鈴が峰という男②
書く気力がびっくりするほど湧かない
「罪とか、責任っていうのは、トラブルメーカーとして引き起こしてしまった事件のことですか」
ともすればここら辺でこの会話は止めても良かったと思うのだけれど、伊月の表情を見ていたらつい言葉が漏れてしまった。
伊月は静かに頷くと、どこか別の景色を見るような目で天井を見上げた。
「私はそれを罪だとは思いませんが。彼は確かにトラブルメーカーで毎度事件のきっかけを作ります。けれど、危険なトラブルの種を持っていない相手であれば大事にはなりません。まして殺人に発展するような場合、鈴が峰の存在に関わらず事件が起きていた可能性が高い。だから彼の余計な一言で事件が起きたからと言って、それを自分の責任だと感じる必要はないと考えています。けれど彼はそう考えないようで、全てを背負ってしまう」
「失礼かもしれないですけど、あんまりそんなタイプには見えなかったような……」
「そうでしょうね。ですが事実です。現に彼は、自身のせいで人生が変わってしまった人全てに毎年連絡を取っていますし、亡くなった方の墓参りを欠かしたこともありません」
「それは……凄いですね」
伊緒ちゃんが知っている程度には有名な探偵。加えて助手である伊月曰くこれぐらいの事件には頻繁に遭遇するトラブルメーカー。となれば被害者やその関係者は優に百を超えてくるかもしれない。その全てと連絡を取り続けているというのは……流石に背負い過ぎな気もする。
伊月の言葉に共感すると同時に、だったら探偵なんてやらなければいいのにという思いが込み上げる。
そんな私の気持ちが顔に出ていたのか、伊月は「私もそう思いますけどね」とテレパス返答をしてきた。
「ですが鈴が峰は探偵を辞める気は一切ありませんし、実際天職なのも間違いありません」
「事件を解決する能力あるからですか? でも探偵なんてやってたら、それこそ訳ありの人と出会っちゃいますし、トラブルも起こしやすくなりそうですけど」
「それも間違いではありませんね。ですが……例えば、あなたは今、こうして私と話をしている中で、私の一生を変えるような話をできると思いますか?」
「え! いやあ、それは無理だと思いますけど……」
人の一生を変えるような話を、何気ない日常会話でできるとは思えない。いや、そうじゃなくてもかなり難しいだろう。
日車は自分の存在をアピールするように脇腹をつついてくるが――彼は特殊事例だ。これまでの人生で人の心を動かした記憶なんて全く思い浮かばない。
私の返答は想定済みだったようで、伊月は「そうでしょうね」と首を縦に振った。
「別にあなたに限らず、私も、世界中のほとんどの人がそうでしょう。でも鈴が峰は違います。彼は、何気ない会話をしているだけのつもりでも、周りの人生を大いに歪ませてしまう星の元にいる。世間話すら、彼にとっては容易に行えるものではないんです。そんな彼が普通の仕事をできると思いますか?」
「……」
わざわざ答えるまでもなく、できるとは思えない。
私も社会に出て通用する性格ではないが、それでも我慢さえすれば普通の社会人のように振舞うことは不可能じゃないと思う。なぜ可能かと言えば、私の言葉や行動に力なんてないからだ。ただ流され、嫌なことに対して立ち向かおうとせず我慢するだけの人間だから、周囲が適当に私をそういうポジションに運んでくれる。
何をしても、何をしなくても、結果に大きく影響しないような舞台を用意してくれる。
でも、もし私の言葉や行動が、マイナス方面に強い力を持っていたなら。用意してもらえる舞台もなくなるだろうし、まして自ら舞台を作るのは不可能になると思う。
そんなの……たぶん、きっと、おそらく――いや、絶対に。自分なんか死んだ方がいいんじゃないかって思考に支配されてしまうだろう。
鈴が峰が本質的に抱えている闇を理解し、私の心まで暗く沈んでいくのを感じる。なんとか心を落ち着かせようと、私は腕に爪を突き立て必死に暗闇を追い払った。
伊月はそんな私に気付かぬ様子で、寂しそうに続けた。
「おそらく、鈴が峰のバカみたいなポジティブさと学習能力のなさは、防衛本能がもたらした結果なのでしょう。そうでもない限り、外に出ることさえ苦痛となる体質だ。
そしてもう一つ。探偵と云う職業が彼を救っている。マッチポンプ的であるとはいえ、彼がいることで命を散らさずに済んだ人や、難を逃れられた人もたくさんいる。その数は、彼のせいで怪我をしたり死んでしまった人よりも遥かに多い。
不幸にしてしまった数より、幸福にした人の数を多くする。彼の体質を考えるなら、探偵と云う職業以外にそれを叶えられる生き方はない。だから天職だと言ったんです」
伊月は話疲れたのか、一心に語ってしまったことを恥ずかしく感じたのか、それ以降ぱたりと口を閉ざしてしまった。
私も日車も今の話を聞いた直後では他の話題をする気も起きず、黙って医務室への歩みを再開する。
結局それ以降、一言も話すことなく私たちは医務室に辿り着いた。
「失礼します。今戻りました」
軽く扉をノックしてから、医務室の中に入る。
けれどそこには想像していたのとは違う光景が待っていた。というか、中には誰もいなかった。
今まで見たこともない慌てた様子で伊月が部屋の中を探し回る。
医務室もかなり広いとはいえ、大人二人が隠れられる場所はそこまでない。すぐに部屋の中は探し終え、伊月は眉を吊り上げて立ち尽くした。
怒っている表情も美しいのはもう当たり前のこととして――二人とも西郷のように消えてしまったとでもいうのだろうか。
まだあまり状況を理解できていない私は、戸惑い気味に部屋を見回す。少なくとも部屋の中は荒らされた様子はなく、二人が誰かに襲われたという可能性はなさそうだ。
また鈴が峰の体を縛っていたシーツはほどけた状態でベッドの上にあり、誰かが彼の拘束を解いたことが見受けられる。
伊月に話すな触るなと念を押されていた渡澄さんがほどくとは思えないため、第三者が来た可能性が高そうだけど――
「あ、皆さん帰ってきてたんですね」
少し申し訳なさそうな声とともに、通路の方から渡澄さんが顔を覗かせた。
その後ろには妙にすっきりとした表情の鈴が峰もついている。
伊月もすぐ鈴が峰の存在に気付いたらしく、無表情でずんずんと彼に迫っていく。
鈴が峰は笑顔でそんな伊月に手を振ると、
「いやあ千尋君。こうして無事館に辿り着けたことに安堵したら急に尿意を催してね。せっかく拘束してくれたのに申し訳ないんだけど、ちょっとトイレに案内してもらってて――」
「黙れ」
容赦のない右ストレートが鈴が峰の腹に突き刺さる。「ぐふっ」と声を漏らして倒れこんだ鈴が峰を引っ張り、伊月は再び彼をベッドの上に拘束したのだった。
この一話いらないかなあ。もしかしたら消すかも。