第二話 彼が送る、人間としての日々
ミハエルは、真の騎士になるための修行を始める。
魔法はちょっと使うかもしれないが、特別なことは何もない。
ただ人間としての基礎を教え、学ばせ、骨の髄までしっかりと叩き込むだけだ。
まず、剣の鍛錬。
「ミハエル、次は、打ち込み一千回です」
「はい!」
彼に教えるのは、主に執事だ。
「はい、そこ、そこ、そこ」
「たあ! とう! うおっ!?」
「隙あり」
「ぶぼっ!?」
剣だけでなく、槍、斧、鎚、盾、弓の使い方に、体術も教え込む。
女性に教えられることに初めは驚いたが、彼は素直に教えを受けた。
「次の問題です。王国暦六三二年、クオリ山の戦いで、王国軍、騎兵一千二百五十三騎と、槍兵三千三百十六人が……」
「し、執事殿。ちょ、ちょっと、お待ちを……」
初めての学問は、さすがにきつかったかな。
「いいですね。騎士たるもの、人を治す医術も身に着けなくてはいけません」
「はっ、はい……」
誰かを手当てする時の微妙な力加減は、彼の神経をすり減らす。
「違います。ここはもっと頭を低くしなさい」
「こ、こうでありますか?」
「そうです。いいですよ」
彼が最もやる気を見せたのは、意外にも礼儀作法だった。
一日も早く、人間らしくなって、彼女に礼儀正しく接したいのだ。
魔法使いである私も、彼の師となって教え込む。
剣や簡単な魔法、騎士としての心得を。
「真の騎士たるものは?」
「常に正直で、誠実であれ」
「無謀な戦いは?」
「決してせず、よく考え、よく調べ、時には退いて」
「そして?」
「勇敢に戦い、必ずや生き残って勝利する!」
教えてもらうだけではない。メイドたちの家事も手伝った。
例えば皿洗いに、ジャガイモの皮むき。
「……あっ?」
「ああー! ミハエル君、またジャガイモ握りつぶしてー!」
「すみませ――」
ガシャーン。
「また、お皿まで! もうー!」
「すみませぬ! すみませぬー!」
この繰り返しだったが、メイドたちの指導でだんだんと上手くなっていく。
彼が得意で、最も役に立てるといったら、もちろん力仕事。
大きな樽や箱を運ぶなど朝飯前だ。
「よっと!」
「ミハエル君、やっぱりすごーい!」
「さすがですね。食料貯蔵庫までお願いします」
「わかりましたぞ! えっほ、えっほ……」
そんな彼にとって一番の楽しみは、人間の住む町へ出かけることだった。
「さあ、ミハエル。行きますよ」
「はい――」
執事がよく行くのは、ナガコという大きな港町。
海が見えるところのすぐ近くに大市場があり、たくさんの人で賑わっている光景が、来る者たちの記憶にいつまでも残り続けるような町だ。
屋敷がある世界とは違う、異世界にある港町だがな。
豊富な食材が手に入り、執事の奴が気に入っているため、よく行く町なのだ。
屋敷の中で魔法を使って扉をくぐれば、たったの一秒で行ける。
「――うわあ」
それだけの町が、すぐ近くにあるのだ。
外の世界に憧れてきたミハエルにとっては、楽園に見えたことだろう。
「今日はサケが安いですね。夕食は焼き魚にでもしますか」
「うおおー、吾輩の大好物……」
そんな彼が、市場の端で同じ年頃の子供たちが、騎士の真似をして木の剣を振り回して光景を見れば、一緒に遊びたくなるのは仕方のないことだった――。
「本日の授業はこれで終わりです」
「あれ……、今日は早いですな」
「あの子たちのところへ行きたいのでしょう。行ってきなさい」
「執事殿……ありがとうございます!」
その子たちとは、すぐに輪の中に入れた。
「いくぞ、ミハエル!」
「来い、トマス!」
「お兄ちゃーん! ミハエルもー、がんばれー!」
特に、トマスとベティという兄妹と仲良くなる。
トマスは次男で、子供たちのリーダーだ。
ミハエルよりちょっと年上で、本当の兄弟のように気が合った。
もちろん剣を打ち合う時、怪物の力は使わない。
彼は上手に手加減して、人間の少年のままの力で戦った。
「くう~、やっぱりミハエルは強いな……」
「当然であろう。吾輩は騎士を目指して、常に鍛えておるからな!」
「そのしゃべり方、似合わねえぞー!」
「ミハエル、おじさんみたいだねー!」
「なぬ、なぬ、なぬ!?」
人間の友達が初めてできて、ミハエルはとてもうれしかった。
真の騎士になるための貴重な一歩だと言えよう。
しかし、ついていなかったのは、この港町は貧富の差が激しくて、貧しいトマスの家の長男はろくでなしだったこと。
遊び金欲しさに仲間とつるみ、子供の一人をおだてて、妹のベティを誰もいない裏路地に誘い出させたのだ。
「お兄ちゃーん、どこー?」
「……やあ、お嬢ちゃん」
強盗騎士に売り飛ばすために。
「ベティがいなくなった!?」
「そうなんだよ! どこに行ったのかわかんねえんだ!」
ミハエルが会いに行くと、トマスは半泣きしながら助けを求めた。
「どうしよう……、どうすりゃいいんだよ!?」
「落ち着け、トマス! まずは仲間たちに聞いてみるんだ!」
騎士たるもの、常に冷静に。
わからないことがあればよく考え、よく調べること。
彼は、執事の教えのとおりに動いて、子供たちの協力を取りつける。
ミハエルとトマスの必死の行動が功を奏し、ある子供がベティを裏路地へ誘い出したことはすぐにわかった。
ミハエルとトマスは木の剣を持って、裏路地に急いで向かうが、そこには誰もいなかった。
「いねえぞ!」
「落ち着け! 誰かに聞いて、痕跡を追って……」
そこには、ベティの匂いがわずかながら残っていた。
ミハエルは、怪物の力を使う。
人を超越した五感で、ベティの匂いを嗅ぎ、わずかな足跡を追っていく。
「こっちだ!」
「どうして、わかるんだよ……」
トマスには、ミハエルの異様な姿が何だか不気味に見えた。
妹を失うかもしれないという恐怖があったために。
二人はやがて、港町の裏門付近にある汚い宿屋の前まで辿り着く。
「……はなしてー! はなしてよー!」
「おとなしくしようね。優しくしてあげるから」
宿屋の裏口の方から、ベティと男の声が聞こえた。
「こっちだ!」
ミハエルとトマスは、裏口の方へ回り込む。
「ああー、なんだ、お前ら!」
「お兄ちゃん! ミハエル!」
裏口の前にいたのは、手を掴まれているベティとさらった悪人たち。
錆びれた胴鎧を着た強盗騎士に、薄汚れた三人の手下たちだった。
全員が、鉄の剣を持っている。
本物の刃に、トマスは怯む。
ミハエルは、震えた。
洞窟の外に出て、いじめられた時のことを嫌でも思い出す。
それでも彼は勇気を振り絞り、木の剣を両手に持ち、強盗騎士たちに向かって中段の構えを取る。
「ベティを離せ!」
まだ子供の彼が木の剣で立ち向かう姿に、強盗騎士たちは笑い声を上げた。
周りには、誰もいないから見られる心配はない。
「ガキがいっちょ前にカッコつけやがって。こいつらもさらっていくぞ」
「へい!」
強盗騎士が命じて、三人の手下たちが剣を抜く。
トマスとベティは、怖くて動けない。
ミハエルはトマスをかばうように動かず、震えを抑えながら、冷静に敵の動きを見定める。
三人の手下たちが、ミハエルの方に近づいてきた。
正面と左右から取り囲み、できるだけ傷つけずに捕らえる気だ。
傷物でない方が、高く売れるからだった。
この油断を、彼は、各個撃破の好機と見る。
「隙あり!」
ミハエルはいきなり右に飛び出して、手下たちの不意をつく。
「たあ! とう! そこ!」
「ぎゃ!?」「ぐふっ!?」「ぼほっ!?」
「なに!?」
瞬く間に、三人の手下を打ち倒し、強盗騎士を驚かせる。
怪物の力は使っていない。
執事にこれまで教えられてきた剣術を使えば、人間の少年の力で十分だった。
「ハッ、少しはやるみたいだなー!」
強盗騎士が、ベティを突き飛ばして、鋼の剣を抜く。
意外にも、かなりの使い手だ。
落ちぶれたとはいえ、さすがは騎士の端くれといったところか。
もちろん、普通の子供が勝てる相手ではない。
相手の腕前を、本能で悟ったミハエルは、簡単には行かないと冷汗をかく。
「おら、おら、おらー!」
強盗騎士が鋼の剣を勢いよく振り回してきた。ミハエルは、時に木の剣で鋼の剣の側面を受けて流しながら、後ろに下がり続ける。
鋼の刃をまともに受ければ、木の剣など簡単に折られてしまうだろう。
かといって、怪物の力を使えば、トマスとベティに怖がられてしまう。
だからミハエルは、執事に叩き込まれた剣術を駆使して、相手の隙をつくる。
「たあー!」
「ぎゃはっ!?」
一気に踏み込んで、相手の腿を打ち、強盗騎士に片ひざをつかせた。
彼の勝利に、トマスとベティは驚愕。
ひざを屈した強盗騎士の蒼白な顔面に、ミハエルは木の剣の先を突きつけた。
「どうだ、悪党!? もう、あきらめろ!」
「まさか、ガキに……クソッタレがー!」
逆上した強盗騎士は、次の瞬間、鋼の剣をベティに投げつけた。
彼が気づいた時には、鋼の刃の先がベティの目元に迫り、トマスがいくら手を伸ばしても届かない。
ミハエルは激高し、怪物の力を解き放つ。
一瞬の内に、木の剣を破砕し、強盗騎士が悶絶して倒れるほどの衝撃を叩き込み、ベティの眼前で鋼の刃を片手で掴み取った。
鋼の刃を握った彼の手から、赤い血がポタポタと流れ落ちる。
「ベティ、大丈夫か!?」
ミハエルは鋼の剣を捨てて、ベティの状態を確かめる。
ベティは余りのショックで、答えることができない。
彼が心配になると、いきなりトマスが割って入ってきた。
背を向けて、ベティを抱き寄せる。
まるで、彼を拒絶するように。
「……トマス?」
さっきの動きを見て、怖くなってしまったのだ。
――バケモノみたいだと。
「……いくぞ、ベティ」
トマスは妹のベティを連れて、彼の前から去って行った。
――それ以来、二人とは疎遠になってしまう。
「そんなことが」
「はい……」
私は、執事から話を聞き終える。
怖がられた彼は、騎士になるための修行に身が入らなくなってしまっていた。
「彼は自信を失って、迷っています。本当にこのまま学び続けて、彼女のそばにいられるのかどうか……。成功と失敗から立ち上がることを積み重ねていけば、いずれ自信は取り戻せるとは思いますが、そのためには……」
「彼には、支えてくれる仲間が、友人が必要ということだな?」
「そうです」
私が聞くと、執事はうなずいた。
「ただの友達ではありません。できれば同じ年頃で、彼より明るくて、負けないぐらい強くて、一緒に夢を目指す……彼の正体を知って、なおもつき合ってくれる友達が……」
「無茶な注文だな……」
よりにもよって、怪物の彼と、だ。
「誰かいますか?」
「……うってつけがいる」
私はおかしくて、ついニヤっとしてしまった。
「異国どころか、異世界の武士だがな」