第一話 彼の名は、赤髪の赤騎士
――私の前に、赤い髪と赤い瞳をした人間の少年が全裸で座り込んでいる。
ボサボサの赤髪を胸元まで垂らし、肌は白く、丈夫な体は泥まみれだ。
若々しい顔をボケーとさせている。
無理もない。人間になれたばかりなのだから。
肉体年齢は、彼の年齢と合わせた。
時が経てば、男らしくひげが生え、身体が大きくなっていくことだろう。
人間になれた自分の姿を赤い瞳で一つ一つ見つめ、遂には、子供らしくはしゃぎ出した。
「すごい……。すごい! すごい! オレ、本当に人間になれたんだー!」
「喜んでくれたか?」
「はい! オレ……魔法使い殿、本当にありがとうございます。吾輩、感謝の気持ちで一杯ですぞー!」
それを聞いて、私はおかしくがる。
「吾輩? おいおい、本当にその話し方で、人間として生きていく気か?」
「えっ……だって、騎士はこんなふうにしゃべるものでしょ。オレ……吾輩、会ったことがありますぞ!」
少年の姿で、吾輩か。どんな騎士に出会ったのやら。
「そうだな。君の話したいように話せばいい。さて、外に出ようか」
「…………はい!」
彼は勇気を出して、私と一緒に洞窟の入り口に向かった。
そこまで来れて、私が先に外に出ると、彼は洞窟を出るあと一歩のところで足が止まってしまう。
「どうした?」
「……足が出ません」
洞窟の外に出ることを怖がっている。
「勇気を出せ。人間としての最初の一歩だぞ」
「……でも」
「がんばれ。待っててやるから。未知の世界へ旅立つ最初の人間になったつもりで、大事な最初の一歩を踏み出すんだ」
その一歩が、なかなか踏み出せない。
彼には、まだそれだけの時間が必要だった。
それでも、しばらく経った後で、彼は勇気を振り絞り、最初の一歩を踏み出す。
洞窟の外に進んだ彼を、まぶしい光が出迎えた。
「ふう……」
「よしよし。よくやったぞ。がんばったな」
「……最初の人間もこんな気分だったのでしょうか」
「きっとな。君も、彼らの一人に加わることができたということだ」
「……はい」
彼は、嬉しそうに微笑んだ。
「さて、早速、人がたくさんいる町に行きたいところだろうが、その格好ではそうもいくまい」
私がそう言うと、彼は素っ裸な自分の姿を見つめ直した。
「……そうですな。この格好では、吾輩、逮捕されてしまいます」
「私の屋敷に行くぞ。そこで熱い風呂に入れ、カッコいい服に着替えさせてやる」
「本当に!? それは、ぜひ! ……思ったのですが」
「なんだ?」
「あなたが、魔法でやってはくれないのですか?」
「当然の質問だな。確かに私が魔法を使えば簡単だが、それでは台無しだ」
「なぜです?」
「味わってみたいだろ。普通の人間がやっている着替えや入浴というものを」
「……はい!」
私は掛け布を出して、彼に与える。
彼が掛け布をかぶり終えると、ある屋敷へ連れて行った。
「おかえりなさいませ。マスター」
屋敷のロビーで、背がすらりとしたクールな娘が出迎える。
黒い眉と瞳、黒髪のポニーテール、着ている黒服のロングスカートは、どれも長くて、上品で、そして美しい。
この屋敷を任せている女執事だ。
「……その方は?」
執事に見られて、彼は恥ずかしがる。
「……あら、人間の方ではないのですね」
「私の新しい仲間だ。彼の入浴と着替えを頼む」
「かしこまりました。お客様、どうぞこちらへ」
赤面の彼は、無言で執事について行き、後ろに二人のメイドが従った。
物腰のよい執事とメイドたちに、彼の心は浮つかない。
そうやって、執事がロビーにある階段を上がり、彼も登ろうとした時だった。
彼が握った階段の手すりが、粉々に握り潰された。
人の家の物を壊してしまって、彼は慌てふためく。
「うわあああー! すみませぬ、すみませぬ!」
執事とメイドたちは平静で、動こうとしない。
「落ち着け」
私は声をかける。
粉々にされた手すりは、魔法で、すぐに元の形に戻っていった。
「見ての通りだ。この屋敷にある物には、全て私の魔法がかかっている。いくら壊してもすぐに元通りになるから安心するといい」
「それはよかった……。本当に申し訳ありませんでした。ちょっと握っただけで、壊してしまうなんて……」
「無理もない。人間になった君の力は、元のままだからな。怪物の力のままだ」
私が微笑みながら教えると、彼は唖然となった顔を向ける。
「……それは、どうして?」
「元々持っていた君の力だ。人間になれたからといって、捨てるのはもったいあるまい。あと、いざという時には、君の意思で自由に元の姿に戻れるぞ。また人間になることもな」
私はあの時かけた魔法で、彼に変身能力を与えたということだ。
「いえいえ、こんな力、必要ありませんよ。せっかく人間になれたのですから!」
「とっておけ。騎士としての戦いで、強敵相手や怪物退治に役立つだろう?」
「確かに……。ですが、さっきみたいにまた何かを壊してしまいます。下手をすれば、執事さんやメイドさんたちを傷つけてしまうことだって!」
「優しいな、君は」
優しい彼に、私は大事なことを薦める。
「ならば騎士として学ぶといい。力を制する技を、力の加減というものを」
「力を制する技?」
「そうだ。いつ、どのくらい力を出すのか、力を抜くのかを。上手に手加減することができれば、誰も傷つけずに済むし、人として何かをする時にも役に立つ。真の騎士を目指すのであれば、身につけておくべきものだ」
「……それが、力の加減」
「この屋敷は、うってつけの練習場だ。執事やメイドたちも、ヤワではないぞ」
迷う彼に、執事が胸に手を当て、メイドたちが両手でスカートの裾を持って、お辞儀をする。
「それに危険な力も、制することができれば、頼もしい力だろ?」
「……わかりました」
二階に上がった彼は、お風呂に入る。
一時間後、私が食堂で待っていると、彼が清潔な姿で入ってきた。
汚れを落とし、長い赤髪を濡らして、真っ白なローブを着た姿でだ。
「ほう、きれいになったではないか。どうだった、人生初風呂の湯加減は?」
「……お風呂というものがあんなに極楽だったなんて。吾輩、感動です!」
「それはよかった。人間の楽しみは、まだまだこれからだぞ」
「……次は何が?」
「料理に、食事だ。君の歓迎の宴だよ」
執事とメイドたちに食事を用意し、古今東西あらゆる料理を持ってこさせた。
私と彼は笑顔で乾杯し、楽しく飲み交わす。
彼は大食いで、肉類は、牛、豚、鶏、鹿、羊と、何でも大好物。
左右両方の瞳から嬉し涙を流しながら、人間の食事というものを味わった。
「極楽! 極楽! ああ……これが美味しい料理というものなのですな……」
「うまいか。楽しんでくれて何よりだ」
彼が三度目の鶏肉にかぶりついたところで、私は切り出した。
「さて、そろそろ真面目な話をしたいんだが、いいかな?」
「真面目な話?」
「君は、どうして騎士になりたいのかについてなんだがな……」
「はい……」
「……好きな子がいるからだろ?」
彼が食べてた鶏肉を吹き出して、私は手を叩いて大笑いした。
「やっぱりか! 人間の女の子だな。かわいい奴め!」
「……か、からかわないでくださいよー!!」
「ハッハッハッ! すまん、すまん!」
私が笑い止むと、彼はぶすっと、あっちを向いてしまう。
その顔は、少年らしく真っ赤なままだった。
「どんな子なんだ?」
「……かわいい子です。何より優しくて……」
彼は、彼女とのステキな出会いについて話してくれた。
――話の中の彼は、ちょっとカッコ悪かったけどな。
「……彼女のそばに行きたい。だから騎士になりたいんだな」
「はい!」
「そうかあ……」
「…………それだけではありません」
楽しそうに話していた彼の表情が一変し、激しい怒りで溢れる。
「……憎い仇がいるのか?」
「しかも、彼女のそばに……。奴は、奴は……オレの一族を!!!」
そう言って、彼は握りしめた両手を食堂のテーブルに叩きつけて――、左右真っ二つに打ち砕き、上に乗っていた料理や食器を床にぶち撒けた。
余りのことに、我に返った彼は青ざめ、私は冷静に眺める。
「……ごめんなさい」
「気にするな」
飛び散ったテーブルと料理や食器は、魔法でたちまちのうちにきれいに戻った。
「真の騎士になりたいなら、怒りを制する心も学ばないとな。彼女を大事にするためにも。ただ暴れるだけでは、仇も討てまい」
「は、はい!」
多くの騎士が、捨てているものだがな。
彼には、ぜひ持って欲しい。
「そのためにも、騎士になるためには、どうすればいいかわかるか?」
「……吾輩、人間としてもまともに生きていける自信すらありませぬ」
「いいぞ。まだ自分が未熟な人間だとわかっているな。騎士になるためには、立派な人間にならなければいけないことも」
彼は既に、人間や騎士についてある程度の知識を持っていた。
「騎士になるためには、剣術、馬術、軍略、礼儀作法、馬の世話、装備の手入れ、料理、洗濯、掃除まで……。武術だけではない。学問、礼儀、雑務まで学ばなければならない。騎士というものは、戦士であり、紳士であり、召使いでもあるからな。時には、裁きを下す執行人にもなる」
「そ、そんなに……。何をどうすればよいのか、見当もつきません」
「安心しろ。私と執事が教えてやる。君は焦らず、一つ一つゆっくりと学べ。そしてなるがいい。最強の騎士に」
「……あなたが魔法ですぐに身につけさせてはくれないのですか?」
「それはできないな。騎士として学ぶべき最初のことは、忍耐と鍛錬だからだ」
「……なるほど」
「君が見てきた騎士たちもそうやってきただろ?」
「そうですな……。わかりました」
彼は不安になりながらも、受け入れる。
「それと思ったのですが」
「なんだ?」
「魔法使い殿が、なぜ教えられるのですか。騎士としてのあり方を?」
「私が、魔法使いだからだよ」
私は、得意顔を浮かべた。
「それでは、君に名前を与えよう。君という人間に」
「吾輩に、人の名前を……」
「そうだ。君のこれまでの運命と、これからの人生にちなんで……ミハエル」
「ミハエル?」
「そして、騎士となった暁には、二つ名も入れて、”赤髪の赤騎士” ミハエル・フォン・シュバルツ! 今から君は、ミハエル・フォン・シュバルツだ!」
「……”赤髪の赤騎士” ミハエル・フォン・シュバルツ!」
「どうだ。気に入ってくれたか、赤騎士?」
「はい! これより吾輩は、赤髪の赤騎士ミハエル・フォン・シュバルツです!」
私がつけた名に、ミハエルは笑顔で喜んでくれる。
こうして、彼の騎士としての人生は始まった。