鈴が峰への情報提供
「で、でも……」
口から彼女をかばおうと声が出る。けれどうまい言葉が見つからず、結局口を閉ざしてしまう。
実際どちらの事件でもアリバイがないのは彼女だけ。疑いの目を向けられるのはやむを得ないことだった。
心配する私とは裏腹に、当の渡澄さんは覚悟が決まっているのか落ち着いた表情を浮かべている。
厚木のように自身が犯人でないことを知っているために、気負わずにいられるのだろうか? それなら私はただ彼女を信じて、少しでも疑いが薄まるようフォローするだけなのだけど……。
彼女の言葉が聞きたい。
他の人の視線に倣い、私はじっと渡澄さんを見つめた。
「……私は犯人じゃないわ」
渡澄さんは僅かに視線を落としながらも、しっかりと否定の声を上げる。けれどすぐさま、「それを証明することはできないけれど」と続けた。
そんな彼女に強い猜疑の視線を投げかけつつ、伊緒ちゃんが尋ねる。
「あなたが犯人でないのなら、必然的に犯人はここに集まったメンバー以外、もしくは二人以上の共犯と言うことになります」
「そうですね」
「……では、渡澄さんは自身が犯人でないというなら誰が犯人だと考えますか? 二度の殺人でアリバイがないのはあなた一人。誰かによってそう仕向けられた覚えなどありませんか?」
「残念ながら何もないわ。私にアリバイがなかったのはただの偶然です」
「つまり、犯人は私たち以外にいると」
「そうかもしれません」
何とも歯切れの悪い返答。自分が犯人ではないと言っている割には、それを信じてもらおうという必死さが感じられない。犯人だと疑いたいなら好きにしてくれと言わんばかりの態度だ。
その態度のせいで、否定の言葉を聞けたにも関わらず私の心は強く彼女を信じられないでいる。
何か私からも尋ねるべきか。私が言葉をかければ、彼女ももっと素直に心情を吐露してくれるかもしれない。でも、一体何を聞けばいいのだろう?
自身の頭の回らなさに歯がゆさを覚え、つい腕を強くつかむ。そしてまた爪を突き立てようとし――
「あのー、ちょっとだけ質問いいかなあ?」
唐突に、この場の雰囲気にそぐわない間の抜けた声が響き渡った。
その声にびくりと体を震わせた伊緒ちゃんは、今まで以上に緊張した面持ちで声の主を見つめた。
「どうかしましたか、鈴が峰探偵。ここまでの話に何か問題でも?」
鈴が峰はスズメの巣のような髪をガサガサ掻き、「いや、ほんとに些細な疑問なんだけど」と前置きしてから言った。
「さっきアリバイの話をしてる時、深倉さんがこのタイミングで白杉君を殺す理由がないって言ってたよね。だから彼女は犯人ではないって。その論理には僕も賛成なんだけど、でもそれって渡澄さんにも当てはまるんじゃないの?」
「……渡澄さんは深倉さんの後に部屋を出ています。つまり自分以外にも最低一人、アリバイのない人がいることを彼女は知っていたことになります。ですから深倉さんとは違い、殺してもすぐさま自分が疑われるとは考えなかったのかと」
「成る程成る程。そういう考え方もあるのか。答えてくれてどうも有難う。と、千尋君」
鈴が峰はあっさり質問を切り上げると、今までずっと沈黙を貫いていた伊月の名を呼んだ。
かなり急な呼びかけだったにも関わらず、まるでこの展開を知っていたかのように、伊月は平然と声に応じた。
「どうかしましたか、千夜さん」
「うん。千尋君には悪いんだけど、二人も人が殺されたし、このままだとさらなる犠牲者が出る気がするから。そろそろ事件解決のために推理とかしたいんだけど、いいかな?」
「止めたところでやるでしょう、あなたは。まあ実際、このままじゃどちらにしろあなたの身にも危険が及びそうだ。さっさと事件解決してください」
「ありがとう。じゃあえっと、推理するためにこれまでの事件の詳細を知りたいから、誰か話してくれるって人いないかな? もしかしたら危険かもしれないけど」
話についていけず呆気にとられる私たちを前に、鈴が峰は手を上げてきょろきょろと私たちの顔を見回した。
「で、話すのは私だけと」
「うん? 何か言った?」
「あ、いえ、何でもないです。それより、これまでこの館で起きたことについて話していけばいいんですよね?」
「そうそう。事件とは全く無関係そうなことも含めて、とにかくこの館で見たこと知ったことを全部聞かせて欲しいかな」
「分かりました。えと、じゃあこの館を見つけたあたりからでいいかな?」
私は記憶を掘り起こしつつ、心の中で少しだけ溜息を吐いた。
鈴が峰による情報提供者の呼びかけ。結果として言えば、求めに応じたのは私一人だった。
小鳥遊姉妹は渡澄さんを犯人と考えているようで、姉の伊緒ちゃんは渡澄さんが犯人である証拠探しを、妹の新菜ちゃんは渡澄さん自身の監視を行うと言い、情報提供を拒否してしまった。元々伊緒ちゃんの方はかなり鈴が峰のことを警戒していたし、あまり関わりたくないという意図もあったのだろう。
そして当然、渡澄さんも犯人である疑いが強いということで新菜ちゃんと一緒に別室で軟禁状態。情報提供の権利は与えられなかった。
厚木は『死神探偵』と言う鈴が峰の肩書にビビっているらしく、「君子危うきに近寄らずというからね」などと宣い断り。
黒瀬も今回の一件からより一層犯人が私たち以外にいることを強く確信したようで、「今更誰が推理しても結論は一緒」と言って知らんぷりを決め込んでしまった。
そんなわけで、いまだ事件解決を諦めきれず、かと言って現状の皆の推理に納得できていない私が情報提供の任を一身に背負うことになった――まあ鈴が峰が来てからのことは、伊月も話してくれるのだけど。
……何というか、思いがけずめちゃくちゃ重要な役割を与えられてしまった気がする。どれだけ優秀な探偵だろうと、事件の情報が正確かつ十分でなくてはまともな推理なんてできやしない。私の説明一つで、彼の推理はまるで見当違いの方向に進んでしまうかもしれないのだ。
――自分の想像や推測は完全に排し、起きたことをありのまま語っていこう。そう、見たこと聞いたことをただ語るだけ。カメラで撮影された動画のように、体験したことをそのまま伝えるだけ……。
プレッシャーに押し潰されないよう、何度も自分にそう言い聞かせる。
何とか覚悟が決まったところで、私は記憶に残っていることの全てを、大袈裟な身振り手振りとともに鈴が峰に伝えていった。
説明がへたくそなことと、本当にこの三日間であったことを丸々話したため、話し終えるころには二時間近くが経過していた。
事件とは明らかに関係のないようなこともたくさん話してしまったため――黒瀬や日車と何気なく話した好きな食べ物の話とか、趣味とかマリモのこととか――、かなり呆れられているのではと不安げに鈴が峰を見る。
すると彼は、満足したような、それでいてどこか不思議そうな表情を浮かべて髪を搔いていた。
あれだけ長いこと話されては、聴いている側も整理するのに時間がかかるだろう。そう思いつつも、我慢しきれず私はおずおずと彼に尋ねた。
「えーと、今ので一通り話し終えたんですけど……どうですか? 自分で話していても本当に意味わかんないことばっかりで、謎しかないなーって感じなんですけど」
偶然同じ日同じ館に集った遭難者。
かなりの美男美女な上に個性派ぞろい。
館に存在する不自然な空白の空間。
突如起こった館を震わす衝撃と、消えていった遭難者。
開かなくなった館の扉。
不意に発覚した私たちが別々の山で遭難したという事実。
館発見直前に皆意識を失っていることから、何者かに館に集められていた可能性が高いこと。
突然やってきた奇妙な探偵二人組。
そして起こった日車君殺害事件。
刺殺であり大量の出血があったにも関わらず、私たちの中に血を浴びている者が一人もいなかったこと。
その際の死亡推定時刻からすると、実際に殺害が可能そうなのは鈴が峰だけだったこと。
ここにきて彼が殺されたことの理由・動機。
さらに十分足らずの間で起きた白杉の殺害。
アリバイがないのが渡澄さんだけだったこと。
しかし彼女が犯人とは思えないこと……。
軽く挙げるだけでもこれだけ思い浮かぶ。最後は私の私情になってしまったが、本当に分からない。謎だらけだ。
いかに優秀な探偵であっても、ここから事件を解決に導くなんて不可能に思える。
私は諦めを感じつつも、鈴が峰の言葉を待った。
そして、しばらくして髪を掻くのを止めた鈴が峰は、とかく困惑した表情を浮かべながら、
「いやあ、謎なんて何もないと思うんだけど」
と、理解不能なことを口にした。