後で、
「……で、では、まずは吾輩から!」
「ええ。聞かせて、聞かせて」
見事、彼女の気を引くことに成功した。
この時のために助言した虎丸は、ニコニコ笑う。
「まずは、ちょっとした小話を一つ……。吾輩、実は子供の頃に会ったことがあるのです……赤い、怪物に」
「……赤い、怪物に?」
ミハエルは内心困惑しながら話すが、王女の笑みは消えない。
虎丸からこの案を聞いた時に、彼は「なぜこんな話を!?」とびっくりしたが、言われたとおりにやってみることにした。
「森の中で、まだ子供だった吾輩が剣の稽古をしている時でした。木の影からいきなり赤い怪物がうわっと出てきて、吾輩、思わずびっくり!」
「あら、それは、それは……」
「しかもとても恐ろしい姿をして近づいてくるものですから、もう怖いのなんの! 食べられてしまうのではないかと、吾輩、ぶるぶる震えてしまいました!」
「ふふ、わかります、わかります」
「ところが、それは吾輩のとんだ勘違い。その怪物、何をするかと思えば吾輩の後ろに向かって『ぐわあー!』とおどかしたのです。そしたらなんと後ろから吾輩を襲うとしていたイジメっ子たちが、泣いて逃げていくではありませんか!」
「あら、まあ……」
予想外の展開に、王女は驚く。
「そうです。その怪物、なんと吾輩をイジメっ子から助けてくれたのです! しかもよく見れば、そやつもぶるぶる震えている。怪物のくせにですよ!?」
「ははははは」
王女がおかしがり、彼は心の中で恥ずかしくてたまらない。
「何はともあれ、吾輩を助けてくれたことに変わりありませぬ。赤くて優しい怪物はそのまま何も言わず、立ち去って行きました……。おしまいでございます」
「いいお話ですね……」
「まあ、本当にあったと言われても信じられないでしょうが……」
「……いえ、信じます」
彼女は、懐かしむように言った。
「だって……私も会ったことがあるんですよ。赤い怪物に」
その一言に、ミハエルは目を見開く。
「……本当に?」
「ええ」
覚えていてくれた。
この話をしようと言ったのは、彼女に思い出させるためだったのだと今になって気づく。
「姫様、こちらにいらっしゃったのですか!?」
「ああ、もう!」
そこで、家臣に見つかってしまって、メラニー王女が残念がる。
どうやら抜け出して来たらしい。
「赤騎士、楽しいお話をしてくださってありがとう。もう行かないと」
彼女は、仕方なく立ち上がり、ミハエルたちと向かい合った。
「よろしければ、また楽しいお話を聞かせてくださいね。どうかこれからの戦いで、あなたたちに神のご加護がありますように……」
「はい!」
立ち去るメラニー王女に、ミハエルは心から頭を下げた。
「必ず……必ず、あなたに勝利を」
彼は、ずっと頭を下げ続ける。
それを見つめながら、虎丸はよかったなと微笑むのだった。
――それから、数日後。
「夕闇だー!」
「夕闇の大帝国軍が攻めて来たぞー!」
城塞都市の西側に建てられた監視塔の上から、見張りの兵たちが叫ぶ。
怪しげな黒雲が空を覆っている時に、西から大帝国の軍勢がやって来たのだ。
黄昏の王国を滅ぼしに。
「東より夕闇の黒兜兵団接近! 数、二千!」
「敵の編成は!?」
「黒兜の上等兵、一等兵、二等兵の混合隊です!」
「弓兵、迎撃準備!」
監視塔の下にある城壁の歩廊に、弓兵隊千人が駆けつける。
弓兵隊を率いるのは、若き忠実な騎士ヴィルヘルム。
御前試合の時の観覧席で、メラニー王女と一緒にいた大臣の息子である次男だ。
ヴィルヘルムと弓兵たちが、弓と矢を構えながら胸壁の裏に隠れた。
胸壁の隙間やのぞき穴から、西の向こう側を覗き見る。
「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーー!!!」」
西の草原からやって来たのは、黒兜と黒鎧の屈強な兵士たち。
夕闇の大帝国最強の歩兵部隊、夕闇の黒兜兵団。
黒兜兵たちが不気味に吠え立て、城壁の下に向かってどんどん近づいてくる。
弓兵たちは震え、焦りを見せた。
「構え!」
冷静なヴィルヘルムの号令に励まされ、弓兵たちが胸壁から身を出す。
城壁の上から、下に迫る黒兜兵に向かって、弓を構え、矢で狙って、
「放て!」
真下に来た瞬間、一斉に射った。
「ぎゃ!」「ぐおっ!」「げっ!?」「ぎい!」
壁の下にいる黒兜兵たちに、次々と矢が突き刺さり、バタバタと倒れる。
それにも関わらず、黒兜兵たちは絶え間なく押し寄せて来る。
矢をどれだけ射っても、怯むことなく城壁に近寄り、梯子をかけてきた。
「炸裂弾、投下ー!」
続けて、王国の歩兵たちの手で、小さな球体に火がつけられて投下される。
球体の中に詰まっているのは、精密に調合された魔石と火薬だ。
城壁の下で、爆発が立て続けに起こって、黒兜兵たちを四散させた。
「その調子だー! ただし……夕闇の堕天使の出現には備えておけよ!」
最大の脅威、夕闇の堕天使はまだその姿を見せない。
黄昏の王国軍の総大将である大臣は、城塞都市にある指令所の窓から、戦いの様子を逐一見下ろしていた。その姿は、まさに智将の貫禄だ。
「奇襲部隊を出陣させろ!」
北側の城門が開かれ、王国の騎馬隊が出る。
千人のもの騎士たちが馬に跨がり、黒兜兵たちには目もくれず、敵本陣のある西を目指して、草原を突き進む。
敵の本陣は、城を攻める側として、そこからすぐ近くの最前線にあった。
そこを奇襲し、敵の総大将をさっさと討って、決着をつけてやるという大臣の大胆な作戦だ。
「いいぞ。敵はまだ気づいていないようだ!」
先頭は、部隊の指揮官の騎士ヤーコプ。大臣の長男である。
「お前たち、このまま一気に進むぞ!」
「「オオー!」」
勇ましく吠える騎馬隊の騎士たちの中には、ミハエルと虎丸がいた。
御前試合で示した武勇を見込まれて、決死の奇襲部隊に加えられたのだ。
ミハエルは、赤髪を揺らしながら草原を疾走する。
「伝令より報告! 進行方向より白兜の騎兵隊接近! 白衣の騎士団です!」
「ちっ!」
騎士ヤーコプが舌打ちした。
まもなく敵本陣の方角から、白一色の騎兵隊が現れる。
全てが、白馬。
全てが、白騎士。
人馬共に白色の兜をかぶり、白銀の衣と鎧を身に纏って。
先頭の白騎士たちが、白金の騎槍を前に突き出す。
後ろに続く旗手たちは天に向けて、白翼の紋章が刻まれた軍旗を掲げていた。
夕闇の大帝国最強の騎士団、白衣の騎士団のお出ましだ。
「いくぞ、大帝国のため、黒太子様のためにー!!」
「「オオオオオオオオオオオオオオオオオオー!!!」」
白兜の騎兵隊から聞こえてくる勇ましい雄叫び。
白馬を走らせ、白刃をかざして、神の軍勢の如く突っ込んでくる。
「総員! 迎撃準備!!」
騎士ヤーコプが号令をかけ、王国の騎士たちが馬上にて騎槍を構えた。
双方が激突するまで、あとわずか。
そんな中で、ミハエルは剣も抜かず、あの時のことを思い出す。
仇と再会した、あの時のことを――。