13.仕方ないから付き合ってやる
魔導士団に入団したての頃は毎日のように足を運んでいた魔導図書館であったが、団長という立場に近づくにつれ、次第に足が遠のいていった場所でもある。それは仕事の忙しさが理由なのか、団長という立場に満足してしまったからなのか、トラヴィス自身、理由はわからない。
大魔導士ベイジル――。
魔法を愛し、孤独を愛した魔導士、と語り継がれている。そのベイジルに娘がいた、という事実に驚きを隠せないと共に、その娘がレインであったということ。それは、胸をえぐられるような事実だった。
だから、レインと結婚させて欲しいと四年前に当時の団長に懇願した時も、嫌な顔をされたのか、と思った。きっと、あの一家は、彼女がベイジルの娘であることを隠しておきたかったに違いない。ライトもこんな状況で無ければ、きっと口にしなかったはず。それでもそれを教えてくれたライトには感謝しかない。
もし、ベイジルの資料などが残っているとするならば、間違いなく禁書庫の方に保管されているだろう。それだけの魔導士だったのだ、ベイジルという魔導士は。
トラヴィスは許可証を見せ、禁書庫の鍵を受け取る。久しぶりに足を踏み入れた禁書庫。ライトがベイジルの論文が見たこと無いと言っていたが、実はトラヴィスも無い。だが、ベイジルほどの魔導士であれば、何かしら残っていてもおかしくはないと思っているのだが。
書棚の前に立ち、規則正しく並んでいる論文の背表紙を眺める。じっと、ベイジルの名前を繰り返しながら、それを見ていた。
だが、本当に彼の名は一つも無かった。そんなことあり得るのだろうか。しかも研究所所属であったと記憶している。研究所所属の人間であれば、間違いなく研究の成果を何かしら残しているはずだ。
禁書庫に鍵をかけ、その鍵を返すと、研究所の方へと向かった。
トラヴィスが研究所の建物内を闊歩するのは、珍しい。だから、すれ違おうとする研究所所属の魔導士たちが、トラヴィスのことをじっと見てからすれ違う。
ライトの研究室の前に立った。彼のようにそれなりに研究を続けていると、大部屋の研究室ではなく、こうやって個室の研究室を手に入れることができるらしい。
ノックをする。返事があった。
扉を開けて、中へと入る。
「なんだ、お前か」
机で書き物をしていたライトが顔をあげた。
「お前がここにくるなんて、珍しいんじゃないのか? まあ、そこにでも座れよ」
ライトの机の前にある、ソファとテーブル。
そして部屋の両脇にはびっしりと本棚。
この部屋にあるのはそれだけ。きっとこのソファは、ライトが横になるために置いてあるにちがいない。
「なんか、飲むか?」
ライトの問いに、トラヴィスはいらない、と答える。
「それで、何の用だ」
「ベイジル様の資料を探してきた」
「無かっただろう?」
「そうだ」
「俺も探したけれど、無かった」
ライトは言った。
「この、研究所には無いのか?」
トラヴィスは尋ねた。
「うーん」
ライトは唸るしかなかった。トラヴィスの指摘はごもっとも、なのだが。
「残念ながら、無い」
「禁書庫にも無かったな」
「そうだ」
「だったら、どこに?」
「そんなの、俺も聞きたいくらいだ」
ライトは大きくため息をついた。結局、導き出された答えは同じ。
ベイジルの資料は存在しない、ということで。
つまり、レインの魔力枯渇についてのヒントを手に入れることができない、というわけで。
「なあ、ライト」
トラヴィスが顔だけをライトに向け、その名を呼んだ。
「お前の屋敷に行ってもいいか?」
突然、トラヴィスがそんな提案をしてくる。
「んあ? 来てもいいが、レインはいないぞ」
わざとそう答えるライト。
「お前の屋敷に行くのは、レインが目的ではない。むしろ、ベイジル様の資料だ」
「は?」
「ベイジル様がレインの父親だというなら、お前の義母親がベイジル様と結婚していたってことだろう? そうなると、そこにあるような気がするのだが?」
「だが、うちの書斎には無かったぞ?」
「お前の目は節穴かもしれんからな。私も自分の目でそれを確認したい」
いつぞやのトラヴィスはどこに行ったのやら。毒舌を吐く余裕まで出てきたのか。
「だったら今日、久しぶりに泊っていくか? お前と飲み明かすのも悪くは無いな」
「ふん」
と言ってトラヴィスは立ち上がった。
「お前もレインがいなくて寂しいんだろ? 仕方ないから付き合ってやる」
ひらひらと肩越しに手を振って、部屋を出ていく。
ライトは思わず、笑みをこぼしてしまった。
無理やり彼をレインと引き離した形になってしまったけれど、それでも普段の彼を取り戻してきたようで少し安心した。
ライトがトラヴィスを連れて屋敷に戻ると、何やら騒がしい。
「何かあったのか」
と最初に出会った使用人に尋ねると。
「あの、旦那様。その、先代の奥様が……」
歯切れの悪い回答が返ってきたのだが、それでなんとなく察した。
「義母さん」
談話室の扉を開けるや否や、中にいる人物を確認する前に声をあげてしまう。
「あら、お帰りなさい、ライト。と、後ろにいるのはトラヴィスくんね」
ゆったりとソファに座って、カップを傾けている女。間違いなくライトの義母であり、レインの産みの母であるニコラ。
「ちょっと、疲れてしまって。今、こちらで休ませてもらっていたのよ」
レインに似た顔で、彼女はニッコリと笑う。
ライトはトラヴィスに視線を送り、二人はニコラの前に腰を落ち着かせた。侍女が黙って二人の前にもお茶を置く。
「どうして、突然、戻ってこられたのですか?」
「あなたが、こんな手紙を寄越したからでしょう?」
テーブルの上に、くしゃくしゃになった封書を置いた。
「手紙……」
そう言われると、一月以上も前にそれを出した気がする。が、そのときは義母がどこにいるかなんてわからなかった。だから、届かないと思っていた。
「それで、レインは? 姿が見当たらないし、誰も、何も教えてくれないのよ」
「それは、俺が口止めしているからです」
「なんで?」
「レインはもう、ここにはいません」
ため息とともにその言葉を吐き出した。居場所については、隣にトラヴィスがいる以上、今は口にできない。
「どうして?」
「レインが望んだから」
「そう」
そこでニコラはお茶を飲んだ。それだけの会話でいろいろと悟ってくれたということだろう。
「ところで、トラヴィスくんも、レインの事情は知っている、でいいのよね? このまま、話を続けてしまってもいいのかしら?」
ニコラが言うレインの事情。それは、魔力枯渇という事情。
トラヴィスは黙って頷いた。
トラヴィスがレインの母親と会うのは、今日が初めてではない。
最後に会ったのは数年前。そう、前団長が亡くなった時。初めて会ったのは、レインとの婚約を認めてもらったとき。
いつでも彼女は、温かな笑みをその顔に浮かべていた。レインに似た顔で。
今も、レインのことを案じながら、そこには穏やかな笑みが浮かんでいる。
レインがあのベイジルの娘と言うのであれば、当たり前だがこの母親がベイジルの愛した女性というわけで。
ベイジルがこの女性を選んだのもなんとなくわかるわけで。
それは自分がレインに惹かれたようなものなんだろうな、とトラヴィスは思っていた。
「あ。トラヴィスくんは、レインの父親の話は知っているのかしら?」
それにもトラヴィスは頷いた。
「はい。先日、ライトから聞きました」
「そう。本当は、あなたがレインと婚約した時に、伝えておくべきだったのよね。別に内緒にしておいたわけではなかったのだけれど」
と、ニコラの歯切れが悪い。
「ごめんなさいね、黙っていて」
そっと目を伏せる。そしてそのまま両手で顔を覆う。
「義母さん?」
ライトは立ち上がると、ニコラの隣に座り直す。
多分、恐らくニコラは泣いている。
トラヴィスは口を真一文字に閉じていて、ただじっと一点を見つめていた。なぜか目の前の親子がうらやましいという思いも沸き起こるトラヴィス。
ライトはそっと義母の背中に手を回す。
「義母さん……」
「ごめんなさい、つい。あの人のことを思い出してしまって」
ここで言うあの人、とは、ライトの父親のことではないだろう。間違いなく、ベイジルだ。
そこで、なぜかライトの胸はキリリと痛んだ。




