第四話 彼が招かれるは、異界の都
兄弟とのつき合いは、基本は、剣の稽古相手。
「たあー!」
「ぐぬ!?」
剣はまだまだなミハエルにとって、剣の才に優れた虎丸は格好の相手だった。
「どうした、みはえる。妖怪の力を使ってもよいのだぞ!」
「お、おのれ……お前に勝つにはどうすれば……」
「ミハエル、耳を貸せ」
悔しがるミハエルに、執事と一緒に見ていた浪平が、耳打ちする。
「ふうん!」
「ぶはっ!?」
虎丸の頭を打って、次はミハエルが勝った。
あの時のように、いきなり怪物の力を使って不意を突くことでな。
「やりましたぞ、ナミヘイ殿ー!」
「見事!」
それを技としてやってみるように、浪平が助言したのだ。
今度は怪我をしないように、ちゃんと手加減できたぞ。
「うむ。やはり技として使えるな。もっと磨いて、そなたの決め技にするといい」
「はい!」
「卑怯なり! 妖怪の力を使うとはー!」
我慢できないのが、負けた虎丸だ。
「何を言う。先に使っていいと言ったのは、そなただぞ」
「これが真剣ならばお前は死んでいた。真の武士を目指すならば潔く受け入れろ」
「ぐぬ……」
虎丸にとっても、ミハエルは、己を負かしてくれる格好の相手だった。
と、まあそんな感じで、二人の稽古は、一進一退を繰り返す。
「騎士が、弓? しかも馬に乗りながら射てだと?」
「覚えよ、覚えよ。武士の友ならば。それから忍びの技も……」
「無我の境地だな!?」
「おうとも。無我に至れば、断てぬものなどありはせぬ!」
「行きますぞ、執事殿!」
「てやあー!」
「二人とも、甘い」
「ぶはっ!?」「ぶほっ!?」
またこの二人であれば、こんな稽古もできる。
『ゆくぞ、トラマル!』
「来い! みはえる! 妖怪に戻ったお主の力、見せてみよ!」
ミハエルが怪物に戻って、人間である虎丸と戦う。
そうすることで、ミハエルは人間との戦い方を、虎丸は怪物との戦い方を学ぶ。
「よいか、みはえる。お主のような妖怪と戦う時には、まず相手の動きをよく見てだな……」
「うむうむ……」
さらにミハエルは、人間になったまま怪物とどうやって戦うかを教わることができる。
覚えておいて損はない。騎士として誰かと一緒にいる時に、怪物の力を無闇に使っては、人間ではないとバレてまうからな。
二人で、秘密の館という私の冒険者ギルドに入って、冒険にも行った。
「そこまでだ、山賊共!」
「拙者たちが相手だー!」
他の異世界にまで。
「魔王、覚悟!」
「さあ、勇者殿。ともに世界を救いましょうぞ!」
ミハエルは、騎士になるための修行に一層の精を出すようになる。
自分の正体を知っていて、尚もつき合ってくれる人間の友人ができたことは、彼にとってこの上ない喜びだった。
執事の見立てのおかげだ。このことに、彼は深く感謝する。
そして、こんなことも起こった。
「明日? 突然、どうした?」
「お主を招待したいのだ。拙者たちの都に!」
普段の服のまま行ったミハエルは、天地がひっくり返るほどの衝撃を受ける。
石ではなく、木でできた家々。どこに行っても、四角い庭と真っ直ぐな道。
道を往く人々は、浪平と似たような服を着た者ばかり。
虎丸が憧れる大人の武士が何人といて、民たちを護っている。
京というところを元に築かれたその都は、彼が覗き見た世界のどことも全く異なる世界だった。
「どうだ、ミハエル。こここそ兄者が治める極楽浄土の都よ!」
「驚いた……。広いのだな。世界は」
「気持ちはよくわかる。俺も騎士の世界を知った時は驚いたものだ」
ミハエルは、浪平の屋敷に招かれる。
「よく来てくれました。今日はゆっくり楽しんでいってくださいね」
兄弟が”婆様”と呼ぶ老婦人とお会いして、家の者たちに暖かく歓待された。
宴の場に出てくる料理は、初めて味わうものばかり。
みんなで床に座って食べるという行い自体が、初めての体験だった。
ミハエルは、箸を上手く使って、美味しく食べる。
この日のために、箸の使い方を執事とメイドに教わってきたおかげだ。
足は、しびれてしまったが。
見世物は、歌と踊り。
周りで琴や横笛、琵琶といった楽器が奏でられ、舞台の上で男と女たちが舞う。
白装束の女性たちの真ん中に、虎丸が出てきて、彼はびっくりする。
何とも、風雅で幻想的。
虎丸の神秘さに、ミハエルは拍手を送った。
全てが物珍しかったが、ここの人たちにとっても、彼という異人は同じである。
「へえー、赤目に、赤髪とはめずらしい」
「なかなか男前じゃないか」
「お前さん、どこから来たんだい?」
「……赤い赤い世界から来ました」
屋敷の者たちに珍しがられて、ミハエルは恥ずかしかった。
虎丸とも話していると、酒瓶を持った荒武者がやって来る。
「お前か。虎が連れてきたという蛮人は。真っ赤かとは、地獄の赤鬼みたいだな」
「先生、そんな言い方はよしてくれ。ミハエルは、拙者の友なのだぞ!」
「フン! 客だというなら俺たちの服を着てみろ。真っ赤かな赤い袴をな。結構、似合うんじゃないか」
「……うむ。確かに、似合いそうだ!」
他の皆にも言われて、彼は着てみたいと思うが、持っていない。
「よし、俺のをやろう」
浪平からもらった赤袴は、なかなかに似合っていた。
「立派ね」
「かっこいいぞ、ミハエル!」
彼は着たまま、宴の続きを楽しむのだった。
皆が寝静まった夜、
赤袴を着たミハエルは一人、中庭がよく見える廊下の縁に腰掛ける。
ここの人たちのおかげで、幼い頃の日々を思い出すことができたのだ。
しかし、全てを奪った仇のことまで目に浮かんで、怒りが顔に出てしまう。
「憎いか?」
いきなり話しかけられて、ミハエルは顔を上げる。
そばに立っていのは、浪平だった。
「自分の一族を滅ぼした仇が?」
浪平は、ずっと前から彼の過去を察していた。
「……憎いです」
ミハエルは、庭の方を向いて顔を伏せる。
「そうか……」
浪平が、彼の隣に腰を下ろした。
「気持ちはよくわかる。恨みたければ恨むといい。だが決して怒りに飲まれるな」
「……わかる?」
「そなたが本気で真の騎士を目指すならば、決して怒りに囚われず、騎士として為すべきことを為せ。それが騎士道というものだろ?」
「あなたに……なぜ吾輩の憎しみが、わかるのですか?」
「……俺も、幼き頃に一族を滅ぼされた」
ミハエルは驚いて、浪平の方を振り向いた。
「……まことで?」
「あの時、俺も婆様に抱かれながら運命を共にするはずだった。魔法使い殿の手がなければな」
「あなたたちも……」
「異界に流れ着いた俺は心に決めた。元いた世界との境に、俺のような落人が迷いを忘れ、安らかに暮らせる都を築こうと。それこそが、俺の為すべきことだとな」
「それが……この都なのですか?」
浪平がうなずいた。
「……吾輩にどうしろと?」
「よく考えてみてくれ。そなたの為すべきことはなんだ。本当に仇討ちか?」
「……違います」
「それはなんだ?」
「……守りたい女がいます」
彼は、彼女のことを話した。
「……そうか。それはいい。実に騎士らしいではないか」
彼の恋心を察し、浪平は微笑む。
「ならば話は簡単だ。ミハエル、そなたは彼女のために為せ」
「はい」
「もし彼女が脅かされるならば、その時は容赦なく仇を討て」
「はい。もちろん」
「だがもし……仇が、彼女のためになるならば……」
「はい。その時は……」
その先は、彼の手は震え、どうしても口から出せない。
浪平は辛抱強く待ったが、彼にはまだ早かった。
「……もし」
だから浪平は、彼の今後のために。
「仇に、まだ赤子の息子がいたらどうする?」
あのことを教えることにした。
「……えっ?」
「俺は育てることにしたよ。両親と引き離されて可哀想だったからな」
「……本当に?」
「ああ……」
「その赤子は今?」
「……そなたの友だ」
翌朝、屋敷の中庭で剣の稽古を始めようとすると、ミハエルは様子がいつもと違うことを虎丸に気づかれる。
「どうした、ミハエル。そんな浮かない顔をして?」
「……聞いたんだ。そなたの御父上のこと」
昨夜、浪平から聞いたことを話した。
「そうとも。拙者は仇の子らしい。なあに、武家にはままあることよ」
「お優しいのだな、浪平殿は……。吾輩にはとてもできそうにないよ……」
「よいではないか。お主はそれで。お主は、お主のまま、真の騎士となって、為すべきことを為せばよい」
「……そなたは、なぜ笑っていられるのだ?」
「泣きたくなる時はある。けど所詮は過ぎたこと。拙者にとって、兄者たちが大好きな家族であることに変わりなし!」
「そうか……」
「先生は、いずれ相容れぬ仲になると言うがの。兄者と拙者たちに限って、そのようなことには決してならぬとも」
「……そうだな。吾輩もそう思うよ」
こうして彼は、さまざまな出会いを通じて学んでいく。人間というものを。
――彼が、彼女と仇に再会する日は、間近に迫っていた。