11.できるわけがないだろう
アーロンの話は、ほぼほぼ父親から聞いていた内容だった。だが、彼の口から義母のニコラの名前が出てこないのが不思議だった。だから思わず聞いてしまった。
「あの。ベイジル様は結婚はされていなかったのでしょうか」
「あれが結婚。できるわけがないだろう」
ふっと、アーロンは鼻で笑った。
「だが、もししていたとしたら、相手の女性を見てみたいものだ」
それはベイジルをバカにしているわけではない。本当にどこか遠くを懐かしんでいる様子。
「仮に。もしも万が一。彼が結婚していたとしたら。彼の論文はそこにあるのではないか? 彼の家族の元に」
「ベイジル様の家族」
「まあ、彼は両親も幼い頃に失っているし、兄弟もいなかったと記憶している。彼が住んでいたのは研究所の寮だし。となると、本当に彼の論文はどこにいったのか。ああ、思い出した。彼は突然姿を消したんだよな。その後、団長からベイジルが亡くなったらしいと、聞いた」
ふむう、とアーロンは右手を顎に当てた。ここでいう団長とはライトの父親のことだ。
どうやら彼はベイジルとニコラの関係は知らないらしい。
「ああ。そうえいば」
アーロンはまた何かを思い出したのか、口を開く。
「レインちゃんは元気か? もう、学園は卒業したのだろう? 噂はちらほら入ってきている」
妹のことを尋ねられ、少し心の中で焦るライトではあるが、当たり障りのない答えをする。そして、けして嘘はつかない。
「はい。魔導士団の方に入団しました」
そう、これは嘘ではない。
「そうか。彼女の魔力を鑑たとき、なぜかベイジルを思い出した。彼もまた、魔力無限大だったからな」
ライトの心臓がドキリと激しく鳴ったのは、アーロンにレインの素性がバレたかもしれないという思いからだ。だが、ライトの考えは杞憂に終わる。
「まだ幼い少女だ。大事にしなさい」
アーロンのその温かい言葉に、ライトは頷くことしかできなかった。
アーロンの屋敷からの帰り道。ライトは、考えていた。ベイジルの論文はベイジルの家族の元に、という言葉。ベイジルの家族は、ニコラとレインだ。ということはやはりニコラに頼るしかないのだろうか。
そう考えていると、ふと、レインに会いたくなった。また、あそこへ行くのも悪くはないかもしれない。そして、その足で真っすぐに研究所へと向かった。
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レインが森で薬草を採っていたら、サクサクと土を踏みしめる音が聞こえてきた。誰か、いる。だが、この歩き方は祖母ではない。誰だ。レインは身構える。
「レイン」
「え、お兄様?」
聞き慣れた声。そして、本来であればそこにいないだろう人を見つけ、レインは顔をクシャクシャにして笑顔を浮かべた。
「あ、おい。危ないから」
ライトの制する声も聞かず、レインは走り出し、そしてその一歩手前から飛びついた。
「お兄様」
レインの両腕がライトの首元に絡まる。と同時に、ライトは後ろに尻もちをついてしまった。それだけレインの勢いが強すぎたのだ。
「お前は、変わらないな」
尻もちをついたライトは目の前の妹の顔を見上げた。だが、そう言ったものの、変わらないのはその中身だけで、外見が以前と違うようにも感じられた。
以前よりも、大人になっている。その変わりように、少しドキリとする。
「お兄様。二月ぶりですね」
レインは兄の顔を見た。
「お兄様もお変わりがないようで、安心しました」
「俺はそんなにすぐには変わらないよ」
ライトのそれに、うふふと、レインは声に出して笑った。それはライトに会えた嬉しさからだろう。
「ところで、今回はどうされたのですか? 何をしに?」
「なんだ。俺が意味もなくここに来てはいけないのか?」
ライトはわざとそう答えた。少し、妹を困らせてみたいといういたずら心が働いたのかもしれない。
「そうではありませんが。だって、お兄様も忙しいのでしょう? その、研究所の方が」
「まあ、忙しいと言ったら忙しいかもしれないが。研究員は、時間は自由に使えるからな。それが研究員の特権だ。ここに来たのも研究の一つと言い切ればいいだけだ」
「まあ」
レインが目を見開いて、大げさに驚く。だが、その目はすぐに細くなり、目尻は垂れ下がる。
「レインに会いに来たんだ」
ライトは妹の背中に両手を回すと、ライトはレインの胸元に顔を埋める形となる。
「お兄様?」
いつもと違うようなライトの態度に、レインは少々戸惑いを覚える。だがそれもほんの数秒の出来事で、ライトはレインからぱっと離れた。
「とにかく、元気そうで安心した。思っていたより、顔色もいいな」
右手を伸ばしてきたライトは、レインの頬に触れた。相変わらず、彼女の肌は滑らかだった。だがこれ以上、妹とくっついていたら自制心が効かなくなる恐れがある。そっと、彼女を引き離した。
「レインは今、何をしていたんだ?」
平常心という名の面をつけ、ライトは尋ねた。
「えと、薬草を集めていました。やはり、こういった薬草はこの地方の森にしか無いようなので。あとは、もっと珍しい薬草は、日の当たらない洞窟とかにあるようです」
「なるほど。だから、薬師は王都には少ないというわけだ」
「そうなんです」
ライトが理解してくれたことが嬉しかった。
彼は、立ち上がりついた埃を手で払う。レインは薬草の入った籠を手にする。
「お兄様。今日は泊っていかれるのですよね」
「できれば、そうさせてもらえると助かる」
ライトはひょいとレインが持っている籠を奪い取った。
「お兄様」
妹が見上げてくる。
「このくらい、俺が持つ」
笑顔を浮かべて言うと、彼女もニッコリと笑顔で返してくる。この笑顔は昔から変わらない。
二人並んで、祖母が待つあの質素な小屋へと向かう。その間、レインはここに来てからどんなことを学んで、どんなことをしていたのかを、身振り手振りを交えながら教えてくれた。こんなに楽しそうに笑って話す彼女を目にしたのは、いつぶりだろう。
学園に入ってからは彼女の顔から笑顔が遠ざかっていた。家にいるときは笑っているけれど、学園の中ではのっそりとした表情。魔導士団に入ってからはどうだろうか。トラヴィスがいてくれるから平気、と言っていたような気もするが。
「ただいまもどりました」
「はいはい、おかえり。あら、ライトくんかい?」
祖母はレインの後ろにいるライトを見つけると優しく声をかけてくれる。そう、レインの家族は皆、優しい。ニコラもまた然り。
「また、遊びに来てしまいました。ご迷惑でしたでしょうか?」
突然の訪問を受け入れないところも多い。だから、あえてライトはそう尋ねる。
「迷惑なわけがあるかい。久しぶりにライトくんに会えて嬉しいよ。さて、レインちゃん。帰って来たばかりで悪いけれど、ライトくんをもてなす準備をしておくれ。薬草はそっちに置いといてね。これは、あとで教えようね」
てきぱきと指示を出す姿は、義母のニコラと重なる部分がある。やはり親子なのだろう、と思った。
それからレインは祖母の指示の通りにライトにお茶を出して、お菓子を並べる。こんな山の中でどうやってお菓子を調達したのかと思ったら。
「私が作りました」
と恥ずかしそうにレインが言う。その答えが意外だったので、目を丸くしてしまうライト。
「私は、外で薬草を仕分けているからね。二人で、積もる話もあるのだろう」
気を利かせてか、祖母はそんなことを言うと、薬草の入った籠といくつかの空の籠を抱えて外に出て行く。パタンと乾いた音を立ててしまる薄っぺらい扉。
「それで、今日は、どうかされたのですか?」
レインは尋ねた。それは突然、こんな山奥まで訪問してきたライトへの言葉。と同時に、会話のとっかかり。
「それは、さっきも言っただろう? レイン、お前に会いに来たんだよ」
「まあ。お兄様って、案外、寂しがり屋だったのですね」
嬉しそうに首を傾ける。
「そうかもしれないね」
笑って、ライトはお茶を一口飲んだ。家族に飢えているのは、あながち間違いではない。
「あ、お兄様」
思い出したかのように、レインは口を開いた。
「なんだ?」
「その、トラヴィス様はお元気でしょうか」
なぜか彼女の表情は曇る。
「気になるのか?」
「少し」
トラヴィスはレインの婚約者だ。気にならない方がおかしいかもしれない。それに、いまだ婚約解消にまでは至っていない。レインはそれも知っている。
「トラヴィスも、レインの魔力枯渇について調べてくれている。俺も調べているし。だから、もしかしたらレインの魔力も戻るかもしれない」
「そうなると、よいのですが」
テーブルの上に置いてある両手をきゅっと握りしめた。
「レイン」
ライトはその妹の両手に自分の手を重ねた。
「また、鑑てもいいか?」
「はい」
その返事からはあきらめ、というものが感じられた。だが、そのあきらめは現実だった。
「お兄様? どうでしたか?」
レインに声をかけられ、ライトはふと我に返る。
「うん、魔力はゼロのままだ」
「そう、ですよね」
レインは力無く笑っていた。




