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10.誰かがやらねばならない

 ライトが団長室から廊下に出ると、副団長であるドニエルに呼び止められた。

「あ、ライトさん」

 周りの様子をうかがいながら、彼はちょっと小走りで寄ってくる。小走りであるのは、廊下を走らないようにしようという気持ちの表れか。廊下を走るとすぐにトラヴィスから注意されるらしい。そういったところは真面目な男だ。


「あの、レインさんは」

 ドニエルが小声で尋ねてきた。

 そう、彼だ。唯一レインのことを気にかけてくれる人物は。


「ああ、レインは今、体調を崩している」

 それがライトの決まり文句。


「もしかして、とうとう団長に愛想を尽かしてしまったのかと思って、焦りました。そうではないんですね。ちょっと安心しました。ここだけの話ですが、本当にあの団長を扱えるのはレインさんしかいないんですよ。身体の方は、あまり良くないのでしょうか」


 そのように尋ねるドニエルが、本当にレインのことを心配しているというのは、その態度からも感じ取ることができた。むしろ、彼女がいないことによる弊害を心配しているのかもしれないが。


「ああ、悪いが当分の間は休むことになると思う」


「そうですか。どうか、お大事になさってください」


 ドニエルはしゅんと背中を丸めて、そこを立ち去ろうとする。


「ドニエル」

 ライトは思わず彼の名を呼んでいた。

「はい」


「悪いが、トラヴィスのことを助けてやって欲しい。あれを一人でさばくのは無理だ」


「はい。いつもはレインさんが対応してくれていたのですが、レインさんがいないのでは誰かがやらねばならないですね」


 ちょっと寂しそうにドニエルが笑った。

 そして二人は別れた。


 ライトはその足で、魔導図書館へと向かった。魔導図書館とはその名の通り、魔導関連の本が集められた図書館。ここに足を踏み入れられる者は魔導士団か、魔法研究所所属の者だけ。さらにその地下には禁書庫があり、ここに入ることができるのは魔導士団でも上級魔導士以上、研究所でもそれなりの成果を上げていて所長に認められた者だけだ。

 ライトは受付で許可証を見せると、禁書庫の鍵を預かった。禁書庫には誰もいない。ここに訪れる者は選ばれし者だけであり、その選ばれし者たちもそんなに頻繁に足を運ぶわけでは無い。だから、他に人などいるはずがない。

 書棚の前に立つとベイジルの名前を探す。著者別に並んでいるはずだから、その彼の名前の頭文字付近の論文を探す。だが、見つからない。仕方ないから、先頭から探し始める。わざと指で追い、見逃さないように、と。

 途中で、自分の父親の論文が目に入ってしまい、なぜか緊張が解けてしまう。そして、最後まで探し終えた時、やはりベイジルの名前が一つも無かったという事実に直面する。

 だが、見逃している可能性もある。そう思い、もう一巡する。だが、見つからない。でも、もう一度。と、五回ほど見直してしまった。これだけここを探しても見つからないというのは、ここには無いのだろうという諦めが沸き起こる。


 仕方ないのでライトは別な論文を探すことにした。特に誰が書いた論文、というわけではない。どちらかというとテーマ別。魔力枯渇に書かれているもの、それから成長について書かれているもの。それらを読んでみたい、と思った。

 ライトの研究は、属性混合の研究がメインだった。純粋に魔法属性のみに特化している研究。だから、魔導士と魔力というテーマについては、ほとんど目を通したことがなかった。魔法研究所に所属している者というのは不思議な人間が多く、自分の興味あるテーマに関しては貪欲に取り組むのだが、興味の無いものは一切関わろうとしない。むしろ、一般常識に欠けているような人間も多い。それが認められるのが研究所のいいところかもしれない。


 とりあえず、ライトは五つほど論文を手にした。この禁書庫内の資料は、書庫外への持ち出し禁止だ。だから、ここで目を通すしかないのだが。

 禁書庫内の机についた。論文を広げる。すると、なぜかトラヴィスのことが思い出された。

 彼はすぐに「研究所所属は暇でいいな」と言う。だがライトに言わせれば、暇なわけではない。ただ、時間を自由に使える、というだけ。

 それに研究所所属だからって好き勝手にやっているわけではない。一つのテーマを決め、それに対して成果を出さなければ、次の年の契約更新は無い。そういった意味では、不安定な立場でもある。

 ただ、幸いなことに、先述した通り、研究所所属の人間は自分の興味があることに対しては貪欲に取り組む。つまり、貪欲に取り組めなくなった者たちだけが、契約を打ち切られるというわけだ。


 開いた論文には、魔導士の魔力とは普通の人間の体力のようなもの。と記載があった。著者を確認したら、ライトの知らない著者だった。生きているのか死んでいるのかさえもわからない。ただ、論文の発表時期を考えると、後者の確立の方が高いだろう。

 魔力とは人間の体力のようなものであり、訓練をすればその力をつけることができる。使い果たしたときには、回復に専念する。薬を使うのも良いし、その身体を休めることでも良い。それで体力が回復するように、魔力も回復する、と。

 魔力が体力であれば、レインは体力を失った状態にあると考えられる。休息してもその体力が戻らないのであれば、やはり回復薬に頼るのがいいのだろう。だが、その回復薬の効果がないとすれば。

 そこでライトは考える。新しい病気が見つかったときに新しい治療薬を開発するように、レインにも新しい回復薬が必要である、ということにならないだろうか。

 わずかでも希望があるならば、それにすがりたいという思いだ。


 もう一つ。成長と魔力についての論文。著者名は、アーロン。つまり、父親の部下であり、前魔導士副団長であった彼だ。

 父親が亡くなった魔物討伐で、彼もまた大けがを負った。普通の回復魔法も回復薬も効かないような大けが。それは、部位の欠損。確か、左腕と聞いていたような気がする。部位欠損の回復ができる魔導士は、当時は父親だけだったはずだと記憶している。その父親が亡くなったのであれば、部位欠損回復が行える魔導士は不在だった、ということ。

 つまり、その状態での魔導士団への復帰は絶望的であると言われ、魔導士団から退いたはず。

 彼の論文には、身体の変化により、その魔力に変化が現れる者も多い、という記述有り。レインの身体の変化といえば、とうとう大人の女性として子を宿す準備ができた、ということくらいしか心当たりがなかった。だが、彼女の魔力枯渇はそれの後であることを考えると、それと魔力枯渇は関連しているのかもしれない、とも思えてくる。

 アーロンの論文は、三回ほど読み直した。今のレインの魔力の状態を説明してくれる内容に一番近い。それと同時にアーロンは元気だろうか、とも思う。パタリと論文を閉じて元の場所に戻すと、アーロンに会いに行こうと思った。



 アーロンの屋敷は、王宮を挟んでライトの屋敷とは反対の方向。先日、使いを出して予定を確認したところ、いつでも遊びに来ていいよ、という回答をもらっていた。遊びに行くわけでは無いんだけどな、とライトは思ったのだが、アーロンにとって自分はまだ子供のような存在なのだろう。


「久しぶりだね、ライトくん」


「アーロンさんもお元気そうで何よりです」


 応接室に案内され、彼らは向かい合って腰をおろした。


「それで、私に話とは何かな?」


 アーロンに左腕は無かった。それでも両腕を組んで、何かを身構えるような態度にも見える。


「あ、はい。アーロンさんは、大魔導士ベイジル様のことをご存知ですよね」


「ベイジル、か。懐かしい名前だね」

 本当に懐かしいと思っているのか、そのアーロンの顔がほころんだ。


「ベイジル様の論文を探しているのですが、見つからないので」


「ベイジルの論文。彼の論文が無い、と? そんなわけはないだろう。あいつは研究バカだったし、むしろ研究しかしていなかった。人が魔導士団の忙しい合間をぬって論文を仕上げると、それを読んだベイジルからは一日中質問されたものだ」

 懐かしさがこみあげてきたのか、笑みを浮かべているアーロン。


「アーロンさんの、成長と魔力の論文は、私も読みました」


「ほう」

 アーロンが身を乗り出した。

「それを読んだうえで、ベイジルのことを聞いたということは。ベイジルについて調べている、ということかな?」


 そのライトの一言だけで、そこに結びつけるアーロンもさすがだと思う。

 ライトはゆっくりと頷いた。だが、正確には調べているのはベイジルの娘についてなのだが。


「ベイジル様は、持病の悪化で亡くなったとされていますが。実は魔力枯渇による生命力の枯渇で亡くなったのではないかとも、裏では囁かれています。私も魔法研究所に所属する者として、それらはとても興味深い議題でもあります」


「なるほどね。だが、それは、君のお父さんからの情報だね」

 再びライトはゆっくりと頷いた。


「そうか、団長はそこまで君に話していたのか。ベイジルの本当のことを知る者は団長と当時の副団長であった私くらいだからね」

 さすが、当時の副団長。きっと、アーロンはベイジルのことを嫌っていなかったのだろう。ベイジルがアーロンのことをどう思っていたのかはしらないが。何しろ、人間嫌いと伝えられているくらいだから。


「どこから話そうか」

 アーロンは遠い目をしながらそう言った。彼の話は長くなりそうだ。

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