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迷い子の館の殺人  作者: 天草一樹
殺人犯と館の秘密
63/63

後日談

 一日目。私と渡澄さん、西郷で館を探索し終えた時に、ちょうど厚木が館の外から戻ってきた。そして全身ずぶ濡れの状態で大雨が降っていることを知らせ、それをちょっと疑った私が外を覗いたら速攻でびしょ濡れになり煽られるという一件があったのだが――あれは厚木の計画通りだったようだ。

 大雨が降ってるから今外に出るのは危険と思わせ、館の扉にロックがかかるまでの時間稼ぎをした。加えて自由に出入りができることも印象付け、私たちの警戒心を和らげる効果もあった。厚木に続いて私もびしょ濡れになったのは大雨が降っていることの説得力を上げる結果になったため、その点では反骨心をいいように使われてしまったともいえる。

 しかし逆に考えれば、あの時もう少し私が意地を張って外に出ていれば、今回の事件は起きなかったのかもしれない。……いや、それは希望的観測か。もし外に出て何かに気付いてしまえば、その時点で館の扉はロックさえ、西郷のように館から締め出されてしまったはずだ。

 だから、仕方がなかった……とはならない。


「これは厚木への質問なんですけど、鈴が峰さんと伊月さんを呼んだのも元から予定されていたことだったんですか。それとも二人は本当に迷い込んだだけなんですか?」


 厚木は怒りを鎮めるように息を吐きだしてから、「うむ」と大仰に頷いた。


「二人に関しては君と同じく本当に想定外の来客だな。事件のあるところにやってくる。さすがは名探偵と言ったところだな」

「そうですか……」


 少し頭の中を整理して、他に何か聞いておきたいことがないか考える。西郷や雨の件もこの館が新館線であることを裏付けるもの。

 既に黒瀬も諦めムードになったようで、もう私の方を見ることもなくソファで項垂れている。

 ここらでもう十分かと思うも、せっかくならと、改めて厚木に最後の質問を投げかけた。


「もう一つ厚木に聞きたいんですけど、元々の予定ではどこでどう終わらせる予定だったんですか? 死人が出ても館の真実を明かさず、鈴が峰探偵が事件を解決しなかったら、まさか全滅するまで続けるつもりでしたか?」

「さてな。それはその状況次第によって変えていただろう。これ以上面白くならないと感じたら、その時点で終わりとする予定だったが」

「つまり、あなたの一存で決まっていたと」

「そうなる――なっ!」


 伊月に阻止する暇も与えず、ポケットから取り出したスマホを厚木の顔面に向け全力で投げつける。

 しかし間一髪で厚木はかわしてしまい、私のスマホはバァンと大きな音を立てて壁に激突した。

 あれはたぶん壊れたなと思い、若干気分が落ち込む。しかしそれ以上にスマホを投げつけられた厚木は怒りの表情を浮かべ――と、そんな彼のこめかみに別のスマホが直撃した。

 驚いてスマホの飛んできた方に目を向けると、どこかすっきりした表情の渡澄さんが笑顔で舌を出していた。



  *  *  *



 さて、そこからは一気に物語が動いた。

 というのもかなり当たり所が良かった――もとい悪かったのか、厚木は渡澄さんからのスマホ投擲により気絶してしまった。そしてそれを裏で(・・)見ていた彼の部下たちが一斉に部屋の中に入りこみ、あっという間に私たち全員を捕らえてしまったのだ。

 その後はしばらく拘束されたまま誰一人として喋ることもできず、館が地下から地上に上がる際の衝撃の後、それぞれ別の車へと連れ込まれた。

 そこで目隠しをされ、ここで起きたことは誰にも話さないこと、ネットに書き込みもしないこと、それらを破れば命の保証はしないとのこと、を一方的に告げられ、そのまま質問も許されず自宅の最寄りの駅まで送り届けられた。

 せめて家族や友人に説明するためのうまい言い訳でも教えてくれと思いつつ、とぼとぼ歩いて帰宅。帰宅直後に両親から、「数日間連絡もなく何をしていたんだ!」と問い詰められるかと思いきや、あっさりと「おかえり」と言われるだけで何の追及もされなかった。

 おそらく厚木の部下が、というより金光財閥が何かしらの手回しをしていたのだろう。変に尋ねて何があったのか聞かれても困るので、平静を装って自室に引き上げる。

 てっきり壊れたものと思っていたスマホもなぜか傷一つない状態で返されていた。

 やや奇妙に思うも、無事であるのなら勿論文句はなく。取り敢えず一緒に山登りをしに行った仲間に連絡を取ろうとアプリを起動する。

 すると、私のアカウントに送った覚えのないメッセージが複数残されていた。


 山で間違えて別のグループに混ざってしまった。

 合流するのは難しそうだから先に帰っていてほしい。

 気の合う仲間が見つかった。

 数日泊まるかもしれない。


 などなど。

 仲間も特に疑う様子もなく納得コメを返している。

 一体いつからこんな準備がされていたのか。

 今更ながら、とんでもないことに巻き込まれていたのだという実感が湧いてくる。

 本当に……いや、思うところはあるけれど、今日のところはいったん寝よう。

 私は無理やり思考スイッチをオフにして、布団の上に倒れこんだ。



  *  *  *



「やあいらっしゃい深倉さん。二週間ぶりくらいかな? 元気にしてた?」

「……どうも。私のことを覚えてるってことは、あの館での出来事も夢じゃなかったんですね」

「あはははは。あんまりにもあっさりと普段の日常が戻ってきたから、夢みたいに思えちゃうのも無理ないよね。でも紛れもなくあの館でのことは現実だ。ねえ千尋君」

「そうですね」


 お茶を入れた湯飲みを私の前に置き、伊月は部屋の隅にある事務机に戻る。

 久しぶりに見る伊月の天使のようなご尊顔。あの非日常を離れてもなお健在であり、私は「ほぅ」っと息を漏らし見惚れてしまう。しかしすぐにここに来た理由を思い出し、正面のくたびれたソファに座る鈴が峰へと視線を戻した。


「あの館で起きたことは誰にも話すな、忘れろって言われましたけど、やっぱりそう簡単に忘れられません。それでもう一度、あの館にいた人と話したいと思って。それでネットで皆の名前を調べてみたんです。そしたら、鈴が峰さんの事務所のホームページを見つけて」


 館から戻ったその次の日から、私の日常は戻ってきた。本当にあっさりと。そうなるのが自然の如く。

 大学に言って講義を受け、いつもつるんでいる仲間とたわいない話をし、ネットサーフィンをして時間を無為に潰す。そんな当たり前の日常。

 もしかしたらそれは喜ぶべきことなのかもしれない。四大財閥が共同で行っている秘密プロジェクトを知ってしまったにも関わらず、監禁されることもなく平和に普段の生活が送れる。うん、間違いなく喜ぶべきことだ。

 だけど、私はそれを気持ち悪いと思ってしまった。あの館では、二人もの人が死に、とある四姉妹が人殺しになった。その経験を、その体験を、その絶望を、なかったこととして日常に戻る。戻ってしまう。

 得体のしれない気持ち悪さが常に胸の中を渦巻き、心が落ち着く時間が全くなかった。

 だからと言って私にどうすることもできない。あれは金光財閥の力で、存在しなかった出来事として処理されてしまっている。死にたくないのであれば、受け入れる以外の選択肢なんてない。

 それでも――


「小鳥遊姉妹も探偵だったから、もしかしたらネットに名前があるんじゃないかと思ったけど見つからなくて。鈴が峰さん以外にあの日のことを話せる相手がいなくて、それで」

「わざわざ会いに来てくれたんだね。でも、渡澄さんとは話してないの? 確か二人は同じ大学だったはずだよね」

「私と彼女はそもそも友達っていう関係でもなかったから、連絡先知らなくて……。それにあの日以来講義も受けに来てないらしくて、会えてないんです」


 誰かに渡澄さんの連絡先を尋ねてみようかとも思ったけれど、説明するのが難しいのと、人見知りが発動して結局声をかけられず。仕方なく各講義のメンバーを逐一確認してみたけれど、渡澄さんは見当たらなかった。

 館でのことが忘れられずショックで寝込んでいるのか、それとも私に会うのが気まずくて避けられているのか。どっちかと言えば後者な気がするし、実際私もどう接していいかまだ決めかねてはいるのだが……少なくとも一度は会って話したいと思っている。


「ふむふむ。まあストーカーしてたことがばれた後だし、そりゃあ気軽に大学には行けないかもねえ。あ、そう言えば小鳥遊姉妹だけど、彼女たちの名前をいくらネットで調べても出てこないと思うよ」

「どうしてですか?」

「彼女たちの探偵っていう職業は仮初で、本来は泥棒だったから」

「ふえ?」


 あっさり告げられた衝撃発言に驚き、私はアホみたいな声を漏らす。

 鈴が峰は特にリアクションせず、淡々と説明し始めた。


「もともと持ち物が探偵っていうか泥棒っぽいなーとは思ってたんだよね。それに四つ子であることを隠してるのも、ぶっちゃけ探偵であるならそこまで必要なことだとは思えなかったし。後、いくら僕が来たからって、あまりにもあっさりと人を殺す判断に至った辺り、ちょっと倫理観が緩いのかなって。それで千尋君にお願いして彼女たちの指紋採取をお願いしてたんだけど、これがドンピシャでさ。警察の犯罪者データベースの中にしっかりと記録されてたんだ」

「……じゃあ元々、そういう人を集めてたってことなんですね」


 館になぜ今回のメンバーが参加させられたのかは鈴が峰が語ってくれたけれど、実際にはもう一つ、事件を起こしそうな人物の参加というのもあったんじゃなかろうか。

 殺人犯でなく窃盗犯なだけましなのかもしれないけど……いや、全然ましじゃないな。

 そんな私の怒りが表情に出ていたのか、鈴が峰は困惑した様子で頭をがりがりと掻いた。


「まあ深倉さんが憤るのも仕方ないけど、正直それに関してはどうしようもないとしか言えないかな。僕たちが理解できない、異常な世界は存在しているから」

「……そうですね」


 当然そんな言葉で納得できるはずもなく、眉間にしわを寄せ黙り込んでしまう。

 少しでも場の空気を良くしようと鈴が峰が乾いた笑い声をあげるが、普通に逆効果。気まずい沈黙がしばらく流れた後、「ごほん」と空咳を一つ入れ、鈴が峰は改めて問いかけた。


「さて、そろそろ本題に入ろうか。僕に会いに来たってことは、まだ何か疑問があるんだよね」

「まあ……はい。一番の目的はあの館での出来事が夢でないことを確認することだったので、そういう意味ではもう目的は果たせたんですけど……でも、確かに聞きたいこともあります」


 軽く深呼吸をして気持ちを落ち着ける。それから、どこか喉に小骨が刺さったような、気持ちの悪さの原因を、慎重に手繰り寄せた。

 気持ち悪さの一つ目は、日車のこと。


「これは医務室で話したことですけど、日車君は癌を患ってました。にも関わらず館に来てからはその痛みがなくなっていたそうです。それで最初のうちはあの館を死後の世界だと考えていたみたいですし。どうして日車君の痛みはなくなってたんでしょうか?」

「うーん、初手からまたド級に難しい質問だね」


 鈴が峰は悩まし気にがりがりと頭を掻き、天井を見上げた。


「僕は医者じゃないから、病気に関して聞かれても分からないって答えるしかない。だけど深倉さんもそれは承知で聞いてるんだろうから――」

「はい。そもそも癌の痛みが突然なくなるなんてありえません。だから何かトリックがあると思うんです」


 はぐらかされないよう、まっすぐに鈴が峰を見つめる。天井を見上げた状態のままちらりと私の顔を見た鈴が峰は、仕方ないと言った様子で溜息を吐き出した。


「本音を言えば、どの仮説も気分のいいものじゃないから話したくないんだけど……このままうやむやにするよりはましなのかなあ。

 えーと、取り敢えず深倉さんが気になってるのは、日車君も厚木さん側の人間だったんじゃないかってことだよね」

「……その通りです」


 一発で、鈴が峰は私がずっともやもやしていたところを言い当てた。

 あの館は、西郷が予想し、鈴が峰が推理した通り、裏で四大財閥が糸を引いた、いわば実験施設だった。何人もの人間があの館の周り(中?)に待機しており、私たちの一挙手一投足を観察していた。

 そして小鳥遊姉妹や厚木のように、私たちを騙している人もいた。

 ある意味最も明らかな嘘をついていた日車が、本性を隠して私に接していた可能性も、十二分に考えられる。

 まあだからどうだっていう話ではある。彼はもう死んでしまったのだ。今更そんなことを知っても意味はない……けど……。

 陰鬱な雰囲気を醸し出した私を見て、鈴が峰は少し早口で話し出した。


「これが深倉さんにとっていいことかどうか分からないけど、日車君は厚木さんの仲間じゃなくて、巻き込まれただけだったと思うよ。彼らの計画的に、もし日車君が厚木さんの仲間であれば、最後そのことを明かして深倉さんの反応を見ようとしていたと思うから」

「確かに、厚木の性格だったらそれくらいしてきそうですね……」

「それに残念だけど、日車君が死んでいたのは間違いない。それは深倉さん自身が一番よく理解してるだろうし、千尋君もしっかり確認している。いくら四大財閥の関係者だったとしても、あの程度の実験のために死ぬことを許容できる人なんていないだろうからね。だから、深倉さんに見せてくれた日車君の表情に、嘘偽りはなかったと思うよ」

「そう、ですか……良かったです」


 ほっとしたような、胸が締め付けられるような、どうしようもない感情が胸を渦巻く。

 一体どんな表情をすべきなのか分からず、あまりにも不出来な笑顔を浮かべる私に対し、鈴が峰は言葉を続けた。


「さて、そうなると当然日車君の癌は何だったのかって話になるけど、ぱっと思い浮かぶのは三つかな。

 まず一つ目は、本当に治っていたという可能性。新館線への試乗実験に参加する見返りとして、もしくは癌の新薬の治験として何か特効薬を飲まされていて、それにより彼の癌が治っていた」

「そんなことって……あるんですか?」

「どうだろうね。でも新館線を作れる四大財閥の技術力を考えれば、癌の新薬研究が進んでても何もおかしくはないよね」

「まあ、確かに。でも、それならなおさらやり切れませんけど……」


 この説が事実なら、あそこで小鳥遊姉妹に殺されなければ日車は癌のない普通の生活を送れていたことになる。勿論、あの館に来たからこそ癌を治してもらえたわけで、行かなければ癌で死んでいたのだから……ああ、どうなればよかったのか分からない!

 苛立ちから腕を強く握りしめる。そんな中、鈴が峰の二つの目の仮説が話された。


「もう一つは、元々彼の癌はほとんど治っていた可能性。日車君は自分が癌で死ぬと考えていたのかもしれないけど、実際にはそんなことなくて、もうほとんど治療は成功していたのかもしれない。ただ疑心暗鬼になっていた彼はそのことを信じられず、頑なに癌で死ぬと思い込んでいた」

「それも、ゼロではないかもしれないですね。ちょっと思い込みの激しいところはあるみたいでしたし、親からもう治るって言われても、信じられずにいたってことはありそうかも……」


 でも、これも最初の仮説と同じか、それ以上に救いのない話だ。日車が死ぬ理由なんて、最初から何一つなかったことになる。


「それから最後。日車君は癌なんかじゃなかった可能性」

「それって、厚木の仲間だったっていうのとは違うんですか?」

「うん、全然違うよ。日車君は自分が癌であると親から思わされていたって言うのが、最後の仮説。日車君を溺愛していた両親が、彼を手元に置いておくために癌だと嘘の情報を教え、抗癌薬と称して毒を飲ませていた、っていう考え」

「それ……本気で言ってるわけじゃないですよね?」

「これが正しいと思ってるかと言われればNoだけど、事実だったとしても驚かない的な意味合いではYesかな」

「……分かりました」


 どこまで本気か分からないとぼけた表情――もしかしたら真顔かもしれないけど――の鈴が峰を見て、肩の力がどんどん抜けていく。

 元から真実なんて分かるわけもない。

 推理は所詮推理でしかなく、まして当事者がこの場にいないとなれば、あとは私自身がどの結末に納得するかの話でしかない。

 複数の仮説を提示されたことで、改めてそのことに気付かされた。


「取り敢えず、日車君の話はもういいです。だからもう一つ、ずっと気になってたことを聞かせてください」

「いいよ。何でも言ってみて」

「じゃあ聞きますけど、日車君が殺された朝、本当に伊月さんは起きて渡澄さんのことを見てたんですか?」


 ずっともやもやしていたこと。この結末が最悪だったと言うつもりはない。けれどもしこれが事実だったのなら、少なくとも渡澄さんがあそこまで辛い目に遭う結果にはならなかったはずだ。

 どうして、あの瞬間まで伊月も鈴が峰も彼女の無実を証明しなかったのか。

 鈴が峰と伊月を交互に見つめる。

 どちらが先に口を開くだろうと思った直後、


「ああ、あれなら嘘だよ」


 鈴が峰から、いともあっさり否定の言葉が返ってきた。

 唖然とする私を前に、二人は当時のことを懐かしげに語り始めた。


「小鳥遊姉妹の推理は色々と無理があったけど、中途半端な反論じゃ変に粘られる可能性もあったからさ。一発で彼女たちの推理を覆せないかなーって考えて、思い付きで言ってみたんだ。あの時はすぐに乗ってくれて助かったよ」

「まあ、鈴が峰さんが突然意味不明な話題を投げかけてくることはよくありますからね。今回は話の流れ的に何を求められているかもわかりやすかったですし」

「さすがは千尋君! 僕の相棒! いつもほんとに頼りにしてるよ!」

「ですができれば突然の振りは止めて欲しいですね。常に最善の答えを出せる自信はありませんし、こうして戸惑う人も出てきますから」


 そう言って、伊月は心臓が止まるほどの優美な流し目で私を見つめてきた。

 両手で口を塞ぐことで、危うく昇天しかけた魂を必死に体の中に戻す。それから意識を整えるために数回呼吸を繰り返した後、「あれ嘘だったんですか!」とようやくツッコミを入れることに成功した。


「そうそう、あれ実は嘘だったんだよねー。今言った通り、小鳥遊姉妹の推理を否定するためにとっさに思いついた考えでさ」

「じゃ、じゃあ渡澄さんが二人を殺した可能性も、あの時点では全くなくなっていなかったと……」

「まあねえ。でも彼女が二人を殺すとしたら小鳥遊さんが語ってくれたのとほぼ同じことをしないといけないわけだけど、あれはいくら何でも行き当たりばったり過ぎてあり得そうになかったからさ。それに何より、渡澄さんのスマホが見つかったのが天使の庭だったって言うのも、彼女が犯人じゃないことを裏付けてたから」

「どうしてですか?」


 天使の庭で渡澄さんのスマホが見つかった件に関しては、私としては納得していた。西郷と館の探索を行った際、渡澄さんも天使の庭の中を歩いていたからだ。その時に、私たちの目を盗みこっそりスマホを捨てたのだと。

 このことを鈴が峰に伝えると、「それは順序が逆なんじゃないかな」と言い返された。


「だって渡澄さんは深倉さんに会う前からスマホを持ってないって公言してたんだよね。つまり深倉さんが館に来る前からその状況を想定して、どこかにスマホを隠していたはず。元々深倉さんのストーキングをして同じ山に登ってたわけだから、何れ深倉さんも新館線に辿り着くって分かってたんだろうしね。そしてスマホを隠すんだったら、どう考えても部屋が暗くて見通しの悪い悪魔の庭に隠すのが普通だよね」

「えと、つまりどういうことですか?」

「悪魔の庭に隠されるべきスマホが天使の庭から見つかったってことは、何者かが彼女のスマホを天使の庭に置き直したってことだと思うんだ。で、何者かって言うのは、当然僕たちの動きを監視していた厚木さんの部下たちってことになる」

「まさか、スマホが出てきた方が面白いと思ったから、わざと発見のしやすい場所に移動を……」

「おそらくね。傍証だけど、スマホが天使の庭で発見されたことを聞いて渡澄さん自身が驚いた素振りを見せてたから。ああ、そういう意味では、そもそも館の近くに連れてこられる直前にスマホは回収されてたのかもね」

「……」


 改めて、何から何まであの館は悪意に満ちていたのだと、思い知らされる。

 トラブルメーカーである鈴が峰が来なくとも、間違いなく事件は起きていたのだろう。


「……なんだかこれ以上質問を続けても、厚木達に対するイライラが溜まる一方な気がするので、次で最後にしたいんですけど」

「うん、どうぞ」


 穏やかな笑みを浮かべこちらを見つめる鈴が峰。そんな彼の目にしっかりと視線を定め、私は最後のもやもやを吐き出した。


「鈴が峰さんたちは、本当に――本当に偶然あの館に辿り着いたんですか? それと、事件の謎も、本当にあなたたちの力だけで解決したんですか?」


 この言葉の意図を、頭のいい彼なら瞬時に理解するはず。だけれど、その一瞬の間に生じる反応が、最大の目的。

 私の質問を聞いた彼は、少し驚いた顔を浮かべた後、寂しげな瞳で、「偶然だし、自力だよ」と呟いた。


  *  *  *



「深倉さん。良ければここでバイトしませんか?」

「は?」


 鈴が峰探偵事務所からの帰り。

 駅まで伊月が送ってくれることになり、緊張しつつも肩を並べて歩いている時のこと。急に伊月がそんなことを提案してきた。

 あまりに唐突なお誘いのため、どうしていいか分からず阿呆みたいに伊月の横顔を見つめる。すると彼は正面を向いたまま続けた。


「館でも話した通り、鈴が峰は自身の関わった事件の被害者全員と、今も連絡を取りあっています。そのため仕事がないにもかかわらず、毎日が死ぬほど忙しい。最近は私一人では手に余ることが多いので、スケジュール管理やその他雑務を手伝ってくれる方を募集しようと考えていたんです」

「は、はあ。でも、どうして私なんですか?」


 基本根暗で友達もおらず、さして能力も高くない私を誘う理由などないと思うのだけれど。などという心の内を見透かしたように、伊月は理由を話し出した。


「理由は二つ。一つは、あなたが鈴が峰を過度に恐れず、そして私に対しても過度な好意を抱いていないからです」

「な、成る程?」

「鈴が峰と話すことでトラブルに巻き込まれると、そう実感してなお彼と普通に話せる人物は希少です。先ほどの会話中も、特に怯えている様子はありませんでしたし」

「まあ、館の中でかなり長いこと話した経験がありましたから……」


 日車の件はあれど、結局悪いのは鈴が峰でなくあんな舞台を用意した厚木であるという思いが強い。だから鈴が峰に対する恐れなどは特に抱いていなかった。


「それに、こうして私と話をしていても、鈴が峰と話す時とさほど態度が変わらないのも評価が高いです。まあ面と向かって話し続けるのは危険そうですが」

「それはそうかもですね……」


 因みにだが、今の伊月は帽子を目深にかぶり、さらにサングラスとマスクをして顔の八割近くを隠している状態にある。それでもなお、偶然彼の横顔を見た女性が指さして頬を染めたりしているのだから――まあとにかく半端ない美貌である。

 今の状態の伊月であればそれなりに理性を保てるが、正面で話し続けたら彼のことを押し倒さないでいられる自信は無かったりする。

 だからあまり期待されても困るのだけど、というのが本音であったが、伊月はその件について追及はせず、二つ目の理由を口にした。


「もう一つは、純粋にあなたに興味があるからです」

「ほえ! 私なんかに興味ですか!」


 驚きからつい変な声が上がり、慌てて口を塞ぐ。

 周りから変な目で見られたのではと周囲を窺う私をよそに、伊月は淡々と続けた。


「ええ。今の反応もそうですが、あなたは自分のことを異常なまでに過小評価している節がある。あの館で、誰よりも皆とコミュニケーションをとり、率先して事件解決を目指していたあなたがだ」

「いや、私はそんな特別なことは――」

「殺人鬼がいるかもしれない館で、知人の命を危険に晒したくないからと単独行動ができるのは、並大抵のことじゃないと思いますよ」

「あれは勇気というか無謀であって……」

「その過小評価の原因は、きっと暗闇が怖いことに関連しているのでしょうね」

「………………」


 触れて欲しくない話題。

 声を発さないことで、それ以上踏み込んでほしくないという明確な意思表示をする。伊月はしっかりとそれを察し、口を噤んでくれた。

 しばらくの間、雑踏の音だけが耳に響く。

 やがて、駅が近づいてきたところで、再び伊月が口を開いた。


「鈴が峰が推理を間違えることはまずありません。しかし彼にも解けない事件はある」

「……」

「それは、この世の理を外れた力が関わる事件です」

「は?」


 独り言のような口調であったため、しばらくは口を挟まないでいようと考えていたが、予想外の言葉につい反応してしまう。

 本気で言ってるのかと、まじまじ彼の顔を見つめてしまうが、伊月の表情は真面目そのもの。冗談を言っている気配は一切見受けられなかった。


「今回の事件でも分かっていただけたと思いますが、彼は論理的に事件を導くために一見あり得ない事象まで推理に組み込みます。けれどそれは、あくまでも不可能ではないレベルか、一見あり得ないように見えるレベルの話までです。単純な話、もしあの中に瞬間移動を行える超能力者が紛れており、瞬間移動を用いて人を殺していたとしたら。おそらく鈴が峰はその仮説を思いつくこともできず、全く別の真実を導いていたことでしょう」

「でも、超能力者なんて存在するわけありませんし……それは別に弱点にはならないんじゃないですか?」


 そんな至極妥当な問いかけに、伊月は感情の伴わない目でじっと自身の手を見つめながら答えた。


「この世界に、超能力を始めとする科学で説明できないものは存在しないと、そう言い切ることは私にはできないんですよ。私みたいな生き物がこうして存在している以上」

「それってどういう……」


 伊月はしばらく沈黙した後、不意に私を正面から見据えてきた。


「私が知っている限りで三件。鈴が峰が事件を解決したものの、一部証言と食い違いを残したものがあります。そのどの推理も警察や関係者全員を納得はさせましたが、私と、そして何より鈴が峰自身が納得できていない。

 彼は自身が関わった事件の関係者と毎年連絡を取っていますが、それは単に遺族や被害者を慮っているだけでなく、事件の再検証も兼ねています。そして今回、『新館線』という世間ではまだ存在を認識すらされていない物が関与する事件を解くことができたことから、鈴が峰は各事件への再捜査熱を高めています。しかし過去の事件のデータは膨大。資料を引き出しまとめるだけでもかなりの手間がかかります。

 ですから改めてお願いしたい。今回、この異常な事件の解決に共に携わったあなたに、鈴が峰の助手として共に働いてほしいのです」

「えーと……」


 何だか、露骨に話をそらされた上に、かなり強引に勧誘の誘いに繋げてこられた。

 はっきり言って、まだ鈴が峰のことも詳しく知らないし、ここであっさりと受けてしまっていい話ではない気がする。

 だけど……伊月に正面から頼みごとをされて、断る勇気など持ち合わせてはいない。というより、無条件に頷いてしまいそうになる。

 一秒後には快く承諾してしまいそうな心を理性で抑えつけ、一つ気にかかっていたことを尋ねた。


「あの、どうして今ここでその勧誘をしてるんですか? 勧誘するなら、雇用主になるだろう鈴が峰さんのいる時にした方が良かったと思うんですけど」


 すると伊月は微かにマスクを下げてから、まるで麻薬のような、理性をドロドロに溶かす笑みを浮かべて見せた。


「それは勿論、田中さんは反対するからですよ。あの人は、できるだけ自分の近くに人を置いておくのを嫌がりますから」

「じゃあ、なんで――」

「私と田中さんでは、真に大切に思っているものが違うからです。それで、深倉さんは私たちと一緒に働いてくれますか?」

「は、はい――」


 まるで洗脳されているかのように、私の意思に反して口が勝手に動く。しかしその直後、突如私のスマホが鳴りだし、朦朧としていた意識を現実世界に引っ張り上げた。

 私は慌てて伊月から目をそらすと、急ぎスマホを確認し「え!」と驚いた声を上げた。



  *  *  *



 周囲では駅を行き交う人々が大勢歩いている。

 そんな無秩序な集団の中、近くの柱に背中を預け、私はある人物を待っていた。

 つい数十分前、伊月から鈴が峰の元で働くことを勧誘されていた時、ちょうどスマホに電話がかかってきた。

 電話をかけてきたのは渡澄さん。私との今後の関係について何かしら結論が出たらしく、一度だけでいいから会って欲しいとの話だった。

 ストーカーをされていたとはいえ、館では随分と渡澄さんに助けられた。そもそも私自身実害を被ったと感じたことは一度もなく、彼女が思っているほどの嫌悪感は特に抱いていなかった――まあそれはそれで、ちょっと危機感が欠けているのかもしれないけど。

 そう言ったわけで特に断る理由もなかった私は、一度伊月から離れたい気持ちもあり、二つ返事で彼女の提案を承諾した。

 できるだけ人がいる場所の方が安心だろうと言われ、特に人通りの多い駅で待ち合わせることに。

 伊月には急用ができたからと言って、バイトの誘いに関しては待って欲しいことを告げ、約束時間よりもかなり早く待ち合わせ場所へとやってきたのだった。

 どこか近くのファミレスで時間を潰そうか。そう思うも、一気に疲れが出てきたのかなかなか足が動かず、結果として柱に寄りかかったまま時間を浪費することに。すると柱の後ろ側で、なんだか聞いたことのある声が耳に流れてきた。


「こっちだ神楽耶」


 どこかで聞いたことのある声。しかし具体的に誰の声だったか思い出せない。大学の同級生だろうか?


「ああ東郷さん、無事だったんですね。最近連絡取れなかったから心配してたんですよ。もしかして捕まっちゃったんじゃないかって」

「俺は捕まるほど間抜けじゃない――と言いたいが、色々と危なかったな。取り敢えず逃げる最中に二回は殺された」

「はあ。あんまり無茶しないでくださいよ。何回蘇れるか実際のところ分かりませんし。それで、死ぬだけの成果は何かあったんですか?」

「いや、成果としてはほぼゼロだな。フェイクでこそなかったが、あったのはただ地下を高速で動くだけの館だった。移動先も限られていたし、奪う価値のある物じゃなかったな。せめて空飛ぶ館だったら面白かったんだが」

「地下を高速で移動する館……通称は『新館線』とかですかね?」

「さあな。早々に館の正体がわかったから、何も起きないうちに館を出たんでどういう結末を迎えたのか知らないしな」

「勿体ないですね。せっかく死なないんですし、最後まで傍観者として楽しめばよかったのに」

「途中で殺された場合面倒だろ。それに敵地に長くいるのはお前や佐久間級のメンタルがないと疲れるんだよ」

「はあ。そういうものですか。と、そろそろ移動しましょうか。機能停止していなければ、鬼道院さんが待ってるはずなので」

「そうだな」


 柱の後ろの気配が動く。

 気配は私の方に近づいてきて――私はちらりとそちらを向いた。

 二人はそのまま駅の改札を通り抜け、視界の中から消えていく。

 私はしばらく改札を見続けた後、徐にスマホを取り出し、鈴が峰探偵事務所に電話した。


ようやく完結……最初は毎日更新の予定だったのに、本当に予定が狂いに狂いまくった作品となりました。

あらすじもこっそり変更したりと、物語自体当初の構想とは全く違う作品となり、そもそも一つの作品として成立しているのかさえ心配です。

しかし、何はともあれこれで完結。

最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。

次回作としては『大山祁霊能力者会談』の続きを書くか、裏で執筆中の『探偵試験』を週一更新にして書いていくか。

遅筆とはなりますが、これからも執筆し続けますので、より面白い作品を皆様に提供できるよう精進したいと思います。

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