28.私の娘ですもの
トラヴィスが寝室へとやってきた。レインはベッドの上で正座して、じっと母親からもらった回復薬を見つめていた。
「どうかしたのか?」
「いえ、お母様からいただいた回復薬。飲んでいいものか悪いのか」
ふっと、そこでトラヴィスは笑みを漏らした。
「飲んでみたらいいんじゃないのか。せっかくニコラさんが作ってくれたんだ。それに、今だって魔力は安定していないし、いつ枯渇が起きてもおかしくない」
「でも。その、トラヴィス様と致せば、魔力は回復いたしますが?」
「だが、私がいないときはどうするのだ?」
彼はいたずらを仕掛けた子供のように笑みを浮かべた。
「それは、困りますね。他の方と、というわけにはいきませんもの」
「君は、私を挑発しているのか?」
トラヴィスがゆっくりとベッドに座った。そこが静かに沈む。そして彼が右手を広げてきたので、レインはその腕にすっぽりとおさまった。
「私が恐れているのは、君を誰かに奪われることと、君を失うことだ」
言うと、トラヴィスは彼女の髪に口づけた。
「私も。トラヴィス様を失うことが怖いです。それと同時に、トラヴィス様の隣にふさわしいような魔導士になりたいとも思っています」
「君は、とても優秀な魔導士だ。むしろ、私が君の隣にいてもいいのかどうかと、不安になるときもある」
トラヴィスはレインをふわりと抱き上げると、自分の膝の上に座らせた。そして、彼女が手にしていた小瓶を奪い取ると、勢いよく蓋をあけ、それを一気に口へと含む。
あっけにとられて眺めているレインの唇に勢いよく自分のそれを重ねた。彼女の喉を、熱い何かが通り抜ける。
「ぷはっ、けほっ」
あまりにも突然であったため、レインはむせてしまったらしい。
「けほっ。トラヴィス様」
「こうでもしないと、君はこの薬を飲まないだろう」
残っているそれを舌で拭い取るように、彼は唇を舐め回した。
レインの喉は、まだ焼けるように熱く、ヒリヒリとしている。この薬に言えることは、後味が悪いということだろうか。さらに言うと、その薬が駆け抜けていった胸、お腹の辺りもぽかぽかとしてくる。
「レイン。鑑てもいいか」
すっと両手をとられた。
頷く。
「魔力鑑定」
しばらくして、トラヴィスの目は大きく開かれた。
「レイン。君の魔力が戻っている。まさしく無限大」
トラヴィスには見えた。彼女の魔力が九の六桁まで回復しているということが。
「レイン」
なぜか彼女は彼の胸に頭を預けて、くたりとしている。
「レイン、どうかしたのか?」
反応の無い彼女の名を必死で呼ぶ。もしかして、急激に魔力が戻ったから、反動がきたのか。
「と、トラヴィス、さま」
彼女の顔が火照っている。まさか。
「熱があるのか?」
トラヴィスが彼女の肌に触れようとすると。
「トラヴィス、さま。からだが、なんか、へん」
☆~~☆~~☆~~☆
目の前のライトがめちゃくちゃ怒っていることがわかる。口をへの字に曲げて、目尻もキリっとあがっている。その目の前のライトが、盛大にため息をついた。
「トラヴィス。俺は言ったはずだよな。今、レインに抜けられて困るのはお前だって」
「はあ、まあ……」
「何が、はあ、まあ、だ」
あのニコラから回復薬をもらった日。レインの魔力は無事に回復していた。だが思わぬ副作用もあったらしい。
先日からレインの体調不良が続いていて、再び魔導士団の仕事の方を休むようになった。それがあまりにも長引くから、医者に診てもらったところ。
「まあまあ、ライト。こればかりは授かりものだから仕方ないでしょ?」
ライトの隣に座っているニコラは嬉しそうだが。
「義母さん。まさか、レインのために作った回復薬に、何か仕込んだわけじゃないですよね」
ライトが魔導士団の副団長に任命されたとは、トラヴィスの知らないことだった。いや、言われたのかもしれない。大臣か誰かに。だけど、レインのことが気になっていた彼は、その大事な話を聞き流していたのかもしれない。かもしれないではない、間違いなく聞き流していた。右から左に。
「ああ、だからか」
そういえば、数日前、ドニエルがすっきりした顔をしていた。肩の荷がおりた、というような感じで。
「そうなると、ドニエルは?」
「ドニエルは第一隊長。今の魔導士団の編成を大幅見直しするって。お前、何を聞いてたんだよ。粗方、レインのことが気になって、大事な話を全部聞き流していたんだろ」
その通りである。弁解のしようがない。
「こんなのが団長で大丈夫なのか」
「いや、だから。団長をお前に譲る……」
トラヴィスが言うと、ジロリとライトに睨まれた。
「お前な。そういうことは冗談でも口にするな。お前の実力は、他の奴らだって認めているんだ。ただ、変態なだけだって」
一言多いような気がするのだが。
つまりのところ、その変態を扱うことができる人間はライトとレインしかおらず。レインが不在となっている今、ライトが研究所の方から引き抜かれて、副団長に任命された、ということだ。彼としては、研究所に未練が無いわけでは無い。だけど、トラヴィスと一緒に仕事をこなすのも悪くはないかな、とも思っていた。彼とベイジルの資料を解読した時の楽しさと興奮は、学生時代を思い出させてくれた。
「それから、これはレインに渡しといてくれ」
同様に『辞令』と書かれた紙切れ一枚。こちらには『魔法研究所魔法薬学部所属』と記載がある。
「レインが、研究所に?」
トラヴィスはその紙切れをしっかりと両手で握るとわなわなと震えている。
「ライト。そんなに私とレインを離したいのか」
「違う違う」
ライトは右手をひらひらと振った。
「研究所所属の方が、何かと自由が利くからな。体調が良い時だけ、来ればいい。出産後は、研究所でも魔導士団でも、レインの好きな方に戻ればいいし。だから、それをよく見てみろ」
言われ、トラヴィスはもう一度その紙に視線を落とした。
魔法研究所の前に魔導士団付けと書いてある。つまり正確には『魔導士団付け魔法研究所魔法薬学部所属』
「ま、一時的に俺とトレードってことだな」
多分、ライトなりに考えてくれた結果なのだろう。所属が魔法薬学というところが、その意図を感じる。なぜなら、そもそもそのような部門がなかったからだ。きっと、彼女のために設立した部門なのだろう。薬師の知識も併せ持つ魔導士のために。
「レインの作った回復薬、やっぱり評判がいいんだよな。だから、体調が良くなったら、研究所の方でそれに専念して欲しいっていう声もあるんだよ」
「だって、私の娘ですもの」
義理の息子たちの話を聞いていたニコラは楽しそうに笑っていた。
「ねえ、ねえ。トラヴィス君。レインには会えるかしら?」
「あ。はい」
トラヴィスは立ち上がると、ライトには「ちょっと待っててくれ」と言い、ニコラをレインの元へと連れていく。




