館での生活も三日目になりました。まだまだ平和です
何はともあれ黒瀬と無事再会できた私は、そのことを告げに医務室に戻った。
黒瀬が談話室にいたことを知らせると、渡澄さんは安堵した表情を見せた。私は彼女の優しさに苦笑しつつ、黒瀬がこちらに来る気がないことを話し、自分も談話室で休んでくると言った。
それを聞いた日車は私に付いて来ようとしたが、ちょっと悩んだ末、渡澄さんとともに医務室に居残ってもらえるよう頼み込んだ。
せっかく懐いてくれた日車を突き放すようで申し訳なくはあったけど、伊月からトラブルメーカーと呼ばれ、伊緒ちゃんからは死神探偵と呼ばれる鈴が峰の監視を渡澄さんだけに任せておくのは不安だったからだ。
まあ本来なら私か黒瀬がやるべきなんだろうけれど、黒瀬も私も伊月と同じ部屋ではあまり気が休まらない――と言うか何か余計なことをしでかしそうで怖い。
その点日車なら伊月に対しても普通に接することができるようなので、渡澄さんの補佐をするには最適に思えた。
日車は一瞬寂しそうな顔をしたものの、「分かったにゃ。深倉の期待には答えるのにゃ!」と元気良く頷いてくれた。
もしかしてまた無理をさせてしまったかと、ちくりと胸が痛む。けれど今晩だけのことと思い直し、「宜しくね! じゃあお休みなさい」と笑顔で手を振った。
伊月や渡澄さんにも軽く頭を下げてから医務室を後にする。一度トイレに寄ってから談話室に戻ると、黒瀬が寝そべっているのとは別のソファにぼふっとダイブした。
「子供」
「うるさい」
寝ぼけ眼の黒瀬が半ば反射的に突っ込んでくる。
私は体を半回転させソファの上に仰向けになる。暗いのは怖いから電気は消さないけど、直接光が目に当たるとそれはそれで眩しくて寝られない。瞼の上に腕を乗せて遮光してから、私は薄目を開けたまま口を開いた。
「正直なところ、黒瀬君はどう思ってる」
「少なくとも黒幕ではないんじゃない」
かなり唐突で情報の足りない質問だったにも関わらず、黒瀬はこちらの意図をしっかり理解した返答を返してくる。
私は目線だけ黒瀬に向けつつ、「私も同意見」と呟いた。
「怪しいのは間違いないんだけどさあ。怪しすぎて逆に怪しくないというか、インパクトがあり過ぎと言うか。彼らが黒幕だったら、別にこのタイミングで登場する必要を感じないんだよね」
「それ以前に、黒幕の狙いが意味不明過ぎ。一人減らして二人増やして、結局何がしたいわけ?」
「それはそうなんだよねえ……。でもあの二人の役割って、あんまり想像したくないけど、えと、その」
「『事件のトリガー』でしょ、お姉さん」
私が濁した言葉を、黒瀬は躊躇いもなく言ってくる。
私たちをここに連れてきた(?)黒幕の目的はよく分からない。しかし館の玄関扉を閉めていることから、ここから出したくないことは間違いなさそうだ。そしてそんな状況下に投入されたのが、高確率でトラブルを引き起こすらしいトラブルメーカーと、男女共に魅了してやまない絶世の美少年コンビ。
今まで特にこれと言った事件が起きなかったから、そこに波風を立てようとしてきたとしか思えない人選だ。
黒幕の思い通り、これから事件が起きてしまうのか。それとも何事もなく時が過ぎてくれるのか。
私は一抹の不安と、それ以上に今の平和な時間に心を休ませながら、徐々に眠りについていった。
館に遭難してから三日目の朝。
もう三日も経ったのかという思いと、まだ三日しか経っていないのかという気持ちが混ざり合いながら目を覚ます。
ポケットからスマホを取り出し時間を確認すると午前八時。そろそろ電池も底をつきかけていたので、節電のため電源を落としてからポケットにしまい込んだ。因みにだが、電波は当たり前のように届いていなかった。
軽く体を動かして、コリをほぐす。
コリをほぐすついでに部屋の中を見回してみると、黒瀬はまだすやすやと眠っていた。
お互い早くもソファで寝ることに慣れてしまったものだと、哀愁を感じる。しかし黒瀬は最初悪魔の庭で寝ていたわけだし、元々神経がずぶとかったんだろうなと思い直した。
それはともかく、寝ている間に少し汗をかいたようで、ちょっと気持ち悪い感じになっていた。この館は空調に関してはしっかり効いており、秋だというのに全く寒さを感じずに済んでいる。
それが逆にあだとなって、ちょっぴり寝汗をかいてしまったわけだ。
「お風呂、入って来ようかなあ」
なんとなく口に出して言ってみる。ちらりと黒瀬を見てみるが、反応はない。
年上の綺麗なお姉さんがお風呂に入りたいと言えば、男子高校生なら否応なく反応してしまうはず。ここで反応しないということは、黒瀬はまだ熟睡しているということだろう。
「……まあ冗談は置いといて」
私は黒瀬を起こさないよう静かに部屋を出ると、宣言通りお風呂場に向かって歩き出した。
道中、医務室の中を覗いてみると、四人ともまだ眠っている様子だった。鈴が峰は相変わらず縛られたままベッドで鼾をたて、渡澄さんと日車も別のベッドに横になり眠っている。伊月だけは椅子に座った状態で舟を漕いでいた。
こちらも特に異常はなさそうだし、わざわざ起こす必要もないかとそっと扉を閉める。
続いて玄関ホールを通りがかった際には、扉が開くかどうか試してみたがやはりびくともしなかった。
私は静けさの保たれた館内をその場でくるりと見まわしてから、再び風呂場を目指す。
遭難・監禁・誘拐・消失。
単純に言葉にすれば、今この館の中ではこれだけの異常事態が起きている。にも関わらず、不安から大きく騒ぎ立てる者もおらず、皆静かに眠りについている。私に至っては、まるでホテルに泊まっているかのように、朝風呂を満喫しようと浴場に向かっている。
何かがおかしい。
何かが根本的に間違っている。
でも、それがどこか心地よくすらある。
もしかしたら、私たちをここに閉じ込めている黒幕は、単に非日常を演出したいだけなのかもしれない。一人で館にいるのが寂しかったから、とにかく人を集めて、ちょっと変わったお泊り会を開いているような気分でいるとか。
それが楽観的過ぎる考えなのは、勿論わかっている。
でも、この館に来て三日も経つというのに、危害を加えられた人が一人もいないというのは事実。
私の心からは、間違いなくこの状況への危機感が薄れてしまっていた。