20.どんな現実でも受け入れてくれるか
まずは当たり障りのないところから説明をしよう、とトラヴィスは思った。
魔力枯渇は長引くと生命力の枯渇に結びついてしまうため、そのままにしておくことはできない、というところから。つまり、レインの魔力枯渇の状態がこのまま続いてしまうと、彼女はいずれその命を落としてしまう、と。
さすがにそれは彼女にとってもショックだったのだろう。
「そう、なんですね」
と小さな声で途切れ途切れに呟いたレイン。
「ですが、魔力が戻れば大丈夫なんですよね」
努めて明るく振舞おうとするレイン。
トラヴィスはそれに頷く。
「それで、その魔力を戻す方法とは?」
だから、そのようなキラキラと光る瞳で見つめるのをやめて欲しい。思わずトラヴィスは目を逸らす。
「ん-、まー。そうだね」
先ほどからトラヴィスの様子はおかしい。この肝心の魔力を戻す方法を尋ねると、言葉を濁すのだ。
「トラヴィスさま?」
目を逸らす彼から、レインは絶対に目を逸らさない。
「トラヴィスさまっ」
そろそろ誤魔化すのも限界だろう。いや、誤魔化そうとしていたわけでは無い。言葉を選んでいたのだ。トラヴィスは自分にそう言い聞かせる。
「私の魔力を戻す方法とは、本当にあるんですか? ないんですか? 無いなら、トラヴィス様とは結婚いたしませんし、婚約も解消いたします」
たまに見せつける彼女のこの勢い。何が原動力になっているのか、と思ってしまう。
「どんな現実でも受け入れてくれるか?」
トラヴィスはついついそんなことを尋ねてしまう。
彼女にとって、魔力枯渇が生命力の枯渇を引き起こす、という残酷な現実以外に、他にどのような現実があるのだろうか。
それでも。
「内容にもよりますが」
と、ちょっとだけ自信を無くすレイン。こういった正直なところも彼女らしい。
「ん-、まー、そうだね」
と、またどうでもいい前置きをしてから、トラヴィスは決意した。でもその前に、冷めてしまった薬草茶を一気に飲み干す。冷めてしまったから、余計に苦い。その苦みが口の中に残っているうちに話をしてしまうのがいいかもしれない。何の苦みかわからないうちに。
「レイン。君の魔力だが」
「はい」
レインは健気に返事をする。こんな彼女を目の前にすると、ものすごく言いづらい。それでも意を決して口にする。
「まあ、致せば回復する」
「何を?」
すかさず突っ込まれた。
ふんわりと表現しすぎたか、とトラヴィスは思った。ふんわりすぎて、通じていない。そのための彼女からの問い。何を、と聞かれたら答えなければならないだろう。
「肉体的な交わりを」
そこまで言ったトラヴィスは口の中がからからに乾いていた。この言葉でレインが内容を汲み取ってくれるかも自信が無いのだが。これでダメだったら次はどのような表現が適切であるかを、必死で考えていた。
だが、レインの目が大きく開かれ、そして口をパクパクと餌を求める雛鳥のように規則的に開けているその姿を見たら、恐らく、察してくれたのだろうと思う。
「えっと。それは、トラヴィス様の願望ではなく?」
ものすごい切り返しをしてきた。
「そういった願望が無いと言ったら嘘になるが」
口の中が渇いていたので、水分を補給しようと思ったのだが、先ほどお茶を飲み干していたことに気付く。
「すまない、レイン。もう一杯、お茶をいただけないだろうか」
こくこくと、首振り人形のように首を縦に振ってレインは立ち上がった。今度は苦くないお茶を淹れる。心を落ち着かせるような、爽やかな香り。
「えっと。それで、私がその、トラヴィス様と交われば魔力が戻ると?」
厳密にいえば、相手はトラヴィスに限らないのだが。そこを訂正すべきか否かで悩む。だが、根が正直なトラヴィスは口にしてしまう。
「まあ、そうだな。厳密にいえば、魔力のある相手であればよいので、何も私にかぎった話ではないのだが」
そこで一瞬、レインの顔が曇る。
「つまり、トラヴィス様は、私が他の方とそのような関係になっても構わないと、そうおっしゃるわけですか?」
「いや、けしてそういうわけではなくて、だな。その、あくまでも。その、一般的な魔力回復方法という話をしているだけで……」
「冗談です」
ツンと澄まして、レインはお茶を飲んだ。コトリとカップを置いた音が、異様に大きく聞こえる。
「冗談?」
「はい、冗談です」
レインはじっとトラヴィスを見据えたまま視線を逸らさない。何かの意思が宿った強い眼差し。
「君は、私の気持ちを疑っているのか?」
恐る恐る尋ねた。
「疑いたくもなります」
「なぜ?」
「だって、トラヴィス様は。全然私に手を出してくださらないじゃないですか。深い口づけだって、あのときが初めてだったし。今日だって、催淫剤が無いと行動にもうつしてくれないし」
「いや、だから、それは」
「私が、子供だから手を出せないんですよね。そういうことですよね?」
そういうことと言われても、どういうことだと聞きたい。それに、この流れは、レインは手を出してもらいたかったというように読み取ることもできるのだが。
「トラヴィス様の隣にいて、私がどれだけ不安で惨めだったか、わかりますか」
トラヴィスの周囲に群がる大人たち。子供の自分は不釣り合い。ずっと、そう思ってきたから。
「すまない。レインがそのように思い詰めていたとは、知らなかった。その、団長と約束をしていたから」
トラヴィスが言う団長とは、前団長のこと。つまり、レインの育ての父親。
「お父様との約束?」
「結婚するまで、婚前交渉はしない、と。それが婚約したときの条件だった。それを破ってしまうと、結婚ができなくなるから、と我慢していた」
「我慢、なさっているのですか?」
「してる。いつも。今も」
レインは唇を噛み締めた。そういう気持ちでいてくれたことが嬉しいのと、そして恥ずかしいのと。
「トラヴィス様」
大きく息を吐きながら、婚約者の名を呼び。
「好きです」
ガタンッと音を立てて、トラヴィスが椅子から落ちた。
「トラヴィス様」
レインは立ち上がるとトラヴィスの方に回り込む。そして、倒れたトラヴィスの様子を伺うと、彼は顔を真っ赤に染め上げていた。
「トラヴィスさま?」
「すまない。かなり、動揺した」
不意打ちはやめて欲しい、とトラヴィスは心の中で思っている。
レインがそっと手を差し出すと、トラヴィスはその手を握る。手を握ると、ちょっと何かを感じる。
「レイン、鑑てもいいか?」
ここでいうトラヴィスの鑑るは魔力を鑑定するということ。
「はい。ですが、トラヴィス様のお話をうかがったかぎりですと、魔力はゼロのままかと思いますが」
言いながら、レインは両手を差し出した。トラヴィスは立ち上がりその手を握る。
「いや、そうではあるのだが」
何か感じるのだ。彼女から少し、その、魔力を。
「魔力鑑定……」
両手をしっかりと握って、鑑定する。
「なんと」
そこでトラヴィスは目を見開いた。これは、魔力が枯渇したときを思い出させるような情景でもあるのだが。
「レイン。魔力が百程回復している」
「え? って。私、その、致してませんよ」
「いや、それはわかってる。その場合は、もっと魔力が回復するはずだからな」
レインの両手を握ったまま、トラヴィスは考える。前回、レインの魔力が回復したときはたったの二だったが、その前に何をしたか。今回、何をしていたか。
「レイン。口づけをしてもいいだろうか」
「え」
あらためてそんなことを聞かれると、恥ずかしい。
「あ、はい」
だけど、頷いてしまう。トラヴィスがレインの顎に手を添えた。今までは不意打ちが多かったから、こんな今からします的に手を添えられてしまうと恥ずかしい。ぎゅっと目を閉じる。
ふんわりと唇に柔らかいものが触れて、そしてその舌で無理やりこじ開けられた。思わず、目も開ける。
「あっ、んふ……」
息を継ごうとするたびに甘い声が漏れてしまう。力が抜けそうになりトラヴィスに身体を預けるようになったところで、トラヴィスが離れた。
「すごい、すごいぞレイン。魔力が五十も回復している。やはり、そういうことか」
ああ、このトラヴィスは研究モードに入っている。やばい、とレインの第六感が告げている。
「レイン。もう一度試してもいいだろうか」
トラヴィスが再び、頬に手を添えてくる。
「いえ、無理です」
きっぱりと答える。
「どうして? 君の魔力回復について、もう少しでわかりそうなのに」
「それ以上は、変な気持ちになるので無理です」
トラヴィスは固まった。




