嫌いな人の言葉って疑っちゃいますよね
ぜーはーぜーはー息を乱しつつ、何とか二階に到着。
途中何度か足の力が抜けて転びそうになったが、その度に渡澄さんが支えてくれた。私が何度も転びそうになるので、渡澄さんの表情がどんどん不安げになってくる。
心配させたくはないが、尽きた体力はそう簡単には戻らない。せめてもと、私はカラ元気を振り絞り「ダイジョウブダイジョウブ」と明らかに大丈夫でない声で彼女に応えた。
当たり前だが完全に逆効果。渡澄さんは一層心配そうな目で私を見ると、腰に手を添えてきた。
「深倉さん。本当に少し休んだ方がいいと思うわ。足が生まれたての小鹿みたいになってるし……」
「でももう談話室に戻るだけだから。こんな中途半端なところで休むのもちょっとね」
「なら私が白杉さんを呼んでくるから、その間だけでも休んでて。すぐに戻ってくると思うけど、ちょっと腰を落ち着けるだけでもかなり違うと思うから」
何とか転がり落ちずに二階までたどり着いたところ、渡澄さんは一人天使の庭へと向かっていった。本当にいい子である。
私は追いかける元気もないので、厚意に甘え有難く床に座り込む。
この館に来て、何気に初めて腰を落ち着けたかもしれない。
せっかくだからこれまでの状況を整理しようかと思うも、疲れているため全然頭が回らない。諦めてぼんやりと天井を眺めることにした。
この館は天井もかなり高い。三階まで上がった時点でも、天井までの距離はそれなりにあったのを思い出す。
改めて、かなり巨大な館だなと思う。だからこんな勿体ない作りにしたのか。それともこの作りにしたかったから、館全体を巨大にしたのか。
……考えても分からない。というかどうでもいい。西郷に言われて何となく館についての探索をしてきたが、今更になって意味があったのか疑問に思えてきた。大体連絡機器がないことは、既に一度調べて分かっていただろうに。私たち足手まといを連れて動くことに何の意味があったのか。
――ああ、駄目だ。思考がまとまらない。
ふと、そう言えば西郷はどうしたのだろうと思う。
三階から二階に来るまで、かなり時間をかけてきた。とっくに西郷は悪魔の庭に着いていただろうに、いまだ出てくる気配がない。黒瀬君(さん?)とやらの交渉に苦戦しているのだろうか。
そもそも黒瀬君は悪魔の庭の床に寝転んでいたらしいが、果たしてなぜそんなところで寝転んでいたのか。あんな黒に囲まれた部屋、私ならお金を積まれたって入りたくないのに。
世の中にはいろんな人がいるということなのだろうけど……少し納得いかない。
不満を解消するために、「うなー」と声を上げながら体を伸ばす。すると、天使の庭の方の扉が開き、渡澄さんともう一人、白衣を着た背の高い人物が顔を見せた。
私は壁に手をつきながら、ゆっくりと体を起こす。
二人がこちらに近づいてくる間、私は白衣の男をぼんやりと眺める。まず間違いなく、彼が噂の白杉さんだろう。
事前情報通り、白衣眼鏡の高身長男性。
元は真っ白な白衣だったのだろうけど、天使の庭の花を見ていたためか少し泥がついている。しかしそのことを気にかけている様子は一切なく、生真面目そうな顔をして一心に何かを考えていた。
私は文系なので適当なイメージだが、白衣を着ていることもあり理系の大学院生っぽいなと思った。それに黒縁の眼鏡というのも、なんとなく理系っぽさを強めている気がした。
ただ、イメージの理系大学院生より顔は整っている。目鼻立ちがスラリかつキリッとしており、読モとかやっていても不自然じゃなさそうだ。
渡澄さんと並んでいるところを見ると、身長的にかなり凸凹していることを除けば美男美女のカップルに思えた。
あの間に私とか、やっぱり場違い感がすごく強い。体力が余っていれば、確実に二人を待たず一人で談話室まで向かっただろうに。でも今は二人を待つほかにない。正直一人でこの階段を下りようと思ったら、転がり落ちていく未来しか見えないし。
そうこう考えているうちに二人が私の元までたどり着く。
私は軽く頭を下げ、自己紹介をした。
「えと、初めまして。深倉美船です。仲間とはぐれて山を彷徨ってたところ、さっきこの館に着きまして――」
「白杉廉也だ」
私の話を遮り、名前だけを簡潔に述べる。
この館には愛想のいい男は一人もいないのかと、ちょっとだけげんなりする。西郷は彼のことを退廃的な雰囲気の持ち主とか言っていたけど、これは単に不愛想というのではなかろうか。
私が困惑気に渡澄さんを見ると、彼女も困った様子で小さく頷いてきた。
これはあまり気にしちゃいけないということなのだろう。
さて、三人揃ったので階段下りが再開される。また渡澄さんの介助つきでゆっくり階段を下りること約五分。
ようやく一階に辿り着くと同時に、館の出入り口が開き人が入ってきた。
すわまた新たな遭難者かと思うも、入ってきたのは厚木だった。
なぜか全身をびしょびしょにして、苛立たし気に体をゆすっている。
私は渡澄さんの手から離れ、厚木に尋ねた。
「厚木……さん、どうしたんですか? 外、もしかして雨降り始めました?」
「うん、君たち三人揃って何をしている。こんなところにいるってことは、まさか外に出ようとでも考えているのか。だが残念だったな。外は生憎急な豪雨でな。この状況で山から下りようとするのは無謀極まりない。諦めてしばらくはここで休むんだな」
「だから何でそんな偉そうに……ていうかこっちの話全然聞いてないし」
相変わらずイライラする男だ。
私は少しむっとして、緩慢に足を動かして扉の前まで移動する。そして本当に雨が降っているのか、厚木を押しのけ確認してみた。
「わっ!」
顔を少し外に出した瞬間、風に煽られた大粒の雨が頭に降り注いできた。私は慌てて顔を引っ込め、扉を閉める。
結果、新たに頭をびしょびしょにした女が玄関に誕生した。
全身をびしょびしょにした男が、憎たらしいほど馬鹿にした表情を浮かべ、「そら見たことか」と渾身のどや顔を見せつける。
まあ彼の話を信じなかった私が悪いと言えばそうなのだが、とにかく凄くむかつく。
一刻も早くこの場から去りたくなり、「ちょっと髪乾かしてきます」と告げ、ゆっくりと風呂場の方へ移動を始めた。さっき調べた限りでは、脱衣所らしきところにタオルとドライヤーが置かれていた。
幸い濡れたのは頭だけなので、すぐに乾かして戻れるはず。
後ろで「なら、私も――」という渡澄さんの声がしたが、振り向かずに「すぐに行くから先行ってて」と返す。
ただでさえ心配そうな視線をもらい続け、精神が参っているのだ。これに加え同情の視線なんてもらったら、いよいよ鬱スイッチがオンになってしまう。
ゆっくりソファで休めるのは、これでまた遠ざかったなと思いつつ、私は必死に足を動かした。