伊月の捜索と再びの問いかけ
渡澄さんの視線を正面から受け止めた鈴が峰は、悩んでいるのか盛大に頭を掻いた。それから少し困惑した表情を浮かべ、「千尋君は何て言ってた?」と伊月について尋ねてきた。
「この事件に対してですか? 特にこれといったことは言ってなかったと思いますが」
「ううんと、この事件っていうか、僕に推理をさせようとはしてなかった?」
「いえ、そういうのはありませんでした。強いて言うなら、あなたが犯人でないことを証明したがっているように見えたような」
「そっかあ……てことは少し面倒な事態になってるのかなあ。ていうか今更だけど、皆ってどういう関係なの? 大学のサークル仲間とか?」
「ええと……」
まさかその段階からこちらのことを知らないのかと、私たちは戸惑った視線を向け合う。
思い返せば鈴が峰はこの館に着いてから、ほとんどの時間気絶するか寝ているかの状態だった。館に着いて早々に伊月に気絶させられ医務室で拘束。一度起きてトイレにこそ行ったが、その後再び伊月に殴りつけられまたも気絶、からの睡眠タイムに突入。朝起きてから日車とは少し話したらしいが、それからしばらくはトイレにこもり、二階では私に首を絞められ気絶。そして今に至る。
うん。本当に踏んだり蹴ったりな状況だ。まともに起きて動ている時間が全くない。
もしかすると(もしかしなくても?)、私や渡澄さん、黒瀬の名前も知らないのではなかろうか。
流石にこれは情報共有が足りなすぎる気がする。
せめて自己紹介ぐらいはしてもいいのではと思えてきた。
三人で「どうする? どうする?」と目だけで語り合う。
目での意思疎通がうまくいったかどうかは定かではないが、結果として黒瀬が、ここに集まっているメンバーと集まることになった経緯だけを簡単に説明することになった。
話を聞き終えた鈴が峰は、「凄い偶然だねそれ! 何が起きてるんだろうね!」と、まるで子供の様に目を輝かせはしゃいだ声を上げる。
こういう姿を見ていると優秀な探偵には見えないのだが……これまで見せてきた推理力に疑いの余地はないはずだ。だから彼に頼るのが最も事件解決に近い……と信じたい。
心に浮かんだ疑惑を飛ばす意図も込め、私は勢いづけて鈴が峰に迫った。
「それで、鈴が峰さんは推理してくれるんですか! してくれないんですか! というかしてください!」
「う、うん。勿論事件解決には全力を尽くしたいけど……千尋君がいない中で話すのは、あんまり気が進まないんだよね」
「っ! 今はそんなこと言ってる場合じゃ――」
「でもさ、僕と話すのが危険なのは本当なんだよ。特に事件が起きてる場所では皆の心が不安定になってるからか、より危険度が増す傾向があるし」
「……つまり、伊月さんを連れてこないと推理はしないと」
「ええと、皆の安全を考えるとそうなるかな」
この答えで私が満足しないことを理解しているのか、鈴が峰は気まずそうに頭を掻く。
私は何度か呼吸を繰り返し心を落ち着ける。それからその場でくるりと反転し、扉へと歩いて行った。
「これから伊月さんを連れてきます。たぶんまだ談話室にいると思いますし、すぐ戻ってきますから、大人しくここで待っていてください」
「ま、待って深倉さん。ここは私が行くわ。私は元もと監視役じゃないし、探しに行く役割としては適任だと思うから」
扉に手をかけた私に向け、渡澄さんが焦った声で言ってくる。
彼女の言う通り、役割を考えればそれが正しい。でも、今ここで渡澄さんに行かせるという選択肢は、私の中にはなかった。
「……鈴が峰さんに推理させたいって言うのは私の我儘。だから関係ない渡澄さんはここで休んでてほしい」
「関係ないって、そんなことないわ。私も彼に推理させることには賛成で――」
「いいから。私が行く」
私はドアノブに手をかけたまま、振り返らずにそう答える。
自分一人では説得しきれないと思った渡澄さんは、「黒瀬君も何か言ってください!」と黒瀬を頼る。けれど彼は先の言い争いから説得する気をなくしたようで、投げやりに「好きにさせれば」と言い放った。
「今のお姉さんに僕たちの声は届かないよ。日車殺しの犯人を捕まえることで頭がいっぱいなんだから」
「そんな……!」
「まあそう言うことだから。ちょっと行ってくるね」
「ま、待って――」
渡澄さんからの静止の言葉を振り切り、私は扉を開けて通路に出た。
もしかしたら扉を開けて追ってくるかもしれないと思い、数秒間は扉の近くで待機。結局追ってはこなかったので、左右を見渡してから談話室に向かって歩き始めた。
図らずも、私たちはここで鈴が峰と会話を交わしてしまった。鈴が峰からの発言は多くなかったし、これと言ってトラブルに繋がりそうな発言もなかったように思う。けれどやっぱり油断はできない。
万が一。万が一にもここで渡澄さんに伊月の捜索を任せ、結果彼女が殺されてしまったら。私は今度こそ立ち直ることができない。そんな何の自慢もできない自信が、私にはある。
だから小鳥遊姉妹と結んだルールを破ってでも、伊月の捜索というリスクは、私自身で負いたかった。
ただ勿論、私だって死にたいわけではない。私が死ねば今度は渡澄さんが心に大きな傷を負ってしまう。私自身が死ぬのは最悪構わないが、それで誰かを不幸にするというのなら話は大きく変わる。
死んでまで誰かの重荷になるなんて真っ平ごめんだ。大切な友人に悲しい顔をさせないためにも、私は絶対無事に医務室まで戻って見せる。
「だから伊月が談話室に残っていてくれると嬉しいんだけど」
談話室の前に辿り着くと、私はドアノブに手をかけたところで一度深呼吸をした。
黒瀬の言う通り、私たち以外の何者かが日車を殺した可能性も十分に考えられる。そしてそんな人物がいるのだとすれば、どこにどんなトラップを仕掛けているか分かったものじゃない。もしかしたら、たった今この瞬間にも私の背後の壁が開き、そこから殺人鬼が飛び出してくるかもしれないのだ。
「…………誰もいない」
流石にあり得ない想像だと思いつつも、一度後ろを振り返る。勿論壁が開いたりはしておらず、人の気配はまるでなかった。
私は弱気を追い払うよう改めて手に力を籠めると、ドアを押し開けた。
「……うわ、最悪」
「何の用かね。随分と失礼な表情を浮かべているように思えるが」
談話室では厚木が一人、ソファでゆったりとくつろいでいた。
人が死んだばかりの館でよくリラックスしていられるなと、その神経の太さに呆れの気持ちが湧き上がる。まあ厚木に常識的な反応を期待するのが無駄なことはよく理解しているので、それに文句をつけようなどと言う気は起きない。
余計な会話をして苛立ちを増す前にさっさと部屋を出ようと、私は軽く頭を下げ踵を返すが、
「ちょっと待ちたまえ。君にまた聞きたいことがあるんだよ」
「……急いでいるので手早くお願いします」
こういう時に限って厚木は声をかけてくる。
面倒に思いつつも首だけ振り返り厚木を見る。すると初日のお風呂場で見た時と同じ、妙に真剣な表情の厚木がそこにいた。
一体その表情は何なんだと、訳が分からず唾を飲み込む。
厚木は静かにソファから立ち上がると、「聞きたいことは前と同じだ」と話し始めた。
「遭難の末、おそらく人為的に辿り着かされた館。玄関扉が開かなくなるという異常事態に、大地震を彷彿とさせる異常な揺れ。突然消えた遭難者に、突如やってきた不可思議な探偵。さらには館で親しくなった友人の死。
改めて聞きたい。君は今、どんな感情でこの場所にいる。まさかまだ、疲労以外の思いがないとは言わないだろうね」
「……それは、今ここで答えないといけないことですか」
「うむ。今この瞬間だから聞きたいのだ」
ふざけた問いかけのくせに、表情も声音も真剣そのもの。今こんな質問をするなんて、ともすれば日車殺しの犯人だと疑いたくなる。実際彼にはアリバイがなかったし、性格からしてもその可能性は十分あるように思う。
だけど現状では、こいつを犯人だと断定できる証拠がない。会話からボロが出るのを待つという手もあるけれど、私ではできる気がしない。苛立たしくはあるが、ここはさっさと会話を切り上げて、予定通り鈴が峰に推理を依頼するのが最善なはずだ。
だから、嫌だけどこいつの質問にも答えてしまおう。
私は眉間にしわを寄せながら、堂々と言い放った。
「はっきり言って、言葉にする必要もない共通認識だと思いますけど。今の私の気持ちは――」