9.今はこれで我慢する
ライトは義母に手紙を書いていた。ただ問題は、彼女がどこにいるかわからない、ということ。この手紙も届くかどうかわからない。とりあえず、以前届いた手紙に記載のあったところを宛先に書いてみた。
内容はもちろんレインの魔力が枯渇してしまったこと。回復薬でも回復しないこと。ということは、彼女の父親と同じ状態に陥っているのではないか、という推測。それから、彼女は祖母に預かってもらうことにした、ということ。
自分の感情は記載せずに、事実のみを淡々と書いた、つもりだが。もしかしたら、自分の気持ちがあふれ出てしまっているかもしれない。義母親は気付いてくれるだろうか。
それから、思い出したようにベイジルの資料や論文はあるのか、ということも書いてみた。ベイジルと共に時間を過ごした義母であれば何かしらわかるかもしれない、という期待を込めて。
そこまで書くと、ライトはペンを置いた。頭の上で両手を組み、そのまま上へと伸びる。
やはり、レインは母親と一緒にいるべきだったのではないか、という後悔が込みあげていた。自分の我儘で彼女を手元に置いたことが、彼女の魔力枯渇を早めてしまった原因なのではないか、とも思えてならない。
早かれ遅かれこうなることもわかっていたはずなのに、なぜ魔導士団へ入団させてしまったのか。
後悔しか出てこない。
だが、もしかしたら彼女はそうならないかもしれない、という願いがあったのかもしれない。
ライトは先ほど届いた手紙を手にした。それは祖母の元にいるレインからの手紙。それをゆっくりと広げる。
毎日、どのようにして暮らしているのかということが綴られた内容。驚いたことに、友達ができました、と書いてあった。どんな友達かと思ったら、七歳と五歳の姉妹らしい。どんなことをして遊んだとか、どんなことを話したかとか。そんな些細なことが書いてあるにも関わらず、その文面からは彼女が楽しんでいることと、とても喜んでいることが伝わった。
さて思い返せば、こちらに彼女の友達と呼べるような人物はいたのだろうか。彼女からそのような話を聞いたことがない。授業の内容がどうとか、どんな本を読んだ、とか。そういった話が主だったような気がする。
ライトはレインに代わって彼女の退団届を魔導士団に出したが、それは受理されなかった。トラヴィスが退団ではなく、休団という扱いにしてしまった。まさしく職権乱用である。
それにも関わらず、なぜレインが魔導士団を休団しているのか、という問い合わせは、ライトのところには一件しかなかった。答えるのも面倒くさいので、ライトとしてはちょうどいいのだが、魔導士団にとってレインはその程度の人物だったのか、とも思えてくる。その中で魔力枯渇ということが知られたのであれば、ということを想像すると、なぜか背筋がぞっとした。
ちなみに、その一件に対する回答として、レインの休団理由は体調不良。一般的な理由であり無難な理由で答えておいた。
そこでライトはため息をついた。ため息をつきたくなる原因はレインの手紙だ。ご丁寧にトラヴィス宛ての手紙も書いたらしい。これをトラヴィスに渡すべきか否か。
渡さないわけにはいかないだろう。だからといって、勝手に読んでいいわけでもない。気は乗らないが、明日、トラヴィスに渡してやろう、と思った。
だから、次の日。研究所へ行く前に魔導士団の執務室へと足を向けることにした。レインがいなくなってからは、すっかり足が遠のくようになった魔導士団の建物。なんとなく、雰囲気が以前と違うように感じなくもない。
執務室の扉をノックすると、返事は無かった。だが、鍵は開いていたので勝手に入る。
「おい、トラヴィス。いないのか」
「なんだ、お前か」
「いるなら返事くらいしろ」
トラヴィスの机の上には書類の山が五つほどできていたため、彼の頭しか見えなかった。
「なんだ、お前。書類をこんなにため込んで」
「レインがいないからだ。私一人では、さばききれない」
そう答える彼の顔にも覇気がない。
「はあ」
ライトは頭をかいた。以前、彼と言い合ったときには書類は机の端に綺麗に並べられていた一山程度。だから、ああやって言い合いができた。だが、今はどうだ。トラヴィスが書類に埋もれて今にも押しつぶされそうになっている。
そういや、彼は昔からこういった事務作業は得意では無かったかもしれない。ということを思い出す。
「レインからの手紙を持ってきたんだが、この書類の山では大事な手紙も埋もれてしまうから持ち帰らせてもらう」
書類の山の向こうで頭が動いた。
「待て。寄越せ」
ライトは書類の山を崩さないようにぐるりと回って、トラヴィスに手渡した。手紙を受け取った彼の手は少し震えていた。その震える手で封を開け、震える手で手紙を手にした。トラヴィスは黙ってその文字を目で追う。ライトは黙ってその様子を見ていた。というのも、この状態のトラヴィスを一人にしておくのも少し心配だったからだ。
今では魔導士団長の座まで上り詰めているトラヴィスではあるが、幼い頃から優秀な魔導士だった、わけではない。ライトやレインが天性の魔導士であるならば、トラヴィスは後天的な魔導士。つまり、努力でここまで上り詰めた魔導士だ。
過去のトラヴィスを知る者は、彼が今魔導士団長を務めていることに驚いている者もいる。だが、彼の努力を知る者は、成るべくしてなったと思っている。ライトはもちろん後者。だが第三の意見というものもあり、彼が魔導士団長になったのは前魔導士団長の娘と婚約をしたからだということも、一部では囁かれている。
トラヴィスが魔導士団長になった理由は、彼をそれに任命した人たちにしかわからないだろう。だから、ライトも知らない。ただ、成るべくしてなったと、彼自身はそう思っている。
「レインが元気そうで安心した」
手紙を握りしめ、トラヴィスは上を向いた。何を思うのか。
「お前。もう少し、しっかりしろ。言っただろ。レインがこのまま魔力枯渇の状態が続けば」
「ああ。わかっている。なんとかしなければならないことも。だが、何も手がつかない。レインに会いたい」
視線を上にあげたままトラヴィスは答えた。
はあ、とライトは肩で息をついた。思っていたよりもこれは重症だ。
「とりあえず、この一山片付けるのを手伝ってやる。お前がそんなんじゃ、俺も張り合いがないからな」
ライトは目の前の書類の一山に目を通した。多分、来た順番から積まれているのだろう。ということは、と思い、一番古そうな山の書類を一部崩して、ソファの前のテーブルの上に積み直した。トラヴィスの確認が必要なものと、そうでもないものに分類する。そうすると実際に彼の作業量というのは半分以下になる。
「ほらよ、とりあえずこれにはサインだけしとけ」
「お前たちはやっぱり兄妹なんだな。そういうところが、似ている」
力なく言いながら、書類にサインを始めるトラヴィス。
結局、人が良いライトは、五つあった山を三つほど崩すまで手伝ってしまった。
「お前。他に誰か人をつけろ。この量を一人でさばくのは無理だろ」
「だが、それではレインが戻ってきたときに彼女の居場所が無くなるだろう」
困ったような表情を浮かべるトラヴィス。
「そんときはそんときで、また考えればいいだろ? 起こってもいないことを心配して、目の前のことをないがしろにしてどうするんだ」
ライトは言うと、先ほどまで三山あった場所に、お茶をコトリと置いてやった。
「悪いな」
「悪いと思うなら、もう少しビシッとしろ」
「お前がレインに会わせてくれないのが悪い」
ジロリとライトを睨む。
「レインが会いたくないって言ってるんだから仕方ないだろ。とりあえず今はその手紙で我慢しとけ」
「わかった、今はこれで我慢する」
ライトは、こんな素直なトラヴィスは気持ち悪いな、とも思った。そして、自分の分のお茶を手にすると、ソファの方にドサっと座る。
「おい、トラヴィス」
お茶を飲みながらライトは声をかけた。
「なんだ」
「お前は、ベイジル様の論文とか資料を見たことがあるか?」
トラヴィスは少し考えるふりをする。だが、返ってきた答えは。
「いや、無いな」
あの努力家のトラヴィスでさえも見たことが無いというのであれば、ベイジルの資料はここにはないのではないか、とも思えてきた。