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14.私の子に会いたかった

 ふぅ、と大きく息を吐いてから、ニコラは顔をあげた。


「ごめんなさい、取り乱して。もう、大丈夫」

 言い、カップに手を伸ばすと、残りのお茶を一気に飲み干した。


「あなたたちに言わなきゃいけないこと、たくさんあるのだけれど。何から話したらいいのか」

 はあ、と再びニコラは大きく肩で息をついた。

義母(かあ)さん」

 ライトは手をつけていない自分のお茶を義母に手渡した。すでにお茶は湯気を立てていない。温くなっている。

「ありがとう、ライト」

 ニコラがそれを一気に飲み干すと、ライトが手を伸ばして彼女のカップを奪った。そしてテーブルの上に置く。


「レインは、私とベイジルの子です。それは間違いありません」

 二人に対して丁寧語で喋ってしまっているのは、きっと無意識なのだろう。何かの緊張の表れか。

 ライトは頭ではわかっていたことではあるのに、義母からその口でその事実を突きつけられると、なぜか心の奥がザワザワと音を立てていた。心のどこかで認めたくない、という思いがずっとくすぶっていたのかもしれない。


「私とあの人が出会ったのは、っていうのは今、関係無いからいいわね。まあ、とりあえずあの人と出会って、ね。なんとなくそんな関係になって。彼は人込みが嫌いだから、私の田舎の方で一緒に暮らし始めたの」


「あ。もしかしてそれは、ベイジル様が一時期この王都からいなくなった、という時期ですか?」

 ライトの問いに、ニコラはそうね、と答える。

「もう、その時期には私がレインのことを妊娠していたし、あの人の研究はどこでもできるからって、田舎に引っ込んだってわけ」


 つまりベイジルが王都から姿を消したのは、妻が妊娠したから一緒についていったということか。一部で噂されていた魔物に捉えられたとか、失踪したとか、持病が悪化したために田舎で療養していたとか、そういった話は本当に噂だった、ということか。


「本当にね、突然だったの。あの人が、魔力が枯渇したとか言い出すから、魔力回復薬を渡したわ。ほら、私、薬師の家系だから」

 眼を細め、唇の端を持ち上げる。悲しい過去、絶望的な過去、苦しい思い。それを思い出しているからか、ニコラには自嘲気味な笑み。

「でもね。まったく回復しなかったのよね。その魔力が。といっても、私が彼の魔力についてわかるわけではないけれど、彼自身がそんなことを言っていたから、多分、そうなんだと思う」


 魔力回復薬を飲んでも魔力が回復しない、ということはいまのレインと同じ状態であるのだから、その後、彼がどうなったのか、ということがレインの今後を示唆するような気もするのだが。


 そこでトラヴィスが口を開く。

「それで、ベイジル様は」

 どうなったのか、ということを尋ねたいのだろう。


「レインが生まれる二月前に亡くなったわ」


「なぜ?」

 すかさずトラヴィスは尋ねた。


「魔導士のその魔力が無くなるということは、生きるために必要な体力を奪われるようなものらしいの。なんだったかしら、そう。生命力の枯渇? だったかしら。だからね、次第に衰弱して、そして最期は眠るように亡くなったわ」


――ああ、私の子に会いたかったなぁ。


 ベイジルは優しくニコラのお腹に触れると、ふっと笑った。そしてそれが、ベイジルの最期の言葉となった。


「その、魔力が枯渇した原因というのは、わかっているのですか?」

 ライトの問いに。

「私はわからないけれど、もしかしたらあの人はわかっていたのかもしれないわね。動けるときにはいろいろと書き物をしていたから。本当に、最後の最期まで、研究バカだったのよ」

 目尻に溜まっている涙が、辛うじてそこで堰止められている。


義母(かあ)さん、そのベイジル様の資料や論文に心当たりはありますか?」


「そうねぇ。あの人、本当に物書きは好きだったのよね。あっちの家からこっちへ来るときに、私がいくつかは持ってきたのだけれど。もしかして、アランに預けてしまったのかしら」

 そこでニコラは首を傾けた。

 アランとはライトの父親。その父親がベイジルの資料を預かったとしたらどこに保管するか。

 ライトは考える。

 第一に考えられる場所は、書斎。でもベイジル様の資料だ。大事にしまっておくならば金庫、だろう。その金庫も書斎にある。

 そこは何度も探した。だけど、無かった。


「でも、書斎には無かったんですよ」

 ライトが言うと、ニコラは驚いた顔をする。


「ええ、そんなはずはないわよ。書斎に無ければ、あとは地下の書庫にあるはずなんだけど」


「そちらも調べましたが、ありませんでした」


「え」


 その驚き方から推察するに、間違いなく義母はベイジルの資料をこの家にまで持ってきたのだろう。だが、問題はその後。この家のどこにしまったのか、ということ。


 先ほどから黙っていたトラヴィスが、冷めきったお茶を口に含んだ。温い、を通り越して冷たい。


「ニコラさん」


 彼の声は非常に落ち着いていた。レインに会いたいと、あれだけ騒いでいたトラヴィスであるのに。

 だからその声の主がトラヴィスであることを認識するのに、ライトは三秒程時間を要した。

「ベイジル様はベイジル様の名前で、それを残していますか?」


「どういう意味だ?」

 と尋ねたのはライト。


「いや、言葉の通りだ。私たちはベイジル様の資料だから、ベイジル様の名前で探していた。だが、考えてもみろ。あの大魔導士様だ。資料や論文なら国宝ものだろう。それがこれだけ探しても見つからない、ということは、違う名前で残しているのではないか?」


「うーん。じゃあ、もう一つの名前の方かしら」

 ニコラが人差し指を頬に突き刺して言った。何かを思い出している。

「もう一つの名前?」

 ライトは聞き返す。


「うん、まあ。ベイジルって魔法研究所に入ってから使い出した名前らしいのね。本名はクラウスよ。彼、他に家族はいなかったんだけど、知人に知られるのが恥ずかしいとかなんとかで、魔法研究所では違う名前を使っていたみたい。人間なんて嫌いだ、とかかっこよく言い切っていたくせに、そういうところは小さい人間だったのよね」

 ふふっと楽しそうに笑ったのは、それが楽しい思い出だからだろう。きっと彼女はベイジルのことを本当の名前で呼んでいたに違いない。


 クラウス。

 ライトは記憶を探る。トラヴィスも探る。だが、魔導図書館でその名前を見たことは無い。


 そこで勢いよくライトは立ち上がった。


「書斎にあったかもしれない」


「本当か?」

 立ち上がったライトをトラヴィスは冷静に見上げた。

 ああ、とライトは頷く。

「トラヴィス、ついてこい」

 音を立ててライトは部屋を出ていった。


 それに続いてトラヴィスが立ち上がると、ニコラは彼の名を呼ぶ。


「トラヴィスくん。あなたにこんなことを頼むのは間違っているかもしれない。だけど」

 そこでニコラは目を伏せた。

「レインのこと、お願い。見捨てないであげて。あの子ね。ああ見えてもね。あなたのことが好きなのよ」


 トラヴィスの心臓が大きく跳ねた。それはレインに対する想いは、てっきり自分の片思いであると思っていたからだ。誰かに奪われるくらいなら、と無理やり四年前に婚約をお願いしたくらいに。


「ニコラさん。レインは、その、私との結婚を望んでいるのですか?」


 ニコラは驚いて顔をあげる。多分、驚いたから涙は止まったのだろう。涙の痕。


「少なくとも私の前では、あなたとの婚約が決まったことを、嬉しそうに話をしていたわ。まだ幼かったけれど。自分で本当にいいのか、って」


 レインが自分との婚約を喜んでいた、だと。


 それはトラヴィスが初めて耳にした事実。

 少なくとも彼女は自分のことを好きだとか愛しているとか、そういった言葉をかけてくれたことがあっただろうか。いや、無い。

 でも、いつも彼女は自分のことを案じてくれていた。それは遠く離れた今も。

 あの、甘くない回復薬。

 レインは覚えていてくれた。回復薬が甘くて、飲むことに苦戦していた自分を。その事実。それだけでは、彼女が自分を好いていてくれていることの証拠にはならないだろうか。


 レインを失いたくないと思うと同時に、彼女の口からその言葉を聞きたいと思った。

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