29.親バカって言うらしいですよ
扉をノックすると、中から「はい」という細い声が聞こえた。どうやら起きていたらしい。
「具合はどうだ? ニコラさんがレインに会いたいと言うから、連れてきたのだが」
「レインちゃん」
「お久しぶりです、お母様」
「あら、まあ。こんなに痩せちゃって」
ニコラは優しくレインの頬に手を当てた。その様子を見ていたトラヴィスはそっと部屋を出る。たまには母娘水入らずというのも悪くはないだろう。
「ご飯は、あまり食べられていないようね」
「はい。その、気持ち悪くて」
「お水は? 飲めてるのかしら?」
「少しずつなら」
「私もね。レインを妊娠中はそんな感じだったわ。食べ物食べては吐いて、水を飲んでは吐いて」
「お母様も、ですか?」
「ええ」
ニコラはベッドの脇に座った。そしてレインの頭を優しく撫でる。
「そのたびにね、あの人が驚いて、慌てていたわ」
その目はどこか遠いところを見つめている。きっと、遠い過去。
「私、お母様からお父様の話を聞いたこと、あまり無いのですが」
「そうだっけ?」
はい、とレインは頷く。
「聞きたい?」
もう一度レインは頷く。
「そうねぇ。あの人、少しトラヴィス君に似ているかも」
そう言えば、そんなことを祖母も言っていたなとレインは思い出す。
それから久しぶりに、母親と話をした。時間を忘れるくらいに。
しばらくしてから、ライトがニコラを呼びに来た。ライトもレインの顔を見て「痩せたな」とだけ言った。
「それでも、赤ちゃんは元気に育っているからね」
母親のその一言が嬉しかった。
「そうそうレイン。悪阻が酷くてご飯が食べられないなら、何か薬草を煎じてあげましょうか?」
ニコラのその申し出をレインは丁寧にお断りをした。そして。
「お母様の薬、恐ろしくて飲めません」
レインのその一言に、ライトとトラヴィスは吹いた。
☆~~☆~~☆~~☆
レインのお腹も次第に膨らみ始め、研究所の仕事の方にも慣れてきた。魔導士団の方では、トラヴィスが毎日ライトに怒鳴られながら、書類仕事をさばいているらしい。それをミイクから聞いたとき、その光景が目に浮かんでくるようで、思わずレインは顔がほころんでしまった。
「どうかしたのか?」
そろそろ眠りにつこうと、レインとトラヴィスはベッドの上で、並んで枕を背もたれにして寄り掛かっていた。
「今、お腹の中を蹴られました」
活発なときには、そのお腹が外から見てもわかるくらいにぐにゃぐにゃとレインの意識とは関係なく動いている。
「レイン」
トラヴィスは温かな視線で、隣の大事な人の肩を抱き寄せた。彼女は彼の肩に自分の頭を預ける。
「私と君の子だから、きっと可愛いだろうな」
空いている方の手で、レインのお腹の膨らみを優しく撫でる。
ぷっ、とレインは吹き出した。
「トラヴィス様、そういうのをなんて言うか知ってますか?」
彼女が言う「そういうの」がいまいちピンとこないトラヴィス。だから、「いや」と答える。
「親バカって言うらしいですよ」
「そうか」
きっとここにライトがいたのであれば、バカで変態とは最悪だな、と悪態をついたに違いない。だが、そんな彼も新しく生まれてくる命を楽しみにしている。つまり、既に伯父バカというわけだ。
「でも、トラヴィス様。私、やはり心配なことがあるのです」
「なんだ」
彼は優しくお腹を撫でている。お腹の子と話をするかのように。
「もし、この子も魔力無限大だったとしたら、と思うと」
彼女が全部を口にしなくても、彼女の言いたいことを察するトラヴィス。その顔を激しく曇らせた。
「それは、嫌だな。この子が娘だったとしたら、なおさら嫌だ。今なら、ライトの気持ちが少しはわかるかもしれない」
だが、と彼は続ける。
「君には薬師の知識もある。この子のそれを治すような薬を、今から研究してみてはどうだろう」
レインは彼を見上げた。
「そうですね。お母様のような、怪しい薬ではなく、きちんとした薬を開発したいですね」
「そうだ。この子が婚約者から逃げなくてもいいように、な」
そこでトラヴィスは、レインの額に口づけをした。




