奇妙な空間
客室らしき部屋を一通り見終えたところで、私たちはさらに隣の部屋に向かう。西郷曰く、三階は両側の通路に、それぞれ三部屋ずつある作りになっているらしい。
あと五部屋。今の客室みたいに、心臓に悪くない部屋だと有難いけれど。
少し歩いて客室の左隣の部屋に移動。例によって西郷が扉を開け、私たちは中に入る。
「おお、今度も普通……ではないか?」
広い部屋の床には物が一つも置かれておらず、代わりに壁と天井のあちこちに絵画が飾られていた。
壁と天井一面に絵画が貼られているのは、なんか執拗な感じがして気持ち悪い。それに絵画の貼られ方もかなりおかしい。どれも角度に規則性がなく、まっすぐ貼られていない。
「整然と飾られていない絵画って、描かれている内容に関わらずなんか変な気分になってきますね」
「そうだな。それにこれじゃあ鑑賞するのもままならない。少なくとも絵画を見る目的で作った部屋とは思えないな」
「でも、描いてある絵は私、嫌いじゃないですよ。素敵な風景画に見えますけど」
比較的まっすぐ貼られた絵画を見ながら渡澄さんが言う。
確かに、ぱっと見気持ちの悪い絵は一枚も見当たらない。実際にある風景なのか、それとも架空の風景なのかは判断しがたいが、夜の高原、山と山の間から昇り始めた太陽、森閑として人も動物も一切いない森の中、などなど。
絵に関して詳しくないのでどれほどのレベルなのかは分からないが、素人目では十分に美麗に見える。またすべての絵で共通しているのは風景画であることと、そのどの絵の中にも人を含めた動物が一切書かれていない点だ。
館の主が自ら書いたものなのか、それとも買い集めたものなのか。なんとなくどの絵も似た雰囲気を感じるので、どちらにせよ一人の画家によって描かれた作品であることが窺われた。
しかしまあそれだけ。特に電話機もないし、この状況でずっと見ていたくなるほどの魅力もない。
館の主人に関する情報も特に得られなさそうなので、早々に私たちは部屋を出た。そして左通路最後の部屋に移動する。
扉を開けて中を覗いた私は、今度は「うっ」と声を漏らした。
「木彫りの仮面がたくさん……。どれも人間や動物を模したものじゃなくて、悪魔とか鬼とか天使の顔……?」
隣の絵画の部屋と同様、床には全く物が置かれず、壁と天井にみっちりと木製の仮面が貼りつけられている。
そのどれもがこの世には実在しないような、架空の生物の顔を模したもの。
世界を憎むような鋭い目つきをした、角の生えた赤い鬼の仮面。
今にも高笑いしそうなほど口がにんまりと上がった、真っ黒い悪魔の仮面。
目も口も笑顔なのに、どこか虚無を感じさせる真っ白な天使の仮面。
一歩でも部屋の中に足を踏み入れようものなら、それら異形の目に囲まれてしまう。
私は異様な圧を感じ、またも部屋に踏み入れず通路から部屋の中を見回す。
やはり西郷は顔色一つ変えずに中に入っていくし、渡澄さんも恐々と仮面に近づいている。
しかし今更ながら、二人は既に一度この部屋に来たことがあるわけだし、わざわざ中を確認しなくてもいいのではという考えが頭をよぎる。まあよぎるだけで何も言わないけど。
ほどなく戻ってきた二人は、特にコメントもなく移動を再開する。これにて左通路は調べ終わったので、あとは右通路の三部屋のみ。
右通路最初の部屋は、拍子抜けなことに隣室と同じくただの客室だった。物の配置が左右対称になっている以外、隣の客室と何一つとして変わりはない。
そのため部屋の捜索もほとんど時間をかけず、すぐに隣の部屋に。
こちらもあまり印象の強い部屋ではなく、イメージとしては剣道場のような部屋だった。というのもここだけは床が木製になっており――おそらく上から張っただけと思われるが――土足厳禁なオーラが漂っている。
そのことを西郷に言ってみると、「竹刀も防具もない以上、剣道場というのは適してないと思うが。物が一切ないし、煩悩を捨てる瞑想の間とでもいうのが近いんじゃないか」と自説を披露してくれた。
瞑想するなら畳のイメージだけどなあ、なんて思ったが、わざわざ反論するほどのことでもないので適当に相槌を打つ。
物が置いてないことからほとんど見るところもなく、ここの捜索もすぐに止めて、いよいよ最後の部屋へと向かう。
今のところ、西郷が言っていた真に奇妙な点とやらは発見できていない。次に見る、最後の部屋に何かとんでもないものがあるのかと、緊張しながら後ろを付いていく。
部屋の前に着くと、ここでも気負った様子など一切なく西郷は扉を開けた。
若干の恐れから半目で中を覗いてみる。けれどそこには、予想していたほど奇怪な光景は存在しなかった。
「えと、祭壇、ですか?」
お葬式の時に見るような、木製の祠(城?)のようなものが部屋の奥にこぢんまりと置かれている。祭壇の脇には、二階で見た白い花と黒い花がそれぞれ飾られており、中央には本来あるべき物がないような、不自然な空間ができていた。
奇妙な館の一室に設えられた祭壇。そういう意味では不気味さこそあれど、格別異常性は感じない。他の部屋との違いも、照明が豆電球で妙に薄暗いという程度だし。
私はおずおずと祭壇に近づき、左右から祭壇を眺めてみる。
やはりこれと言った特徴はない。正面から見て左側に黒い薔薇。右側に白い薔薇が飾られているが、それ以外に特別な装飾は何もない。
私はこれのどこが奇怪なのかと、西郷に困惑の視線を投げかける。
しかし西郷は私のことなど視界に入っていない様子で部屋をぐるりと見まわすと、通路に出て行ってしまった。
私はどうしたものかと、渡澄さんにも視線を投げかける。彼女も少し首を捻ってから、「結局、真に奇妙な点って何なのでしょうね?」と、私が思っていたのと同じ疑問を口にした。
お互いに気付けていないなら、いくらここで話しても時間の無駄。さっさと西郷に聞いてしまおうと、私は駆け足で彼の後を追った。
西郷は階段のある場所まで移動し、そこから下の階を覗き込んでいた。
何かあったのだろうかと私も同じように覗き込んでみるが、二階の通路が見えるだけで特に面白いものは何もない。
しかし時間が停止したかのように西郷が動かないでいるので、私は勇気を出して声をかけてみた。
「あの、何かありましたか? というかこの館の真に奇妙な点っていうのが何か、結局分からなかったんですけど……」
私の隣では、渡澄さんも小さく頷いている。
西郷は私たちの顔をしばらく見つめた後、何も言わずに、ポケットから取り出した一枚の紙を渡してきた。
「これって、この館の見取り図、みたいなやつですか? ボールペンで書いてあるっぽいですけど、もしかして西郷さんが自ら書いたとか?」
「そうだ。一目見た時からこの館の構造には違和感を覚えたからな。軽くだが自分で書いてみたんだ。お前らも、それを見ればこの館の異常さに気付くだろう」
「ええと……?」
何か変だろうか? まあ変と言えば、普通一階、二階とかは分けて書かれるものだろうけど……って、あれ?
私が気付いたのと同時に、渡澄さんからも「あ!」という声が上がる。
私たちの反応から、自身の言いたいことを察してもらえたと考えたのか、西郷は床を軽く足で叩いた。
「無駄に長い階段が、途中で折り返すことなく一直線に設置されている。その結果、二階と三階の下にそれぞれ、普通の建物には存在しない未知の空間ができてるんだよ」