何はともあれ平和です
ベッドの上で縛られた鈴が峰の、大きないびきが部屋をこだまする。
その口と鼻をふさぎたくなる気持ちを必死に堪えながら、私と伊月、日車と渡澄さんは医務室で雑談を交わしていた。
さっきは館の案内をするという役割もあったため普通に伊月と会話できていたが、落ち着いて話をするとなると、驚くほど言葉が出てこない。
改めて伊月の美少年っぷりは尋常ではない。直前に渡澄さんが聞いていたが、今年で十九歳らしい。正直彼に年齢なんて概念が存在するのかと、意味不明なところで驚きを覚えてしまうほど、私の目から見た伊吹は美に溢れていた。
はっきり言って直視していると目が潰れそうになってくる。私なんかが同じ空間に存在していていいのかと、さっきから体がそわそわして仕方がない。
けれどそんな風に緊張しているのは私だけらしく、渡澄さんも日車も問題なく伊月と会話をしている。
渡澄さんは自分自身が美少女だから、美耐性が高いのかもしれない。日車に関しては伊月の生きづらさに共感を覚えたらしく、まるで同士のようにフレンドリーに接している。
要するにこの場で浮いているのは私だけ。時折日車や渡澄さんが話しかけてくれるが、伊月が見ていると思うとまともに言葉を返すこともできず、「ああ」とか「うん」みたいな相槌しか打てていない。
この館に来てから忘れかけていたが、そう言えば私は基本このポジションだったよなと、久しぶり(?)に疎外感を噛みしめていた。
「何が悲しいって、このメンツの関係性的には、私が一番皆との繋がりが強いはずってところなんだよね……」
「ん、どうかしたにゃか?」
「あー、えーと、そう言えば黒瀬戻ってくるの遅いなーと思って」
独り言に反応され、私は慌てて違う話題を口にする。
思い付きで出した話題だったが、渡澄さんは少し不安そうに頬に手を添えた。
「そう言えば黒瀬君は今どこにいるのかしら? 私たちが医務室にいることは知っているはうだけど、もしかして談話室で一人で休んでいるのかしら?」
「玄関ホールにはいにゃかったし、たぶんそうなんじゃにゃいのかにゃ」
あまり黒瀬には関心がないらしい日車が適当に頷く。
しかし状況が状況ゆえ、渡澄さんはかなり心配になってきたようだ。黒瀬は私と同レベルに体力がなく、一度目の揺れの時に頭を床にぶつけている。これまでの話し合いでかなり頼りになるところを見せてはくれたが、一人で館をうろつかせるのちょっと危険にも思える。
とはいえまだ別れてからそこまで時間が経ったわけでもないし、探しに行く理由としてはちょっと弱い。
探しに行くか、行かないか。
渡澄さんが悩まし気に視線を彷徨わせているのを見て、私はこれはチャンスかもと、勢いよく立ち上がった。
「気になるなら私がちょっと見てくるよ。どうせソファで寝てるだけだと思うし、見つけたらすぐ戻ってくるから」
「え! 別に深倉さんが探しにいかなくても私が――」
「いいのいいの。実は黒瀬君に話したいこともあったから。皆はここで休んでて」
「んにゃ。深倉が行くならにゃあも付いていくにゃよ」
「申し出は嬉しいけど大丈夫。どうせすぐに戻ってくるし、御手洗いにもよりたいから」
「うにゃ……」
トイレに行きたいと言われれば、男の子である日車も流石に付いていくとは言いずらいようだ。
伊月はもともと黒瀬を探しに行く気はないようで、特に何も言ってこない。
私は「それじゃ」と言うと、また何かごねられる前に医務室を出た。
通路は怖いぐらいに静かで、人の気配はしない。
私はそのことにむしろ安らぎを覚え、
「はあーーーーーーー」
と、大きくため息をついた。
ようやく一人きりになれた。
こんな不気味な館であるから、誰かと一緒にいるのは心強い。けれどあまり知らない人たちと常にいるというのはどうしても気疲れしてしまう。特に昨日の夜からはどこに行くにも二人以上での行動を求められてきた。トイレの時ですら、中にこそ入ってこないものの通路で待たれていたため、あまり安らぐことができなかった。
そうした苦難の時間があっての今、この瞬間。解放感で満たされ、自然と体も大きく伸びをしていた。
「とはいえ、あんまりゆっくりはしてられないかー」
すぐに戻ると告げてしまった手前、一時間近く寄り道をしようものなら、まず間違いなく渡澄さんも日車も探しに来てしまう。二人とも私に対してかなり過保護になっているため、次からは一人での行動をさせてもらえなくなってしまうかもしれない。
惜しくはあるが、さっさと黒瀬を見つけて戻ることにしよう。
まずは隣室の談話室へと歩みを進める。
実際黒瀬が談話室にいるかは微妙なところだ。単独での行動を許可こそしたものの、本人的には一人でいることは危険だと感じていたみたいだし、わざわざ誰もいない談話室で休む理由が見当たらない。
とはいえ談話室にいなかった場合、早速当てがなくなり困ってしまう。三階から一階までは一直線に下りてきたから、たぶん三階にはいないと思われる。だからいるとしたら二階――と、そう言えば最初彼は悪魔の庭で寝ていたなと思い出す。もしかしたらまたあの部屋で一人眠りについているのかもしれない。
しかしその場合はどうしたものか。あの部屋は暗くて、勇気を出しても入れるかどうか微妙なところ。外から声をかけるぐらいはできるだろうが、それで反応してくれなかったら為す術がない。一体どうしたものか。
そんなことをうだうだ考えているうちに談話室前に到着。軽くノックしてから扉を開ける。部屋の中を見回してすぐ、幸いにもこれまでの考えが杞憂であることが分かった。
「なんだ、談話室にいたんだ」
「いたら何か文句でも」
眠たげな瞳でソファに横になっている黒瀬。私は扉を閉めると、てくてくと彼の隣まで移動した。
「どうしてこっちの部屋にいるの? 医務室に私たちが集まってたのは知ってるでしょ?」
「そりゃあ知ってたけど」
「じゃあなんで? 一人だと危険だって言ってたのは黒瀬君なのに」
「それはそうだけど……プライド的にさあ」
「プライド……? まさかとは思うけど、伊月君のこと?」
「……そうだよ」
黒瀬はすねた様子でそっぽを向く。
私はしばらく目を丸くして彼を凝視していたが、不意におかしくなり「ぶっ」と吹き出してしまった。
突然笑い出した私を見て、黒瀬はむっとした表情を見せる。
「何笑ってんのさ」
「いやだって、黒瀬君そういうこと気にするタイプには見えなかったから……なんかおかしくて」
「僕自身こんな気持ちになるとは思ってなかったよ。別に今までは僕よりかっこいいやつ見ても何とも思わなかったし」
本心から訳が分からなそうな彼の態度を見て、私のいたずら心に火が灯る。大げさに頷きながら、からかい口調で黒瀬に言った。
「うんうん。それはさ、この館に来て、黒瀬君がちょっと大人になっちゃったのが原因だろうね」
「大人にって、どういう意味だよ」
「そりゃあ恋をしたってことだよ。好きな人の前ではかっこいい所見せたいもんね」
「好きな人って……!」
黒瀬は顔を赤くして下を向く。
彼が渡澄さんに惚れているのは私的には周知の事実。悲しいことに惚れられている渡澄さん自身は気づいてなさそうだけど、それ以前に黒瀬自身もはっきり自覚していたわけではなかったらしい。
私はこれまでの黒瀬の渡澄さんへの態度を楽しげに語っていく。彼女のために皆のまとめ役になり、頼れる姿を見せつけていたこと。彼女に視線を移すたびに若干頬を染めていたこと。ふとした時に視線が彼女に引き寄せられていたこと、などなど。
彼自身自覚していなかった惚れているが故の行動を指摘する度に、恥ずかしさが増して耳まで赤くなっていく。
しかし急に黒瀬は顔を上げると、反撃とばかりに私を指さした。
「お姉さんこそ、一人でここに来たってことはいづらくなったんじゃないの? 大方伊月の美青年ぶりに圧倒されて、一人だけまともに会話できなくなったとか」
「うぐ!」
図星をつかれ大きく体を仰け反らせる。
互いに痛いところを突かれたことで、私たちはしばしの休戦を結ぶこととなった。