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15.美味しくなさそうね

「私は落ち着いてから書斎の方に行くわ」とニコラは言っていた。

 だから先にトラヴィスはライトがいると思われる書斎へと足を向けた。


「ライト」

 トラヴィスが声をかける。

 

「あったぞ」

 既にライトは何やら書斎の机の上に大量の資料を広げていた。それを四方八方から眺められるようにと、机の周りに立っている。

「思っていたよりも、あった」


「そうだな。結構、あるな」

 その資料を目にしたトラヴィスも言った。


「だが、中身が料理の作り方だ」

 ライトがあるページを広げていたので、トラヴィスはそのページを覗き込んだ。


 胡椒少々、小麦粉一匙、砂糖一匙……。

 美味しくなさそうな料理の作り方が書いてある。


「なんだ、これは」

 トラヴィスは呟いた。

「他のは、どうなっているんだ?」


「こっちは、回復薬の作り方になっている」

 ライトが別な資料を開いて見せた。


 赤いキノコ一かけら、ヒカリゴケ二個……。


「まったく、意味がわからん……。ベイジル様は魔導士でいいんだよな?」

 トラヴィスは自信がなくなって、そんなことをライトに尋ねてしまった。

「た、多分」

 と答えてしまったのも、ライトですら自信がなくなってきたからだ。本当にこれがベイジルの資料なのかどうか、ということに。


「あー、見つかったのね」

 呑気な声とともに、書斎に入ってきたのはニコラ。先ほどまでの涙の痕など残っていない。


「義母さん。これが、ベイジル様の資料かどうか、わかりますか?」


「どれどれ」

 と言いながら資料をパラパラとめくる。

「ああ、懐かしい。そうよ、あの人の字よ。間違いないわ」

 そこで資料をまた机の上に戻した。


「ですが、これ。料理の作り方とか、薬の作り方が書いてあって、肝心の魔力についての記載は一切ありません」


「んー、他の資料はどうなのかしら?」


 トラヴィスは他の資料もパラパラとめくっていた。


「こちらは、基本属性の応用研究の論文ですね」

 まともな論文もいくつかあったらしい。

「ちょっとしか読んでいませんが、さすが、としか言いようのない内容です」


「そうなの? 私にはよくわからないけれど」


「義母さん、この薬の作り方。読んだらわかりますか?」

 ライトは一冊の資料をニコラに手渡した。ニコラだって薬師だ。しかも珍しい薬草を探すために、この家を出ただけのことがある、薬師バカ。


「これ、薬の作り方になっていないわよ」

 一目見ただけで、そんなことを言う。

「この字は間違いなくあの人の字。だけど、中身は薬の作り方ではないってこと。一体、何を考えてこんなことを書き記したのかしら。まあ、あの人らしいと言ったらあの人らしいけど」

 そこでニコラは笑った。懐かしむように、愛しむように。


 何を考えて――。

 ライトは考えた。大魔導士ベイジルが、料理の作り方や薬の作り方をわざわざ記したのは何故か。


「他人に知られないようにするため、か?」

 トラヴィスは呟く。

「何のために、って。誰にでもわかるような内容ではなく、それを解読することができるような魔導士にだけ伝えるために」


「秘密の内容ってことか?」

 ライトが尋ねる。


「もしかしたら、もしかしなくても。そもそもベイジル様は大魔導士だ。あの人の論文や資料が公になっていたら、今頃、魔導界も大騒ぎだよな」

 トラヴィスが答える。

「まあ、それ以前に資料がこんなところに隠れていたから問題なかったけれど。仮にこの資料が見つかってしまったとしても、この中身が公になることを避けたんじゃないのか? だから、魔導と関係の無いような内容で書き記したんじゃないのか?」


「つまり、それを解読したら、彼がずっと研究していた内容が導き出されるってこともあるってことか?」

 ライトが尋ねた。


「そうかもな。本当に伝えたい奴にだけ伝わるようにした、とかな」

 言うと、トラヴィスは顎に手を当てて考えた。料理の作り方。薬の作り方。

 料理、つまり食べ物、それは生きるために必要な物。

 薬、つまり回復薬、それは魔導士のために必要な物。

 生命力の枯渇、魔力の枯渇。これらが、料理と薬に紐づくような気がしないでもない。


 そして、ベイジルが本当にその内容を伝えたかった人物。それはきっと、彼が会いたがっていた彼の子。つまり、レインではないのか。


「ニコラさん。これは、薬の作り方、ではないのですよね?」

 トラヴィスはニコラに向かって聞いた。


「ええ。そうね。一般的な薬の作り方ではないわね」


「料理の方は?」

 続けてトラヴィスは尋ねた。彼は料理をしないから、この資料に書かれている内容が正しいのか正しくないのかがわからない。


「一見、それっぽく見えるけれど。この通りに作ったら、なんか、美味しくなさそうよね」

 そこでニコラはくすりと笑った。


「ライト。私たちはこれらを解読する必要があると思わないか?」


「奇遇だな、トラヴィス。実は俺もそう思っていたところだ」


 二人は右手をあげると、お互いの腕を交差させてトンとぶつけ合った。これは昔からの儀式。二人で何かをやり遂げようとするときの。

 二人の顔には希望に満ちた笑みが浮かんでいる。


「ねえ、それよりも二人とも」

 そこでニコラはパチンと両手を合わせて叩いた。


「そろそろお腹が空いたころではないかしら? この続きはお夕飯をいただいてからにしましょう」

 書斎の入り口でこちらの様子を伺っていた執事に気付いたらしい。彼はペコリと頭を下げた。つまり、夕飯の準備が整いましたよ、という意味。


「お前。今日、泊っていくんだよな」

 ライトがジロリとトラヴィスに視線を向けた。それに対して、トラヴィスは頷いた。


「あら、だったらお部屋の準備をしなければならないわね」

 ニコラはなぜか楽しそうだった。


 ニコラの突然の帰宅と、突然の来客にも黙って対応する優秀な使用人たちによって、彼らの寝泊まりする部屋は確保されたわけだが。

 トラヴィスは書斎のソファに深く座って、ベイジルの資料をじっと眺めていた。まったくもって、わからん。


「飲むか?」


 とライトが差し出したのは、そう、お酒だ。そういえば、今日は飲み明かそうと言っていたような気がするのだが。


「飲む」

 トラヴィスは答えた。


「これらの資料を探すだけだって、俺は二月(ふたつき)もかかったんだ。そんな簡単に解読なんかできないだろ」

 酒を注ぎながらライトが言った。


「そうだな」

 トラヴィスは顔の高さまであげたグラスを、ライトのそれにカツンとあてる。


「なんか、わかったか?」

 ライトはトラヴィスが眺めていた資料を覗き込む。


「いや、全然。まったくもって、何もわからん。ライトのほうは?」


「俺もさっぱり、わからん」

 そこでライトはグラスをくいっと傾けた。喉に熱い液体が流れ込んでいく。

 熱くなる身体だが、頭はなぜかすっきりとしてくる。

「これは一日二日で解読できるような内容ではないな」

 パサリと資料をテーブルの上に投げ出した。


「ところでライト。このベイジル様の資料はどうするつもりだ?」


「それは俺も考えてる。義母(はは)の許可が出たら、論文の方は禁書庫に預けるつもりだ。だがこっちは、この屋敷から出すつもりはないな」


「そうだな」

 そこでトラヴィスもパサリと資料をテーブルの上に投げ出した。


「あー、トラヴィス。覚えているよな、お前。約束は半年だからな」


「何がだ」


「半年経っても、レインの魔力を戻す方法を見つけられなかったなら、お前とレインの婚約は解消。すでに約束の日から二月経っているから、残り四月だな」

 そこでまたライトはグラスを傾けた。


「この期に及んで、まだそんなことを言うのか?」


「この期だろうがどの期だろうが、約束は約束だ。それに、仮に万が一のことがあったとき用のお前のためでもある」


「万が一って……」

 その万が一の言葉を確認したくないがために、トラヴィスも酒を呷った。そうならないためにも、何が何でもこの資料を解読しなければならない。

 わかってはいるのだが――。

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