山を登っていた理由
「いや……突然なに? 別に隠し事なんてないけど」
唐突な名指しに驚き、引きつった笑みを浮かべる黒瀬。
鈴が峰は特に問い詰め寄るような素振りは見せず、「本当に?」とだけ聞き返す。黒瀬は「本当だけど……」と呟くも、鈴が峰がじっと見つめてくることに耐え切れなかったようで、「なんでそう思ったの」と理由を尋ねてきた。
「深倉さんからこの館での話を聞いた時にさ、真っ先に気になったことがあったんだよね。言わなくても黒瀬君ならもう理解してると思うんだけど」
「……知らない」
「そう? なら言うけど、僕が気になったのは、深倉さん以外誰一人としてスマホを持っていなかったことなんだ。今の時代、これってはいそうですかってすんなり納得できることじゃないと思うんだよね」
「……そんなこと言われてもないものはないし、それ以上話すことなんてないけど。大体僕以外の人がスマホを持ってない理由なんて知らないし」
「うんうん。今の黒瀬君としてはそういうしかないよね。でも、僕は探偵だからさ、理由を考えてみた――っていうより、これがミッシングリンクなんじゃないかと思ったんだ」
「ミッシングリンク?」
鈴が峰から飛び出してきた言葉に、何人かが首を傾げる。私は医務室で既にこの話は聞いていたからまだ理解できるが、そうでないならあまり聞きなじみのある言葉ではないだろう。
それを察してか、伊月が素早く口を挟んだ。
「千夜さんの言うミッシングリンクというのは、一見繋がりのない人たちの間に存在する隠された関係性のことです。この館に集められた人は基本的に初対面の人であり、集められた理由についても全く心当たりがなかったようですが、彼は何か理由があるはずだと考えたわけです」
「そうそう。それで僕が考えた皆の隠された関係性は、スマホを持っていないことなんじゃないかって思ったんだよね」
「うむ? ミッシングリンクの意味は理解したが、だとすればその推理は間違っているんじゃないのかね? 何せ二人もスマホを持ってきている者がいたんだからな」
現状まだ何もやましいことを指摘されていない厚木が、堂々と疑問の声を上げる。
鈴が峰は少し頭を掻いてから、なぜか少し笑顔を見せた。
「そうなんですよね。まさか渡澄さんもスマホを持っているとは思わなかったので、実はちょっと揺らぎかけたんですよ。でも、その動機を聞いて納得しまして。単純に、イレギュラーは深倉さんだけじゃなく渡澄さんもだったんですよ」
「この時点で多少無理がある気もするけど。それで、二人を除いた僕らがスマホを持っていなかったから何なわけ? 黒幕さんは今の時代にスマホを持ってないような変人を館に集めて何がしたかったの」
少し冷静さを取り戻した黒瀬が、皮肉った笑みを浮かべて言う。しかしその声が僅かに震えているのは気のせいではないだろう。
対照的に鈴が峰の声は落ち着いたもの。黒瀬の問いかけに対し、むしろ喜色を浮かべて見せた。
「ここで大事なのはスマホを持っていない理由なんだ。皆別々とはいえ山を登っていたことは認めている。今の時代は山でも電波が届いてるところは多いし、いざという時の連絡手段としてスマホは必須アイテムだよね。にも関わらずスマホを持ってないって言うのは、普通だと考えられないと思うんだ」
「だからそれが――」
「死ぬ気だったんだよね。黒瀬君も」
「!!!」
唐突に核心へと迫る一言。これには黒瀬ばかりでなく、私や渡澄さんも驚いた表情で彼を見つめた。
この館に集められた人の条件自体は聞いていた。しかし、具体的に誰がどんな条件を満たしていたのかは聞いていなかった。だから、よりによって黒瀬が、死にたいという理由からスマホを持ってきていないとは思わなかった。
……いや、本当にそうだろうか? この館で会ったばかりの黒瀬。怠惰感の塊で、気力も必死さも何も感じられなかった。死ぬつもりで山に登っていたのなら、納得できなくもない。死ぬ気でいた彼にとって、この状況は心底どうでもいいものだったのかもしれない。
「登山をするのにスマホを持っていかない。純粋に持ってくるのを忘れただけでないのなら、その意味はかなり絞られてくると思うんだ。そして深倉さんから聞いた黒瀬君の行動。見知らぬ館で頼る人もいない中、不用心に一人でぼんやりしているか寝ているか。加えて人が殺された後も真剣に脱出方法を探るというより、どこか諦観した様子で成り行きに身を任せてたんだよね? それを聞いたら、君が自殺する気でいたとしか思えなくなったんだけど、何か間違ってるかな?」
「……」
すぐに鈴が峰の問いかけには答えず、黒瀬はなぜか私を睨んでくる。何余計なことまで話してるんだ的な視線なら、断固抗議したいところ。
そもそも皆が鈴が峰への情報提供をやりたがらなかったから、仕方なく私がその任を担当したのだ。少しでも話されてまずいことがあったなら、自分も参加してくれればよかったのに。
私はむっとした顔つきで睨み返すと、黒瀬は小さくため息を吐いてから、思いの外あっさりと肯定した。
「間違ってないよ。確かに僕は死ぬつもりであの山を登っていた。それは事実だよ」
「ど、どうして……」
渡澄さんが悲し気な瞳を浮かべ黒瀬を見つめる。
この反応を予期していた黒瀬は、苦々しげな表情を浮かべ再度ため息をつく。それから彼女のことを無視し、「それで、僕が死のうとしてたことが何か関係あるの」と鈴が峰に棘のある声で言った。
「もしかして真のミッシングリンクは自殺願望の有無だったとか? 精神不安定な自殺願望者を集めて館の中に監禁して、今みたいな事件が起きるのを期待してってこと?」
「当たらずも遠からず、かなあ。そうだ。あともう一つ聞きたいんだけど、今も黒瀬君は死にたいって思ってる?」
「……人の気持ちを軽視した最低の質問だね。別に、死にたいとは思ってないよ。元から死ねるなら死にたい、って程度の考えだったし」
「答えてくれてありがとう。それじゃあ、一応小鳥遊さんたちにも聞いておこうかな」
あっさりと質問を切り上げた鈴が峰は、今度は小鳥遊らに顔を向ける。再び自分たちに話題が振られると考えていなかったのか、彼女たちは少し驚いた表情で鈴が峰を見返した。
「私たちにもですか? 特にこれと言って話すことはないのですけど。ああ、申し訳ないですが、私たちに自殺願望はありませんでしたよ」
「うん、それは分かってる。だから小鳥遊さんたちに聞きたいのは二つだけ。一つはどうしてこの館にやってきたのか。もう一つは、この館に来たことを後悔しているか」
「それはまた、随分と不躾な質問ですね」
黒瀬に尋ねたのと同様の、相手の気持ちを軽視した質問。だけどこれ、どこかで聞き覚えのある質問だ。
私は心当たりのある人物をちらりと見る。けれどその人物は、澄ました顔で成り行きを見守っていた。
「まず山を登っていた理由ですが、これは探偵としての仕事です。守秘義務があるので詳細は語れませんが、依頼内容としては山奥にあるとある館の調査をしてほしいというものでした」
「今更守秘義務もなくない? そもそもその依頼主が今回の黒幕の可能性だってあるんだし」
秘密を明かした後でやや投げやりになっているのか、黒瀬が意地悪く尋ねる。小鳥遊姉妹は軽くアイコンタクトをしあった後、静かに首を横に振った。
「確かに依頼主が黒幕の仲間であった可能性はありますね。でもだからこそ、今ここで話をするのは危険が伴うのでできません」
「人を殺しといて随分と身勝手な言い分だね。ここまで来て保身を考えても意味ないと――」
「黒瀬君ストップ」
なおも絡みに行こうとする黒瀬を鈴が峰が止める。不満そうな顔で振り返った彼に対し、鈴が峰は髪を掻き回しながら言った。
「ここで小鳥遊さんが黒幕の正体を口にしないのは僕らのためでもあると思うんだ。だってもしそこに黒幕につながるヒントがあったら、僕たち全員が殺される危険すらあるんだからね。それにこれだけのことをできる人たちなら、まさかそこで尻尾を出す様な真似はしてないだろうから、どっちにしても問い詰める意味はないと思うんだ。違うかな?」
「……いや、違わないんじゃない」
まだ何か言いたそうな間があったものの、結局素直に認めて口を閉じる。
気が立ってしまっているのを自分でも理解しているのか。小さく深呼吸をして落ち着こうとしている姿が目に映る。
黒瀬の精神状態が気になるものの、今は成り行きを見守るしかないと、私は再び小鳥遊姉妹に目を向けた。