22.独占欲の強い男の本性を
「あれ、お兄様でしたか?」
レインを迎えに行くと、そんな声を出された。
「俺では不満か?」
「いいえ。ですが、てっきりトラヴィス様かと思っておりましたので」
「あー。あれはな、仕事がな」
ライトの答えが曖昧だったけれど、レインはなんとなく察した。多分、というか間違いなく、仕事を溜め込んでいる。溜め込んだ挙句、休みを取れなかったということだろう。
「おばあさま、お世話になりました」
「また、遊びに来ておくれよ」
「はい、次はお母様も一緒に」
「いや、ニコラは連れてこなくていいよ。あれの薬は恐ろしくて使えたもんじゃないからね」
やはり、母親の薬の評判はそんなもんらしい。
「おばあさまも、遊びにいらしてくださいね」
「新婚さんにお邪魔するような野暮なことはしないよ。だけど、ひ孫の顔を見に行くのも悪くはないかもしれないね」
祖母の家で世話になったのは、結局半年ほど。意外にもというかやはり、レインには薬師としての才能もあったようで、そして彼女自身もそれに興味を持ってしまったようで。今後の身の振り方は要相談なのだが、魔導士団はやはり彼女を手放すようなことはしないだろう、と思う。
「レイン、帰る前にお前の魔力を鑑てもいいか?」
「えっと。そうですね、多分、お兄様に鑑てもらうのも、これが最後になりますからね」
「ん、どういう意味だ?」
「いえ、なんとなく」
きっと、この兄は魔力の回復方法を知っているのだろう。だから、魔力が回復したということは、そういうことであって、だから、つまり。
もう、鑑てもらいたくない、ということだ。
「やっぱり、魔力はゼロのままなんだな。トラヴィスからは少し回復したとは聞いていたのだが」
トラヴィスの野郎、余計なことを言いやがって。と、心の中で思っているレインではあるが、それを顔に出すようなことはしない。
レインはふわりと抱きかかえられ、馬にまたがった。
「疲れたら、俺に寄り掛かればいい」
後ろから兄の声。
「お前は、俺の大事な妹だからな。結婚しても、それは変わらない」
「はい。ありがとうございます」
一時期はトラヴィスにやるには惜しいと思っていた妹ではあるが、やはり妹の相手が彼で良かったのかもしれないと思えるようになっていた。その問題はきっと時間が解決してくれたのだろう。
レインが久しぶりにカレニナ家の敷居をまたぐと、母親が出迎えてくれた。
「お帰りなさい、レイン」
両手を広げて、レインを包み込む。だけど、レインの身長はいつの間にか母親と同じくらいになっていた。
「レインちゃん、しばらく会わないうちに大きくなったわね」
「そうですね。二年半ぶりですね、お母様」
「そういえば、あなた。私の薬に気付いたらしいわね」
クスリと母親は笑う。
「まあ、お母様のやりそうなことですからね」
「さすが、私の娘ね」
母娘は似たような表情を浮かべて、似たように笑顔を浮かべていた。
レインが戻ってきたのも、トラヴィスと結婚式を挙げるためだった。それから数日の結婚の休暇をもらい、それが明けたら魔導士団の方へ復帰する、予定。
だが、この二人の結婚を快く思っていない者が一人いた。それはレイン付きの侍女マレリア。最近はライトと顔を合わせるたびに。
「旦那様は嘘つきですね」
と言ってくる。
それでも、レインと一緒にイーガン家に行く予定。だからライトは気になってマレリアに尋ねた。なぜにそこまで、トラヴィスがレインの相手にふさわしくないと思っているのか、ということを。
「旦那様、お気づきになられていないのですか。あれだけ独占欲の強い男の本性を」
ライトにはマレリアの言っている意味がわからなかった。ただ、マレリアは純粋にレインの心配をしていただけなのだが。
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「えっと。マレリア。これを着るの?」
「はい。お嬢様。今日は初夜でございますので、どうぞこれでトラヴィス様を誘惑なさってください」
「誘惑って」
マレリアから渡されたのは、胸の下から広がっているデザインのすっけすけの下着。いわゆる、ベビードールと呼ばれるやつだ。大事なところだけ、見えるか見えないかを際どく隠してくれている。
「そのためにも、先ほど綺麗に磨き上げましたので」
マレリアは優秀だ。その、侍女として。そして彼女に言われるがまま、それを着てしまう素直なレイン。
「お嬢様、頑張ってください」
マレリアはレインにガウンを羽織らせた。
「何を」
「何をって、初夜に頑張るのは一つしかありません」
そこまでマレリアに言われてしまうと、ぐうの音も出ない。
「お嬢様。私はですね。お嬢様とトラヴィス様の結婚を反対していた者の一人なのです」
「そうなの?」
「はい。旦那様にも申し上げておりました」
「どうして?」
レインとしてはこの優秀な侍女が自分の結婚に反対していた理由が気になる。
「ですから、トラヴィス様は独占欲の塊なのです」
手の甲を頬に添え、マレリアはレインの耳元で囁いた。
「ですから、お嬢様。頑張ってください」
そこで礼をしてマレリアが出ていく。一人にしないで、とレインは思ったが、マレリアにいられても、多分、困る。
なぜかベッドの上で正座をしてしまうレイン。そして、先ほどマレリアが枕元に並べていたものを思い出す。
謎の小瓶。謎過ぎるけれど、なんとなくわかる。これ、作ったのは母親じゃないよなということを考えて、じっと正座で小瓶を見つめていたから、トラヴィスが入ってきたことに気付かなかった。
「レイン」
名前を呼ばれて、振り向く。
「何を真剣に見ているんだ?」
「いえ、ちょっと。なんでもありません」
「そうか」
トラヴィスがベッドに座ると、そこが静かに沈んだ。それでもレインは正座のまま。
「あの、トラヴィス様」
「なんだい?」
「その、後悔されておりませんか? その、私と結婚したことを」
「いや、全然」
トラヴィスが左手をこいこい、と振ったので正座したまま膝で移動し、彼の隣で再び正座する。
「レインこそ、後悔していないか? 私と結婚したことを」
そこでトラヴィスはレインの背に手を回した。
「いいえ」
「そうか」
そしてぐっと彼女の身体を抱き寄せ、その胸元に顔を埋める。それは母親に甘える子供のように。
「トラヴィス様?」
レインはそっとトラヴィスの頭を、そして髪を右手で優しく撫でた。
「私は、そんなに強い人間ではない」
「はい」
「私は、ずるい男だ」
「はい」
「私は、魔導士団長を務めているが。多分、それも向いていない」
「えっと。お辞めになりたいのですか?」
「君がいなくなってから、辞めようとしたけど。ダメだった」
辞めようとしたんだ、とレインは思った。
トラヴィスが団長職を辞すると騒いだら、魔法研究所の研究員やそれから大臣たちまでもがやってきて、必死でとめたらしい。その話は後日、レインの耳に届くことになる。
「とにかく。私はそういう男だ。そんな弱い男に嫁いで、後悔していないか」
「まったくしておりません」
空いている左手で彼の背を優しく撫でる。
「トラヴィス様が弱いことも、ずるいことも、そして努力家であることも私は存じております。そんなトラヴィス様だからこそ、一緒にいたいと思いました」
「レイン」
トラヴィスは顔をあげ、何かに怯える幼子のように彼女を見上げた。
「私たちは夫婦になりました。お互いの足りないところを、お互いで補っていけばよろしいのではないでしょうか」
目尻を下げて微笑む姿は、トラヴィスにとって聖母のようにも見える。
「レイン」
トラヴィスは彼女を抱く腕に力を入れる。二度と彼女を手放したくないと、そう思う。
「トラヴィスさま?」
彼女に名前を呼ばれるのは心地よい。
だからこそ、彼女を失うことなど、あってはならない。




